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静岡県・中島飛行機三島製作所跡地 [├場所]

    2010年5月訪問 2020/7更新  


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撮影年月日1947/09/08(USA M450 129) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

静岡県三島市、小高い丘の上にある「国立遺伝学研究所」。

1943年、沼津の黄瀬川にあった中島飛行機工場の一部がここに移転してきて、戦闘機の銃座を生産した。

先頭のグーグルマップは、「三島の戦跡を訪ねて」から作図しました。

ご覧の通りで地下工場も建設されました。 

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赤マーカー地点。

ここでは航空機用の機関銃・機関銃架・弾丸が昼夜を分かたず生産されたのだそうです。

書籍:「三島の戦跡を訪ねて」の中に当製作所についての記述がありましたので、抜粋、要約して記させて頂きました。

終戦時には1,600名もの従業員がおり、昭和19年からは学徒動員で、三島商業、韮山中学、三島高女、実家女学校、

浜松高等工業の生徒が駆り出された。

ここは元々眺めのよい肥沃な畑地であった。住家から近く耕作に便なこの土地を農民は手放したくはなかった。

ある日役場から実印を持ってくるように呼び出され、

「米英との戦争に勝つため、今度飛行機工場を建てることになったので、この畑を売って欲しい」と村長様から言われ、

「それは困る」と渋ったり、非協力の態度を現すと、

村長の隣席の憲兵が持っている軍刀の鞘尻で床をコツコツと叩いて威嚇する恐ろしさに、承諾印を押さざるを得なかった。

1942年12月22日 建設地地鎮祭。

その翌年、7月9日、錦田国民学校児童が工場敷地内に雑穀類の種蒔き、10月に大豆、小豆、11月末に甘藷などを収穫

という記録が残っている。

耕作面積は不明だが、広い敷地に一度に工場建設が行われたのではなく、

事務所、鋳物工場、第一工場、第二工場、第三工場と、南から北に向かって順次建設されたのではないかと思われる。

それで恐らく未着手の土地に作付けしたのだろう。

戦況の要請による工場の早期完成と労働力不足から、昭和19年4月~7月にかけて、

錦田国民学校の児童たちは頻繁に工場建設の手助けに動員されるようになった。

第三工場が完成したのは昭和19年7月末のことであった。

昭和19年も暮れに近い頃、地下トンネルを掘った。

横穴(本線、延長103~116m、高さ4~5.6m、幅4.2~4.5m)5本と、

その連絡穴3本(延長20.4~86.1m、高さ4m、幅4m)である。

1穴を15、16人がかりでつるはしのみで掘り、土はトロッコで運び出し、すぐ前の「どぶっ田」に盛った。

そこが敷地となって社宅ができたところである。この建設には朝鮮の人々が使われた。

 

1945年7月30日 早朝より警報発令。授業中止。敵艦載機多きは40機位の編隊にて南方より北進す。

午前中は三島無事なり。午後1時30分頃、敵小型機玉沢妙法華寺上空を中心として機銃掃射、或いは小型爆弾を投下。

中島飛行機工場にも2~3発投下せる模様。学校は無事。

地下工場には機械の搬入をしたが、終戦。

9月18日 朝鮮児童多数退学す。校務日誌より



戦後地下壕の上にある土地に住宅建設が進み、それほど大きくない地震にもかかわらず、

宅地の陥没がでたり、屋根瓦が落ちたりする被害が発生し、住居者の不安が強まった。

市は昭和54年(1978)2月から3次にわたる調査の結果、地下壕の崩壊か原因であることを確認した。

そして1980年、81年に地上からスコリア、モルタルを注入し復元した。

その出入り口の位置は「小山押切」にあったが、いまは埋め戻されて穴を見ることはできない。


        静岡県・中島飛行機 三島製作所跡地         

中島飛行機三島製作所 データ
設置管理者:中島飛行機
所在地:静岡県三島市谷田桜ケ丘
座 標:N35°07′06″E138°56′15″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1942年12月 着工
1943年04月 海軍用機器の生産開始
1944年    この年の末、軍用機の動力銃架の大量生産開始。空襲に備え、地下工場の建設始まる(未操業のまま終戦)
1945年    戦後中島飛行機は解体したため当施設は「富士産業株式会社三島工場」に改称。民需産業に転換
1949年06月 国立遺伝学研究所設立
1978年02月 宅地陥没について市の調査
1980年    81年にかけて復元工事

関連サイト:
国立遺伝学研究所   

この記事の資料:
「三島の戦跡を訪ねて」


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コメント 7

pica

小高い丘に建ってるってあたりが、どんな研究してるんだろ…と
必要以上に想像力をかきたてられます。
ものすごい妄想中(笑
by pica (2011-02-09 20:49) 

コスト

戦前から地下鉄のあった東京ならともかく三島で、地下工場はすごいなって
思ってたら、未操業なまま終戦だったんですね
地下の秘密工場から秘密兵器がって思ってしまいましたw^^
by コスト (2011-02-09 21:35) 

tooshiba

後でやり直しに気がついたとのことですが(ご愁傷様です)、偶然の拾い物で記事が作れたのなら、めっけもんでしたね。

パワフルで緻密な下調べと実効力には、いつものことながら、頭が下がります。m(_ _)m
兄△。
by tooshiba (2011-02-10 00:19) 

sak

地下工場ってすごいかも
でも使われることなかったのですね
飛行場や工場、できてすぐとか建設途中とかで
終戦むかえてしまったところ、たくさんあるのですね
by sak (2011-02-10 08:22) 

鹿児島のこういち

地下工場造って、機械を移動させたら終戦でしたかf^_^;
三島ってところも、幕末から戦後まで動乱を駆け抜けてきたところだったんですか。
サイトを見ると、のどかそうな場面と激しいつばぜりあいが目に浮かびそうです(゚o゚)
by 鹿児島のこういち (2011-02-10 11:11) 

an-kazu

間違っていたとしても、誰も指摘できないかも(^^);
by an-kazu (2011-02-10 23:51) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■picaさん
>ものすごい妄想中(笑
アハハ、どんなことになりましたか?(o ̄∇ ̄o)ニヤ

■コストさん
>秘密兵器
地下工場というと確かにそんなイメージありますね。

■tooshibaさん
フォローしていただいてありがとうございます^^;
ということで、次の記事がやり直した記事でございます。

■sakさん
>できてすぐとか建設途中とか
そういうケース、確かに多いですね~。
重要な施設として稼働したら、間違いなく爆撃の標的になったはずで、
なんとも複雑な気分になります。

■鹿児島のこういちさん
静岡って温暖でのんびりというイメージなんですが、時代に翻弄された歴史もあるのですね~。

■an-kazuさん
オイラなんかよりずっとずっと詳しい方はたくさんおられますので~^^;
ということで、次がやり直しの記事です。
by とり (2011-02-11 07:26) 

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