立川(東京)飛行場 [├空港]
2010年3月訪問 2023/1更新
撮影年月日1941/04/11(C48 C1 3)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
SkyVector.com
東京都立川市にある陸自の立川駐屯地。
ここはかつて旧陸軍の立川飛行場でした。
「東京の近くに陸軍の航空第5大隊を移駐させる」という目的で大正11年に作られた非常に歴史のある飛行場です。
航空黎明期の東京の飛行場としてもしばしば登場し、民間の飛行學校等も「東京飛行場」として利用しています。
報知新聞社 編『報知年鑑』大正14年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2023-01-20)■
■↑「報知年鑑 大正14年」に「民間飛行機操縦術練習所」として、
名称 日本飛行学校
所在地 東京府立川
代表者 相羽有
とありますね。
報知新聞社 編『報知年鑑』大正15年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照 2023-01-21・上2枚とも)■
■↑「報知年鑑 大正15年」に、「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」
管理人 東西定期航空会 日本飛行学校
種類 陸上
位置 東京府立川町陸軍飛行第5連隊飛行場
面積 450,000坪
隣のページには、「本邦民間飛行機操縦術練習所〔大正14・8・1現在〕」
名称 日本飛行学校
所在地 東京府立川町(飛行場)
代表者 相羽有
とあります。
羽田での航空事業から一旦手を引いた相羽氏、羽田に再登場する前にしっかり立川に居ますね。
報知新聞社 編『報知年鑑』大正16年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2023-01-21)■
■↑「報知年鑑.大正16年」では、本邦民間飛行場調〔大正15.8〕として、
使用者 日本飛行学校、朝日新聞社内東西定期航空会
種類 陸上
位置 東京府北多摩郡立川町
面積 陸軍演習その他に支障なき範囲
とあります。
大正14年には、日本飛行学校と東西定期航空会が使用していたんですね。
その後昭和6年に羽田に飛行場が出来ると、 民間機は羽田へ移動します。
国交省東京航空局の羽田空港の沿革は、
・昭和6年 東京飛行場が立川から移転
という一文で始まっています。
1/25000「府中」昭和5年二部・昭和5.7.30発行「今昔マップ on the web」より作成
昭和5年の立川飛行場。
民間機が羽田に移転する直前ですね。
■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」に当飛行場の地図があり、
先頭のグーグルマップはこの地図から作図しました。
敷地の南東部分(立川駅前の辺り)には「立川陸軍病院」が隣接しており、
航空写真でも境界線が不明瞭なため線が拾えず、あやふやです。
同資料の情報を以下引用させて頂きます。
「立川陸軍飛行場 東京都立川市」
面積 東西1,000米 南北1,700米
地面の状況 概ね平坦にして硬度は普通なり殆んど一面に良好な
る芝密生す、舗装滑走路1條あり
目標 立川市、多摩川、中央線
障碍物 なし
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 大小格納庫多数あり
照明設備 (記載なし)
通信設備 (記載なし)
観測設備 (記載なし)
給油設備 航空用燃料及潤滑油あり
修理設備 完備す
宿泊設備 立川市内に旅館あり
地方風 夏季は南風、冬季は北風多し
地方特殊の気象 (記載なし)
交通関係 立川駅(中央本線)南方500米
其の他 (記載なし)
(昭和18年4月調)
■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
にも当飛行場の情報がありました。
飛行場名 立川
位 置 東京都立川市
規 模 要図(飛行地区東西1100)
舗 装 一〇〇×一三五〇米 基礎砂利厚五糎圧入コンクリート
(調合一、四、■)厚一二糎上層トペカ式 舗装厚四糎
付属施設
収容施設 二,二〇〇名分
格納施設 掩体 有蓋四〇棟
摘 要 施設軍有
■新千歳市史通史編下巻
372p
この間、日本機は飛行制限を受けた。「日本の飛行機は8月24日18時以
降の飛行を禁止する。飛行するものは撃墜する」というものであった。飛
行禁止命令は空襲で陸上交通と通信がマヒしていた日本の終戦事務処理の
連絡手段がなくなるに等しかった。
日本政府は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に対して主要都市間
の連絡飛行を懇請、9月12日付SCAPIN23で東京を中心とした急行便
1、普通便3の4路線が認められた。
9月14日から日本人の自主運行によって1日4便の終戦連絡定期(緑十
字飛行-グリーンクロスフライト)が運航された。北海道方面は普通便の
第3航空路として東京-仙台矢本(現・空自松島)-青森油川-札幌間が、
