室蘭(八丁平)飛行場跡地 [├空港]
2010年6月、2023年7月訪問 2023/7更新
撮影年月日1944/10/22(91Q32 C8 124)■
撮影年月日1947/09/03(USA M445 11)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・2枚とも)
北海道室蘭市にあった「室蘭(八丁平)飛行場」。
ネット情報によりますと、1935年9月30日、市営の「室蘭市飛行場」(300mx11.5m)として完成しました。
わざわざ「ネット情報によりますと」なんて書くのは、
その後水路部資料で「知利別飛行場」の存在を知ったためで、
水路部資料とネット情報を突き合わせてみると、いろいろと不自然なことになってしまうからです。
興味のある方は、拙記事「室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地」をご覧くださいませ(下記リンク参照)。
当「室蘭飛行場」に話を戻します。
市営飛行場当時は、300mx11.5m でしたが、
室蘭市や総務省の史料によりますと、「1944年9月、軍用飛行場転用工事完了、550mx20m」とあり、
転用工事によって滑走路を拡張したことが分かります。
これだけ見ると、「そうか。倍近く長くなったのか」と思うのですが、
1944年の航空写真の通りに地図上に線を引くと、先頭のグーグルマップのようになり、
滑走路は1,250mになります。
どういう事情なのでしょうか。
この件で、iruma_w 2 さんからコメント頂きました。「550mが550間とすると約1,000Mになります」とのことでした。またこのiruma_w 2 さんのコメントを受けて鹿児島のこういちさんから、「当時の登記の測量は縄延び、縄縮みは当たり前で正確な寸法とは限らない」とのことでした。某Y市でも、フィートとメートルの単位取り違えミスではないかと考えられるのですが、滑走路の長さにとんでもない数字が出たことがあります。その後、50年前、少年時代に室蘭飛行場周辺で過ごされた方からコメント頂きました。飛行場周辺の様子のこと、かなり長いこと滑走路そのものが残っていたこと、実測で1,000m以上あったこと等教えて頂きました。となると、やっぱりiruma_w 2 さんの「間」説が正しいのかも。それぞれ詳しくはコメント欄をご覧くださいませ。iruma_w 2 さん、鹿児島のこういちさん、コブラボールさん、どうもありがとうございましたm(_ _)m
撮影地点(先頭のグーグルマップ赤マーカー)
この辺りから画面左側に向かって滑走路が伸びてました。
オイラが滑走路跡地の写真を撮る場合、通常なら滑走路方向に向かって撮るのが常なんですが、
なんでこんなヘンな方向から撮ったかといいますと、
当時の航空写真ではこちら側にどの程度まで滑走路が伸びていたかハッキリしなかったためです。
この辺りが台地のヘリなのは分かっていたので、現場で実際に高低差の具合を見て、
どのあたりまで滑走路が造れたかの判断をしたかったのでした。
上の写真、左端と右端に道路が映ってますが、
両方の道路には4~5mの高低差がありました(グーグルアース調べ。以下同様)。
この写真には映っていませんが、写真右端の道路から更に右側(東側)35m程のところには、
道道107号線(室蘭環状線)が走っているんですが、この道路は右端の道路から更に10~11m低くなっています。
とても滑走路があったとは思えない高低差ですね。
因みに写真の左側の道路から更に左側(滑走路方向)の標高は、大体135~138mで安定しています。
ということで、写真の左側の道路辺りが滑走路端の限界だったのだろうと思います。
■新千歳市史通史編上巻919pには、
室蘭
一二〇〇x五〇 コンクリート舗装+無蓋掩体壕14
(室蘭中央自動車学園、道室蘭商高一帯)
とありました。
■新室蘭市史第四巻 352pにはこうありました。
「八丁平の室蘭飛行場には第一飛行師団(帯広)の第二十飛行団司令部(司令官甘粕少将)があった。飛行場には九七式戦闘機や飛行第五四戦隊第二中隊・通称"折鶴部隊"の隼Ⅱ型乙などが数機配備されたが、戦局の悪化と共に硫黄島や沖縄戦に転用され、室蘭飛行場の残存機は三機(うち二機は故障)ほどだったという。」
■新編室蘭市史(昭和30年7月10日発行) 283pにはこうありました。
