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堺大浜(堺)飛行場跡地 [├空港]

   2010年11月訪問 2024/3更新  


無題e.png
撮影年月日1946/06/06(USA M157-A-6 41) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

無題c.png
1/25000「境」昭和4年修正・昭和22.8.30発行「今昔マップ on the web」より作成

大阪府‎堺市。前記事の木津川飛行場の南約6kmにある出島西町。

阪神高速4号線沿いの小さな漁港で、魚市場が併設されています。

お邪魔したのはちょうど週末で、大勢の家族連れが新鮮な魚介類を求めて賑わっていました。

大正時代、ここに国内初の航空輸送会社、「日本航空輸送研究所」が発足しました。

後述しますが、「日本民間航空史話」に当研究所が出ていて、

「境市大浜の日本航空輸送研究所の全景」として、ヒコーキで海側から撮った写真が掲載されてました。

すぐ上に貼った今昔マップみたいな画角の写真で、三つ並んだ格納庫のうち、特に赤矢印の格納庫前に駐機場があり、

海に向かって真っすぐの誘導路が設けられ、海岸には水上機が一機係留されてました。


大正11年という民間飛行場など無い時代、

徳島出身の井上長一氏が当地大浜海岸に初の民間水上飛行場「堺大浜飛行場」

を開設し、飛行艇による航空輸送事業を開始したのでした。

(自社パンフには「堺飛行場」と記載されてました)

7年後の昭和4年、航空輸送の拠点は木津川に移るのですが、

当地は「堺水上飛行学校」となり、昭和17年に廃校となるまで操縦士と整備士の養成を行いました。

 

■国立国会図書館デジタルコレクション「報知年鑑 大正15年」に、

「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」のページがあります(下記リンク参照)。

ここに当飛行場についての情報がありました。

管理人 井上長一
種類 水上
位置 大阪府堺市大濱南新公園地先水面
面積 250,000坪

同「報知年鑑.大正16年」に、本邦民間飛行場調〔大正15.8〕がありました(下記リンク参照)。

使用者 井上長一
種類 水上
位置 大阪府堺市大濱
面積 東西5,000米 南北200米の海面

報知年鑑大正16年版には面積の項目で、「東西5,000米 南北200米の海面」とありますね。

先頭のグーグルマップはこの通りの長さで作図しました。

資料には具体的な位置が示されていないのですが、

格納庫前にこの離着水エリアがあったとすると、こんな感じと思います。

報知年鑑大正15年版の面積の項目には、「250,000坪」とあります。

250,000坪≒82.6ha であるのに対し、

5,000mx200m≒100ha なので、大体似ている数字なのではないかと(弱)。

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行
の中で、「本邦定期航空現況(昭和十三年十二月現在)」として以下記されていました(7コマ) 

経営者 日本航空輸送研究所
会社創立 大正十一年六月
資本金 三〇〇,〇〇〇円
所長 井上長一
航空線路 大阪-別府
区間 大阪-高松間 毎日一往復
   高松-松山間 毎日一往復
   松山-別府間 毎日一往復
線路開設年月 大正十ニ年七月

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行

の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」非公共用飛行場 として以下記されていました(9コマ) 

名 称  堺大浜飛行場
経営者  日本航空輸送研究所
所在地  堺市大濱南町南新公園第八十八號地海岸
水陸の別 水
滑走区域 所在地先水面一〇〇平方粁
備 考  (記載無し)

