SSブログ

狭山(坂田)飛行場跡地 [├空港]

   2010年4月訪問 2023/1更新  

無題f.png
撮影年月日1936/06/11(昭11)(A'1 C2 61)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)  

埼玉県入間市狭山台にあった「陸軍狭山飛行場」。

航空関係の教育が海軍よりも弱いのを懸念した陸軍が、所沢飛行学校の分教場として開校したものです。

現在は狭山台工業団地、宅地、大学などに姿を変えています。

そのスジの方は全国どこにお住まいであろうと「入間」という地名だけでたちどころに位置見当がつくハズ。

また、そのスジの方以外でも関東在住の方でしたら、

「三井アウトレットパークとコストコのすぐ隣」(16号向かい側)

と言えば、「あ~!(ポンと膝をたたく)」となる方はグッと増えるハズ。

■防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」

に地図があり、先頭のグーグルマップはこの地図から作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」

の中でも「狭山陸軍飛行場 埼玉県入間郡東金子村、同郡狭山村」として、全く同じ記載がありました。

面積 北北西-南南東1,380米 西南西-東北東1,670米
地面の状況 平坦且堅硬にして芝及雑草疎に発生す 排水良好なるも降雨直後は地表稍軟弱と為る 冬季霜解の際は泥濘と為る
目標 山口、村山両貯水池、入間川
障碍物 北方に高さ15米の高圧電線あり
離着陸特殊操縦法 各方向共着陸可能
格納設備 格納庫(50x50米)2棟、其の他3棟
照明設備 障碍物標示燈あり
通信設備 (記載なし)
観測設備 陸軍気象観測所あり、航空気象を観測す
給油設備 燃料補給可能
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり
地方風 全年を通じ冬季は概ね北風(秩父颪)多く、夏季は概ね南風なり
地方特殊の気象 (記載なし)
交通関係 豊岡町より「バス」の便あり
其の他 本場は陸軍航空士官学校分教場なり
(昭和18年4月調)

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

飛行場名  狭山
位 置   埼玉県入間郡元狭山村
規 模   要図(東西1700 南北1400)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 三〇〇名分
 格納施設 掩体大三〇ヶ所
摘 要   施設軍有

 

飛行場敷地南側に「ALIT」という入間市の博物館(青マーカー)があり、飛行場の資料が少々展示されています。

施設の方からお話を伺うことができました。

1934年に開校した時には滑走路が1本だった

その後戦局の悪化から、1937年までに拡張して滑走路が2本になった

どちらも南北方向に伸びる転圧式

当飛行場では主に複葉の赤とんぼを使用して操縦の基礎、偵察等の訓練を行い、

その後他の基地で更に爆撃、戦闘のための訓練を行った

等教えていただきました。


D20_0041.jpg

D20_0043.jpg

飛行場の現在の様子。このあたりはすっかり工業団地です。

D20_0010.jpg

今回いろいろお世話になった"入間市博物館ALIT"。

現在道路工事中ですが、この道路は飛行場南面の「旧狭山飛行場外周道路」。

画面右側が飛行場です。


        埼玉県・狭山飛行場跡地          
終戦時、降伏に反対した厚木基地から狭山基地に零戦が飛来する一幕がありました

狭山飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:埼玉県入間郡元狭山村(現・入間市狭山台)
座 標:N35°48′27″E139°21′47″
標 高:140m
面 積:198.4ha(北北西-南南東1,380m 西南西-東北東1,670m)
滑走路:1,400m? 南北方向に2本 
方 位:16/34*
*「南北方向に2本の滑走路」ということで、正確に南北ならば方位は 18/36 なのですが、当時の陸軍飛行場でよく見られた、敷地の形に合わせた造り方だと仮定すると、南北から少し傾いて 16/34 になります。滑走路長については博物館にも詳しい資料がないため、「敷地の南北方向の長さは1,400mである」という程度のものです。
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1933年07月 19日 近衛師団経理部来村。20日 地主との買収交渉
    10月 19日 近衛師団経理部から村長宛に飛行場敷地買収決定通知
1934年11月 29日 所沢飛行学校の分教場として開校。開場式
1937年   日中戦争時に西、北側が拡張され、周囲に五軒幅の道路敷設。総面積は198.4haに
1938年   近隣に陸軍航空士官学校「修武台」開校。当飛行場は同校の分教場となり多くの士官を養成する
       戦争末期には掩体壕建設
       終戦後は米海兵隊が駐留

この記事の資料:
入間市博物館ALIT
入間市通史編
入間市近代資料編
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


コメント(15)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 15

sak

飛行場がなくなっても
そこに過去の資料とか残されている場所があるっていいですね
by sak (2010-07-05 09:44) 

Takashi

ここに飛行場があったなんて知りませんでした。
今では全く面影が無いですよね。
by Takashi (2010-07-05 12:29) 

iruma_w

南北の大きな通りが、昔の滑走路。
と聞いた事があります。
(ホントかどうかは判りません)

by iruma_w (2010-07-05 15:52) 

masa

博物館の中からも色んな情報が仕入れられそうですね!
by masa (2010-07-05 20:34) 

takechan

埼玉にもけっこう、飛行場があったんですね。
東京から近いし、埼玉に造るメリットは少ないように思いますが。。。
by takechan (2010-07-05 21:27) 

an-kazu

工業団地とか道路が直線なところを見つけたら、
その場所の過去を調べると・・・結構飛行場跡
なのかもしれませんね!
by an-kazu (2010-07-05 23:08) 

