大村飛行場 [├空港]
2009年12月訪問 2023/1更新
撮影年月日1973/06/03(MKU732X C3 2)■ 海上空港開港2年前。「大村空港」時代
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
SkyVector.com
2015/6/28追記:当「大村航空基地」は2011年12月15日付で防衛省に移管されました。そのため当記事は全面改訂致しました。この情報は
大村空港は戦時中「第二十一海軍航空廠」の一部だった所で、1960年にA滑走路供用開始、
1975年にB滑走路供用開始しました。
このB滑走路が箕島を埋め立てて建設された世界初の海上空港「長崎空港」。
上の写真左端から奥向かって伸びる橋の先に小さく見えている管制塔っぽいのが、「海上空港・長崎空港」の管制塔。
そして手前右側に見えているのが大村航空基地の管制塔(と滑走路)。
A,B双方の滑走路は2キロほど離れており、海上空港は民間機が利用し、
本土側の大村航空基地はほとんど自衛隊機が使用してきました。
オイラのように昔からの流れを知らない者にとっては、海上にある長崎空港の方が断然目立っているのですが、
そんな訳で、海上空港は後からできた新参者。
こちらの陸側の方が本家本元です。
なのでこちら側が「長崎空港A滑走路地区」、あちら側が「長崎空港B滑走路地区」。
設置管理者は国土交通省で、国土交通省大阪航空局の長崎空港のページ(下記リンク参照)でも、
ちゃんと大村航空基地の滑走路を、「長崎空港A滑走路」として扱っていました。
そして「大村航空基地」は2011年12月15日付で防衛省に移管され、「大村飛行場」として独立しました。
国土交通省大阪航空局の長崎空港のページも移管に伴って変更されており、
沿革には「平成23年 A滑走路廃止」と記されています。
当航空基地のサイト内には非常に詳しい資料が開示してあります(なんとSTAR、SIDまで!)。
その中に「離着水面」の設定図もあったため、先頭の地図に入れてみました。
自衛隊機のグランド管制のみ海自が行っているのだそうです。
偶然タキシングしてきたワイエス。
タキシング中ですからきっと今はまだ海自の管制で動いてるんですね。
YS-11M(9042) ネットで調べたら厚木基地所属だそうです。これから厚木に帰るのかな。
上述の通り、これまで当飛行場の設置管理者は国土交通省でした。
ところが実際にこちらのA滑走路を運用しているのはほとんど自衛隊機という特殊な環境のため、
周辺の防音対策が遅れていました。
国土交通省が自衛隊機の防音対策をすることになるのでマズイのだとかなんとか…。
じゃあ実際に使用している防衛省が防音対策すればいいじゃん。
と思うのですが、そう簡単にはいかなかったのだそうです。
国交省も防衛省も大本は国で、周辺で住民が騒音被害を受けていることには変わりないんですが。。。。
件の基地移設問題で候補地の一つとして名前が挙がったりしていますが、
ご覧の通り滑走路のすぐ側までぎっしりと住宅地で、現在でさえ騒音問題が生じています。
地元の方からすれば現在でも騒音問題が解決していないというのに、移設以前の問題なのではないでしょうか。
2011年、当飛行場が管理者、使用者共に防衛省に一本化したことに伴い、
2012年、大村市が基地周辺の騒音対策を発表しました。
騒音区域内の約160世帯の防音サッシ取り付けや遮音工事を全額国の負担(1世帯当たり最大で約300万円)で
行うことになったのだそうです。
長崎県・大村飛行場
大村飛行場 データ
設置管理者:防衛省
3レター:OMJ
4レター:RJDU
種 別:陸上飛行場 等級:e
所在地:長崎県大村市今津町10
標 点:N32°55′41″E129°56′03″
標 高:5.7m
滑走路:1,200m×30m
着陸帯:1,320mx90m
磁方位:18/36
離着水面:3,000mx400m(13/31)
水 深:18m
航空管制周波数
・飛行場管制
長崎タワー 118.50 122.70 126.20
・進入・ターミナルレーダー管制
長崎アプローチ 119.175 121.025
長崎ディパーチャー 121.00
・航空路管制
福岡コントロール(北九州セクター)118.90 132.90
・飛行場情報放送
長崎ATIS 126.85
・TCAアドバイザリー
長崎TCA 121.175
沿革
1941年10月 第二十一海軍航空廠開庁
1955年05月 大村空港開港。自衛隊と共同
1960年04月 1日 第2種空港に指定
1968年 滑走路延長2,500m
1970年09月 箕島地計測量開始
1975年05月 箕島に新空港完成。長崎空港と改称したことに伴い、箕島側が「長崎空港B滑走路地区」、
本土側の旧大村空港は「長崎空港A滑走路地区」となる
1994年 滑走路かさ上げ工事
2011年12月 15日 防衛省に移管
2012年 騒音対策発表
関連サイト:
国土交通省大阪航空局/長崎空港■
ブログ内関連記事■■
この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
半分遊具になっている掩体壕、なんか笑えますね^^
ここで遊んでいる子供達は、何に使われていたかを知らないんでしょうね。
by Takashi (2010-04-19 12:21)
いろんな空港があるんですね。毎度、勉強になります。
by takechan (2010-04-19 21:57)
遊べる掩体壕、サイコーです(^^)v
by an-kazu (2010-04-19 22:04)
相変わらず縦割り行政の悪いところが出てますねー。
所管がどっちでもとにかく防音対策をするのが先決だろ、と思うんですけどね。
by 雅 (2010-04-19 22:15)
長崎空港と大村空港、同じだと思ってました
違ったのですね
by sak (2010-04-19 22:39)
YS・・・
退役後の動向が気になりますね。