月・火・木の週3便運航された。東京羽田飛行場が米陸軍に接収されてい
たため千葉県の陸軍松戸飛行場を代替として使い、札幌は北24条の札幌第
二飛行場を使った。緑十字飛行は10月9日をもってGHQから運航が禁止
された。その理由は陸上交通が次第に回復、整備されつつあり航空機を使
用する必要がなくなったということであったが、実情は惨憺たるもので
あった。
緑十字飛行の運航禁止によって終戦連絡事務の人員およひ郵便物と貨物
の移動が停滞した。これを受け10月10日からは代替として米軍による帝国
航空便(インペリアルクーリエ)が運航された(S21・2・6廃止)。週
4便が運航され東京立川飛行場から第一千歳(14日初便のみ北24条・札幌
第二)に飛来した。仙台矢本と青森油川に寄航して所要時間は6時間だった。
終戦直後の帝国航空便で使用した過去があったのですね。
写真:国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省
撮影年度:昭和49年 地区名:八王子 編集・加工:空港探索・とり
戦後、立川陸軍飛行場は戦後米軍に接収されて米空軍極東司令部が置かれ、
朝鮮戦争の際には極東最大の輸送基地となりました。
上の写真は1974年当時の立川飛行場。
米軍の飛行場だった時の様子です。
→の部分、 丸くなってますが、旧陸軍時代はここが滑走路(のターニングパッド)でした。
米軍基地になって右側に滑走路が移動したんですね。
その後、立川基地は1977年11月に全面返還されました。
米軍当時の滑走路は廃止され、再び旧陸軍時代の滑走路を使用することに。
先頭のグーグルマップでも米軍基地時代の滑走路の名残が残っています(青マーカー)。
青マーカー部分、外周道路からフェンス越しに見ることができます。
ブラストパッドの黄色いマーキングがかすかに残ってますね。
現在の滑走路。
基地の西、南側の広大な敷地は、「国営昭和記念公園」として整備されています。
園内から滑走路は見えないものかとウロウロしたのですが、滑走路を見渡せる場所を発見することはできませんでした。
入園動機が不純だったせいでか、入園料が非常に高く感じられました(;´Д⊂)
東京都・立川飛行場
米軍基地時代、滑走路長は約2,000mだったのですが有効に使用できるのは1,500m程度だったため、滑走路を延長しようとしたところ地元の猛反発を受け、裁判にまで発展したことから計画を断念。代りにすぐ北西に位置する現横田基地を拡張したのだそうです
・立川飛行場(陸軍当時) データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:東京都立川市
滑走路:1,350mx100m
方 位:01/19
・立川飛行場(現在) データ
設置管理者:防衛省
4レター:RJTC
所在地:東京都立川市緑町5番地
座 標:N35°42′39″E139°24′10″
標 高:94m
滑走路:1,200m×45m
磁方位:01/19
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1922年 陸軍航空第5大隊が各務原から立川へ移駐。旧陸軍立川飛行場設置
1926年 日本飛行学校、朝日新聞社内東西定期航空会が使用
1928年 日本航空輸送設立(国内初の民間航空会社)。大阪との定期運送開始。陸軍技術研究所、所沢から移駐
1931年 東京飛行場(羽田空港)完成に伴い、民間機は羽田へ
1935年 陸軍航空廠設立
1938年 陸軍航空技術研究所設立
1940年 陸軍航空工廠設立
1945年04月 立川大空襲
1945年09月 米軍 立川に進駐(米空軍極東司令部が置かれる)
10月 10日 帝国空便運航(翌年2月6日まで)
1952年 朝鮮戦争に伴い極東最大の輸送基地となる
1955年05月 東京調達局、立川基地拡張計画を発表
09月 砂川事件(基地拡張反対運動)起こる
1956年
防衛庁長官 測量中止発表
1969年12月 米軍 立川基地の飛行業務を停止。防衛庁、自衛隊機及び民間機の立川飛行場使用を申し入れ
1971年 国有財産関東地方審議会日米共同使用了承
1972年03月 東部方面航空隊、立川基地に派遣隊を派遣
12月 東部方面航空隊本部、立川に移駐
1973年05月 東部方面航空隊、立川への全面移駐完了。立川駐屯地開設
1977年09月 米軍 立川基地司令部閉鎖
11月 米軍 立川基地日本に全面返還
12月 自衛隊の立川基地一時使用承認
1980年11月 立川市議会で新立川駐屯地(現 立川駐屯地)、工事着工決議
1981年01月 新駐屯地、建設工事着工
1982年01月 新設管制塔、運用開始
03月 新設飛行場、運用開始
07月 立川GCA(着陸誘導管制所)運用開始
2013年04月 局地気象レーダー運用開始
この記事の資料:
新千歳市史通史編下巻
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
トリさん「昭和記念公園」高~い入園料、残念でした。
入間、横田、立川、調布と飛行場の密集地帯ですね。
by guchi (2010-06-02 09:32)
昭和記念公園の奥の方に小高い場所がありまして、そこから微かに見えたような見えないような...
