SSブログ

三島練兵場不時着陸場跡地 [├空港]

   2010年11月訪問 2022/1更新  


2.png
昭和9年8月撮影 高度1,000米 方位N 距離2,500米
3.png
1934年(昭和9年)7月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)
4.png
撮影年月日1947/10/01(昭22)(USA R236-No.1 37) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

静岡県の三島駅すぐ北側に東レ工場があって、戦時中ここに「三島陸軍練兵場」があり、

不時着場がありました。

■防衛研究所収蔵資料「航空路資料 第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19年6月刊行 水路部」の中に、

当飛行場の付図があり、先頭のグーグルマップはそこから作図させて頂きました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

第2 三島陸軍練兵場(昭和17年10月調)

管理者 名古屋師団長。
位置 静岡県三島市
   (三島駅の北方約600米、35°8′0N, 138°55′0E)。
種別 不時着陸場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約46米。
広さ及形状
 本練兵場は長さ南北750米、幅東西150-300米の南北に細長き梯形地な
り・従来不時着陸に使用せる地域は概ね図示の長さ南北500米、幅東西
180-300米の四辺形地域なり(付図参照)。
地表の土質
 地下は岩盤にして地表は砂礫を混ずる尋常土。
地面の状況
 概ね平坦なるも北より南方に向け約1/50の下り傾斜を成す・西側に沿う幅
約30-50米の地区は雑草を生じその他の地域は礫を露出せる裸地なり、
・豪雨の際は土壌を洗い去り南北に流水の為自然的に條溝を生じ常時
地表凸凹す・着陸地域の略中央を東西に横断せる排水暗渠1條あり、表面
は「コンクリート」を以て覆蓋しあるを以て地表稍隆起す・旱天続きの際
は砂塵を飛揚し易し・昭和17年8月陸軍戦闘機本場に不時着の際車輪を
小破せるも修理の上帰還せる程度なりしと言う。
場内の障碍物
 一般に凸凹あり、南西隅に高さ15米の倉庫あり。
適当なる離着陸方向
 北又は南、前記の陸軍機は南方より着陸せりと言う。
離着陸上注意すべき点
 場内諸處に凸凹せる箇所あるを以て定着は巧妙に行うを要す。

周囲の状況
山岳
 本場は狩野川の支流黄瀬川の流域に在り、南北河流方向は地勢概ね広濶な
 るも北高南低の地貌を成す・西方は前記の黄瀬川付近迄は概ね平坦なる耕
 地なるも対岸より次第に山地と為り北西方約13粁にして愛鷹山(高さ1,200
 米)聳立す・東方は約1粁にして箱根山系の山麓に達し次第に標高を増し
 約10粁にして日金山(高さ800米)其の他の高山南北に連互す。
河川
 西方約1.4粁を河幅約50米の黄瀬川南流す、同河は南西方約3.8粁付近
 に於て狩野川と合流し駿河湾に注ぐ・本河は舟艇の運航なし。
森林
 東側場端に沿い高さ4-5米の防風用松並木あるも障碍と為る程度ならず。
建築物
 南西隅に高さ15米の糧秣倉庫3棟、又東側に防風林を隔てて中部第10部
 隊の兵営あり。
電線
 北方約100米に東西方向に架設せる高さ15米の高圧線1條又南方約200
 米に高さ10米の普通電線あり。
着目標
三島市、東海道本線、中部第10部隊及同第9部隊兵舎。
航空標識
 本場の南西方約6粁に沼津航空燈台あり、細目次の如し
 燈質 白1、毎10秒に1閃・燭光数 120萬・光達距離 50粁・「コース
 ライト」青76°紅284°。

地方の状況
軍隊及憲兵
 中部第7部隊、同第9部隊及同第10部隊(東側に隣接す)・三島憲兵分隊
 (三島市芝町)南東方約1粁。
警察署及役場
 三島警察署(三島市芝町)南東方約1.5粁・三島市役所(三島市芝町)南
東方約1.7粁。
医療
 三島陸軍病院(三島市壱町田町)東方約1.5粁・三島市に「レントゲン」
 及外科の設備を有する病院2、医院多数あり。
宿泊
 三島市内に主なる旅館9(収容員数計150)あり。
清水
 東側に隣接する中部第10部隊及付近の民家に水質良好なる水道及井水あ
 り。
応急修理
 三島市内に小工場2,3あるも信頼し得ず・曩に陸軍機不時着破損の際は浜
 松陸軍航空廠より地上整備員を出張せしめて修理せりと言う。
航空需品
 航空用燃料及潤滑油等は補給不可能なり。

交通、運輸及通信
鐡道
 三島駅(東海道本線)南方約600米・下土狩駅(御殿場線)西方約1.2粁。
電車
 三島市及沼津市間に駿豆電気鉄道あり。
道路
 本場の南東隅より三島市に通ずる道路あり、又南西隅より里道800米にし
 て三島駅及下土狩駅に至る県道に連絡す。
運送店
 三島市内に東海自動車会社及駿豆自動車会社あり、又三島駅前に三島通運
 株式会社あり。
電信及電話
 三島郵便局(電信及電話取扱)南東方約1.5粁・東側に隣接する中部第10
 部隊本部に各地に連絡する電話あり。
航空無線電信局
 本場の北東方約10粁に航空無線電信取扱所あり、細目次の如し
 局名 箱根航空無線電信取扱所。
 位置 35°10′7N 139°0′6E。
 細目 呼出符号 JXH。
    周波数KC/S(送信用)200,225,333・型式A1,A2
    (受信用)200,333・型式A1,A3。
記事 対手局 東京、大阪、亀山、航空機。