「終戦時八丁平飛行場には九七式戦闘機が数機、軍用トラック百台位、航空燃料四十八ドラムほどあつた。」
上の航空写真、1枚目が陸軍転用工事完了から約3週間後(1944/10/22)のもの、
2枚目が終戦から2年後(1947/09/03)のものです。
滑走路を見比べてみると、終戦後に滑走路が太くなって見えます。
1枚目で滑走路のほぼ全周に縁どりがされているように見えるのですが、
2枚目ではそれがすべて塗りつぶされた感じに見えます。
これまでオイラは、2枚目の塗りつぶされたものが滑走路の全幅と考えて作図していたんですが、
今回改めて作図するに当たり、1944年の細い滑走路に変更しました。
当飛行場について扱う幾つかのサイト様では、オイラが過去に造った太い滑走路の作図が貼られて、残ってます。
過去は消せないんですね(///∇///)
撮影地点(青マーカー)
かなり明後日な場所で撮ってますが、お邪魔した時、園内にレンズを向け難い状況だったのでした。
(以下2023年7月撮影)
この辺りから奥に向って滑走路が伸びてました。
室蘭市・室蘭(八丁平)飛行場跡地
室蘭(八丁平)飛行場 データ管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道室蘭市八丁平
座 標:N42°22′02″E141°00′40″
滑走路:1,250m?×50m
方 位:06/24
標 高:133.2m
(座標、方位はグーグルアース、標高は地理院から)
沿
革
1943年 陸軍転用工事開始
1944年 9月完成(550mx20m)
関連サイト:
総務省/1-2,3室蘭飛行場■
ブログ内関連記事■
室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地■
この記事の資料:
新千歳市史通史編上巻
新室蘭市史第四巻
新編室蘭市史
>園内にレンズを向け難い状況
そういう状況は良くありますね!
今度いっぱつ、
取材とか報道といった腕章でもつくろうかと(*_*)☆\バキ!
by an-kazu (2010-10-25 08:22)
資料と航空写真で滑走路の長さが違う理由が気になりますね。
by Takashi (2010-10-25 12:17)
園内にレンズを向けがたい状況とは・・・・・・エッチなカップルがいたとかぁ~(^O^)
さてさて(^-^)滑走路が延びたのは、軍に接収されてから秘密に延ばされたのではぁ(^O^)/
by 鹿児島のこういち (2010-10-25 19:56)
550が1200って倍も違ったら
発着できる飛行機の種類もかなり違うのでしょうね
↑言われているように秘密にかも(^^
by sak (2010-10-25 20:14)
園内にレンズを向けがたい状況ってのが気になります。
by miffy (2010-10-25 21:38)
とり様
旅行代理店にご訪問いただきありがとうございます。
お尋ねの件、私の親類が近くに住んでいました。
川を挟んだ反対側の町に。見に行った記憶があると良く話していましたが、この親類も、当年83歳、現在認知症を患っています(どこかの政治家の健忘症とは違う)岩津の件は、よって私も聞いています。少し調べてみますが、とり様のように調べられるか、疑問ですが??
かなりアバウトな人間ですので、あてにしないでください。
保見の飛行場は訪ねられましたか??
こちらは、近くに、忠魂碑があるような事を聞いていますが、
こちらも、定かではありません。
定かでない話ばかりで、申し訳ない・・
by oldman (2010-10-26 09:46)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■an-kazuさん
>腕章
あ、同じこと考えている方がいた!!(o ̄∇ ̄o)
ホント、そういう腕章欲しくなります。
■Takashiさん
滑走路の長さが食い違うこと自体はよくあるのですが、
信憑性の高いと思われる資料で揃ってまったく異なる数字だったので気になりました。
■鹿児島のこういちさん
>秘密
そういう発想はありませんでした。
そういうことかもしれませんね。ありがとうございます。
■sakさん
こっそり工事したんですかね^^
■miffyさん
女子高生のおねーさんたちがたくさんおりました^^;
■oldman様
早速のお返事、ありがとうございますm(_ _)m
御親戚の方が近くにおられるのですか!
