三重航空隊野辺山派遣隊 [├空港]
2011年10月訪問 2020/12更新
長野県野辺山にある「野辺山電波天文台」。
北東にある丸山はかつて「三重航空隊野辺山派遣隊」のグライダー練習場でした。
紫マーカー地点。
野辺山電波天文台見学受付と見学コース挟んですぐ向かい側にあります。
裏側に碑文が。
碑文(全文) 昭和十七年 三重海軍航空隊が三重県に創設され幾多の少年航空兵を錬成して戦場に送り輝かしい功績を残したが 昭和二十年五月 太平洋戦争の激化により わが国で初めて開発されたロケット型戦闘機秋水の搭乗員を養成するためこの地に野辺山派遣隊を設営し 一一九六名の海軍飛行予科練習生を派遣した 隊員たちは幕舎に起居しグライダーにより連日猛烈な操縦滑空訓練に励んでいたが 同年八月十五日の戦争終結により解隊された 戦後 元隊員たちは社会人としてわが国復興の中核となって活躍し 昭和六十三年八月 史実を後世に伝え平和を祈念するため 三重空野辺山若草会を結成し野辺山駅前に予科練之碑を建立した 戦後五十年を機に南牧村ご当局及び関係部落各位のご厚意を得て 同隊の栄誉とその跡地を記念してこの碑を建てる 平成七年八月 三重空野辺山若草会
ロケット型戦闘機秋水の搭乗員養成場という非常に特殊な滑空場だったのですね。
赤マーカー地点。
正面に見えているのが丸山(青マーカー)。
グライダー練習をした山とのことだったのですが、思ったより小さかったです。
グレーマーカー地点。
電波天文台の少し北側に野辺山駅があるのですが、駅前にも碑がありました。
碑文(全文) 昭和五年 航空機搭乗員の養成は若き俊才の特別教育によるとの方針により少年航空兵制度が設けられ 全国の十六歳前後の志願者より厳選のうえ採用されて以来昭和二十年八月の終戦に至るまで 鉄石の豫科練訓練を受けて巣立った二十萬余の若鷲たちは 名実共に日本海軍航空戦力の主軸として世界にその名を馳せたが 太平洋戦争末期には戦局利あらず その多くが祖国の危急を救おうとの一念に燃えて自ら身命を惜しまず 愛機もろとも体当り攻撃を敢行し尊い命を国に捧げていったのである 因に豫科練とは海軍飛行豫科練習生の愛称である かかる戦局の中 敵機は連日わが国の主要都市を爆撃し 戦雲更に急を告げる昭和二十年春 三重 土浦 鹿児島 松山 浦戸 美保 滋賀 小松の八航空隊より選抜され三重海軍航空隊特一部として編成された乙二十期及び甲十四期の豫科練一、一九六名と教官を含む基地要員約百名は 当時迎撃用に開発された新鋭ロケット式局地戦闘機”秋水”の搭乗員となるため 秀峰八ヶ岳を仰ぐ野辺山基地に派遣され 丸山を中心として連日グライダーによる操縦訓練を行い ついには鎮目教官の殉職を招くほどに訓練は激烈を極めたが 教程終了を目前に八月十五日の終戦により解隊されるに至った 顧みれば 豫科練の歴史は僅か十五年余りにすぎないが 戦いを好むに非ずひたすら愛国心に燃え 未曽有の国難に殉じようと決意して精進を重ねた若人たちの至誠と犠牲的精神は わが国の繁栄と世界の恒久平和への礎となることを哀心より祈念し 地元南牧村当局のご厚意を得て 旧訓練所の地野辺山にこの碑を建つ 平成元年八月 三重空野辺山若草會 撰文 右代表 溝口源三郎 由井龍鳳書
参集した八航空隊が刻まれていました。
Wiki:「野辺山高原」によれば、「1941年(昭和16年)に文部省の学校連合訓練所が(中略)開設され、1945年 (昭和20年)には学校連合訓練所が三重海軍航空隊の特攻隊訓練に使われるなど軍事色が強まった。」とあります。
滑空史保存協会「滑翔の灯」昭和17年5月~8月の頁にこんな記述がありました。
「(大空の故郷、文部省野辺山訓練所)の建設工事が着同と進められている。文部省では理想的な大滑空道場を建設して、これを学徒の「大空の故郷」とする計画を立て、昨年長野県の大高原に地を卜し、工事を進めてきたが、この6月から高校や専門学校の生徒が集団勤労をして建設を助成することになり、8月末には一応完成の運びになるようだ。本滑空場の所在地は、八ヶ岳の山麓が、ゆるく東方に裾を引いている大平原で、東西2km、南北1kmにわたる50万坪の広大なものである。標高1,300余メートルの高原で、文部省ではこの滑空場を「文部省野辺山訓練所」と呼んでいる。野辺山駅に近いのでこの名がついた。」
「本滑空場の所在地は、八ヶ岳の山麓が、ゆるく東方に裾を引いている大平原」
「標高1,300余メートル」
「野辺山駅に近い」
これは全て三重航空隊野辺山派遣隊が使用した丸山に当てはまります。
文部省が計画した「文部省野辺山訓練所」と「丸山」を直接結びつけるものは現在の所確認出来ないのですが、
ネットでいろいろ検索してみても、戦時中この地域に建設された施設として名前が挙がるのは、
上記二つ以外に陸軍の演習場位です。
また、昭和17年頃の出来事として、「八ヶ岳の野辺山滑空場」で各学校の合同訓練が行われた。という記述があります。
それで、「三重航空隊野辺山派遣隊」が使用していた滑空場=「野辺山滑空場」ではないかと思います。
長野県・三重航空隊野辺山派遣隊跡地
三重航空隊野辺山派遣隊 データ設置管理者:海軍
種 別:滑空場
所在地:長野県南佐久郡南牧村野辺山
座 標:N35°56′41″E138°28′26″
標 高:1,350m
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1945年05月 野辺山派遣隊設営。秋水の搭乗員養成
08月 終戦により解隊
関連サイト:
滑空史保存協会(2020/12閲覧できず)
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この記事の資料:
現地の碑文
野辺山はいつか行かないとな。
by 春分 (2012-03-22 20:25)
十九試局地戦闘機秋水、ここで訓練があったのですか、知りませんでした。
グライダーによる訓練で実際、秋水の操縦に役にたつのだったのでしょうか?レシプロとは違うGなどの訓練は行ったのでしょうか?
by 鹿児島のこういち (2012-03-24 15:49)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■春分さん
春分さん好みの被写体がたくさんありましたよ^^
■鹿児島のこういちさん
>秋水の操縦に役にたったのか
同じことを思いました。しかもこんな低い山で…
末期の極みということでしょうか。
by とり (2012-03-24 18:18)