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菊池(花房、隅府)飛行場跡地 [├空港]

  2009年11月訪問 2020/11更新   

無題8.png
撮影年月日 1947/03/04(昭22)(USA M100 113)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

熊本県菊池市にあった陸軍の菊池(花房、隅府)飛行場

終戦間際に幾度も空襲を受け基地は壊滅状態になりましたが、幾つかの施設は残りました。

飛行場跡地は静かな住宅地、畑になりましたが、点在する施設は現在も大切に保存されています。

上図飛行場敷地境界線は、現地説明版では東側部分はほぼ円形なのですが、

■「熊本の戦争遺跡 戦後65年」の図を参照させて頂きました。

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)に当飛行場の要図があり、

そこに滑走地区、爆撃場等描かれていました。

その情報も先頭のグーグルマップ作図に使用しているのですが、 非常に簡略化された図のため、大雑把なものです。

ご了承くださいませ。

西側の方形の部分は通信隊です。

同資料の情報を引用させて頂きます。

菊池
判決 自重6屯以下の飛行機の使用に適す
滑走地区 800x200
舗装路 なし
土質 砂質壌土
地表面の状況 表面張芝にして地耐力可
周辺の障碍物有無 なし
誘導路 3,500x7
宿営 一棟(50名)格納庫一棟
夜間着陸設備 なし
動力線 隅府(約4粁)にあり
電灯線 有(修理を要す)
給水 水道設備あり
風向 北西風

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  菊池
位 置   熊本県菊池郡泗水村
規 模   要図(東西1200 南北1000?)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 五〇〇名分
 格納施設 掩体 中三〇ヶ所
摘 要   施設軍有

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赤マーカー地点。

小さな公園に通りに面して並んで設置されている碑。

開拓五十周年記念碑(左)と、開隊記念碑(右)。

左側の碑(全文) 菊池開拓五十周年記念 平成八年十一月吉日 
趣旨 昭和二十一年我等五十戸この地に入植し、困苦欠乏に耐え、平成八年五十周年を迎え半世紀のあゆみを発刊し入植者所有地に進出し、繁栄と発展の礎を築いた菊池農業高校及び企業十二社の協賛を得て、拓友と相計り永遠に困難の歴史の証しとして後世に残さんと此の碑を建立する。 敬白

右側の碑(全文) 由来 昭和十六年七月陸軍航空隊一0二(?)部隊が此地に駐留し、その開隊記念碑として唯一現存していましたが風化が甚だしくなり改修致しました。花房台地に陸軍航空隊花房飛行場が熊本県各地の住民の奉仕作業等もあり完成しました。過去の悲惨な歴史を直視し、平和日本の礎を築いた人々を偲びこの碑を後世に残します。 平成五年十二月吉日 富の原中央区

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公園の碑のすぐ向かい側にも遺跡があります。

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青マーカー地点。

高架水槽 

高さ13.57メートル

給水塔上部には約30箇所の弾丸跡が残っており、

水位測定装置がある給水塔は全国でも現存するものが2例しかなく非常に貴重なのだそうです。

しかも2007年まで現役(!)で地元に給水していたのだそうです。すごいですね。

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これも弾痕?

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高架水槽そばにある菊池(花房)陸軍飛行場跡案内板(全文)
ここ花房台地には、多くの人々の希望と努力と困難の歴史が刻み込まれている。
戦雲急を告げる昭和十年、この地に軍用飛行場の建設が計画され、官民一体の造成工事の結 果、十五年、すべての施設が完成し、陸軍飛行学校が発足する運びとなった。以後第二次大戦にかけて、多くの航空隊が駐屯し、厳しい訓練に明け暮れたが、その間訓練中の事故により、また終戦直前アメリカ艦載機の空爆により多くの犠牲者を出すこととなった。二十年八月十五日終戦。翌二十一年、引揚者、復員者、戦災者が開拓者として入植し、戦後復興の第一歩を踏み出した。二十六年、この地に戦前から眠る無縁仏の慰霊塔を建立し、供養をしてきた。また三十二年から戦時中少年飛行兵として若き日を過ごされた方々の亡き戦友を思う熱情にうたれ、無縁仏と戦没者の霊を合祀し、慰霊祭を行っている。戦後六十年、今もなお残る戦いの爪痕を目の当たりにし、壮絶な大戦を偲ぶ時、誠に感慨無量なものがある。我々は郷土泗水にこういう大戦に関わる戦場があったことを認識し、戦争の悲惨さ、虚しさ、愚かしさを二度と起こさないことを肝に銘じて、ここに案内板を設置し、長く後世に伝えるものである。

