第二鈴鹿海軍航空基地跡地 [├空港]
2010年11月訪問 2020/8更新
撮影年月日1948/11/22(USA M1227 32)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
「第一」の続きです。
使い回しの地図で恐縮ですが、今回は上の方の「第二」の話です。
第一飛行場の北側に作られた「第二鈴鹿海軍航空基地」。
現在は富士電機の敷地になっています。
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:第二鈴鹿 建設年:1942 飛行場長x幅 米:1500x800ノ内1500x60アスファルト 主要機隊数:小型1.0 中型2.0 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居2.500平米 指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、w兵4.360平米 倉庫、工業場 掩体:大型無蓋10 中型無蓋32
また、防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-83 航空基地図 綴(本土関係)の中では、
基地名 第二鈴鹿(陸)
所在地 三重県鈴鹿市
最寄駅 関西急行電鉄白子駅
飛行場 滑走路60x1,500
主要機種 中、小型
収容力 人員 終戦時 隧道二,五〇〇平米
飛行機 終戦時 掩体 大一〇 中三二
其の他の主要施設 爆撃場、隧道等
とありました。
青マーカー地点
この道路に沿って左側に滑走路が伸びていたはずです。
三重県・第二鈴鹿海軍航空基地跡
第二鈴鹿海軍航空基地 データ設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:三重県鈴鹿市南玉垣町
座 標:N34°51′40″E136°34′44″
飛行場:1,500mx800m(1,500m×60mアスファルト)
方 位:11/29
(座標、方位はグーグルアースから)
沿革
1942年 建設
この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-83 航空基地図 綴(本土関係)
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
飛行場跡などのこのまっすぐな道
気持ちがよくて好きです!!
by まめ助の母 (2011-05-30 07:08)
鈴鹿は、与作どんが、昔々住んでいた町です(o^―^o)
by 夢空 (2011-05-30 08:55)
第一と第二も含めて、広大な敷地に軍の施設があったんでしょうね。
by Takashi (2011-05-30 21:36)
滑走路が結構離れていて珍しいですねー。
陸攻が使っていたのかも・・
by ジョルノ飛曹長 (2011-05-31 08:39)
この第一第二鈴鹿海軍航空基地には、終戦にはかなりの機体があったそうで、彗星や九十九式艦爆もあったそうです。
載せる空母がなくて、ここにいたのでしょうか?
メッサーシュミットに似た軽量爆撃機彗星は、水冷でエンジン構造が複雑、当時は稼働率が悪かったみたいですが、ここにいたとは(^O^)漫画、ジパングのサイパン戦でも出てきますね(^0^)/
ちなみに、稼働率悪いから、空冷もあったって知ってました?f^_^;
by 鹿児島のこういち (2011-05-31 16:24)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■まめ助の母さん
真っ直ぐな道、いいですよね~。
そこが滑走路跡と聞くとまた違って見えます。
■夢空さん
おお、そうでしたか。
どうもお邪魔しました^^
■Takashiさん
そうですね~。
かなりの規模でした。
■ジョルノ飛曹長さん
ジョルノ飛曹長さんがご覧になってもこれは珍しい部類なんですね。
■鹿児島のこういちさん
>彗星や九十九式
そうだったんですか。知りませんでした。
>空冷
「工場の外に首無し機が並んだ」ってやつですね。何かで読んだことあります。
by とり (2011-06-01 06:40)