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十勝飛行場(旧陸軍帯広第一飛行場、帯広空港) [├空港]

   2010年6月訪問 2023/1更新   


無題k.png
撮影年月日1944/11/04(X2 C2 64)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

北海道帯広市、前出の帯広第二飛行場の南側、根室本線を渡った先に陸自の「帯広駐屯地」があり、

駐屯地内に「十勝飛行場」があります。

ヘリコプター部隊が使用する基地なんですが、1,500mの立派な滑走路があり、4レターコードもついています。

沿革にもまとめましたが、当飛行場は1932年に民間用飛行場として完成しました。

その後陸軍飛行場に転用され、帯広駐屯地の公式サイトによれば、

1940年に「陸軍おびひろ第1飛行場」が創立したとあります。

帯広市には、根室本線を挟んで南北に2つの陸軍飛行場があり、

南側にある当飛行場が「第一飛行場」、北側が前記事の「第二飛行場」でした。

■防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部

の中で昭和15年(1940年)8月調べの当飛行場のことが扱われているんですが、

飛行場名は「第一」とか「第二」とか付かずに、単に「帯広陸軍飛行場」となっています。

「帯広第二飛行場」の記事でも書きましたが、

海軍の組織である水路部が両飛行場についての資料を作成した1940年8月の時点で、

当飛行場は、3年前から始まっていた民間飛行場から陸軍飛行場への転用工事が完成間近の時期であり、

一方「第二飛行場」の方はというと、「民間飛行場として、将来的には定期便を飛ばす計画」でした。

少なくとも水路部資料がまとめられた段階では、帯広市にあった陸軍飛行場計画はここだけでしたから、

第一も第二もなくて当然。ということになります。

当飛行場は同1940年10月に陸軍飛行場となり、

「定期便を飛ばす計画」であった第二飛行場の方も、同年陸軍飛行場に転用工事が始まっています。

こうして帯広市にあった2つの飛行場は、どちらも陸軍の飛行場に生まれ変わったため、

「第一」、「第二」が名称に付与されることになったのでした。

■「帯広市史」(下記リンク参照)によれば、

「飛行場には、重爆撃機用の巨大な滑走路が莫大な費用と帯広市民の勤労奉仕等によって2本も造られるなど、帯広は軍都と化した。」

とあります。

前出の水路部資料内には、当飛行場の「要図」があるのですが、

この「要図」の中では、1本の滑走路と誘導路しか描かれていません。

また航空写真の書き込みは、「要図」にあった説明書きを載せたものです。

水路部資料内の飛行場情報を以下引用させていただきます。

帯広陸軍飛行場(昭和15年8月調)
河西郡河西村(帯広駅の南西方約4粁)

所管 旭川師団経理部
着陸場の状況
高さ 平均水面上約80米。
広さ及形状 本飛行場は十勝平野の中心に位し東西約1,200米、南北約
1,200米の略正方形地区と其の北東方に隣接せる建物敷地を含む広大なる地域
にして其の外方陸軍占有区域を含み総面積約256萬平方米なり・着陸可能区域
は周縁より内方約100米に当る図示の如き縦横各約1,000米の正方形地区なり
・滑走路は主滑走路(北西-南東)(幅100米、長さ1,000米)及補助滑走路
(東西方向)(長さ670米、幅30米)及(南北方向)(長さ404米、幅30米)を
最適とす。
地表の土質 火山性壌土。
地面の状況 本場は草地及雑木林を整地の上飛行場とせしものにして「ロ
ーラー」を以て転圧しあり、北西側に一部凸凹あるも概ね起伏なき平坦且堅硬
地なり・本場は自然の地形に従い西方より東方に相当の下り傾斜アリ又北方よ
り南方にも緩除なる傾斜をなす・着陸区域は芝張にして其の他の区域は雑草密
生す・傾斜地なるを以て排水良好なり、排水施設としては略南北に走る6條の
暗渠と之に連絡し場の南部を東西に貫く1條の暗渠あり、之に連絡する多数の
小暗渠ありて之等は周縁を繞る排水溝に注ぐ、又格納庫前面には「コンクリー
ト」開渠(コンクリート造蓋石を以て覆われ流氷孔を設く)あり・場内をして
常に乾燥状態を保持せしむると共に冬季に於ける地面の凍結及雪解期に於ける
地表の泥濘を防止す・日射及季節等に因る地面の影響なし。
場内の障碍物 着陸区域内にはなし。
適当なる離着陸方向 北西-南東
離着陸上注意すべき点 本飛行場は整地完了後日尚浅く地表の硬度充分な
らざるに付離着陸の際注意を要す。
施設 格納庫(10棟)(高さ約13米)、発動機工場(高さ約9米)、機械
工場(高さ約8米)電器工場(高さ約8米)、戦闘中隊(3棟)、整備中隊(高
さ約13米)酒保食堂(高さ約7米)事務所(高さ約8米)・其の他諸施設整
備工事中なり・場の北東方緑ヶ岡公園北西側付近に官舎築造中なり。