案内板に従って遺跡を見て回りました。

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紫マーカー地点。

部隊営門跡と、

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その横にある哨所跡

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黒マーカー地点。

弾薬庫跡(以下3枚とも)

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黄色マーカー地点。

木造格納庫跡

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グレーマーカー地点。

慰霊塔。

案内板にはこの他にも、陸軍航空通信学校跡、格納庫跡、油倉庫跡が地図と写真つきで紹介されてました。 

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周辺には開拓記念碑がいくつもありました。

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写真:国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省
撮影年度:1974年 地区名:菊池 編集・加工:空港探索・とり

「九州の戦争遺跡」によれば、飛行場完成後は陸軍の飛行隊、教育隊などが設置され、

飛行場の南東部には隊本部、兵舎、整備工場、格納庫などの中枢施設が造られたのだそうです。

その後も基地の整備や防空壕掘削などが続けられ、近隣の生徒も作業に動員されました。

また昭和19年には飛行場を挟んだ国道の西側に陸軍航空通信学校菊池教育隊が設置され、

通信兵の育成を行いました。

ここがこれらの軍事施設に選ばれた理由の1つは、

すぐ近くを熊本市と隈府(現在の菊池市中心街)を結ぶ熊本電気鉄道が通っていたためで、

正門近くには菊池駅が造られ、人員と物資を運びました。

現在この鉄道路線は熊本市郊外の御代志駅より先は廃止され残っていません。

昭和20年5月14日に米軍機による大規模な爆撃を受け、飛行場は壊滅し、36名に及ぶ死者を出しました。

戦後飛行場跡には開拓団が入植し、残されていた旧兵舎や倉庫などを住居として利用しました。


       熊本県・菊池(花房、隅府)飛行場跡地       

「花房飛行場の戦争遺産を未来につたえる会」が給水塔の保存、それを核とした活用方法などを協議しており、遺産登録を働きかけておられるそうです

菊池(花房、隅府)飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:熊本県菊池郡泗水村(現・菊池市泗水町吉冨他)
標 点:N32°56′13″E130°47′28″
標 高:88m
面 積:150ha
滑走路:東西1,000m,南北950m芝の滑走帯
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1935年   この頃建設開始。造成に5年
1940年04月 完成、開隊
    08月 大刀洗陸軍航空支菊池分廠設置
    10月 大刀洗陸軍飛行学校菊池分教場設置
1941年01月 第三航空教育隊移駐 
    07月 陸軍航空隊駐留
    09月 第一0六教育飛行連隊訓練実施。菊池陸軍病院第一飛行集団に属す
1942年05月 第一〇三教育飛行連隊移駐
1943年09月 西部軍直協飛行隊移駐
    12月 菊池教育隊に改称
1944年04月 陸軍航空通信学校菊池教育隊開隊。第五五飛行中隊編成
1945年05月 空襲により戦死者40人
    07月 第三十戦闘飛行集団配当飛行場
    08月 終戦時は第229飛行場大隊、第55飛行中隊が配備
1946年   入植始まる 

関連サイト:
ブログ内関連記事   

この記事の資料:
現地の碑文
「熊本の戦争遺跡 戦後65年」
「九州の戦争遺跡」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


コメント(13)  トラックバック(1) 
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コメント 13

セバスちゃん

日々を平凡に過ごしている僕ですが、
唯一とりさんの記事で歴史にふれている気がします。
戦争の歴史、忘れては、いけないんですよね。
by セバスちゃん (2010-03-22 08:48) 

sak

菊池って、温泉のイメージしかありませんでした
以前お得意先さんがあったのでちょくちょく行ってたけど
全然知らなかった...
知っていたらゆっくり見てあるくことできたのに
また、行く機会つくならければですね
by sak (2010-03-22 09:14) 

春分

コンクリート、これからは風化が進みそうですね。
だからこそ、このブログの価値もあろうと言えそうですが、
あと50年後は何もかもなくなっているのかなぁ。ま、私もいなくなってるでしょうが。
by 春分 (2010-03-22 17:04) 

