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篠崎飛行場(江戸川飛行場)跡地 [├空港]

    2010年4月訪問 2023/1更新  


無題3.png
撮影年月日1946/02/13(USA M44-A-5VV 334) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

東京都江戸川区に陸軍が計画した「篠崎飛行場」。

江戸川右岸、旧江戸川と分岐する辺りに位置しています。

都道307号線(柴又街道)沿いに位置し、現在は篠崎公園の他、宅地が広がっています。

先頭のグーグルマップは、米陸軍の地図1945-1946(下記リンク参照)から作図しました。

Wikli/篠崎公園 の中で、

「当公園の起源は1940年に紀元2600年事業のひとつとして計画された篠崎緑地である。1942年までに154haが買収されたが、太平洋戦争により整備が中断。戦時中は高射砲陣地などか置かれ、飛行場も建設された。」

とありました。

D20_0021.jpg

D20_0018.jpg

園内の様子。少し桜が残ってました。


     東京都・篠崎飛行場(江戸川飛行場)跡地      

資料により、「用地買収完了、工事未完のまま終戦」と書かれているものと、「完成後、すぐ終戦」となっているものがあります。終戦翌年からの写真を確認できるのですが(下記リンク参照)、人口密集地で復興も早く(これ自体は喜ばしいことです)、滑走路の正確な位置関係はオイラには判別できませんでした

篠崎飛行場(江戸川飛行場) データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:東京都江戸川区篠崎町
座  標:N35°42′56″E139°53′48″
滑走路:1,800m×400m?
方 位:16/34
(座標、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
U.S. Army Map Service, 1945-1946/Sheet 9 - Honjo     
(地図の右下に"EDOGAWA AIPORT"が)


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コメント 14

鹿児島のこういち

篠崎飛行場跡地、資料の少ない終戦末の陸軍の飛行場。
鹿児島の万世飛行場に似てますね!
加世田の住民の話しはあっても資料の乏しい万世飛行場は去年8月に米軍による航空写真が一般に公開されて、自分も場所を確認できましたf^_^;
高度6000で偵察できたんですね~(>_<)
by 鹿児島のこういち (2010-06-12 06:43) 

sak

日本各地、ほんとにたくさんの飛行場があったり
作られようとしていたのですね
今週、とりさん北海道でしたね
お天気が良くて気持ちいい景色の中楽しめたでしょうね(^^
by sak (2010-06-12 09:00) 

miffy

こんな所にも飛行場があったんですね。
東京だけでいったいどれだけの数があったんでしょう?
by miffy (2010-06-12 21:50) 

tooshiba

お出かけ中なんですか?
どっさり戦果を挙げて、無事にお帰りくださいませ、ご主人様☆
by tooshiba (2010-06-13 00:01) 

masa

ここの飛行場は全く面影がないですね。
今は静かな公園と宅地なんですね。
それにしても東京は飛行場がすごく多いと思いました。
by masa (2010-06-13 05:33) 

me-co

@@!親類が住んでいる近くだっ!
へぇ~飛行場があったなんて、びっくりです。
そういえば、「何か変わったところだなぁ?」って思ったんですよ^^;
by me-co (2010-06-14 01:04) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
>万世飛行場
ここも行きたいと思っている場所の一つです。
確かに似てますね。
>高度6000
すごいですね~。

■sakさん
本当にビックリするほどたくさんありますね。
>北海道
おかげ様でお天気に恵まれました^^

■miffyさん
ホント、こんな下町にもあったんですね~。(@Д@)
>東京
オイラが把握してるのは10なんですが、きっともっとあるんでしょうね~。

■tooshibaさん
うむ、今戻ったゾ!
すいません。調子に乗りました。m(_ _)m
アイコンが変わりましたね☆

■masaさん
仰る通りで面影ないですね~。
ホント、東京は多いですね。

■me-coさん
おお、御親戚がいらっしゃいますか^^
>変
何かを感じ取りましたか(@Д@)
by とり (2010-06-14 20:25) 

コスト

完成後すぐ終戦でよく資料ありましたねー。
戦争末期の1945年になって着工に入った飛行場もあるんですね。
今じゃ完全に住宅地ですよね^^
by コスト (2010-06-28 22:49) 

とり

■コストさん
>1945年になって
そうなんですよ。
ビックリしてしまいますが、着工しようとしたら終戦。というものも含めると、これが結構あるみたいです。
by とり (2010-06-29 18:39) 

アギラ

今晩は、来週暇になったら見て下さい。
「習志野市史」第4巻資料編(ⅲ)を見ていたら「千葉毎日新聞」の
昭和10年2月27日に
「伊藤飛行機、江戸川河原移転を申請 伊藤飛行場 江戸川河原へ移転 津田沼では不便だと」
千葉県津田沼町鷺沼所在の伊藤音次郎氏経営の日本軽飛行倶楽部は、
同所は干潮時に干潟を利用して飛行練習をなすもので不便が多いので
今回伊藤氏は移転を決意しその候補地を選定中であったが、東京市江
戸川区篠崎村地先江戸川河原に五万七千坪の土地を買収し、同所に飛
行場を移転することになり、廿六日県保安課へ移転の認可を申請した。
という記事の資料が載っていましたがここのことでしょうか?
by アギラ (2014-07-30 00:18) 

とり

■アギラさん
ご配慮に感謝してお言葉に甘えさせて頂きますm(_ _)m
by とり (2014-07-30 05:33) 

とり

■アギラさん
お待たせしてしまって申し訳ありません。
結論から申しますと、篠崎飛行場≠伊藤飛行場 と思います。

篠崎飛行場のあった場所周辺の写真です。
1936年撮影↓
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=694019&isDetail=true
1946年撮影↓
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=261544&isDetail=true

二つを見比べて頂くと、1936年の写真ではパッチワークのように畑が広がっている場所が
1946年の写真では大規模に潰されて飛行場にされた様子が分かります。
これは一民間飛行學校には真似の出来ない所業ではないかと思います。
また、千葉毎日新聞で「伊藤飛行場 江戸川河原へ移転」とある通り、
当時すぐ横を流れる江戸川の河原は写真で見る限り、
飛行場におあつらえ向きのように見えます。
民間飛行場の移転先として選ぶとしたら、大勢の地主との補償交渉が必要な畑地ではなく、
新聞にある通り河原ではないかと思います。

「日本民間航空史話」という本も確認してみました。
この中では伊藤氏自身が、飛行学校について等寄稿しているのですが、
江戸川についての記述はありませんでした。
ネットで検索してみても、伊藤氏と篠崎の河川敷を結びつけるものは出てきません。

先の1941年7月の伊藤飛行機株式會社の広告の件も考え合わせると、
江戸川の河原に移転しようとしたけれど、何らかの事情で実現せず、
そのまま津田沼で飛行学校を運用したのではないかと思うのですが、如何でしょうか。
by とり (2014-08-03 15:31) 

アギラ

たいへんお手数をおかけしました.
おっしゃる通りのようです.m(_ _)m
by アギラ (2014-08-03 17:54) 

とり

■アギラさん
江戸川の河原を伊藤飛行機が多少なりとも使用したかどうかについては
直接的な資料が見つかりませんでしたので、
もしかしたら使用したかもしれません。
いずれにせよこうして移転を模索していたことは知りませんでした。
どうもありがとうございました。
by とり (2014-08-04 05:41) 

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