周囲の状況
一般地勢 本場は十勝川沿岸に発達せる所謂帯広地層と称すべき段丘地帯
の一端に位す・北部は段丘斜面に接するも其の他は緩除なる斜面に続く即ち西
方は一帯の平地にして東及南部の一部 湿地帯をなす・付近は一般に沼沢地多
き草原にして北東方5粁には帯広市街あり。
河川 場の北方を十勝川東流し、場の東方を札内川北流す、尚帯広川の清
流は場の西方より北方を囘流す。
煙突 場の東方約2粁に北海道製糖株式会社煙突あり。
電線 帯広市の西方にある大日本電燈株式会社変電所より賣買川に沿い南
下し一里標付近より西折し本場に至る高さ約7米の電燈線及帯広駅付近より西
方道路に沿い本場に至る高さ約7米の電話線あり之より場内の各部に通ず。
著目標 帯広市、十勝川、札内川、帯広川、放送局。

地方の状況
軍隊 帯広陸軍飛行連隊(設立準備中)場の北東側。
憲兵 帯広憲兵分隊(帯広市西5條南14丁目)北東方約4粁。
警察署 帯広警察署(帯広市西3條南7丁目)北東方約4粁。
支庁及役場 十勝支庁(帯広市東6條南9丁目)、帯広市役所(帯広市西
3條南8丁目)北東方約4粁、河西村役場(河西村字河西)
医療 帯広市に病院14、医院12あり。
宿泊 帯広市に旅館約50(収容員数計約1,500)あり。
清水 付近民家に水質良好水量豊富なる井水あり。
応急修理 帯広市に安斎工場、井關修理工場、北海自動車工業株式会社五
番館工場及三橋修繕工場あり一時的応急修理程度ならば可能。
航空需品 帯広市に於いて「ガソリン」類少量ならば補給可能。

交通運輸及通信
鐡道 帯広駅より本場に至る軍用鐡道引込線あり・帯広駅(根室本線、広
尾線、士幌線)北東方約4粁・根室線は市の中央を貫通し省線士幌線及広尾線
は帯広駅を起点として前者は糠平に後者は漁港広尾港に至る又十勝国を南北に
縦断する私鉄十勝鉄道は帯広駅より南十勝地方物資の運搬を司る。
道路 帯広駅前より緑ヶ丘公園を貫通し本場に至る軍用道路及之に連絡す
る数條の道路あり、何れも自動車類の運行可能。
車馬及運送店 自動車(乗用56、貨物30)荷馬車388あり・運送店1あり。
電信及電話 川西郵便局(河西郡川西村)・帯広郵便局(帯広市西2條南
8丁目)。

気象
当地方は最低温度摂氏零下38.2度 最積量110糎内外とす。尚当地方は6、7、
8月の候に於て輻射霧及海霧の発生頻繁なるも8月以後は稀なり。
測候所 帯広測候所(帯広市東5條南8丁目)北東方約4粁。上層気象の
観測の設備なし。
地方風 夏季東南東風、冬季北北西風多し、毎年5月末頃には強風あり・
10月至翌年1月及3、4月間は北北西風にして2月は北西風、5月至9月間は東
南東風なり・昭和4年至同7年4箇年間の統計次の如し。
(月別の最多風向、平均風速・省略)
天候 1年を通じ7、8月を除き概して天候良し・大正15年至昭和10年10
箇年間の統計次の如し。
(月別の快晴日数、曇天日数、降水日数、暴風日数、霧日数、雪日数・省略)