記憶が曖昧でスミマセン^^
by Takashi (2010-06-02 12:36)
とりさんって刑事さんよりすごいですね。
ちょっと黄色いのが地面に残っていたら
飛行場だとわかってしまうので。素晴らしいです。
by masa (2010-06-02 17:13)
とりさん こんばんは
フェンス越しといえば、福生の基地のはずれも三脚や脚立を担いだおじさん?がカメラをぶら下げて、道の真ん中のところに集まっておられます。
by yatoho (2010-06-02 20:28)
立川防災航空祭で、どうどうとチェックしましょうぞ(^^)v
(立ち入れるところは限定されるでしょうが(^^);)
by an-kazu (2010-06-02 21:15)
旧陸軍立川飛行場って、有名ですね(^O^)/
しかし、自分、知らない事が多過ぎかも!もっと勉強しなくてはぁf^_^;
by 鹿児島のこういち (2010-06-02 21:40)
高い入場料を払ってまで、ご苦労様でした(笑)
by 雅 (2010-06-02 23:12)
><;キター!立川!
わたくしが1年だけ勤務した街・・・
確か、駅北口の結構近くまで基地だったんですよねん。
@@;なるほど!横田基地とはそういう因果だったのですね!
by me-co (2010-06-03 00:04)
立川駐屯地ってなんかやっているんでしょうか?
訓練?
まあ、うっかり踏み込んだり「高いところからの画像をうp」したら、憲兵相当の自衛官に身柄を確保されかねませんから、「撮影できませんでした。しくしく」とお茶を濁すのが吉かもしれません。
横田も同じく。
近い将来には、もしかしたら、横田の周辺などは警察やMPが四六時中ウロウロするかもしれませんし・・・有事に突入した暁には。
by tooshiba (2010-06-03 00:34)
立川は父が昔よく行ってました。
関係者に頼めば中に入れると思います~
by miffy (2010-06-03 20:05)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■guchiさん
うふふふふ。残念でした~。
ホント、この辺は密集地帯ですね。
■Takashiさん
あ~。やっぱり探し方が足りなかったかな~。
木の間からチラッと見える場所はあったんですけどね~。
■masaさん
いえいえ、他のサイトに出てたのでマネして撮っただけなんですよ~^^
■yatohoさん こんにちは。
福生は飛来が少ないので、そこで狙っておられるということは
そうとう何かのレベルが高い方々です。
>道の真ん中
Σ(゚Д゚;)危なくないんですか?
■an-kazuさん
>立川防災航空祭
そうですね~。
一般人にとってはこれが最大のチャンスですね。
■鹿児島のこういちさん
オイラも記事にするためにいろいろ調べて、知らないことだらけです。
もっと勉強しなくては。
■雅さん
高い入園料払って歩いたのは滑走路に一番近い道だけという・・・(o ̄∇ ̄o)ハハ
■me-coさん
ここで働いておられましたか!
そうそう、駅北側にすぐありますね。
横田との因果はオイラも今回初めて知りました。
ここの滑走路がすんなり延びてたら、現在の立川と横田が逆転してた可能性もあるんでしょうか??
■tooshibaさん
何やってるんでしょうか。訓練なんでしょうか(よく知らない)。
撮影環境が厳しくならないことを願います。
ってそれはテツの世界も同じですね。
■miffyさん
おお、お父様が!
そういうツテがあるといいですね~^^
by とり (2010-06-04 06:32)
米軍の飛行場だった時代に親に連れられて航空ショーのようなものを見に行きました。米軍の輸送機の内部なんかにも入れたんですよ。
by いっぷく (2010-06-04 19:45)
立川に隣接する日野に住んでた子供の頃、立川基地、という言葉をよく
聞いた気がしますが、昭和52年まで存在していたんですね。
自分が中1の時でしたか。
by takechan (2010-06-04 22:18)
■いっぷくさん
米軍時代ですか。
今となっては貴重な体験をされたんですね~。
■takechanさん
日野にお住まいでしたか。
わりと身近だったのですね(@Д@)
by とり (2010-06-05 06:53)
入園料がいるのですね(^^;
by sak (2010-06-05 09:50)
たぶん僕がもっともよく近くを通ったことがある都内の飛行場はここだと思います。
しかし、とりさんが書いてる通り昭和記念公園があまりに広く、
滑走路や基地は外からはほぼ見えないので、
飛行場があるというイメージはまったくもってなかったです。
自衛隊基地になってるのは頭ではわかってるんですが、
昭和記念公園の反対側は街中ですし、中に滑走路があるっていうふうには思えないですね~。
裁判→横田拡張の流れは初めて知りました。
by コスト (2010-06-07 20:37)
■sakさん
そうなんです^^;
■コストさん
>飛行場があるというイメージ
あ~、その感覚分かります。
by とり (2010-06-07 21:26)