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立野ヶ原不時着場跡地 [├空港]

   2011年10月、2018年5月訪問 2020/1更新  

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撮影年月日1947/11/06(USA M632No2 257)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

富山県富山県南砺市にあった「立野ヶ原演習場」。

この演習場内に不時着陸場が設定されていました。

第1地区から第3地区まで3つあり、先頭のグーグルマップの通りで非常に変わった形をしています。

防衛研究所収蔵資料「航空路資料 第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19年6月刊行 水路部」の中に、

当飛行場の付図があり、先頭のグーグルマップはこの付図から作図しました。

また同資料内に当飛行場に関する情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第10 立野原陸軍演習場(昭和17年11月調)

管理者 立野原陸軍演習場主管。
位置 富山県西蠣波郡東太美村字上野
 (城端町の西方約4粁、36°31′0N,136°52′0E)。
種別 不時着陸場。

本演習場は富山平野の南部に突出せる丘陵上の自然の原野にして金沢師団管下
砲兵の実弾射撃場なり・従来不時着陸場として使用せられつつある地区又は適
当と認めらるる地域は演習場の略北西部にして俗稱宮野原、有田原及南部市野
沢と称する3地区なり即ち第1及第2地区は道路を隔てて南、北に隣接し、
第3地区は之より北方約1粁に在り前2者に比し其の面積狭小なるも着陸場と
して極めて好適なるを以て民間機屢飛来すと言う。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上185米(第1地区)、160米(第2地区)、125米(第3地区)。
広さ及形状
 第1地区は長さ北北東-南南西700米、幅300米の略長方形、第2地区は
長さ北東-南西650米、幅最大350米の略凸字形、第3地区は長さ東西
350米、幅南北200米の矩形地域なり(付図参照)。
地表の土質
 3地区とも地下30糎迄は黒土、以下は赤色粘土なり。
地面の状況
第1地区 着陸地域内は一般に起伏多く且北方に向け1/40の下り傾斜
を成す・地盤は概して堅硬なり・西側寄りの南北に通ずる道路は地肌を露
出し降雨続きの際は泥濘となる・一面に山芝密生し諸處に丈低き萩及萱類
発生す・一帯に傾斜地なるを以て排水良好なり・着陸地域の略中央部に高
さ約10米の独立樹2本及高さ2.7米の演習用「トーチカ」等の障碍物あ
り・冬季(12月-翌年2月間)は積雪50糎に達す。
第2地区 地表は一般に緩かなる起伏あるを以て着陸の際は充分なる
注意を要す・南西-北東に向け1/30の下り傾斜を成す・一面に山芝密生し
夏季は伸長1.5米に及ぶ萱及雑草の草株諸所に點在す・排水概ね良好なる
も南西側の道路は降雨の際軟化す。
第3地区 3地区中最も好適地にして民間機屡着陸すと言う・着陸地
域内の中央以北は凸凹起伏なく概ね平坦なるも南側は東西方向に長き窪地
あり、又東方に向け極めて緩除なる下り傾斜を成す・地盤は堅硬にして一
面に良好なる山芝密生し地表極めて平滑なり・降雨後の排水概ね良好なる
も場内を通ずる各道路は軟弱となる。

場内の障碍物
 第1地区の略中央部に高さ約10米の独立樹2本及高さ2.7米の演習用「ト
ーチカ」あり・第2地区の南端付近に高さ5-10米内外の針葉樹點在す・
第3地区の南側に東西に長き窪地あり。
適当なる離着陸方向
 第1地区は北北東又は南南西・第2及第3地区は東又は西を可とす。
離着陸上注意すべき點
 第1及第2地区は場内に障碍物存在し且周囲に高樹木あるを以て可及的第
3地区を使用するを可と認む。
施設
 第3地区の北東方約600米に滑空機用格納庫1及合同宿所あり。

