横須賀第二(長井)航空基地跡地 [├空港]
2010年5月訪問 2023/1更新
左:撮影年月日1946/02/15(昭21)(USA M46-A-7-2 208)■
右:撮影年月日1946/03/05(昭21)(USA M64-A-6 83)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
神奈川県三浦半島西側にある「ソレイユの丘」 とその周辺はかつて「横須賀第二(長井)航空基地」でした。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:第一横須賀
建設年:1944
飛行場長x幅 米:1350x200 内1200x30□□(判別できず) 700x25
主要機隊数:小型機
主任務:作戦 教育施設:桜花訓練用射出機二基
(注)ネットでは、横須賀の三飛行場について、
追浜→横須賀(第一横須賀)
長井→第二横須賀
初声→第三横須賀
としているものが広く見られるのですが、上記資料では、
追浜→横須賀
長井→第一横須賀
初声→第二横須賀
と記されていました。
横須賀鎮守府おひざ元の飛行場なので資料に間違いはないと思うのですが、
一応ネット上に広く見られる表記のままにしてあります。
郭さんから当航空基地について貴重な情報を頂きました。
郭さんは2019年8月に地元の85歳の男性の方に取材され、
飛行場北端は、航空写真の↓地点(グーグルマップ青マーカー)
南端は現在のソレイユの丘南端、崖に近い部分
現在の自衛隊教育訓練場より北部は、2度目の拡張の際に金網を敷き飛行場を造成
特攻隊があると聞いた
との証言を頂いたのでした。
以下、飛行場北端から順番にずらずらと。
敷地北端(青マーカー)から滑走路方向。
ここから奥に向かって飛行場だったんですね~。
ここで180°回頭すると-
こんな感じ。
この写真ではイマイチ伝わりにくいんですが、 滑走路と逆方向を向くと、標高が一気に落ち込みます。
この周辺はホントに「飛行場造成のために盛土したのか」と思う程です。
同じく青マーカー地点なんですが、何か杭らしきものが埋まってました。
飛行場敷地北端部分であることからすると、境界杭かも。
黒マーカー地点。
このちょっと先から奥に向かって、上に貼った航空写真で白くクッキリ映っている滑走路でした。
それから郭さんは飛行場周辺を探索中、場に似つかわしくない奇妙なコンクリート構造物を見掛けたとのことで、
その画像も送って下さいました(グーグルマップ黄色マーカー)。
飛行場敷地に直交する方向に設けられたもので、畑の用水路のような気もするのですが、
上に貼った終戦翌年の航空写真でも、拡大するとこういうものが映っているような映っていないような。。。
実際、飛行場外周に直交する形で排水路が設けられる例は、戦時中の資料にも例があります。
追記:この構造物について、建築業の専門家・鹿児島のこういちさんからコメント頂きました。
以下関連個所をそのまま引用させていただきます。
当時どのように使っていたか分からなければ
飛行場用なのか農業用なのか、はたまた雨水用か下水用か?(^^)
明治工業史の道路築造標準制定には規格は幅1尺5寸以上とのみ。
1919年、幅は1尺以上とあるだけ。
1931年昭和8年で集水口、雨水桝、縁石、街渠の説明がでてきます。
で、写真を見た時、はて、これは側溝?コンクリート製なんですが、上部から
見た形が正方形に近いですよね。排水桝を並べたように見えるんです。
自分としては、運搬方法、作業時間の短縮、底版の勾配をとりやすい
という観点から、飛行場を造る時、素人でも作業しやすい
排水桝を使用したと考えたいんですが、
製品自体は、土木の工業規格で、飛行場でも農業でも都会でも
同じ物と考えれば、写真だけでは判別は難しいと思います。
とのことでした。
プロが見るといろいろ引き出せるものですね~ (☆Д☆)
現地にお邪魔した際、現地の方からお話伺えれば。
と考えていたんですが、残念ながらそういう機会には恵まれませんでした。
ということで、コレの正体についてはナゾのままです。
どなたか正体をご存知の方いらっしゃいましたら、情報お待ちしております。
郭さん、鹿児島のこういちさん、貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
上二枚はA地点の様子。制限区域になってました。
B地点。ソレイユの丘の駐車場から滑走路方向。
C地点。同じく滑走路方向。
ソレイユの丘は入園無料なのですが、駐車料金が1,000円だったのでオイラは入りませんでした。
当時は写真奥に向かって飛行場が広がってました。
元々ここは小さな漁港と一面の大根畑という「三浦半島の風景そのもの」という場所だったのだそうですが、
戦後は青々とした芝に広い間取りの家が並ぶ米軍宿舎(長井ハウス)によって永くアメリカ風になり、
現在は「ソレイユの丘」が整備され、南仏風になっています。
神奈川県・横須賀第二(長井)飛行場跡地
横須賀第二(長井)飛行場 データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:神奈川県横須賀市長井
座 標:N35°11′48″E139°36′44″
方 位:03/21
(座標、方位はグーグルアースから)
沿革
1943年 秋建設開始。終戦直前完成 ほとんど使用されず
1945年 12月 開墾されて麦畑に。一部は米ヘリコプター基地
1985年 返還
この記事の資料:
地元の方の証言(郭さんより)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
大根畑から飛行場、飛行場から宿舎、宿舎から麦畑、麦畑から仏風へ(^O^)時代に翻弄されてるんだろうかf^_^;
by 鹿児島のこういち (2010-07-26 08:04)
ソレイユの丘、いい名前ですね。
青い空が実にさわやかでいいですね!