気象特性 (1)天気 沿海洲に低気圧現わるる時は驟雨性の降水あること多く
従って夏季に於いては主に雷雨の発現を見る・早朝よりの降雨は終日降ること多
く日中よりの雨は長からず即ち低気圧性の降雨は概ね早朝より降る傾向あり・
夏季早朝よりの霧は晴天となる(海霧は多く夕刻より夜中に到達し其の翌日も
曇天となること多きを以て此の結果を来す)冬季寒気厳しき日は輻射霧を生ず
ること多し(2)風 春季晴天にして日射旺盛なる日低気圧「オホツク」海に在
る時気圧の傾度は少なくとも日出と共に山地と低地との温度差に依り気圧の傾度
増大し空気を起し且「フエン」現象を伴い農作物に被害を及ぼすことあり日没
と共に風は凪ぐ・当地は北より西に山脈連互し為に低気圧の襲来時に於ては南
東 偏東風弱く低気圧の中心が「オホツク」海の遠くに去りて後始めて北西風
卓越す・極稀に低気圧の前面に於いて東南風の卓越することあり、此の時は例
外なく前面に不連続線を伴う而して後面の北西風は概ね弱し・間宮海峡より
「オホツク」海に去る低気圧の内近き方(樺太南部)を通過するものよりも遠き
方(樺太中部)のものは気圧の変化を認めざる時にても一般に北西風強き傾向
あり・晴天の日に北西風吹き出す前には風の山脈を越す為上昇して西方山脈の
向側に積雪状を認め得、(3)降水 低気圧の南方を通過する時は降水時間及雲多
く風力弱し又北方を通過する時は降水時間及降水量少く風力強し・優勢なる低
気圧の本洲を挟み進行し来り本道を襲うときは当地に大雨を降らすことあり。

其の他
本飛行場には飛行連隊の大部既に駐屯するも航空諸施設未だ完備するに至らず
目下建設中にして昭和16年度末には整備する予定なりと言う・本飛行連隊は
昭和15年10月開隊の予定なりと言う。

この資料の中で非常に気になるのが最初の「着陸場の状況」の項目で、

「・滑走路は主滑走路(北西-南東)(幅100米、長さ1,000米)及補助滑走路
(東西方向)(長さ670米、幅30米)及(南北方向)(長さ404米、幅30米)を
最適とす。」

とあります。

前述の通り、この要図には主滑走路が1本しか描かれておらず、正方形の敷地南西側には広大な草地が広がるのみです。

では資料に出てくる2本の「補助滑走路」はドコにあるのかと思ったのですが、

主滑走路両端から駐機場へと延びる二本の誘導路は、向き、長さ、幅共に、

資料に出てくる「補助滑走路」の条件を(ほぼ)満たしています。

それで恐らく主滑走路の両端から駐機場へと伸びる部分が「補助滑走路」ではないかと思います。

実際に使用する時は、使用方向に制限を設けないと大事故に至りかねないでしょうけど。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

にも当飛行場の要図がありました。

こちらは水路部資料より約3年後に纏められたもののため、上に貼った航空写真同様、

元々あった主滑走路の西側にもう1本滑走路が描かれており、更にその西側に補助滑走路も描かれています。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

位置
北海道十勝國河西郡河西村
滑走地区
1.旧滑走路は凍害の為破損せし箇所を補強しありて各機種の
 使用支障なし
2.新滑走路は目下工事中にして本年度末迄に完了す
 尚西方地区に補助滑走路を設定されありて使用可能なり(但し降雨
 後は注意を要す)
施設
1.格納庫十八棟(一棟に対し大型機三、収容し得るもの)完成しあり
2.其の他兵舎及居住施設既成しあり
気象
1.恒風は夏季東南風、冬季北西風を主とし最低温度二八・二度
 最深積雪一、一〇五米 五、六月に於て高度約五〇米内外にて旋風
 襲来あり
2.六月~八月の候に在りては輻射霧及海霧発生襲来頻繁なるも
 八月以降は稀なり
交通
帯広市より「アスファルト」道路ありて自動車運行自在なり
其の他
解氷期の使用は舗装滑走路の他困難なり