周囲の状況
山岳及丘陵
 本演習場は福光町の南、城端町の西方各約4粁の丘陵上に在り、南方は直
 に白山山系に属する山岳地帯に連なる・東及北部は地勢次第に降下し水田
 及畑地等の低平なる平野となり、西方は急峻なる下り断崖を成し小矢部川
 を隔てて山地となる。
樹林
 第1地区の北及東方付近に高さ約10米の樹林又南東端付近に高さ約7米
 の独立樹2本あり・付近一帯は高樹林多し。
土提
 第1地区の北東端に隣接する溜池の周囲に高さ約3米の土提あり。
河川
 第1地区の西方約500米の眼下を北流する小矢部川あり、本場付近に於て
 は舟艇の運航なし・第3地区の南側を経て略南西流する五ヶ村用水掘あ
 り。
建築物
 第3地区の北東方約600米に滑空機用格納庫及合宿所各1棟あり・第1地
 区の北東端付近に高さ9米の観測台(三角形鉄柱)及南方200米に木造観
測台(高さ6.7米)あり。
着目標
 城端町、福光町、小矢部川、溜池(第1地区の北東端)。

地方の状況
軍隊
 南東方約3.5粁に立野原陸軍庁舎あり、常時金沢師団隷下各科兵宿営す・
 金沢師団司令部(金沢市)西方約22粁。
主管事務所
 前記陸軍庁舎内に演習場主管事務所及舎宅あり。
警察署及役場
 城端警察署(西蠣波郡城端町)東方約4粁、福光警察署(同郡福光町)北
方約4粁、東太美駐在所(同郡東太美村字土生新)第3地区の西方約700
米・東太美村役場(同上)。
医療
 福光町(北方約4粁)に山下病院、医院6、城端町(東方約4粁)に医院
 4あり。
宿泊
 福光町に旅館8(収容員数計約100)、城端町に旅館4(収容員数計40)あ
り。
清水
 各地区付近に水質良好なる井戸あり。
応急修理
 福光町(北方約4粁)に自動車修理工場1、其の他旋盤の設備ある工場3
 あり又城端町(東方約4粁)に永井鉄工場あり、何れも応急修理可能なり。
航空需品
 本演習場の北方約25粁に在る戸出町に「ガソリン」配給元の貯油所ある
 外航空用燃料は付近より需め得ず。

交通、運輸及通信
鐡道
 城端駅(城端線)東方約3.5粁、福光駅(城端線)北方約4粁。
道路
 演習場内は軍用道路四通八達し北方福光町、東方城端町に通ずる道路あり
 何れも自動車の運行可能なり。
運送店
 福光及城端町に合同運送株式会社あり・福光町に急救自動車1、貨物自動
 車5・城端町に貨物及乗用自動車計11あり。
電信及電話
 福光郵便局(電信及電話取扱)北方約4粁、城端郵便局(電信及電話取扱)
 東方約4粁・東太美村役場(第3地区の西方700米)内の信用組合事務所
 に電話あり。

気象
測候所
 立野原陸軍演習場主管事務所にて地上気象(風速、降雨及降雪)の観測
 を行う。
地方風及天候
 富山県気象5年報(昭和6年至同10年間城端小学校に於ける観測)に拠
 る月別統計次の如し(以下月ごとのデータ省略)
気象予察の俚諺
 本演習場の南西方約6粁に在る医王山に雲懸るときは天気悪くなり、南
 南西方約42粁に在る白山(標高2,700米)を明瞭に望み得るときは雨近
 し。

其の他
第1及第2地区は地表起伏に富み且周囲に障碍物多く過去に於て飛行機の離着
陸せしことなきも極力障碍物に注意せば低速度航空機の不時着陸場として使用
し得べし。
第3地区は着陸地域極めて狭隘なるも最近民間機飛来せる際何等の故障なく離
着陸せりと言う。

