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三尻(熊谷、稜威ケ原)飛行場跡地 [├空港]

   2010年4月訪問 2023/1更新  


無題6.png
撮影年月日1946/04/15(USA M105-A-5 105) 赤矢印は気象観測所

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

埼玉県熊谷市の西端にある「航空自衛隊熊谷基地」。

毎年4月に開催される「基地さくら祭り」にはブルーインパルスの展示飛行もあり、3万人の来場があります。

かつては陸軍の「熊谷飛行学校」でした。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に 稜威原飛行場要図があり、先頭のグーグルマップはここから作図しました。

グーグルマップをご覧の通りで、方形の飛行地区が中央道路により分割され、各幅620mの2面になっています。

同資料の情報を以下記させて頂きます。

位置
 高崎線篭原より西方約二粁の地点にして高台あり
積量
 約三百万平方米
地表の状況
 西方に向平坦所々若干の芝なき個所あるも其の他
 芝密生し良好なり
周囲の状況
 高台にして周囲は耕作地なるも南方六〇〇米地点に
 観音山ありて離着陸に支障あり
天候気象の交感
 極めて僅少風向の変化も概ね恒風方向に平行して横風の
 場合少なり風による砂塵の影響冬期時々あり 雷電
 雪霧の影響少なり
格納施設
 四ニ六八米、六 二一〇〇米一 二五〇〇米一 一二〇〇米一
居住施設
 兵員収容力八八二名
交通連絡の状況
 高崎線二粁徒歩にて約三十分改正道路設けられ熊谷方
 面の職員出勤には当校行のバスありて出勤退庁は便に
 勉めて考慮せり
其の他
 現在周囲は農村なるが故に収容力なく主として熊谷市に
 居住するを以て距離の関係上バスの便を良好ならしむるを
 要す

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」

「三尻陸軍飛行場 埼玉県大里郡三尻村」

面積 北西-南東1,700米 北東-南西1,600米 総面積277萬平方米
地面の状況 概ね平坦にして芝及小笹密生す、硬度は普通にして
降雨後の排水良好なり
雪解けの際は地表稍泥濘と為り易し
目標 熊谷市、深谷町、荒川、高崎線
障碍物 北東隅に高さ9米の格納庫あり
離着陸特殊操縦法 離着陸方向は北西又は南東を可とす
格納設備 大格納庫(80x60米)6棟、小格納庫3棟あり。
照明設備 大格納庫及本部庁舎屋上に障碍物標示燈あり
通信設備 本部に電話あり
観測設備 陸軍気象観測所あり、航空気象を観測す
給油設備 あり
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 生徒舎あり
地方風 夏季は南東風多きも風速大ならず、冬季は午前10時
頃より風速増大し午後2時頃最大と為り日没頃に至りて
歇むこと多し
地方特殊の気象 6月至8月間は雷雨多く降雹を伴う、梅雨期は各地
に比し天気良好なり
冬期は降水日数比較的尠く天候概ね良好なり
交通関係 熊谷駅より「バス」の便あり
其の他 本場は熊谷飛行学校飛行場なり
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

飛行場名  稜威原
位 置   埼玉県大里郡三尻村
規 模   要図(北西-南東1700 北東-南西1700)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 二〇〇〇名分
 格納施設 掩体 大三ヶ所
摘 要   施設軍有

 