旧滑走路、新滑走路と表記して区別したんですね。

また、水路部資料に登場した「補助滑走路」についての言及はなく、

新滑走路西側に設定されたものを補助滑走路としています。

■新千歳市史通史編上巻925pには、

(昭和二〇年七月)十四日には艦載機延一三九一機などが、(中略)
帯広、計根別、八雲、丘珠の陸軍飛行場を攻撃した。

とありました。

「帯広」としか書かれていないため、第一なのか第二なのか、はたまた両方なのか不明ですが、

一応第一の方に含めておきます。

 

戦後の接収を経て再び陸自が使用するようになったのですが、

帯広市は、遠隔地として疎まれる現状を改善するための独自策として、

この飛行場を民間空港に転用することにしました。

こうして1964年12月、帯広空港が開港し、札幌~帯広~釧路間の「札幌便」として、

客席40のコンベヤー機が就航しました。

運航したのは、帯広市出資の道策会社「北日本航空株式会社」と、

道外民航2社との合弁会社である「日本国内航空株式会社(後の日本エアシステム)。

同時期、ライバルの最速列車は、札幌~帯広を4時間17分で結んでいました。

ヒコーキの場合、搭乗時間はたったの40分台であったため、航空路線は強い競争力を有したのだそうです。

「道内をヒコーキで移動」と聞くと、なんだかとっても贅沢な気がするのですが、

やっぱり本州とは距離感が大きく異なりますね。

その後民間空港を新設したため、当地は再び「十勝飛行場」となり現在に至ります。

D20_0047.jpg

こんな写真しか撮れませんでした m(_ _)m

だって門の所にいっぱいいるソルジャーがコワイんだもの(つД⊂;)


      帯広市・十勝飛行場      

・帯広陸軍飛行場(昭和15年8月調べ。水路部資料から) データ
所 管:旭川師団経理部
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道河西郡河西村
標  高:80m
総面積:256ha
着陸可能区域:縦横各約1,000mの正方形地区
主滑走路:1,000mx100m(13/31)
補助滑走路:670mx30m(07/25)、404mx30m(17/35)

・帯広陸軍飛行場(昭和19年4月 第1航空軍司令部資料から) データ
旧滑走路:1,200mx100m(13/31)
新滑走路:1,200mx100m(13/31)
補助滑走路:1,050mx100m(13/31)

・十勝飛行場 データ(現在)
設置管理者:防衛省
4レター:RJCT
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道帯広市南町南7線31番地
標 点:N42°53′19″E143°09′59″
標  高:83m
滑走路:1,500m×45m
磁方位:13/31
飛行場管制 
 タワー   126.2,138.05,139.8,140.5
 グランド 121.8
 GCA    125.3,133.0,134.1,138.3,141.95,270.8,303.2,335.6
  十勝NDB 239(OH)

沿 革
1932年   民間飛行場として着工。同年完成
1937年10月 21日 転用工事開始
1940年10月 31日 第1次完成。「陸軍おびひろ第1飛行場」創立
1944年   本土決戦準備の為陸軍飛行第1師団、浜松より移駐。
1945年07月 14日 艦載機による空襲
     10月 米軍の帯広駐屯により、飛行場を使用不能にする目的で破壊
1956年03月 陸上自衛隊訓練飛行場として補修を行い使用開始(615mx100m)
1964年12月 帯広空港開港・第三種(滑走路1,200mx20m)
1972年05月 運輸省航空大学校帯広分校開校
     12月 滑走路延長(1,500mx45m)
1981年02月 旧空港供用廃止(防衛庁十勝飛行場となる)
     03月 新帯広空港開港(滑走路2,000m)

