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帯広第二(市設帯広、音更)飛行場跡地 [├空港]

   2010年6月訪問 2023/1更新  


無題e.png
①撮影年月日1944/08/18(昭19)(912 C1 11) 
無題a.png
②撮影年月日1944/10/28(912Q63 C2 69)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)

北海道河東郡にあった陸軍の「帯広第二飛行場」。

前記事の「音更飛行場」のすぐ南側にありました。

この飛行場、元々は帯広市の公共用飛行場「帯広飛行場」として、1939年6月に建設が始まりました。

■防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部

に要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

上に貼った航空写真だと、 斜めに白く目立つ滑走路と、ハート型の誘導路の方がずっと気になると思いますが、

要図ではこれらは一切描かれておらず、グーグルマップの作図の通り、

四角の飛行場地割があるのみです(航空写真赤矢印部分)。

(白い滑走路とハート型の誘導路については後述します)

同水路部資料は昭和16年(1941年)3月刊行なんですが、この飛行場の頁は「1940年8月調」とあります。

1940年8月とは、当飛行場の完成を翌月に控えたタイミングでした。

記録によりますと、1940年9月に市の「帯広飛行場」として完成後、同年陸軍飛行場として転用工事を始めています。

同資料内の情報を以下引用させて頂きます。

帯広飛行場(昭和15年8月調)
河東郡音更村字下音更(帯広駅の北方約5粁)

所管 航空局
着陸場の状況

高さ 平均水面上約65米。
広さ及形状 本場は総面積60.9萬平方米にして東西約730米、南北約830米の四辺形地区なり・着陸地域は図示の如く南西方の一部を欠く多角形地区なり(付図参照)。
地表の土質 火山性壌土。
地面の状況 本場は中央部稍高く周囲に向い下り傾斜あり・地表概ね凸凹起伏きな平坦且堅硬地なるも南西部は傾斜地帯をな (←原文ママ)目下整地中なり・着陸区域及其の付近は芝植付しあり一部発生す、場内排水は周囲に排水溝を設け之を北東隅に於て下音更原野土地改良排水溝に連絡せしめ自然排水の方法を執りあるも傾斜地なるを以て排水良好なり・夏季炎天続くときも地表の変化なし・冬季結霜の際は地表泥濘となる。
場内の障碍物 着陸区域内にはなし。
適当なる離着陸方向 北西-南東。

周囲の状況
地勢一般 本場は十勝川を隔てて帯広市に隣接し十勝川の支流たる音更川の流域に在り十勝平野の中心に位す。
丘陵 十勝平野を越えて西南部は日高山地の分水嶺南北に走り、北部は遥に石狩岳山系及然別火山の諸峯聳立し漸次丘陵性台地となり本場の北方に迫る、東部は「ウコタキヌプリ」山(745)を中心とする山嶺南北に連互し白糠丘陵に接す。
平野 付近は沼沢地多き草原にして場の南部は低平なる平地広く発達す。
河川 本場付近は土地低平にして北、西、南部の山嶽地より流るる諸河は此の地方に集合す・場の東方を音更川、西方を然別川夫々流る・場の南方約1粁の十勝川は北方十勝岳及石狩岳の南東麓に源を発し始めは南に流れ脊梁山脈を縫いて十勝平野の北西端を過ぎ迂曲蛇行して南東に向い諸支流を合せ帯広市の北境を洗い更に北より音更川、南より札内川、然別川を入れ東流す。
市街 帯広市は十勝國の中央に位し付近耕地開け農産物豊富にして此等の集散地なり又馬産地及工業都市として有名なり。
著目標 帯広市、音更川、札内川、十勝川、根室本線、放送局柱(高さ72米)。
地方の状況
軍隊 陸軍飛行連隊設置準備中(一部駐屯す)。
憲兵 帯広憲兵分隊(帯広市西5條南14丁目)南方約6.5粁。
警察署 帯広警察署(帯広市西3條南7丁目)南方約5粁。
駐在所 千野駐在所(河東郡音更村字千野)南方約2.5粁。
支庁及役場 十勝支庁(帯広市東6條南9丁目)、帯広市役所(帯広市西3條南8丁目)南方約4粁。
医療 帯広市に病院14、医院12あり。
宿泊 帯広市に旅館約50(収容員数計約1,500)あり。
清水 付近民家に水質良好水量豊富なる井水あり。
応急修理 帯広市に安斎工場、井關修理工場、北海自動車工業株式会社五番館工場及三橋修繕工場あり一時的応急修理程度ならば可能。
航空需品 帯広市に於て「ガソリン」類少量ならば補給し得。