まめ助の母

あ、やっぱそこ飛行場跡だったんだ…
この前まっすぐだから滑走路だったのかな?
っていってた道ですよ(^_^)
しょっちゅう仕事で通っています
今日は通らなかった…

アウトレットは数回しか行ったこと無いです
平日ならすいていますよ〜
by まめ助の母 (2010-07-06 00:01) 

tooshiba

入間市なのに狭山台。。。変なのー。
と感じるのは、その辺の地名に“抗体”があるからです。
ああ、ワクチンのお注射は要りませんよ。

アウトレットの前身は、HOYAの工場でした。
斜め向かい?にはドイト入間店がありました。←圏央道がらみで旧マルエツ小谷田店跡地に移転し、その後撤退しパチンコ屋になってましたが・・・ドイトという会社自体も、今をときめくドキュソホーテに買収されてあえなく消滅。

若い人は知らないんだろうなー。(-_-)
by tooshiba (2010-07-06 01:32) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■sakさん
そうですね。こういうものが少しでも残っているのと残っていないのとでは全然違いますね。

■Takashiさん
無くなっちゃいましたね~。
この周辺だと、どうしても入間か所沢に目が向きますからね。

■iruma_wさん
滑走路が道路になるのはよくありますから可能性ありますよね。

■masaさん
ここの博物館は茶所だけあって、お茶の資料がすごく充実してました。

■takechanさん
確かにたくさんあったんですよね~。

■an-kazuさん
そういうパターン、多いと思います。

■まめ助の母さん
ここはまめ助の母さんのフィールドですね。
平日にお邪魔したんですが、たしかにすいてましたね。
休日とかはしょっちゅう道路情報に出てますね。

■tooshibaさん
>変なのー。
オイラも違和感あります。狭山は狭山ですよね。
流石元地元ですね。
若い人が知らない歴史をありがとうございました。
by とり (2010-07-06 06:03) 

コスト

三井アウトレットパークにはピンこなかったんですが、
「コストコ」はしばしば、検索で「コストコブログ」でうちに間違って来る人が多いので
ピンと来ました^^;
入間市にも出来てたんですね。
>入間市博物館ALIT
ALIT(アリット)はどこか新しい名前ですね。資料よくありましたね^^
HPもあるんですね。
http://www.alit.city.iruma.saitama.jp/
by コスト (2010-07-06 09:29) 

北宇のピューマ

私も「入間」と聞くとピン!ときてしまうクチです(何度かお邪魔もしてますしね…)。
入間基地のこんな近くにもう一つ飛行場があったとは知りませんでした。狭山飛行場が現用だった頃は二つの飛行場は三沢と八戸のような関係だったのでしょうか?何にせよ近すぎですね ^_^;
by 北宇のピューマ (2010-07-06 17:45) 

とり

■コストさん
>「コストコブログ」
あ~、それはあってもおかしくないですね^^
アリット、オイラもなんてオシャレ。と思いました。
リンクありがとうございました。

■北宇のピューマさん
>ピン!
でしょうね~(o ̄∇ ̄o)ニヤ
オイラも狭山のことをちゃんと知ったのは最近のことなんですよ。地元なのに。
入間と狭山、本当に近いですよね。間違って降りちゃったりしなかったでしょうか。
狭山は「所沢飛行学校の分教場」。入間は「航空士官学校」。
入間の方が偉い人を養成する所って感じでしょうか???
>三沢と八戸
全然わかりませんm(_ _)m
そういえばこっちも近いですね。
by とり (2010-07-07 05:30) 

鹿児島のこういち

地域の名称は廃藩置県の頃から続く地名変更やら地区割りの変更やら、違う地区に同じ字名があっても同じ地区に合併になって名前が変わったりと、地名はいろんな変遷があるから、狭山は同名の字名かもしれないですよねぇ(^O^)(ホントの変遷は知らないですけどf^_^;)

by 鹿児島のこういち (2010-07-07 06:22) 

まめ助の母

余談ですが〜
狭山にも入間野とか入間川って地番があるの
そして両方の市に狭山台、根岸、など同じ名前の地番があります
狭山の方が先に市になったけど本当は入間の方で「狭山」を
名乗りたかったそうです(狭山茶も入間市の方が盛んだし)

色々考えると合併できなかった理由が判る気もしますね
by まめ助の母 (2010-07-07 21:41) 

とり

■鹿児島のこういちさん
なるほど!
解説ありがとうございます。
どんな変遷があったんでしょうか。。。

■まめ助の母さん
そんなに同じ地名がたくさんあるんですか(@_@)
>狭山茶
そんないきさつもあったんですね~。
オイラの地元でも、坂戸と鶴ヶ島でいろいろあるらしいです。
お隣同士なんですが難しいですね。
by とり (2010-07-08 05:23) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0