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軽野滑空場跡地 [├空港]

   2012年9月訪問 2021/7更新  


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撮影年月日1946/02/13(昭21)(USA M44-A-5VV 204) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

 

茨城県‎神栖市‎にあった「軽野滑空場」。

現在ではすっかり開発が進み、想像もつきませんが、かつてこの周辺は「鹿島理想郷」で砂丘が広がっていました。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

滑空場の敷地を示した資料が見当たらず、主観で線を引いています。

おおよそこんな感じだったのではないかと。

D20_0056.jpg

赤マーカー地点。

砂山都市緑地に大きな駐車場があり、一角に大きな碑があります。

D20_0039.jpg

暗くて全然見えませんが、「大日本滑空始翔之地」と彫られています。^^;

大日本滑空始翔之地(全文)

滑空創翔記念碑碑陰 碑面 大日本飛行協会副会長陸軍中将掘丈夫題署 斯の地鹿島理想郷の砂丘たる四邊の展望比なき雄勝の境にして東には日の出の壮観を誇る 太平洋を見はるかし西には明鏡と澄む神の池の彼方に富士の神嶽筑波の霊峰を仰ぎ南には蘆萩を逢うて白帆の去来する利根の大河を控へ北には萬代柗原を隔てて建国創業の元勲たる武甕槌神の御鎮座を拜す過ぐる紀元二千六百年の佳稔に八光臺と命名せる處なり 第一次欧洲大戦の空戦に敢闘せられたる海軍機関少佐磯部鈇吉氏は豫て研究試験中なりし滑空機の創翔を此の砂丘に決行し逓信省航空局駒林榮太郎氏臨検片岡文三郎氏操縦の下に滞空二十二秒といふ日本最初の公認記録を樹立す是れ實に昭和五年七月十一日の業績にして清水六之助澤宣治北尾亀男佐々木保次郎橋本喜作掘久山崎松三朗の七氏及び當理想郷の経始者たる山本平八郎氏等欣然この壮挙に参加せられたり 爾来十有三星霜今や皇軍の威武大に振燿して大御稜威は洽く大東亜に光被し殊に我が無敵空軍の壮烈全世界を震駭せしめつヽあり之が次陣錬成の登竜門として軍部を始め学園民間を通じ誠意訓練中なる滑空界の盛況を想望する時榮光輝くこの地而も神代航空の司神たる天鳥船神即ち息栖神社の創祭せられたりし軽野の郷に斯の記念碑を建設して先覺者の偉功を讃揚し航空思想の振興に貢献せんとするものなり 天つ日の照らせるきはみ空かけり大和男■子の意気を示さむ 昭和十八年七月十一日 正四位 峯間信吉 光生 増田好雄 共撰 従七位 小澤理一書 高橋正恒刻

非常に格調高く難しい漢字がたくさん使ってあって苦労しましたが、飛行に関係する部分だけを抜き出すと、

「昭和5年7月11日、当地鹿島の軽野村砂丘において、海軍機関少佐磯部鈇吉が開発したグライダーは、

片岡文三郎氏の操縦で試験滑空を行い、22秒という記録を出した。」

ということのようです。

海軍機関少佐磯部鈇吉は、日本グライダー研究の始祖とされる人物です。

また、碑文の後半に「軽野の郷に斯の記念碑を建設して」とあり、

当地の住所は合併、編入を経て現在神栖市なのですが、当時ここは鹿島郡軽野村でした。

 

この碑文を額面通りに受け取ると、昭和5年7月11日が国内におけるグライダー初飛行の日である。

ということになるのですが、

実際には同年3月、5月にもグライダーの飛行記録が残っており、

更には大正14年(1925年)3月21日、馬場源次郎が初の国産グライダーを製作、滑空。

明治42年(1909年)フランス武官ル・プリエー海軍中尉、相原四郎海軍大尉の協力を得て竹の骨組み複葉グライダー製作、

12月26日、上野不忍池端で、自動車曳航にて試験飛行実施。滑空距離約20㍍。  

という記録も残っています。

 

ネットで検索すると、 大日本滑空始翔之地の内容は厳密には正しくないのですが、

昭和18年という時代背景を考慮すると、これは戦意高揚、航空兵拡充のためのプロパガンダではなかったか。

ということのようです。

神栖町史の中では、前記事の「神之池航空基地」と「内閣中央航空研究所鹿島実験場」については多くの頁を割いているのですが、

当地での出来事については触れられていませんでした。

 

D20_0046.jpg

余談ですが、碑文の中にどうしても判別できなかった文字(■部分)がありました。

上がその部分を拡大したものなのですが、写真真ん中部分、「男」と「子」の間の文字が不明です。

なんだかこの文字だけ字体が異なっていますね。

何という文字なのでしょうか? ご存じの方教えてください m(_ _)m

2013/4/14追記:がりつうさんから教えていただきました。変体がなの「の」だそうです。がりつうさんありがとうございましたm(_ _)m


      茨城県・軽野滑空場跡地      

軽野滑空場 データ

種 別:滑空場
所在地:茨城県‎神栖市‎東和田‎砂山都市緑地
座 標:35°53'50.0"N 140°41'32.2"E
標 高:12m
着陸帯: 1,000mx550m?(不定形)
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1930年07月11日 当地で滑空を行う
1943年07月11日 碑建立
          09月19日 当滑空場をはじめとする県内各地の地方滑空訓練所で滑空大会開かれる

関連サイト:  
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この記事の資料:
現地の碑文


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コメント 2

がりつう

この字は、変体がなの「の」ですね。「能」をくずしたものです。
by がりつう (2013-03-27 01:33) 

とり

■がりつうさん
教えて頂きありがとうございました。
「の」ということは、「男の子」ですか。
by とり (2013-03-29 19:13) 

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