気長にお待ちしておりますので、もしも場所特定につながる情報がありましたら、
どうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m
>保見の飛行場
こちらはお邪魔致しまして、忠魂碑等も見学しました^^
by とり (2010-10-26 20:29)
550mは550間なのかも。だとすると約1,000Mになりますがどうなんでしょう?
by iruma_w (2010-10-27 07:45)
■iruma_wさん
>550間
ここはかなりハッキリと滑走路の輪郭が写真に残っていて、地図上で長さを計ると
当時の規格の一つである1,200m丁度だったんですよ。
それでも、資料によって滑走路の長さがバラバラ。というのはよくあることなので、
いろいろな事情から「間」と「メートル」を取り違えた可能性はありますね。
ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2010-10-29 07:16)
iruma_wさんの推測は当たりかも知れないですよぉ(^O^)
土地登記でもよくあるんですが、明治、大正、昭和初期は、登記の測量は字絵図の測量で、縄延び、縄縮みは当たり前で、550間と言っても、正確な寸法とは限りませんから。
どちらかと言えば、こういう軍の物件なら何かの都合上、小さく表記したかったのかもしれませんよ(^O^)
by 鹿児島のこういち (2010-10-29 19:58)
■鹿児島のこういちさん
>縄延び、縄縮みは当たり前
そんなだったのですか(@Д@)
公式のものでも鵜呑みにはできないのですね~。
ありがとうございました。m(_ _)m
by とり (2010-10-31 07:13)
旧室蘭飛行場の写真と記述を懐かしく拝見しました。
今から50年前、少年時代に室蘭飛行場(八丁平飛行場)跡地で遊び回った事が思い出されました。今は室蘭市民ではありませんが・・・
滑走路は昭和40年後半までは荒れ地として残っていて今のような住宅地ではありませんでした。
雑誌「丸」掲載の一式戦闘機の写真を見て、写真の後方に写っている法面は昭和47~48年ころまで現存してたのを鮮明に記憶しています。また空中写真の滑走路の中央の北側(室蘭岳側)?に突出しているスペースも当時現存していました。
海側(写真の左側)に向け開けた感じで、滑走路としてのイメージはあったような記憶があります。
また、滑走路の北側に幾つかあった沢の法面部分に幾つかの横穴式防空壕
がありました。当時、友人と山の中を良く歩き回っていたことを懐かしく思い出しております。
by コブラボール (2010-11-02 10:02)
滑走路の長さについてですが間違いなく1.000米以上はありました。はっきりと記憶しているのが在蘭していた昭和49年ころまですが、東側の室蘭岳へ通じる車道を基点として西側に延びていました。昭和49年には今の室蘭中央自動車学校が同じ位置にあり、その東西は雑草が伸びた状態で一直線の「滑走路」そのもののが残っていました。当時私の自転車には距離計が付いた速度計が付いてて(前輪にワイヤーケーブルでつなげる粗末なものでしたが・・・)実走して長さを測ったのを思い出しました。間違いなく1.000米以上はありましたよ。因みに今の八丁平幼稚園の北側の法面を一段下った場所に地元警察の射撃場の跡がありましたね。
by コブラボール (2010-12-09 19:11)
■コブラボールさん
まとめてで失礼します。
せっかく当時の様子についての貴重な情報を頂きながら、一か月以上も気づかずに放置してしまいました。
にもかかわらず再び情報いただき、大変申し訳ありません。
当時の飛行場とその周辺の状況、滑走路の長さ等、本当に貴重なお話を聞かせて頂きました。
一両日中に記事に反映させていただきます。
滑走路があった場所、今は地割に面影が残るのみのようですが、
かなり長いこと、そのものが残っていたのですね。
本当にありがとうございました。
by とり (2010-12-10 06:32)
■コブラボールさん
記事に追記させて頂きました。
また、「八丁平飛行場」という呼び方も入れさせていただきました。
地元の方にとっては、きっとこちらの呼び方の方が馴染み深かったのでしょうね。
どうもありがとうございました。
by とり (2010-12-11 09:08)