U3

戦争の爪痕が今も残されているのですね。
by U3 (2010-03-22 19:21) 

an-kazu

歴史の重みが、光の具合とマッチして
画像から伝わってくるようです。
by an-kazu (2010-03-22 22:01) 

Takashi

私もいくつか弾丸跡を見た事がありますが、その場にいると怖くなってきます。
by Takashi (2010-03-23 12:19) 

pica

高架水槽の写真をぱっと見たときは、まだ現役かと驚いたけど、
さすがに引退してましたね。
これで給水されるのはビビるかもしれません(^_^;)
by pica (2010-03-23 19:30) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■セバスちゃんさん
学生時代、歴史はまっっったく興味なかったオイラには勿体なすぎるお言葉です^^;
どこかに穴はありませんか??

■sakさん
温泉があるのですか~。
本当に全国あちこち行かれてますね。
ここは遺跡がたくさんあるので探し甲斐がありますよ。

■春分さん
50年後・・・オイラもいないなぁ。( ̄人 ̄)

■U3さん
そうですね~。
やっぱり本物は説得力がありますよ。

■an-kazuさん
そうですか?
ちょっとよく見てみます^^;

■Takashiさん
おお、ありますか。
確かに怖いですよね。

■picaさん
あと三年早ければ・・・。
by とり (2010-03-23 20:50) 

コスト

菊池までいきましたか^^
あの辺までいくと、住宅地より広い畑が広がってたような記憶があります。
実は、この辺も温泉めぐりで原付で走りまわってて、菊池市役所のほうまで行ってるので
途中で高架水槽かなにかを走りながらチラッと見た記憶があるので、
写真はないかと探してたんですが、撮ってないようです。
それにしても、僕が見た当時は2007年より前なので現役だったんですね(驚)
現役で役立ってるのと、「何だろう、これ?」と遺物扱いでは天と地ですね。
それにしてもちゃんと案内板あるんですね。
熊本は西南戦争の戦死者の墓地も地元の人が今も掃除してますから、土地柄大事にされてたから、07年まで現役で使われてたのかもしてないですね。
by コスト (2010-03-28 18:28) 

とり

■コストさん
おお、現役時代に見ましたか!!
案内板はすぐそばにあるんですが、給水塔はすごく目立ちますからね。
死角だったかもしれないですね。
>西南戦争
そういう土地柄なんですか~。
そういえば、お邪魔した時はちょうど一斉清掃だったみたいで、行く先々で気持ちの良い挨拶をいただきました。
by とり (2010-03-29 06:28) 

koume

あっ、ちゃんとこうやって保存しているところも、あるんですね。
(当然といえば、当然?w)
少し暖かくなってきて、冷え性の私でも外出が億劫じゃなくなってきました。
ちゃー子さんのことも、少し癒えて来たし…。
軽井沢なんて遠出もしたけれど、時間を作って、ぜひ大分の
大刀洗平和記念館へ行ってみたいなと思ってまふ♪
ところでとりさんは、神武寮のことご存知ですか?
と言うか、何か情報お持ちですか?
どうも、私一人でも運転していける範囲にあったみたいで、
何か資料は無いかと思っているんです…。
長文失礼しました。
by koume (2010-03-30 02:16) 

肥後もつこす

なんだか かなしいのう 白菊とかゆう練習機の後席に増槽ならぬドラムかんを積んで 特攻機として250キロ爆弾を積んで50機以上の機体が沖縄に出撃していいつたのう 花房にも何機かいたのう 渡辺機上作業練習機(白菊)11型(K11W1)設計試作 渡辺鉄工所 乗員 教官1練習生3 発動機日立(天風)21型空冷515馬力1基 最大速度224キロ 操縦性能 安定性に優れた飛行機じゃつた 試作は全金属じゃつたが 練習機に全金属は贅沢とゆうことで 木製フレームになつたんじゃ 時代じゃな 昭和17年「白菊」と命名 昭和20年3月に白菊に特攻機に改良指示 遅い機体じゃから かなしいのう マタ二ティードレスを着た 貴婦人の様な機体じゃつた 乗員の冥福を祈るのみじゃ
by 肥後もつこす (2011-02-21 23:21) 

とり

■肥後もつこすさん
大変遅くなりましたが貴重なコメントありがとうございました。
by とり (2015-04-05 06:12) 

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