by me-co (2010-04-20 00:02)
とりさん こんばんは
長崎ではやはりちゃんぽんと皿うどんを召し上がられたのでしょうか^^;気になります。
by yatoho (2010-04-20 00:43)
子供たちにしたら「妙な山やなー」ってな感じでしょうか。
じいさんばあさん、ではないな、ひいじいさんひいばあさんだな。から、「昔アメリカと戦争してな。そのときに作られたもんなんじゃ」と説明を聞いてどう思うか。
某教員団体の歪曲した日本史の授業のせいで、若いもんに「昔アメリカと戦争をして、負けた。原爆を落とされた」と言っても、「意味わかんね」みたいな顔をされるとか、されないとか。
繁華街を空襲される街(町田)に住んでいる人間としては、国益がどうの、安全保障体制がどうのという、国家的な戦略はさておき、「アメ公の飛行機、うるさいんですけど#」と思ってしまいますね。
ミクシィの日記でこんなこと書いたら、「ネトウヨの脳内お花畑www」とプロ市民(笑)にバカにされそうです。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
by tooshiba (2010-04-20 02:06)
フェンス越しに狙った飛行機の写真、
フェンスがぼけて写っているのがまたいいですね。
by masa (2010-04-20 17:37)
すでに2005年に長崎空港の記事(http://1901rjtt-to-roah.blog.so-net.ne.jp/2005-12-06)
がアップされてたんですね。
長崎空港の記事を先を読むと、長崎空港の海上空港の仕組みがよくわかります。
ずっと地図で見て気になってたんですよ。住民が移転した島だったんですね。
長崎空港の記事は移転前なのでこっちにコメントしました。
>YS-11 旅客機用途では運航終了でも自衛隊では使用されてたから、
わざわざ旅客用途と但し書きがついてたんですね。これも勉強になりました^^
by コスト (2010-04-20 21:12)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■Takashiさん
これを最初知った時は、
Σ(゚Д゚;) こっ、こんな使い方をするとわ!!!
とビックリでした。
■takechanさん
お勉強になってるのはオイラの方ですよ^^;
■an-kazuさん
上からしゅーっと滑ってこようかと思ってたんですけど、立ち入り禁止でした。
というか、それ以前にオイラがお邪魔した時間帯、登校中の生徒たちがすぐ前の道路をゾロゾロ歩いてたので無理でした。
■雅さん
>先決だろ
まったくですよね~。。。
■sakさん
同じのような、違うような・・・複雑な空港ですね。
■me-coさん
そうですね~。
仕分け人に切り捨てられないといいんですけども。
■yatohoさん おはようございます
ここではカロリーメイトとか食べてましたっ(`・ω・´)キリッ
■tooshibaさん
>されないとか。
今の子供たちは「戦争」というと、即「湾岸」を連想するのだと以前聞いたことがあります。
戦争遺構を後世に残そうとする方々の意図は今後どの程度伝わるのでしょうか。
■masaさん
まだイマイチ意図通りにボケさすことができません。
人間はぼけぼけなんですけど。(o ̄∇ ̄o)ハハ
■コストさん
>こっちに
ご配慮、痛み入ります。
長崎空港って、世界初の海上空港だったり、コンコルドが飛来してたりとか、ぢつはいろいろ話のネタの多い空港ですね^^
by とり (2010-04-21 07:18)
大河ドラマの『龍馬伝』の18回のOPに「海上自衛隊大村航空基地」の名前出てました。
たぶん、長崎(ハウステンボスの船と海上シーンがある)での撮影に協力したんでしょうが、
ひょっとしたら基地内使ったのかもしれないですね^^
by コスト (2010-05-03 15:05)
■コストさん
おお、出てましたか!
基地内で撮影したのかしらん。
by とり (2010-05-04 20:48)
享年86才で亡くなった家のじいさん、実は大村航空隊1923年大正12年のパイロット一期生でした、証拠に複葉機2枚羽の前で撮った写真もあります、じいさんが生きてい
た時によく話を聞かされました、その飛行機が当時日本に3機しかなかったとか、パイロット試験で東京から大阪まで電信柱が何本あるかで他の人が一生懸命計算しているなか、パイロットになるのをためらっていたじいさんが答えたのは、(そんなもんあるだけある)で一発合格したそうです、たぶん実戦が始まれば電柱の数とか意味なくなるから?長くなりましたが何方か当時の情報をお持ちの方いませんでしょうか?ちなみに当時のじいさんは22才高知県出身です。
by 山新 (2012-09-03 15:27)
■山新さん いらっしゃいませ~^^
おじい様の人柄が偲ばれるお話ですね。
貴重なお話をありがとうございました。
by とり (2012-09-03 21:24)
その後じいさんは、ばあさんと知り合い恋におちました、高知からじいさんに会う為、蒸気機関車で大村まで来ました、帰りの見送りに何とじいさんは飛行機で汽車を追いかけ、ばあさんを見送ったそうです。 そのばあさんも先日104才で天寿しました。
by 山新 (2012-09-04 10:35)
■山新さん
またまた貴重なお話ありがとうございました。
お返事が遅れてしまい大変申し訳ありません。
by とり (2014-02-20 09:07)
ここは第二十一海軍航空廠の一部です。
大村海軍航空隊の飛行場は別な場所です。
『零戦撃墜王 岩本徹三空戦記』に概略図が書かれています。
by お名前(必須) (2018-10-08 13:51)
■コメントありがとうございました。
by とり (2018-10-09 19:47)
■記事修正しました。
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2018-11-21 06:15)