1931年の満州事変勃発以降、陸軍中央部に空軍力増強の気運が高まり、

1935年、飛行操縦者の大量養成を目的として当地に「熊谷陸軍飛行学校」が設立されました。

そして1937年以降、 全国二十数カ所に当熊谷陸軍飛行学校の分教場が置かれたのだそうです。

道理であちこちの飛行場の歴史を調べていて、やたらと熊谷熊谷出てくるはずです。

「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で、以下17の分教場が載せられていました。

舘林、新田、横芝、相模、下館、原町、矢吹、甲府、仙台、那須野、軽井沢、伊那、前橋、松本、児玉、太田、長野 

当校で操縦訓練を受けた方の体験記が某サイト様にアップされているのですが、

ここのことを、「海軍の霞ケ浦航空隊と同じく陸軍の操縦教育のメッカ」と表現されてました。

当時はパイロットを目指す方々にとっては非常に特別な場所だったのですね。

操縦訓練の本拠地なので、機材繰りも他の基地では考えられないほど恵まれたものだったそうです。

1938年10月の行幸を記念して基地司令が飛行場地区を御稜威ヶ原(みいずがはら)と命名し、

特に飛行場のことを「稜威ケ原飛行場」と呼ぶようになったようです。

設立以来、終戦までの10年間に巣立った操縦者は約1万人に達しました。

かつての広大な飛行場も大分縮小され、今では工業団地と住宅地に囲まれたヘリポートのみ、

滑走路なしの比較的小さ目な基地なのですが、歴史を知れば、毎年ブルーインパルスがやって来るのも納得です。

D20_0017.jpg

現在の基地の西側部分。

D20_0062.jpg

旧敷地南側


    埼玉県・三尻陸軍(熊谷、稜威ケ原)飛行場跡地     

三尻陸軍(熊谷、稜威ケ原)飛行場(当時) データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:埼玉県大里郡三尻村
座 標:N36°09′47″E139°18′10″
標 高:58m
飛行地区:1,700mx1,700m
総面積:277ha
滑走路はなく、広大な正方形の飛行場地区を二つに区切り、着陸帯として班分けして使用していたそうです。
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1935年12月 熊谷陸軍飛行学校創設
1937年    全国に分教場設立
1945年02月 13日 熊谷陸軍飛行学校廃止。教育部隊として新編成。第52飛行師団、第6練習飛行隊
     03月 31日 航空総軍司令部となる
     09月 米陸軍進駐、飛行場の半分は御稜威ヶ原開拓組合に委譲される
1958年08月 米陸軍撤収後、航空自衛隊熊谷基地が発足し現在に至る

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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コメント 16

鹿児島のこういち

帝國陸軍の事はほんのちょっとしか知らないため(帝國海軍の事も少ししか知らないですがf^_^;)こういう大きな飛行訓練基地があったんですね!そりゃそうですよね、多くの操縦士を急ピッチで作らねばならないんですからねf^_^;
まさか、将来、教育を受けた隊員が特攻隊員になるとは夢にも思ってなかったでしょうね。
by 鹿児島のこういち (2010-07-07 06:42) 

sak

ブルーインパルス、いつか見に行きたいな(^^
by sak (2010-07-07 08:20) 

an-kazu

旧帝国陸軍版トップガンでしょうか(*^^*)
by an-kazu (2010-07-07 08:40) 

マリオ・デ・ニ−ロ

今も術科学校や生徒隊としてパイロット以外の教育のメッカみたいですね。
以前の会社に此処の出身の方がいて肘がすりむけるほど匍匐前進をやらされたとか語っていました。
さくら祭のBIと桜のコラボは見ものです。
by マリオ・デ・ニ−ロ (2010-07-07 10:38) 

masa

ブルーインパルスはすごくかっこいいデザインですね。
それにあんなふうによく操縦できるものですね。
熟練の技なんでしょうね!
by masa (2010-07-07 20:37) 

takechan

熊谷にそんな歴史があるんですね。
今ではSLのイメージですけど。
by takechan (2010-07-07 20:51) 

まめ助の母

この辺も昔友達が近くにいたのでよく車で出没していました
上柴のショッピングセンターとかね…
やっぱりまっすぐな道は滑走路!!
もう間違いないですね!
by まめ助の母 (2010-07-07 21:35) 