気象
測候所
 中央気象台三島測候所(三島市二日町)南東方約2.3粁、毎日航空気象を
 観測す。
地方風
 中央気象台三島測候所に於ける2591-2600年10箇年間の統計次の如し
 (以下月ごとのデータ省略)
天候
 同測候所に於ける2591-2600年10箇年間の統計次の如し
 (以下月ごとのデータ省略)
気象予察の俚諺
 雲が箱根山(東方)に向はば雨と為り、富士に雲が懸らば翌日天気悪し。

 

今でこそ、上記水路部資料からきちんと作図することができているのですが、

当不時着場の位置については詳しい情報がほとんどなくて、長いことナゾのままでした。

それで現地にお邪魔した際、その時点で最も可能性が高いと思っていた地点で写真を撮りました。

戻ってからたまたまここに実際に不時着したことのある方のサイトを見つけて、

不時着場の位置についてお尋ねしてみました。

「陸軍の詳しい資料はなく(この方は海軍パイロット)、当時の写真を見る限りでは」と前置きした上で、

おおよその範囲を教えてくださいました。

教えて頂いた位置は、オイラが「ここに違いない」と信じて撮ったのとは全然違う場所でした _| ̄|○ il||li

で、後に水路部資料を入手することができた訳ですが、付図にあったのは、

元海軍パイロットの方に教えて頂いたまさにその場所だったのでした。


D20_0142.jpg

赤マーカー地点。

2014/9/20追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、三島商業學校滑空部が三島野戰重砲兵旅團練兵場を使用したという記録があります。現在の東レの東側に1919年、野戦重砲兵第2連隊が横須賀から移転。1929年には野戦重砲兵第3連隊が和歌山から移転して両連隊で野戦重砲兵第1旅団となりました。そして当地に同旅団の大練兵場が設けられたのでした。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


        静岡県・三島練兵場跡地        

三島練兵場 データ(水路部資料昭和17年10月調から)
設置管理者:名古屋師団長
種 別:不時着陸場
所在地:静岡県駿東郡長泉町中土狩
標 点:N35°08′00″E138°55′00″
標 高:46m
着陸帯:750m×150-300m

沿革
1940年 この頃三島商業學校滑空部が当練兵場を使用

この記事の資料:
元海軍パイロットの方からの情報
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」
防衛研究所収蔵「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」


コメント(8)  トラックバック(0) 

コメント 8

tooshiba

まとまった広さの土地を格安で払い下げられた。ということで、この工場も戦後復興の一助を担ったに違いありませんね。
(工場進出がずっと後だったら、見当外れのコメントですみません。)
by tooshiba (2011-02-11 14:00) 

鹿児島のこういち

航空写真を拡大スクロールしても、よくわかりませんでした(携帯だからちっちゃいからぁf^_^;)とりさんが間違えるのも無理はないですよぉf^_^;
不時着された方も、当時の雰囲気と現在はそうとう違うでしょうから、よく思い出せましたね。
by 鹿児島のこういち (2011-02-12 05:17) 

雅

この工場の敷地内は入ったことあります。
しかし、飛行場じゃなく、不時着場ってのもすごいですね(笑)
by (2011-02-12 12:49) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■tooshibaさん
この工場がいつ建設されたかはわからなかったのですが、
昭和48年に工場の南側道路沿いの樹林の育成をしたという記録がありましたので、
かなり早い時期からあったのだと思われます。

■鹿児島のこういちさん
本当によく覚えておられたものだと思います。
航空写真は小さい画面だと探し辛いと思います。
図の右端の上の方に、オレンジ線で囲ったような形が白っぽく浮いて見えるはずです。

■雅さん
おお、入りましたか!
こういう不時着場がいくつもありましたから時代を感じさせますね。
by とり (2011-02-13 08:46) 

コスト

A地点って枠をきれいに外してますねw
関係ないですが三島駅北口の東レの工場は、途中まで引き込み線の跡が残ってるんですよ。
三島でも何回か出張で泊まったので、この地図の下のほうの日産レンタカー
のブロックの近くのホテルで泊まって
ホテルからこの東レの工場群を上から見たのを思い出しました
(あまりいいホテルではなかったので、三島ではもう泊まらないですが)
by コスト (2011-02-13 22:39) 

とり

■コストさん
ええ。キレイに外しました(XДX)
>引き込み線の跡
おお、ご覧になりましたか!
オイラも見たかったんですが、結局見れずじまいでした。
この駅前で宿泊したのですね~。
by とり (2011-02-14 06:54) 

ばかちん

なお地元の年寄りの話では、戦後少しだけ進駐軍が荷物の運搬で使用していたようです
by ばかちん (2019-03-01 14:50) 

とり

■ばかちんさん
こちらにも貴重なお話をありがとうございました。
そんな使われ方をしたこともあったのですね。
駅前で便利だったからかしらん。
by とり (2019-03-02 03:54) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0