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内閣中央航空研究所鹿島実験場跡地 [├空港]

   2012年9月訪問 2021/7更新  


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撮影年月日1946/03/26(昭21)(USA M85-A-5VV 50) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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撮影年月日1947/10/26(昭22)(USA R384 76) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

茨城県神栖市にあった「内閣中央航空研究所鹿島実験場」。

前記事の神之池航空基地のすぐ南側に位置していました。

ここは通常の軍用飛行場ではなく、「実験場」というその名称の通り、特殊な飛行場でした。

(詳しくは後述します)

内閣中央航空研究所についてはネットでの情報が非常に限られており、 

ここは敷地を明示した資料が見当たらず、「神栖市歴史民俗資料館」前の説明版(赤マーカー地点)に、

「ここに実験場があった」、「約八〇〇ヘクタールという広大な土地が(中略)買い上げられた」

とあることから大まかな位置と面積が分かり、

当時の航空写真から面積を確認しながら足したり引いたりして作図しました。

先頭のグーグルマップの作図で798haです。

800haという数字を気にしながら、「ここ飛行場っぽいなぁ」という主観で線を拾ってますので、

きっといろいろ間違ってると思います。

また、同説明版には「 二、000㎡の格納庫二棟」とあり、他サイト様(下記リンク参照)によれば、

「40mx50mの格納庫2棟」とありました。

上に拡大写真を貼りましたが、作図してみるとサイズもピッタリなので、恐らくコレが件の格納庫なのだと思います。

D20_0036.jpg

赤マーカー地点。

神栖市歴史民俗資料館。

前記事の桜花公園の北北西約5kmにあります。

前述の通り、 写真中央に小さく説明版が映っています。

内閣中央航空研究所鹿島実験場(全文)
●用地面積 約八〇〇ヘクタール
●用地提供地区 息栖・木崎・平泉・田畑・高浜・溝口地区の約六〇〇戸
●用地買収期間 昭和一六年(一九四一)~一八年(一九四三)
●研究終了時期 昭和二〇年(一九四五)十二月三一日
 昭和十四年(一九三九)四月、航空技術の世界制覇をめざし、高速の成層圏飛行機の開発を目標に、内閣中央航空研究所は設立されました。当初は逓信省内に準備機関がおかれ、後に東京の三鷹市に研究所がつくられます。その飛行実験部が横浜に水上機用の実験場を設け、ついで神栖町域に「鹿島実験場」として陸上実験場を造成することになったのです。軍事用地として神栖が選ばれたのは、太平洋に面し、砂丘があり、広大な土地が安く入手できたことや、東京・横浜に近いわりに交通が不便で秘密を保つための適地とみられたことが考えられます。昭和十六年(一九四一)より十八年にかけて、用地の買収がはじまり、約八〇〇ヘクタールという広大な土地が、約六〇〇戸の所有者から買い上げられたのです。建設工事には地元の人々などが参加し、鹿島実験場には二、000㎡の格納庫二棟と滑走路が造成されました。戦時中でもあり、具体的な研究内容は不明ですが、昭和二〇(一九四五)の三~四月頃に練習機が数回飛行した程度だったということです。終戦後の昭和二〇年一二月三一日で研究所は解散され、職員と用地・施設などはいったん鉄道技術研究所へ引き継がれますが、戦後の海外引揚者などのために緊急開拓事業がはじまり、広大な用地は入植者に解放され、大野原開拓がはじまります。息栖から溝口にかけての広大な実験場は、現在では鹿島開発を経てこのような町並に変わりました。一方、航空技術の開発から鉄道技術の新開発へと方向転換した技術者たちは、その成果を昭和三九年(一九六四)東海道新幹線の開通として完成させるのです。平成八年三月 神栖市教育委員会 神栖市歴史民俗資料館

「航空技術の世界制覇」、そして「高速の成層圏飛行機」。

なんとも壮大な目標を掲げていたのですね。

中央航空研究所は、昭和14年4月1日に逓信省の一本局として設立され、技術院の設置に伴い、昭和17年に内閣に移管されて内閣総理大臣が管理中に終戦となった。そして同院の廃止に伴い昭和20年9月運輸省に移管され、同年12月31日に廃止された。

その研究内容は、一般空気力学研究部門・高速空気力学研究部門・水力学研究部門・飛行実験研究部門・航空人体科学研究部門・工作その他研究部門・機体及びプロペラ研究部門・発動機研究部門・燃料および潤滑油研究部門・材料研究部門であった。

等が出ていました。

一応レシプロ機でも成層圏を飛ぶことは可能なのですが、町史の中で当施設についての記述があり、

「昭和十四年、東京の三鷹市に五年の歳月と5000万円の巨費を投じて設立された。第一次世界大戦後から航空機の重要性が各国で認識されはじめ、日本でも、高度一万1000メートル以上の成層圏で時速1000キロメートル以上の超スピードで飛行できる航空機を開発するための「大風洞」と「低温実験装置」を備えた本格的な研究機関が誕生したのである。この水上機用の実験部が横浜に、陸上機用の実験部が町城の木崎地区に建設されることになったのである。」

とありました。

高度11,000m以上で時速1,000km以上と具体的な数字が出ています。

これでジェット機開発を念頭に置いていたことがハッキリします。

非常にミステリアスな研究所ですが、当研究所については後日また別記事で。

(2014/8/9追記:続きの記事書きました。下記にリンク貼っておきます)


      茨城県・内閣中央航空研究所鹿島実験場跡地      

内閣中央航空研究所鹿島実験場 データ

設置管理者:逓信省
種 別:陸上飛行場
所在地:茨城県神栖市大野原四丁目8番5号
座 標:35°53'54.2"N 140°38'59.0"E
標 高:7m
面 積:800ha
実験場長:6,000mx1,300m?(不定形)
(座標、標高、長さはグーグルアースから)

沿革
1939年04月 内閣中央航空研究所設立
1941年   1943年にかけて 鹿島実験場用地買収
1942年   一応完成したとされる
1945年03月 4月頃にかけて練習機が数回飛行
     12月 研究所解散。職員と用地・施設などは鉄道技術研究所へ引き継ぎ。後に入植地として解放

関連サイト:
旧内閣中央航空研究所に係る地歴情報について 
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この記事の資料:
現地の説明版
町史


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