交通運輸及通信
鐡道 帯広駅(根室本線、広尾線、士幌線)南方約5.5粁・千野駅(士幌線)南東方約2.5粁・根室本線は市の中央を貫通し、省線士幌線及広尾線は帯広駅を起点とし前者は糠平に後者は漁港広尾港に至る、又十勝国を南北に縦断する私鉄十勝鉄道は帯広駅を基点として南十勝地方物資の運搬を司る。
乗合自動車 十勝平野は地勢平坦にして自動車運輸は夙くより発達す・本場の南東方約2粁の千野駅迄乗合自動車(十勝自動車合資会社)の便あり。
道路 千野駅北方より西折して飛行場東側に至る飛行場専用道路あり自動車類の運行可能なり。
港湾 大津漁港は本場の南東方約40粁に在り、北海道庁命令航路船臨時寄港す、河口浅く常に波高くして艀船の出入自由ならざるも小機動艇を以て曳航し十勝川増水の際は河口より約20粁の上流豊頃迄機動艇を通ず。
車馬及運送店 自動車(乗用56、貨物30)荷馬車388、運送店1あり。
電信及電話 木野郵便局(河東郡音更村字千野)南東方約2.5粁・帯広郵便局(帯広市西2條南8丁目)南方約5.5粁・共に電信及電話を取扱う。

気象
気候は太平洋岸地方の海霧地帯と異り内陸型に属し大陸性気候を示し寒暑の差著しく年平均温度5度、1月最低気温零下19.6度、8月最高気温36度にして降水量少く年量958.3粍、積雪量27.5糎なり。
測候所 帯広測候所(帯広市東5條南8丁目)南方約6粁、上層気象観測の設備なし。
地方風 夏季東南東風、冬季北北西風多し、毎年5月末頃には強風あり・10月至翌年1月及3、4月間は北北西風にして2月は北西風、5月至9月間は東南東風なり・昭和4年至同7年4箇年間の統計次の如し。(月別の最多風向、平均風速・省略)
天候 1年を通じ7、8月を除き概して天候良し・昭和4年至同7年4箇年間の統計次の如し。
(月別の快晴日数、曇天日数、降水日数、暴風日数、霧日数、雪日数・省略)
気象特性 (1)冬季 早朝静穏無風状態の時にしても西方山岳に笠雲懸る時は日中北西の季節風強烈となる・高気圧と天気との関係 冬季高気圧は北支那及「シベリア」方面を占めること多く北西の季節風強烈となる、当地方は北海道中央山脈を境とし其の背面に位置するを以て該高気圧が特に優勢なる場合に於いても日中北西風の強烈なることあり、然れども夜に入ると共に風力衰え天気は概して晴天のこと多し・低気圧と天気との関係 低気圧が当地付近及北海道の南東沿岸を掠めて通過する時は降水量多く其の前面及後面共に一般に風弱く天気の恢復も割合に速なり・降雪及積雪 降雪の多き時期は1月下旬乃至2月中旬にして降雪の継続せる平均最長日数は7日なり、雪質は一般に粉雪多く低気圧の前面に降る雪は濕雪なり、一般に降雪期は風力弱き為雪は平均に堆積するも稀に低気圧の後面に於て吹き飛され一掃されること多し・其の他特殊なる現象 当地方は北海道の内陸部なる為冬季は比較的風弱く一般天気状態は表日本の状況を呈し寒気酷烈なるも晴天多く積雪は寡少なり (2)夏季 天気変化の目安 西方日高山脈に下層雲が冠する時は天気良好なる日にても日中は西風強く夜間に至れば静穏に復すること多し航空上注意を要す・高低気圧と天気との関係 3、4月は未だ大陸高気圧の支配を受け北西の季節風最も多く5月は此の高気圧の移動する時期にして6、7月は太平洋高気圧の影響にて東風最多にして高気圧の圏内に在る時は天気良好なり、低気圧は各月共当地方の南方を接近して通過し風向逆転の際は天候不良となり、北風を通過し風向き順転する時は天気比較的に険悪ならず・霧 6-8月間は海岸地方に海霧の発生頻繁にして?々内陸に来襲す、霧の発現時刻は海霧は夕方より翌朝日出頃迄なるも幅射霧は早?より午前9時頃迄にして何 も静穏時又は東寄りの風の日多し・其の他特殊現象 5、6月頃乾燥期に西方山麓に旋風発生し砂塵を巻き起し西より東に移動すること多し、当地方は一般に内陸性気候を呈し気温の較差大にして沿岸地に比して乾燥無風の特徴あり。

