長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊、小野飛行場)跡地 [├空港]
2011年5月訪問 2020/10更新
撮影年月日1947/04/17(昭22)(USA M259 110)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
「諫早干拓」で有名な、長崎県諫早市にあった「長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊、小野飛行場)」。
元々は逓信省が「長崎航空機乗員養成所」として建設しました。
後に当飛行場を海軍が接収、「諫早海軍航空隊」としました。
そしてこの飛行場は「小野飛行場」とも呼ばれていました。
飛行場の敷地については資料が見つからず、上の地図は、
「1947年の写真(下記リンク参照)だとこういう風に見える」という程度のものです。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:諫早 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:1500x900 主要機隊数:小型練60 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:居住、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、倉庫、工業場 掩体:工事中 其ノ他記事:旧航空局施設
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「諫早開隊(S20(判別できず))(昭19建工事中)」とありました。
赤マーカー地点。
市営ソフトボール場バックネット裏側に碑がありました。
(県道からはちょっと目立たないです)。
側面に碑文がありました。(全文)本養成所は昭和十七年四月国立の民間パイロット養成施設として開所終戦まで教職員百二十余名 十二、三、才で入所した本科生四百四十一名 十七、八才て入所した操縦生百六十二名が在籍全寮制で海軍式のきびしい訓練を受けた。十八、九才で卒業した百二名の操縦生は海軍航空隊員として第二次大戦に投入され雷撃隊特攻隊等で五十数名が戦死している。戦死者物故者の鎮魂と生存者の青春の証しとしてこの碑を建立する。
長崎県・長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊、小野飛行場)跡地
航空機格納庫を移設し、JAの倉庫として使用しているそうです。
長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊、小野飛行場) データ
設置管理者:逓信省→旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:長崎県諫早市小野島町
座 標:N32°51′01″E130°05′27″
標 高:1m
着陸帯:1,500mx900m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1939年 広大な美田を埋め立て、逓信省航空機乗員養成所と付属飛行場建設
1944年03月 海軍が特攻機要員養成のため施設を接収、諫早海軍航空隊とする
1945年09月 占領軍進駐
1946年09月 撤収
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
現地の碑文
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
石碑に込められた思いは、いつまでも伝わるでしょうか。
by tooshiba (2011-09-16 16:08)
こりゃまた、情報の少ないところですねー
遺構も無ければ資料もなし、あるのは有志で建立した碑だけ。
はー
by me-co (2011-09-16 23:13)
こんばんは、
私事ですが、今年の4月に埼玉の陸軍・桶川飛行訓練場の跡を訪れました。
http://azumino-kaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23-25
朽ち果てそうな木造の建物が残っており、当時のそこで働いておられた方が案内をしてくださいました。
戦争の史跡をしっかり保全して後世に伝えることが、本当の平和教育なのではないかと強く感じました。(なぜ、基地の跡などを壊してしまうのでしょうか。まったく理解ができません)
by Azumino_Kaku (2011-09-17 22:35)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■tooshibaさん
そうであって欲しいと思います。
■me-coさん
少ないですね~。
碑があるだけよかったです。
■Azumino_Kakuさん いらっしゃいませ^^
>桶川飛行訓練場の跡
オイラの地元にお越しいただいたのですね^^
>本当の平和教育
まったく同感です。
by とり (2011-09-18 06:17)
ながさき新聞のサイトに、JR諫早駅の北側に格納庫があって、全農ながさき県南事務所に倉庫としつ移築されたとありました。
で、全農ながさき県南事務所を検索したら、、、
移転しましたって書いてありました(^_^;)倉庫のことは何も書いてなかったです(ノ_<。)
敷地内移転らしいですから、もしかしたらまだあるのかもしれません。
by 鹿児島のこういち (2011-09-18 06:18)
■鹿児島のこういちさん
情報ありがとうございます。
まだ残っているかどうか気になりますね~。
by とり (2011-09-19 06:27)
小野飛行場の近くには今も小野中学校がありますよね。その近くに住んでいました。中学校には小高い山が接していて、そこには防空壕と言うにはちょっと違う、長いトンネルが掘ってあり、麓にはいくつかトンネルの入口がありました。うちの実家は中学校とは、山を挟んだ位置にあり、近くにも入口がありました。子供のころから、それが何か気になって調べみたら、小野飛行場にたどり着きました。要は平地に大切な物は置いておけないから、飛行場から一番近い山の麓にトンネルを掘り、保管所にしていたんでしょうね。地図で見ると、道は一直線に飛行場とつながっていてすべてのトンネルの入口が、その道に接していました。謎が解けた気がします。ありがとうございました。
by コウジ (2015-09-19 22:18)
■コウジさん いらっしゃいませ
小野飛行場が山にトンネルを掘って天然の退避壕にしていたというのは、
ざっと検索してみた限り、少なくともネット上には未だ情報がありません。
勿論オイラも初耳でした。
非常に貴重な情報ありがとうございますm(_ _)m
山は小野飛行場から1キロ少々にありますから、絶妙の位置なのだと思います。
幾つかお聞きしたいことがあるのですが、
「飛行場と一直線につながっている道」とは、県道124号線のことでしょうか?
トンネル、トンネル入り口は現存するのでしょうか?
このトンネルはどの位の大きさでしょうか? ヒコーキが入る位の大きさなのでしょうか?
教えて頂ければ幸いですm(_ _)m
by とり (2015-09-20 06:08)