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航空自衛隊松島基地(旧海軍松島航空隊、矢本飛行場) [├空港]

   2012年9月訪問、2021/10更新  


無題.png
撮影年月日1947/04/14(昭22)(USA M222 45) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 無題1.png SkyVector.com

宮城県東松島市にある「航空自衛隊松島基地」。ブルーインパルスの本拠地です。

戦時中は「海軍松島航空隊」の航空基地で、地名から「矢本飛行場」とも呼ばれていました。

■防衛研究所収蔵資料「横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

位置:宮城県桃生郡鷹来村 基地名:松島 最寄駅よりの方位 距離 粁:仙石線矢本駅 S2 建設年:1940 飛行場長x幅 米:1,5??x100 1,475x80 1,200x60x2本全てコンクリート舗装 主要機隊数:中型2.0 小型4.5 主任務:教育 作戦 隧道竝ニ地下施設:居住3,000平米、指揮所、電信所、爆弾庫、魚雷調整場、魚雷格納庫、倉庫、工業場 掩体:中型無蓋32 小型有蓋12 小型無蓋48 其ノ他記事:隧道 魚雷同時調整18本 魚雷格納庫72本

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」では、当航空基地の滑走路について、
75x1,300  75x1,500  70x1,100  70x1,100 と記されていました。  

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「松島空開隊(S19.8.1)(昭15建)」とありました。 

上のグーグルマップは旧海軍時代の滑走路を描いてみたものです。

現在は正副2本の滑走路がありますが、メインの2,700m(07/25)は当時まだ整備されておらず、

代わりに現在サブで使用している滑走路(15/33)を含め、4本の滑走路がありました。

■新千歳市史通史編下巻
372p
 この間、日本機は飛行制限を受けた。「日本の飛行機は8月24日18時以
降の飛行を禁止する。飛行するものは撃墜する」というものであった。飛
行禁止命令は空襲で陸上交通と通信がマヒしていた日本の終戦事務処理の
連絡手段がなくなるに等しかった。
 日本政府は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に対して主要都市間
の連絡飛行を懇請、9月12日付SCAPIN23で東京を中心とした急行便
1、普通便3の4路線が認められた。
 9月14日から日本人の自主運行によって1日4便の終戦連絡定期(緑十
字飛行-グリーンクロスフライト)が運航された。北海道方面は普通便の
第3航空路として東京-仙台矢本(現・空自松島)-青森油川-札幌間が、
月・火・木の週3便運航された。東京羽田飛行場が米陸軍に接収されてい
たため千葉県の陸軍松戸飛行場を代替として使い、札幌は北24条の札幌第
二飛行場を使った。緑十字飛行は10月9日をもってGHQから運航が禁止
された。その理由は陸上交通が次第に回復、整備されつつあり航空機を使
用する必要がなくなったということであったが、実情は惨憺たるもので
あった。
 緑十字飛行の運航禁止によって終戦連絡事務の人員およひ郵便物と貨物
の移動が停滞した。これを受け10月10日からは代替として米軍による帝国
航空便(インペリアルクーリエ)が運航された(S21・2・6廃止)。週
4便が運航され東京立川飛行場から第一千歳(14日初便のみ北24条・札幌
第二)に飛来した。仙台矢本と青森油川に寄航して所要時間は6時間だった。

 
終戦直後の緑十字飛行、帝国航空便で使用した過去があったのですね。

先の震災では、当基地も大きな被害を被りましたが、それでも戦時中の滑走路跡が一部色を失わずに残っています。

例によって当時の滑走路跡を撮ってみました。

D20_0061.jpg

・A地点。

現在サブ滑走路として使用しています。RWY15側。

現在は1,500m滑走路ですが、海軍時代は1,950m(14/32)でした。

尚、海軍当時の滑走路の長さ、方位は全てグーグルアース出しです。

当時の滑走路の長さを出しているサイトもあるのですが、1947年の滑走路がバッチリ写っている写真(下記リンク参照)と、

グーグルアースを突き合わせてみると随分数字が違うので、こちらを優先させていただきました。

このサブ滑走路は15/33とペイントされているのですが、

地図上で実際に計ってみると14/32なため、文末の旧海軍当時のデータ内ではそのように記してあります。

D20_0053.jpg

・B地点。

2,100m(12/30)のRWY12側。

無くなってしまった滑走路跡。

現在でも滑走路の形が自衛隊の敷地になって残っており、

画面向かって左側は元滑走路に沿うように一部外周道路として名残を留めています。

D20_0055.jpg

・C地点。

1,700m(02/20)のRWY02側。この滑走路は最も痕跡が残っていません。

D20_0060.jpg

・D地点。

1,600m(09/27)のRWY09側。

ここから真っ直ぐ滑走路が伸びていたはず。正副滑走路交差部付近に痕跡が残っています。

D20_0066.jpg

・E地点。

高い壁が続いていました。

これも津波対策なのでしょうか?


      宮城県・航空自衛隊松島基地      

・松島航空基地(海軍当時)
設置管理者:旧海軍
種 別:軍用陸上飛行場
所在地:宮城県桃生郡鷹来村
滑走路:1,700m(02/20)、1,600m(09/27)、2,100m(12/30)、1,950m(14/32)
(滑走路長、方位はグーグルアースから。他は資料から)

・航空自衛隊松島基地(現在) データ
設置管理者:防衛省
4レター:RJST
種 別:軍用飛行場
運用時間:24時間
所在地:宮城県東松島市矢本字板取85
座 標:N38°24′17″E141°13′10″
標 高:2m
面 積:363.6ha
主滑走路:2,700m×46m(07/25)
副滑走路:1,500m×46m(15/33)

航空管制周波数
GND     275.8MHz
TWR     126.2MHz,236.8MHz,304.6MHz
APP&DEP     120.1MHz
APP     261.2MHz,315MHz
DEP     362.3MHz
RDR     134.1MHz,335.6MHz
TCA     123.85MHz
RESCUE     123.1xMHz,138.05MHz,247.0xMHz

沿革
1938年   着工
1942年   第1・第2滑走路が完成
       10月21日 館山海軍航空隊松島派遣隊が開隊
1943年   霞ヶ浦海軍航空隊松島分遣隊が開隊。戦闘機搭乗員教育が行われた
1944年08月 1日、松島海軍航空隊が開隊。横須賀鎮守府隷下
1945年7~8月にかけて空襲を受ける
    08月 15日 終戦
    09月 
    09月 14日 緑十字飛行(10月9日まで)
        15日 松島海軍航空隊解隊
        16日 進駐軍の部隊500名が到着し、接収される
    10月 10日 帝国航空便(翌年2月6日まで)
1954年   保安隊臨時松島派遣隊新設、航空自衛隊臨時松島派遣隊新設
1955年   日本政府へ返還、松島基地発足 ,第2操縦学校に改編
1982年01月 12日 戦技研究班(T-2ブルーインパルス)新編
    07月 25日 松島基地航空祭で「T-2ブルーインパルス」最初の公式飛行展示
1995年12月 22日 第11飛行隊新設(T-4ブルーインパルス)
2011年03月 10日 ブルーインパルス、12日の九州新幹線全線開業の祝賀飛行のため福岡県芦屋基地に移動
        11日 東日本大震災。基地内の航空機は全て水没し、基地機能完全に喪失
        15日 泥と瓦礫で覆われた滑走路の整備完了
        16日 輸送機到着。救援物資輸送の拠点となる
2012年04月 19日 F-2飛行訓練再開

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
新千歳市史通史編下巻
「日本海軍航空史」
「海軍航空基地現状表(内地の部)」
防衛研究所収蔵資料「横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


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