其の他
本飛行場は帯広市の施設にして公共用陸上飛行場なり将来定期航空の発着場たらしむる計画とのことにて現在整地作業実施中なり、一般航空施設は未だ全然着手され居らず・本場の南方約9粁に帯広陸軍飛行場設備中なり。

記録によれば、この年に陸軍飛行場に転用開始ということになっているのですが、

同資料内では、そういうことを匂わす情報はなく、「定期便の飛ぶ飛行場とする計画である」とあり、

飽くまで公共用飛行場として拡充する体で記されています。

8月調べということは、 この年は残り僅か4か月しかありません。

 

先頭のグーグルマップは「1940年8月調」の水路部資料からの作図でしたが、こちらは、

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に出てくる1/5000要図から作図しました。

陸軍作成の資料で、こちらでは飛行場の名称として、「音更飛行場」とだけ記されています。

こちらはいつ調べたものか記載が無いんですが、発行日で比較すると、約3年後の資料です。

飛行場敷地については変化がないのですが、

「着陸地域」と表現されていたものが、こちらは少しスマートな「滑走路」になっています。

要図には、冬の恒風は北西、 夏の恒風は南東(いずれも滑走路方向)と書き込みがありました。

以下情報を引用させて頂きます。

位置
北海道帯広市
気象
最低温度零下二十八度最深積雪一米 五六月に
於て高度約五〇米内外の旋風襲来あり
六月~八月の候は輻射霧及び海霧発生
襲来頻繁なるも八月以降は稀なり
交通 其の他
帯広市より約三粁
滑走路東南方に煙突あり注意を要す

この昭和19年4月の資料でも、「斜めに白く目立つ滑走路と、ハート型の誘導路」に関しては、

要図にも情報にも一切触れられていません。

で、ここまでスルーしてましたが、先頭のグーグルマップに続けて航空写真を2枚続けて貼っています。

撮影日は、

①撮影年月日1944/08/18
②撮影年月日1944/10/28

となっており、70日の間隔があいています。

この僅かな期間で滑走路、誘導共にこれだけ変化していますから、

丁度撮影のあった昭和19年に工事があったのだと思います。



一応作図してみました。

元々畑が広がる一帯に誘導路を設けたからだと思うのですが、誘導路沿いに並ぶ掩体壕の位置に家を建て、

誘導路から掩体壕にヒコーキを引き込むカーブがそのまま残っている(と思われる)地割が幾つか残っていました。

 

話は変わりますが、当飛行場は音更町内にあり、前出の飛行場と同じく「音更飛行場」とも呼ばれており、

調べていてもー何が何だかでした(@Д@)

一から説明されないと分からないよそ者のオイラは、

資料を読んでいてもドッチの飛行場のことを書いているのか、判別に非常に手間取った飛行場で、

(なんで同じ名前を使うの??)と不思議でなりませんでした。

前記事の「元祖・音更飛行場」は1929年に閉鎖。

今回ご紹介する飛行場の建設は1939年に同じ音更村内で始まりました。

両者には10年の空白期間がありますから、地元の方にとっては「前の」とか「今の」とかで十分区別できたのでしょうね。

前者が民間の文字通り「おらが村の飛行場」だったのに対し、

こちらはすぐに陸軍飛行場に転用されました。

この飛行場、つい最近まで情報がほとんどなかったのですが、

地元郷土研究グループが旧地権者などを訪ねて場所を特定しました。

そのおかげでこうして地図を載せたり、現地の写真を撮ったりすることができました。感謝ですm(_ _)m

D20_0045.jpg

陸軍帯広第二飛行場の滑走路中ほどの位置から北西を向いて撮った写真。

現在は畑が広がっています。

多分滑走路はこんな方向で伸びていたはず。

D20_0046.jpg

同じ場所で南東側を向くとこんな感じ。


      河東郡・帯広第二飛行場跡地      

・帯広飛行場(1940年8月資料) データ

所管:航空局
種 別:市設公共用飛行場
所在地:北海道河東郡音更村字下音更
標 高:65m
飛行場敷地:730mx830m
着陸地域:595mx730m(不定形)
面 積:60.9ha
(着陸地域長さはグーグルアースから、他は資料から)