by masa (2010-07-26 17:32)
すごく気持ちよさそうなところですね
行ってみたいです
入場料無料でも駐車場有料ってところ多いですよね( 一一)
by sak (2010-07-26 21:15)
ここはなんとなくそんな感じの場所だと思います(^^);
by an-kazu (2010-07-26 22:23)
昔、航空無線を聞きにあちこちの空港まわりしてました。懐かしいですね。
by まこ爺 (2010-07-26 23:27)
コチラは知りませんでしたね。
返還されたの1985年、つい最近なんですねー。
by 雅 (2010-07-26 23:41)
横須賀は、色々な兵器を研究していましたし、こういった施設や秘密施設なんかもあって、興味が尽きませんよね^^
「追浜」の件、我々零戦好きの仲間うちでは「おっぱま」って言っています。尾翼記号は"オヒ"なので"オイハマ"と呼ぶのが正しいみたいですね。
by ジョルノ飛曹長 (2010-07-27 15:06)
オヒの機体、河口湖にありますので、見る事ができます。ただしレストアした機体です。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/g-sugi/tokusyuu/kawaguchiko.html
↑
こちらで数年前に撮ったのをアップしてありますので^^
by ジョルノ飛曹長 (2010-07-27 15:09)
いろいろ勉強になりますね。
by takechan (2010-07-27 21:56)
終戦直前完成 ほとんど使用されず…
無駄な工事を…
でも勝利を信じて一生懸命だったのでしょうね?
また私の戦争忘れちゃいけない月間が始まります
ちゃんと語り継げる大人になりたいです
by まめ助の母 (2010-07-27 22:46)
三浦半島にも、色々と暗い影(米軍基地とかそれに類する施設)がありますね。
逗子(池子弾薬庫跡)とか。横須賀も。
by tooshiba (2010-07-28 00:33)
ジョルノ飛曹長さん、21型見ましたよぉ~♪尾翼の赤文字!
通称「おっぱま」正称「おいはま」ですね・・・・・(^O^)/ありがとうございました。
by 鹿児島のこういち (2010-07-28 05:13)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■鹿児島のこういちさん
すごい変遷ですよね。
やっぱり翻弄されてるってことなんでしょうか。
■masaさん
ここはmasaさんが行きそうな場所だと思いました^^
■sakさん
こういうパターン、ありますね~。
中に入って滑走路跡を探そうか。とも思ったのですが…。
■an-kazuさん
おお、匂いますか^^
■まこ爺さん
いらっしゃいませ。
おお、本格的にされてたんですね!!
■雅さん
本当につい最近ですね~。
オイラもビックリでした。
■ジョルノ飛曹長さん
師匠、どうもありがとうございましたm(_ _)m 尾翼記号、「おい」じゃなくて「オヒ」なんですね。
失礼致しました。^^;
リンク先、拝見しました。ばっちり「オヒ」と書かれてますね~。
見る人が見れば、こうやって所属が分かるんですね。
ご親切にありがとうございましたm(_ _)m
■takechanさん
オイラもまだまだ分からないことだらけで勉強中であります。
■まめ助の母さん
作ったと思ったらアメリカに占領されたため、地元の方は「なんだかアメリカのために作ったみたいだ」
なんて思ったのだそうです。
■tooshibaさん
確かに多いですね。
今回お邪魔して感じた点でした。
by とり (2010-07-28 05:58)
再訪、更新ありがとうございます。また、専門家たる鹿児島のこういち様の素晴らしい追記をありがとうございます。
by 郭 (2019-12-28 12:50)
■郭様
この度は郭様から頂いた情報のお陰で、
記事を更新することができました。
貴重な情報をありがとうございました。
記事更新の際、ご挨拶しようと思っていたのですが、
大変失礼致しました。
by とり (2019-12-30 03:31)