■徳島市史 第3巻 (産業経済編・交通通信編)751p

1 堺徳島間の民間航空路開設
 板野郡一条村出身の民間飛行家井上長一は、航空思想の普及・航空界の進歩発展を促進するとともに民間航空事業を営むため、大正十一年大阪府堺市大浜海岸に日本航空輸送研究所を創立、航空輸送の業務・民間飛行士の養成・空中写真の撮影・空中宣伝などの航空業務を開始した。
 航空輸送業務については、とくに郷里徳島への航空路開設に力をそそぎ、しだいに四国九州などにも延長していた。堺・徳島間の輸送計画はつぎのようなものであった。
 一 毎日午前九時に堺市大浜海岸を出発、和歌山県和歌ノ浦海岸・徳島
   市津田川口を経由して勝浦郡小松島町小松島海岸に着水する
 二 拡張予定航空路は、堺大浜海岸を出発し、神戸・明石・高松を経由
   して徳島に着水する
 三 輸送業務の開始は大正十一年十一月十五日とする。毎日一往復し、
   所要時間は、堺大浜海岸・和歌ノ浦海岸間五二㌖を三三分、和歌ノ
   浦海岸・徳島市津田川口間五七㌖を三七分、徳島市津田川口・小松
   島海岸間一四㌖を一〇分で飛行する
 四 使用飛行機は、伊藤式水上飛行艇・横廠式水上複葉機・ソツピース
   式水上複葉機・モーリスファルマン式水上複葉機などとする
 五 飛行機の操縦は、一等飛行士西村英雄・二等飛行士久保田亀之助・
   二等飛行士井口実・三等飛行士張徳昌・長尾三等飛行士があたる
 六 輸送の運賃は、堺大浜海岸・和歌ノ浦海岸間を乗客一人二〇円・貨
   物一封度(ポンド・約四五三・五九グラム)一〇銭、和歌ノ浦海岸・徳
   島市津田川口・小松島海岸間を乗客一人二〇円・貨物一封度一
   〇銭、徳島市津田川口・小松島海岸間を乗客一人一〇円・貨物
   一封度五銭とする
 七 設備は、各着水場に格納庫を各一棟、各格納庫に揮発油・各種
   の油その他応急修理設備を置く
 大正十一年十一月十五日、堺大浜海岸において堺・和歌山・徳島間の定期航空路の開航式が盛大に挙行された。式後西村一等飛行士の操縦する横廠式水上複葉機が、第一便として徳島に向けて飛立った。津田川口の風波が高いときは新町川の三ツ頭付近に着水することもあった。
 定期航空路開設後一年間の輸送状況は、飛行回数六七回、飛行時間一九二時間五〇分、飛行距離二万三一四〇㌖、輸送貨物四トンであった。毎日一往復の運航にしては飛行回数が極めて少ないが、水上飛行機のために風波の強いとき機体が動揺して着水することができず、欠航したからであろう。定期航空路は上図の堺・東京間、堺・高松・松山・別府間、堺・徳島・高知・松山間、堺・白浜間、堺・福岡・朝鮮・満州(中国東北地区)などがつぎつぎに開設されていった。

■「日本民間航史話」59p-に、「日本最初の航空輸送開拓の思い出」と題して、
井上長一 元日本航空輸送研究所所長自らがその半生を綴っています。

 大正十一年六月四日、その朝、日本航空史上に初めて「航空輸送」の文字が
印されたのである。慌しい開場式についで、苦心と労苦の多かった開拓時代が
始まった。
 私が大正四年、千葉県稲毛海岸の伊藤飛行機練習所に入所して、海の干潟で
覚束ない練習を始めて、虎の子の練習機を大破させたとき、若い私の胸に浮か
んだ飛行機実用化の考えは、同僚の人々からさえ井上の見果てぬ夢だと笑われ
たものである。全くそのとおり、刻苦惨胆たる奮闘と、血のにじむような自制
のもとに技を練っていたそのころの飛行家にとっては、ただ飛ぶことよりほか
に、一つの目標もなかった時代で、五分、十分の興行的飛行に過ぎなかった。
まだ一つの民間用飛行場なく、保護政策もなく、いや航空局さえまだ生まれて
いなかった。従って若く無一物の私が、先進国の欧米でさえ試験的に行われ始
めた航空輸送という大きい事業を、どうしてなし得ようと思われたのも当然で
あった。
 東京市京橋明石町のシーメンス・シュッケルト電気株式会社で働いて貯めた
金もやがて残り少なくなったので、ひとまず青雲の志しはお預けにして金を作
って再出発を決心し、大正七年大阪に居を移して自動車業に携わった。これ
も、自分の力を蓄積するためであった。大阪島の内の花街、宗右衛門町に開店
したハイヤー店は、幸いに有卦に入ったものだった。とはいうものの、しがな
しハイヤー店の主人兼ショフアーが設けたところで、株屋や成金が一晩に使い
すてるくらいの額のものであったが、とにかく一台の飛行機を買えるくらいに
は成った。それよりもこの時代の私の収穫は、人一倍働いて、誠意をもって仕
事に精を出したことを買ってくれた多くの有識者の知己を得たことである。