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第1地区
 

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第2地区

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第3地区


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おまけ。

演習場に「監的壕」が2つ残っています。

まずはその1つ、「丸山監的壕」。

南砺市桜ヶ池スケートパークからぐねぐねの山道を登る途中にあります。

監的壕とは、大砲の着弾効果を見るためのものです。

「なんで覗き窓をこんなに小さくするんだろう??」

というのが第一印象だったのですが、隣の説明版を読んで合点がいきました。

監的壕(全文) 眼下の桜ヶ池から北へ約3キロメートル、東西約2キロメートルに亘って広がる丘陵が立野ヶ原で、先土器時代から縄文時代を中心とする遺跡が点在する県下有数の埋蔵文化財包蔵地帯である。日清戦争が終わり、翌年の一八九六(明治二九)年に砲兵装備を有する金沢第九師団が設置され、陸軍省はその射撃演習場としてこの立野ヶ原に着目した。同年五月から四回に亘り一四七万坪、当時の南山田・太美山・東太美各村にまたがる一帯を買収して「立野ヶ原陸軍演習場」が設置され、砲兵のみならず諸兵科の演習地とした。特に砲兵の実弾射撃は、飛野(現在の自動車学校のあたり)を拠点として実施され、この地丸山周辺を被弾地としていたので着弾効果を観測するための「監的壕」がいくか建造された。この監的壕はその最後の構造物で、昭和一〇年代の遺構であり、現在演習場としての当時を偲ぶ唯一の遺産である。 平成十一年三月 城端町教育委員会

オイラの弟は元陸自隊員でして、一時測量班にいたのですが、まさにこの砲関係の測量でした。

測量班は風向、風速等諸々のデータを大砲側に送るのだそうです。

そして大砲、標的、測量班の三つは必ず三角形の形に配置して安全を確保するのだそうです。

そりゃそうだ。と思っていたのですが、案内板によるとこの監的壕って、こっちに向かって撃ってくるんですね(恐)

そういう発想がなかったオイラは説明を見てからは、逆にこんなにたくさん窓つけて大丈夫なのかと心配になりました。

まあわざわざ監的壕を標的に撃ったりはしないんでしょうけども。

日本軍最強伝説(汗)

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木が邪魔でアレですけど監的壕からの風景。

 

2つ目。

立野原監的壕。

こちらは水田の一角にあります。

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こちらも説明版がありました。

(全文)南砺市指定 史跡 立野原監的壕(目玉監的壕・めだまかんてっこう) 平成二十六年四月九日指定

 日清戦争後の明治31年(一八九八)、金沢市に砲兵装備を有する陸軍省第九師団が設置され、その演習場として立野原一帯
が買収され、450ヘクタールを越える大型演習場となりました。砲兵の実弾射撃は飛野(現 南砺自動車学校付近)を拠点
として実施され、約4キロメートル先の立野原周辺を着弾地としており、砲弾の命中率・性能効果を観察するために監的壕がいくつか設けられました。当初は土坑であったものが昭和3年頃に近代的で強固なコンクリート製に改修されました。構造は半地下式、監的室は円形型、ドーム屋根で導入路がついています。この監的壕は、その形状から地元では「目玉監的壕」と呼ばれ、保護されてきました。かつて立野原が軍事演習場として利用された歴史を今に物語る貴重な存在です。
 平成二十七年十月 南砺市教育委員会

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立野原一帯のあちこちに碑文がありました。

軍命で立ち退きを余儀なくされたこと、戦後開拓をしたこと等、当時の苦労が偲ばれます。



      富山県・立野ヶ原不時着場跡地      

立野ヶ原不時着場 データ(主に水路部資料昭和17年11月調から)

管理者:立野原陸軍演習場主管
種 別:不時着場
所在地:富山県西蠣波郡東太美村字上野(現・南砺市‎立野原東‎、立野原西)
座 標:N36°31′0″E136°52′0″

不時着陸場:
第1地区
座 標:N36°30′45″E136°51′32″
標 高:185m
第2地区
座 標:N36°30′59″E136°51′58″
標 高:160m 
第3地区
座 標:N36°31′43″E136°52′23″
標 高:125m
(各不時着陸場の座標はグーグルアースから、標高は水路部資料から)

沿革
1987年 立野ヶ原演習場設置

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の説明版
防衛研究所収蔵「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」 


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