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追分飛行場跡地 [├空港]

   2010年11月訪問 2020/11更新  


無題a.png
撮影年月日1947/11/04(USA R470 12) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

三重県‎鈴鹿ICすぐ北側にあった「追分飛行場」。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

ご覧の通りで2本の滑走路が十字に交差していて、滑走路を取り囲むように誘導路が伸びています。

4つある滑走路端のうち、3つは誘導路の所が滑走路端ですが(文章力)、

南北方向の滑走路の北側だけは判別が難しくて、どこまでが滑走路だったのかよく分からないです。

長さを見ながら(こんなだろうか)という感じで作図しました。 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

に当飛行場の情報がありました。

飛行場名  鈴鹿
位 置   三重県鈴鹿郡深伊沢村
規 模   要図(東西100x2200 北東-南西1,300x100)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 二一〇名分 三〇〇名分工事中
 格納施設 (記載無し)
摘 要   施設軍有

飛行場名が「鈴鹿」になっているんですが、住所や要図のクロスする滑走路、滑走路の長さからすると、

どう見ても当追分飛行場でした。

D20_0003.jpg

赤マーカー地点

周囲は山に囲まれたのどかな場所で、鈴鹿サーキットの案内標識がたくさんありました。


      三重県・追分飛行場跡地      

追分飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:三重県鈴鹿郡深伊沢村(現・鈴鹿市‎追分町‎)
座 標:N34°56′20″E136°29′35″
標 高:100m
滑走路:2,200m×100m(10/28),1,300m×100m(02/20)?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1943年 着工
1945年 未完成のまま終戦

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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コメント 7

夢空

菰野や鈴鹿にあったのですね~。
以前、旅先で、駐車場のおっちゃんが、
車の三重ナンバーを見て、戦時中は三重県へ行ったこと、
陸軍だったか、空軍だったかのお話、懐かしそうに話されたことを
思い出しました。
by 夢空 (2011-05-23 11:22) 

鹿児島のこういち

とりさんの地図を見て、シボレーだって思ったのは僕だけかぁ~(^O^)
すぐ南東に位置する陸軍北伊勢飛行場の補完的立場で突貫工事された飛行場らしいですね。掩体壕のサイトに出てました。
ということは、次は北伊勢飛行場跡地ですね(^0^)/
by 鹿児島のこういち (2011-05-23 17:02) 

masa

鈴鹿に飛行場があったのですね!
今では鈴鹿サーキットに本田技研に車の町になりましたよね。
by masa (2011-05-23 17:33) 

me-co

横風滑走路にしては、この配置・・・
「意味無いねー」 って考えるのは、いかにもシロウト考え(^^;)
by me-co (2011-05-24 00:10) 

sak

鈴鹿にも飛行場があったのですね
それに滑走路が2本...
でも未完成で終わっちゃったんだ
by sak (2011-05-24 08:45) 

まめ助の母

またまた未完で終戦むかえてるんですね…
もったいない…
by まめ助の母 (2011-05-24 23:02) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■夢空さん
お邪魔致しました^^
>旅先
そんなことがあったのですか。もしかしたらここのことだったのかもしれないですね。
三重県内の飛行場、あと9ヶ所登場します。

■鹿児島のこういちさん
もっと滑走路が幅広だったらモロにシボレーですね^^
>次は
ビンゴです!

■masaさん
仰る通り、今はクルマのイメージですよね~。

■me-coさん
年間通しての風向きを知らないのでなんとも言えませんが、
もしかしたら、爆撃対策かもしれないなと思いました。

■sakさん
オイラも鈴鹿に滑走路は意外でした。
勿体ないですね。

■まめ助の母さん
本当にこういうパターン、多いですよね~。
by とり (2011-05-25 06:08) 

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