関連サイト:
帯広市史  
ブログ内関連記事
    

この記事の資料:
新千歳市史通史編上巻
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


コメント(19)  トラックバック(0) 
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コメント 19

guchi

グーグルマップで調べたら
この近くには「大空小」「大空中」
があるんですね...!(^^)!
オマケに「大空ゴルフ練習場」まで
by guchi (2010-09-08 10:17) 

tooshiba

ドン( ゚д゚)マイ

とりさんは民間人ですけん、無理せんでよかと。
もし警備隊に捕まったら、獄中死もありうるうわなにをするくぁwせdrf
by tooshiba (2010-09-08 11:10) 

sak

短距離路線増えてほしいなぁ...
って思うけど
やっぱり高くなっちゃうのでしょうね
でも北海道内だけじゃなく
大阪~北陸方面とか飛んで欲しいなぁ...

by sak (2010-09-08 11:48) 

Takashi

ソルジャー、ビビりますよね^^
そんな遠慮した感じが伝わってくる写真です。
by Takashi (2010-09-08 12:34) 

まめ助の母

それはそれでいいと思います。あの写真♪
空と建物のバランスがいいかんじ

ソルジャー…こわっ!
by まめ助の母 (2010-09-08 19:32) 

masa

そのような過去があったのですね。
とりさんの調べられる事は本格的でわかりやすい説明ですね。
by masa (2010-09-08 19:57) 

鹿児島のこういち

陸自なんでしょ?ゲートで見学させてぇ、ついでに写真撮りたいですけど、撮ったらいけないとこはどこですか?って聞けば、特別な訓練とか無ければ、内線で確認を取って、内部でOKが出れば、受け付けで、住所と名前を書いて、入構証を首にかけてもらって、案内付きで見れるかも(^O^)/
あっ、それと印鑑いりますf^_^;
電話で予約しとけば、手続き早かったと思います。
ただ、駐屯地がみんながみんな、そうじゃないと思いますので、やはり先に電話での確認は必要でしょうね(^O^)
by 鹿児島のこういち (2010-09-08 20:55) 

ハイマン

道内の移動で飛行機は贅沢な気もしますが
北海道は広大なのでやっぱり飛行機もありだなぁ
by ハイマン (2010-09-08 21:30) 

miffy

自衛隊って意外と簡単に見学させてくれるんですよ~
子供の頃、体験入隊しましたし、学生の頃は基地内でキャンプもした事があります。
ちゃんと手続きすれば大丈夫ですよ。
by miffy (2010-09-08 21:59) 

me-co

これは、軍民共用から民が抜けたという珍しいケースでは無いですか?
すみません、この分野は詳しくないものですから・・・
by me-co (2010-09-09 00:28) 

コスト

>門の所にいっぱいのソルジャー
いつものとりさんの大敵ですねw
こっちの空港のほうが帯広市内に断然近いですね
帯広在住の友達が帯広畜産大へ仕事へよくいくのですが、
畜産大は街外れにあるといっていた意味がわかりました。
この空港のほうが市内に近いですね
by コスト (2010-09-09 21:29) 

an-kazu

地図上に幼稚園がありますが、とりさんがココの園児だったら、
きっと外ばかり眺めちゃうんでしょうね(^^);
by an-kazu (2010-09-10 01:51) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■guchiさん
ありますね~^^
ヒコーキ好きにとってはなんか嬉しいですよね(*´∀`*)

■tooshibaさん
フォローしていただいてありがとうございます(;´Д⊂)

■sakさん
>大阪~北陸方面
できてくれるといいですね~。

■Takashiさん
おお、写真からもバレバレですか(o ̄∇ ̄o)

■まめ助の母さん
まめ助の母さんにそう言っていただけると、なんとなくそう見えてきました^^
ソルジャーコワイ

■masaさん
一般の方にも判り易く。を目指しておりますのでそう言って頂けると嬉しいです^^

■鹿児島のこういちさん
おおおお、すんごい勉強になります。
ありがとうございましたm(_ _)m

■ハイマンさん
あの広大さですからね~(*´∀`*)