・音更飛行場(1944年4月資料) データ
設置者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道帯広市
飛行場敷地:735mx830m
滑走路:600mx200m
方 位:14/32
(方位はグーグルアースから、他は資料から)

・1944年第二次工事完成後 データ
設置者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道河東郡音更町下音更
座 標:42°58'00.3"N 143°10'49.8"E
標 高:69m
滑走路:970mx55m?
方 位:12/30
(座標、方位、滑走路長さはグーグルアースから)

沿 革
1939年06月 17日 市設帯広飛行場として着工
1940年09月 30日 完成。同年陸軍飛行場として転用工事、第1次完成
1944年   第2次完成

関連サイト:
北海道の旧飛行場リスト    
ブログ内関連記事
    

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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コメント 12

ハイマン

横を走っている道が
フロンティア通というのが
これまたぴったり合っている感じ
by ハイマン (2010-09-05 09:23) 

guchi

とりさんの飛行場跡地探索の精力には
ただ・ただ、脱帽です・・・
by guchi (2010-09-05 13:30) 

鹿児島のこういち

運用期間が違うため、同じ名前が使われたりしてるのですか(^O^)それこそ第二って付けたら解りやすかったのに(^_^)
確かに誘導灯、ハートの形してる、左が少しイビツ?f^_^;昭和22年撮影みたいだけど、カモフラージュしてますよね!

無蓋掩体(小)31って、壕が掘ってあったのでしょうか?
by 鹿児島のこういち (2010-09-05 16:36) 

masa

滑走路の跡形すらないですが、今はきれいな田園地帯ですね。
by masa (2010-09-05 18:11) 

miffy

地道に研究している方がいると助かりますよね。
その資料を探し出すのも大変な仕事ですね。
by miffy (2010-09-05 19:35) 

tooshiba

郷土史は地元の好事家に任せるとして、空港探索・2が、遠くない将来に歴史的資料に化けそうな予感・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
by tooshiba (2010-09-05 21:46) 

sak

ここに飛行場があったなんて
知らなければ絶対わからないですね
by sak (2010-09-05 21:54) 

mwainfo

ご多忙中いつもお寄りいただき感謝します。
by mwainfo (2010-09-05 22:12) 

me-co

まー!執念の勝利ですね=謎の飛行場解明!
わたくしには出来ない(根気が無いから)ので、頭が下がります(_ _)
by me-co (2010-09-06 01:46) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■ハイマンさん
>ぴったり
本当にそうですね~^^

■guchiさん
いえいえ、ただのモノズキなだけです^^;

■鹿児島のこういちさん
リンク先をあちこちチェックされてますね^^
>無蓋掩体
ハート形の誘導路に沿ってトゲトゲがちょうど31個あるように見えるので、
このトゲトゲ1つ1つに土塀でコの字無蓋掩体を造ったのでは??
というのがオイラの勝手な憶測です。

■masaさん
仰る通りでオイラの見る限り、痕跡はまったく残ってませんでした。

■miffyさん
本当に大助かりですm(_ _)m
特にこのテのネット情報って、信憑性の高いものから低いものまでいろいろなんですよ。
要注意です。

■tooshibaさん
所詮は他人のふんどし記事ですからね。
化けようがないですよ。

■sakさん
そうですね~。
絶対わからないですね。

■mwainfoさん
いえいえ、こちらこそいつもご訪問ありがとうございますm(_ _)m

■me-coさん
地元郷土研究グループの皆様に感謝感謝ですm(_ _)m
by とり (2010-09-06 06:56) 

鹿児島のこういち

実は、先に、航空写真を拡大して、とげとげを、これなんじゃらほいと思ってたんだけど、ハートの左端がフレームから外れてたから、31は、わかんなかったんですよf^_^;

コの字の掩体って、底版の奥が斜めに下がってませんでしたっけ?
どこかで見たような気がするんですが、記憶に場所が出てこないんですf^_^;
by 鹿児島のこういち (2010-09-06 20:42) 

とり

■鹿児島のこういちさん
この航空写真、「画像解像度」200dpiをクリックすると、不思議なことに見える範囲も広がるんですよ。
ちなみにオイラが先に書いた「ちょうど31個あるように見える」というのは、
「31位はあってもおかしくないんじゃない?」という程度の意味ですのでm(_ _)m
>コの字の掩体
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/kumamoto-closed-airport
手前味噌で恐縮ですが、オイラが見た無蓋掩体はこれが唯一なので、
こういう例しか知らないです。
by とり (2010-09-07 20:30) 

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