フェイリン

お久しぶりです!
ちょっとマニアックな航空機の記事があるので宜しければご覧下さい♪
http://clickmyheart.blog.so-net.ne.jp/2010-06-06
by フェイリン (2010-07-07 21:47) 

me-co

滑走路無しの航空自衛隊基地(汗)
があるなんて知りませんでした・・・反面、滑走路のある陸上自衛隊<09
熊谷にはダチが居たのに籠原の方は土地勘がないもんで知らんかった。
今回もLatelyでした・・・スミマセン
by me-co (2010-07-07 22:56) 

せつこ

松島基地へ航空ショーを見に5回ほど行きましたが、真っ青な空の下でブルーインパルスのショーを最後まで見たのは1回だけでした。
少しの薄曇りでも、少しの風が有っても取り止めになり、それほど難しいのでしょうね。あれだけ接近して飛ぶのですから。


by せつこ (2010-07-07 23:18) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
>夢
本当ですね~。
訓練受ける側も教官も。

■sakさん
いつか見れますように!

■an-kazuさん
訓練という意味ではそうなんでしょうね^^

■マリオ・デ・ニ−ロさん
>今も
オイラのイメージではここの基地といえば師匠です。
解説ありがとうございましたm(_ _)m

■masaさん
本当にすごいですよね。
熟練なんでしょうね~。

■takechanさん
>SL
そちらのイメージの方が一般的ですよね^^

■まめ助の母さん
アチコチ出没しますね~^^
>まっすぐな道は滑走路!!
標語にしましょうか^^

■フェイリンさん
お久しぶりです。
後ほどお邪魔します=(⊃゜Д゜)⊃

■me-coさん
お越し頂けるだけ感謝ですよ^^
>滑走路無し
そう考えるとヘンテコな感じですよね。
かつては一大拠点だっただけに。

■せつこさん
やっぱりそれだけ条件が厳しいんですね。
事故が起きてしまうと大ごとですからね~。
by とり (2010-07-08 05:17) 

ハイマン

同じ県内に居るのに
基地さくら祭り知りませんでした^^;;;
近くでブルーインパルスみたいです~
by ハイマン (2010-07-08 10:36) 

tooshiba

埼玉にも飛行場が一杯ありますね!
野球の甲子園、ラグビーの花園、飛行機の熊谷。爆ヽ(*´∀`)ノ キャッホーイ!!
(昔は田んぼや畑や原っぱばかりで、人口が少なかったから?)
by tooshiba (2010-07-09 01:08) 

とり

■ハイマンさん
オイラもブログで教えてもらって最近になって知りました^^
ブルーインパルス、ハイマンさんに撮って欲しいです。

■tooshibaさん
本当に一杯ありますね~。
埼玉に戦時中飛行場がたくさん造られたのは、以前読んだ受け売りですけど、
帝都防衛上の位置、そしてtooshibaさん仰る「人口が少なかった」という点が挙げられるそうです。
これも以前ジョルノさんに教えて頂きましたが、児玉からでも機体、パイロットにとってはちょうどいい距離だったそうですしね~。
by とり (2010-07-12 06:22) 

通りすがり

お邪魔します。
図書館で熊谷空襲関係の本を見ていたらその中に昭和15年4月の
熊谷市街地図という中心部を手書きしたかなりアバウトな地図が
ありました。
そこには終戦前夜の空襲で焼けた縣立熊谷高等女學校と隣の
熊谷醸造指導所(現在:県産業技術総合センター北部研究所)
が大きく載っていました。
その隣には「飛行学校長住宅」と書かれた場所も見つけました。
早速そこへ行ってみると現在その場所は病院になっていました。
その病院の沿革を見てみると昭和26年開院でした。
熊谷空襲でこの学校長住宅も被災したのかまではわかりませんが
学校長は三尻村の飛行場近くには住んでおらず市街地から
どうも通っていたようです。

by 通りすがり (2014-04-18 21:57) 

とり

■通りすがりさん
よく見つけましたね~。
貴重な情報をいつもありがとうございますm(_ _)m
by とり (2014-04-21 06:01) 

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