■miffyさん
おおお、ここにも猛者が御一人。
了解であります<(`・ω・´)

■me-coさん
少し調べ直してみたのですが、ここは
軍専用→民間専用→軍専用 という変遷だと思います。
軍民共用から民が抜けるケースは考えてみたのですが、思いつきませんでした。
まぎらわしい書き方で申し訳ありませんでしたm(_ _)m

■コストさん
>大敵
ソルジャーコワイです。
>帯広畜産大
地図で確認しました。回ってる時は気がつきませんでした。
確かに場所的にはこっちのが現行の空港よりか便利なんでしょうけどね~。

■an-kazuさん
そのとおりでちゅ~。(o ̄∇ ̄o)
実は未だに重要な商談中でもヒコーキの音がすると、危うくそっちに視線が奪われそうになります。
d( ̄∇ ̄*)☆\(--
by とり (2010-09-10 06:25) 

通りすがり

毎度失礼します。
吉村昭の小説「逃亡」に出てくる飛行場建設現場はここでしょうか?
ご存知かもしれませんがこの小説は霞ヶ浦航空隊整備兵の主人公が
落下傘を持ち出した事から97艦攻を爆破し逃亡した物語です。
これは実際の事件を小説にしたものなので多少の違いはありますが
逃亡中樺太へ行くはずが北海道の旧川西村近くの飛行場建設現場の
タコ部屋に入れられたという記述が小説にありました。
昭和19年から20年ころの話なので建設現場というのが少々気に
なりますが、、。


by 通りすがり (2014-04-25 13:16) 

とり

■通りすがりさん
返事が遅くなってしまい失礼致しました。
残念ながらその小説はまったく存じませんでした。
お役にたてず申し訳ありません。
「旧川西村近くの飛行場」とのことですので、距離的に最も近いのは仰る通り当十勝飛行場ですね。
昭和19年から20年ころの話とすると、ちょっと年代が合わないですが、
末期に拡張工事、掩体豪造成等行われた可能性はあると思います。
少し調べてみたのですが、旧川西村近くの飛行場としましては、
上更別飛行場があります。
残念ながら建設した年が不明なのですが、付帯施設も見当たらず、いかにも末期に作ったっぽい気がします。
http://airport1111.blog.so-net.ne.jp/kamisarabetsu-airfield
https://www.google.co.jp/maps/ms?msid=209518843416145303694.000468fc916c2d945e71b&msa=0&ll=42.589109,143.246956&spn=0.097314,0.202732
by とり (2014-04-28 18:11) 

通りすがり

ご丁寧にありがとうございました。

この夏からLCCがやっと奄美に飛ぶそうですので未調査地域も

調査し易くなりそうですね。
by 通りすがり (2014-04-29 19:44) 

とり

■通りすがりさん
>この夏から
Σ(゚Д゚;)初めて知りました。
仰る通り、この周辺はほとんど手付かずなんですよね。
鹿児島か、那覇から船で行こうかと考えていたのですが、直接ヒコーキで行っちゃうのもアリですね。
ありがとうございました。
by とり (2014-05-01 05:22) 

poteto

初めまして
十勝の軍跡について調べています。空中写真、現地探索、情報発信
参考になる情報がたくさんあってとてもありがたいです。
ところで、
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部
が見たいのですが、ネットでは探しきれませんでした。
どのようにして見ることができますか?
by poteto (2018-08-10 10:48) 

とり

■potetoさん こちらもいらっしゃいませ
防衛研究所収蔵資料は文字通り「防衛研究所に収蔵してある資料」で、
市ヶ谷の防衛研究所で閲覧可能です。
水路部資料を画像データとして私的サイトにて公開している例は、少なくともオイラは見たことないです。
検索してもなかなか出てこないかと。
公式には、アジ歴で画像データ化が進められていますが、
今のところ日本語版水路部資料については作業が遅れているみたいです。

http://www.nids.mod.go.jp/military_archives/index.html
https://www.jacar.go.jp/
by とり (2018-08-11 05:45) 

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