仁良川飛行場跡地 [├空港]
2011年11月訪問 2020/12更新
栃木県下野市仁良川にあった旧陸軍の「仁良川(にらがわ)飛行場」。
滑走路の位置が不明のため、最もあった可能性がある場所の写真を撮ってみました。
ネットで検索すると、1947年の写真(USA R301 8)で滑走路が判別できる方もおられるようなのですが、
オイラはまだその域に達していないようで見えませんでした。修行が足りませぬ。
どなたか、「フッ、とりは甘いなぁ。ここにちゃんとあるじゃん」と見える方、是非教えて下さいm(_ _)m
飛行場跡近くの図書館に当飛行場についての記述があったので抜粋してみます。
「仁良川宿の西方の広大な畑に建設された。
薬師寺、吉田村の人たちは何をするのかも不明のまま、部落長より日割り労働を強いられた。
約1kmに及ぶ地に一筋の滑走路は住民たちの協力で唯一の機械であるローラーによって路面が固められた。
当時は一軒の家もなく移転問題はなかったが、畑の作物などは軍の命令によりローラーで踏みつぶされていった。
飛行機の掩蔽策には杉の枝をおろし、これを竹で編んで柵にする方策が考えられた。
飛行機の着陸の際には柵を外すといった前近代的な方法がとられた。
しかし離着陸はほとんど見られず、古老の話では一機が着陸したことを記憶しているといった程度であった。
施設も高射機銃が一丁位で(中略)飛行機を掩蔽した松の木も日が経つにつれて枯れ、住民たちの重要な燃料になった。
飛行場竣工式の行われた五月のある日、飛行場の一角で慰安会の芝居などが催されたが、そこに艦載機が来襲した。
仁良川飛行場建設勤報隊出動人員数は、男子3,441 女子1,456 計4,897 であった。」
…ヒコーキを掩蔽する木材の種類が途中で杉から松に変わっているような気もしますが、
物資が極度に不足している中で運用している様子が伺えます。
赤マーカー地点。
周辺は平坦で、畑に住宅が点在する長閑な場所でした
栃木県・仁良川飛行場跡地
仁良川飛行場 データ設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:栃木県下野市仁良川
座 標:N36°22′35″E139°52′16″
標 高:52m
滑走路:1,000m?
(座標はグーグルアースから)
沿革
1943年 春軍関係と思われる技師が来村。樹木伐採始まる
1944年 一本の滑走路建設始まる
1945年05月 この頃完成。竣工式
関連サイト:
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この記事の資料:
「南河内町史 通史編近現代」
「南河内町史 資料編4 近現代」
元々資源の乏しい我が国が、物量作戦の鬼畜相手に、あそこまでよく戦えたというべきでしょうか。
>眼力
「スケスケだぜ!」というレベルに達するまで、ご精進ください。
兄さんなら、辿り着けるさ。( ̄ー ̄)b
by tooshiba (2012-03-30 16:09)
またまた、なんにも無いところ(・_・;)
新4号から東側は何にも無いから行く機会が無いのですが・・・こんな何にもないところだから飛行場が出来ちゃうんですねぇ。(ちなみにココから数キロ先には日本屈指の自動車工場がありますが、何にも無いから大した土地交渉もやらずに出来たという話が・・・)
by me-co (2012-03-30 18:51)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■tooshibaさん
世界を相手にどえらいことを始めたものだと思いますね。
>「スケスケだぜ!」
ちょっと滝に打たれてくる!=(っ・Д・)つ
■me-coさん
確かに長閑な所でしたね~。こういう雰囲気大好きです^^
>日本屈指の
某N産の工場でしょうか? 確かにデカかったです。
by とり (2012-03-31 05:41)
私は、昭和19年4月に、仁良川飛行場の近くで生まれ、14歳までそこで育ちました。
飛行場の跡地は、戦後すぐに松の木が一面に植えられており、飛行場だと分かるのは、一定の幅のフラットな地面が長々と続いているだけでした。
その辺の呼び名も、飛行場と言っていたように思います。
飛行場の南の外れに有った軍の建物は、引き揚げて来た人の住まいにされていました。
昭和30年頃に、近所の雑木林の地下に爆弾が4つ、整然と並べて埋められているのが発見されました。
by 武ちやんマン (2014-05-24 20:53)
■武ちやんマンさん いらっしゃいませ
当時の貴重なお話を聞かせて下さり、ありがとうございました。
by とり (2014-05-25 05:29)