大久保駐屯地西側(滑走路地区) [├空港]
2010年11月訪問 2020/8更新
撮影年月日1956/03/15(USA M342-2 23)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
京都府宇治市にある陸上自衛隊大久保駐屯地。
ここは元々「日本国際航空工業」だったのですが、戦後米軍が接収しました。
1948年の航空写真には滑走路は跡形も写っていません。
1956年10月に返還されるのですが、同年3月撮影の航空写真(上に貼ったもの)に滑走路が写っています。
ということで、米軍占領時代に作られた滑走路なのではないかと思います。
令和二年の駐屯地公式アナウンスにて当滑走路が、
「大久保駐屯地西側(滑走路地区)」と呼称されております(下記リンク参照)。
それでこの拙ブログ内でもこの名称に変更しました。
実は、昭和15年に「日本国際航空工業」の起工式が行われた際、同時に「付属飛行場」も建設されました。
この付属飛行場は、当地の西隣にあり、もっと大きなものです(下記リンク参照)。
上に航空写真を貼った、駐屯地内にある滑走路と、「日本国際航空工業の付属飛行場」を長いこと混同しておりました。
大変失礼致しましたm(_ _)m
水の向こうに白っぽく見えるのが「滑走路地区」。
京都府・大久保駐屯地西側(滑走路地区)
大久保駐屯地西側(滑走路地区) データ設置管理者:陸上自衛隊
種 別:陸上飛行場
所在地:京都府宇治市広野町成田
座 標:N34°52′40″E135°46′19″
標 高:18m
滑走路:370m×36m
方 位:18/36
(座標はグーグルアースから)
沿革
1940年04月 16日、日本國際工業京都工場起工式
1945年09月 接収
1956年10月 米軍大久保キャンプ返還
1957年 大久保駐屯地創設
占領時代に作られたとは、面白い経緯の飛行場ですね。
今も陸自で使われているんですかね。
by Takashi (2011-05-16 22:24)
■Takashiさん
当時はアチラの感覚でいくつか連絡用小型飛行場を作ってましたから、
それの1つなのではないかと思いました。
現在も使っているかどうかは残念ながら不明です。
少なくとも常時ヒコーキが飛び回っているということはないです。
by とり (2011-05-17 05:54)
米兵も宇治茶が飲みたかったかな?f^_^;
13日にNHKBSで「敗戦、日本消滅の瀬戸際外交2日間」をみました。GHQがポツダム宣言を無視して日本に軍政を行おうとしていたなんて初めてしりました。公用語を英語、円を廃止しB円を使用!
もし、そうなっていたなら、もっと米軍の飛行場が日本本土に出来てたのでしょう。
沖縄がB円を使用し、米軍基地がたくさん造られたように。
by 鹿児島のこういち (2011-05-17 10:50)
お久しぶりデシ~☆
やっと、、調子も出てきて、、復活する事にしたでし!
お元気そうでしね^^v
また、ヨロピクお願いしまし~~☆
by ぷりん&りく (2011-05-17 21:43)
■鹿児島のこういちさん
>宇治茶
Σ(゚Д゚;)ソレダ!
>軍政
そうだったんですか!
GHQが独自の行動を取ろうとしていたこと自体知りませんでした。
恐ろしや。
■ぷりん&りくさん
ご復活おめでとうございます^^
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
by とり (2011-05-18 07:16)
宇治にも駐屯地があったんですね~~。
ちょっと意外でした。
ていうか知らなくて、無知ってことがバレたかも(^_^;)
by pica (2011-05-19 15:50)
■picaさん
いえいえ、地元以外では知名度低いと思いますよ。
「京都に自衛隊の基地」って、ギャップがありますよね。
by とり (2011-05-20 05:55)
駅前の住宅地のいいところに基地がまだあるんですね~
でも滑走路が370m×36mならそんなに大きな機体は利用できないし、
常時飛んでないなら騒音もそれほどではないようですね
毎回金網越しの撮影にnice!
by コスト (2011-05-22 11:01)
■コストさん
ホント、いい所にありますよね。
飛行場としてどの程度活用している(していた)のか、今のところ調べても不明でした。
by とり (2011-05-23 06:31)