 いよいよ一日として忘れ得ぬ大望の定期航空輸送事業開始である。しかし何
しろ一つの飛行場とてない時代だから、種々考えた末、飛行場のいらない水上
飛行機をもって始めることに決心し、まず土地を堺市大浜の砂浜に卜し、ささ
やかな漁村を背景に、とにかく二百坪の格納庫と一棟の修理整備工場と宿舎な
どを設け、飛行艇を伊藤飛行機製作所に発注した。伊藤飛行機では、稲垣知足
技師に命じて、日本最初の飛行艇百五十馬力付を完成した。代金一万円也。こ
れによって大正十一年六月四日開場式を挙げ、やがて大阪市の上空に初めて飛
ぶ飛行艇と下駄ばきの水上機の奇異な姿に都人士を驚かせたのである。
 次に来るべきものは航空路である。まず選んだ地点は、空から行けば一時間
ですむが、汽船では半日を費やすような所を求め、航空輸送の迅速性を発揮さ
せねばならぬ。それには海の向うの四国徳島市、または高松市へ航空路を開拓
して、汽船と競争するにしかずと考えた。今ならひとまたぎの空路ではあるが
その頃の水上機は七、八十㌔のスピードで、あえぎあえぎの苦心努力で飛ば
ねばならなかった。
 当時はまだ東京三宅坂の陸軍省の一部に航空局が置かれていて、長官には星
野庄三郎中尉、第一課長に児玉常雄大尉、第二課長に福与海軍大佐、検査官に
海軍の多田永昌少佐と小路虎三郎大尉、永淵三郎大尉、佐々木利吉郎技師その
他であったが、私が日本最初の定期航空路を水上機によって開拓するというこ
とと、開拓資金を自動車のハイヤー店を売却した金でということに、航空局特
に海軍の人々が同情してくれ、海軍から一三式ベンツ発動機付水上機十台を払
下げられたので、これによっていよいよ定期航空路を開始することとし、同年
十一月三日、徳島-高松週三往復の開始を発表とともに実施したのであった。
そしてその年の十二月二十二日航空局から奨励金八千円也を下付された。
 かくて大正十二年、一ヵ年の試験的運行も順調だったので、郵便物も空輸す
ることになり、飛行機の胴体に〒のマークを入れ、本格的な旅客貨物郵便の輸
送に入った。そして大正十三年には高松から今治に、十四年には松山に、十五
年には大分に、昭和二年には別府にそれぞれ延長して、瀬戸内海四百五十㌔の
運行を行い、さらに昭和三年には大阪-白浜線を開始した。そして大阪-別府
線定期航空路に対し、航空局から、一ヵ年九万円也の補助奨励金を下付され
た。

解散の日まで
 瀬戸内海定期航空開始以来二十年目にして、昭和十二年七月七日、日本航空
輸送研究所は解散の運命となった。興亜聖戦の目的に向って一切の私心を滅
し、一切の行掛りを捨てて国家の示す強い国策に合致せねばならない時代が来
たのである。今までのような萎微不振の民間航空の存在はもはや許されず、強
力なる航空輸送国策を樹立せねばならぬ時代になったからである。そのため政
府は、大日本航空株式会社法案を発布し、勅令をもって一切の航空路は新国策
会社に合併統合すべきことを命じた。
 合併はすなわち二十年の栄光ある日本最初の定期航空路開拓者であるわが研
究所を無に帰することであり、愛児を葬る日の如き措別の情がひしひしと私の
胸底を往来し、畢生の事業の終末に対して限りない悲哀をおぼえたことはいう
までもない。
 しかしこれは一片の私情にすぎない、狭い眼底に映じた昨日の感傷である。
航空日本を築くための先達たるの自覚をもって、私は毅然と立ち上ったのであ
るが、その目標はただ一つであった。列強にも劣らない航空輸送を完成するた
めにこそ、名利を捨て多くの犠牲を払い、幾多の辛酸をなめ、パイオニアの道
を突破して来たのではなかったか。同志二十余名の血と肉をもって、同志の緊
密な協和によって築き上げた内海の空中ルートは、この統制航空事業に発展し
て初めて所期の目的と合致するのではないか。

 さればここに日本航空輸送研究所が、二十年の歴史を雄々しき空の子たちと
ともに彩ってきた最後のページを閉じるとも、日本の航空輸送発展のために捧
げた生涯の希望はますます烈火と燃え上るのだ。堺市大浜二十年の定期航空は、
日本航空史の一章に不滅の輝きを放つであろう。こうして日本航空輸送研究所
は、輝かしい栄光に包まれつつ、大日本航空株式会社に併合され、発展的解消
を遂げたのである。

定期航空成績表
 大正十一年から、昭和十四年
に至る二十年間において、日本航空輸送研究所が挙げた定期航空の実績は次の
とおりである。
 飛行距離 二、四八八、四四七㌔㍍
 旅  客 二四、六九六人
 郵便物  三九、七六四㌧
 貨  物 九七、〇八一㌧
 使用飛行機 二十二機
 従業員総数 九十七名

 堺水上飛行学校
 なおこの間に、定期航空部門を大阪市木津川尻の大阪飛行場に移すととも
に、堺市大浜に「堺水上飛上学校」(ママ)を開設し、操縦士および整備士の養成を行
なった。その内容と実績は下記のとおりであった。
(中略)
昭和八年三月二十四日出願
昭和八年七月二十二日 大阪府令認可
 直ちに堺市大浜に二階建講堂および事務所建設、延百四十坪、昭和九年学
 校組織完成
昭和十年四月一日 開校、操縦科と整備科に分ち、十三名の学生を厳選、航
空機乗員の養成と整備士の養成に当る。
(中略)
昭和十七年 大東亜戦争のた
め廃校となる。
(中略)



日本航空輸送研究所路線図。

現在分かっている範囲で作りました。

おおよそこんな感じと思います。

D20_0170.jpg


岸に沿って歩いて行くと、ぐるっと対岸側に回り込めるようになっていて、

ヨットハーバーの先のこんな場所で行き止まりになります。 

ここに船待神社があり、海に面した北端のところには…

D20_0162.jpg

こんな碑が(赤マーカー地点)。

「航空輸送発祥記念碑」。

ご覧の通り碑の三方に低い囲みがあり、正面から見ると碑の左右に黒四角の石板がはめ込まれています。

向かって左側の石板には、

「大正十一年六月四日この地に日本航空輸送研究所を設け日本最初の定期航空を開始し二十有余年航空路開拓の貴き犠牲となられた翼友の芳名を刻み冥福と加護を祈る  昭和三十四年六月再建 勲六等井上長一」

と彫られていました。そして右側の石板には20人の名前が。


      大阪府・堺大浜飛行場跡地     
飛行場、研究所の開設者 井上長一氏は民間航空一筋50年の名物男で、「民間航空の鬼」、「征空野武士」と言われたのだそうです

堺大浜飛行場 データ
設置管理者:日本航空輸送研究所
使用者:井上長一
種 別:非公共用、民間水上飛行場
所在地:大阪府堺市大濱(現・堺区‎大浜西町‎)
座 標:N34°34′32″E135°27′19″
離着水エリア:所在地先水面100㎢、東西5,000mx南北200m
(座標はグーグルアースから)

沿革
1922年06月 4日 日本航空輸送研究所開場式
     11月 3日、徳島-高松週三往復開始と発表。12日、国内初の定期航空開航式
     11月 15日 国内初の定期航空輸送(堺大浜-徳島/貨物輸送)開始
1923年    郵便物輸送開始
1924年    大正十三年には高松から今治に路線延長
    03月 13日 暴風雨により甚大な損害。事務所1棟を残して諸施設と飛行機14機その他装備品を一挙に失った
1925年    松山に路線延長
1926年    大分に路線延長
1927年    別府に路線延長
1928年    大阪-白浜線開始
     06月 1日 国内初の旅客輸送(堺-高松-今治-大分間)開始
1929年03月 30日 定期航空の拠点としての運用を廃止(木津川尻に移転)。
1933年03月 24日 堺水上飛行学校出願
     07月 22日 認可
1934年     学校組織完成
1935年04月 1日 開校
1939年    日本航空輸送研究所は国策の大日本航空株式会社に吸収され閉鎖
1942年    廃校

関連サイト:
堺大浜飛行場(日本航空輸送研究所)    
堺意外史   
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正15年(183コマ) 
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正16年(225コマ) 
Wiki/日本航空輸送研究所   

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
「日本民間航史話」


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コメント 10

an-kazu

施設自体に、軍の接収があったのでしょうかね?
by an-kazu (2011-01-30 10:00) 

sak

この辺りとかもう少し南へ行った工業地帯とか
夜景見に行ったりしたけど
国内初の定期航空輸送がはじまった場所だったなんて
全然知らなかったです( ..)φメモメモ
by sak (2011-01-30 17:26) 

雅

第二次大戦前から航空輸送をやってたんですか。
全く知りませんでした。
by (2011-01-30 20:47) 

tooshiba

先人は良いところに空港を作ったのに、地図をたどっていったら、関西空港が遠いことと言ったら・・・。(;_;)
by tooshiba (2011-01-30 22:00) 

me-co

昔は、「ナントカの鬼」ってー人がどの世界にもいたものです。
ちょーさん、打ち込んできたことの証を遺したかったんですね。
by me-co (2011-01-31 01:43) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■an-kazuさん
すみません、施設の接収があったかどうかについては確認できませんでした。

■sakさん
この周辺は夜景もよさそうですね^^

■雅さん
民間でこんなことしているなんて、ビックリですよね~。

■tooshibaさん
>先人は良いところに
まったくですね。
伊丹の騒音問題で大騒動して作った空港ですから海上はいいとして、
もう少し湾の奥に作れなかったんでしょうかね。

■me-coさん
>「ナントカの鬼」
今もマネーの虎ならいますが。。。
私欲のために動いている人ばっかりな気がします。
by とり (2011-01-31 07:44) 

コスト

>堺-高松-今治-大分間
これ、まんま西に飛ぶだけルートなんじゃないですかw^^
by コスト (2011-01-31 21:20) 

とり

■コストさん
Σ(゚Д゚;)ほ、本当だ!
by とり (2011-02-01 21:29) 

マー坊

 本によると     「堺飛行学校」のほうに重心

  髙松の大的場海水浴所に小さい格納庫が長いこと残っていました。



by マー坊 (2013-11-25 10:17) 

とり

■マー坊さん
返事が遅くなって申し訳ありません。
情報ありがとうございました。
by とり (2014-02-20 20:37) 

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