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大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場)跡地 [├空港]

   2012年9月、2018年6月訪問 2019/12更新  

無題9.png
1947年10月(USA R379 93)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

茨城県‎石岡市‎にあった「大日本飛行協会中央滑空訓練所」。

当飛行場は、格納庫、宿舎、講堂、事務所などの施設とともに初級から高級までの訓練機を備え、

教授陣には航空界の第一人者が当たりました。

石岡市は滑空機の製造、訓練、教育と、滑空界の一大拠点に発展した場所です。

防衛研究所収蔵資料「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」に当飛行場の図があり、

先頭のグーグルマップはその地図と、1947年の航空写真、グーグルマップから作図しました。

敷地境界線がハッキリしない部分が多く、おおよそこんな感じ。という程度のものですのでご了承くださいませ。

水路部資料の地図では、上のマップの通りで敷地が四分割してありまして、

「A:稍荒地(薄紫)」、「B:離着陸不能(灰色)」、「C:飛行場(紫)」、「D:格納庫 協会建物(黄色)」、とありました。

(アルファベットは便宜上オイラが振りました)

ただし「飛行場」という文字は、紫のエリアの一番上にあり、敷地全体のほぼ中央にあります。

また他の文字と比較してかなり大きく書かれています。

そのため「飛行場」という文字は、敷地全体を指し示しているのではないかと思います。

同資料にある当飛行場の情報について、下引用させて頂きます。

第5 大日本飛行協会石岡飛行場(昭和18年3月調)

管理者 大日本飛行協会(東京市芝区田村町1丁目3番地)。
位置 茨城県新治郡石岡町大字半ノ木。
   (石岡町の北北西方約5.5粁、北緯36°13′0、東経140°14′0)。
種別 非公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約39米。
広さ及形状
 本場は長さ北東-南西平均1,000米、幅北西-南東750米の周辺不規則な
 る四辺形地域なり・着陸可能地域は場の中央以南にして長さ東西1,000米、
 幅南北400米の概ね図示の地区なり・中央以北は目下滑空場として使用中
 なるも殆ど未整地の荒地にして飛行機の離着陸不可能なり、以下南半部の
 地区に就き記述す(付図参照)。
地表の土質
 赤土。
地面の状況
 地表概ね平坦なるも中央部に幅約150米の広域に亙る凹地あり、然れども
 起伏極めて緩慢にして注意せば低速度飛行機の離着陸可能なり・殆ど一面
 に野芝及雑草を生ずる堅硬地にして場内を横断する道路上は禿地なり・排
 水は概ね良好なるも豪雨後は前記の凹地に水溜を生ず・場内を略東西に貫
 通する道路は地上滑走の支障とならず・春及夏季は雑草の刈取手入を施す
を以て地表極めて整然たり・冬季は道路上に風塵の立ち昇ることあり。
場内の障碍物
 場内の道路は常時人馬の往来あるを以て着陸の際充分注意を要す。
適当なる離着陸方向
 無風時は東又は西を適当と認む・如何なる風向の際も整地地域を使用せば
 離着陸可能なりと言う。
離着陸上注意すべき点
 北西方場周に高さ約10米の松林あり、此の方向の離着陸の際注意を要す。
施設
 格納庫(間口20米、奥行26米、高さ12米、練習機約20機収容し得)1・
 其の他(間口18米、奥行18米のもの)3・飛行場事務所・宿舎2・講堂
 ・油庫1・修理工場1・食堂・倉庫・自動車庫等あり。
 昼間標識 吹流(高さ20米)1あり。
 夜間標識 なし。

周囲の状況
山岳
 東及南方は広濶なる平坦地なるも西及北方は約1.6粁にして山地となる・
 南西方約2.7粁に高さ209米の龍神山、北方約2.5粁に362米山あり、其
 れより遥か西方に筑波、加波山等の高山南北に縦走す。
樹林
 場の周囲に高さ4-5米程度の雑木林及松林あり、特に高樹林は北西方場
 周に在る高さ10米の松並木なり。
建築物
 場の東側に最高20米の吹流柱、格納庫及其の他の付属建物あり・南方に
 碁石沢村落の人家ある外至近に障碍となる高層建築物なし。
電線
 東側格納庫付近に高さ5米の高圧電線1條あるも障碍とならず。
着目標
 筑波山、石岡町、格納庫、吹流。

地方の状況
軍隊及憲兵
 百里ヶ原海軍航空隊(東南東方約20粁)・土浦憲兵分隊(南南西方約20粁)。
警察署及役場
 石岡警察署(石岡町)南東方約6粁・石岡町役場(石岡町)南東方約6粁。
医療 
 石岡町に医院12あり。
宿泊
 場内に宿舎2あり・石岡町に旅館7(収容員数計250)あり。
清水
 場内東側格納庫付近に水質飲料に適する井戸1、其の他電気「ポンプ」式
 井戸2あり。
応急修理
 場内の修理工場にて簡単なる応急修理可能なるも中破以上の修理は不可能
 なり。
航空需品
 場内に航空用燃料(87原)及潤滑油(カストル油)を多少常備す。

交通、運輸及通信
鐡道
 羽鳥駅(常磐線)東北東方約4粁、石岡駅(常磐線)南東方約6粁。
道路
 本場より石岡町及羽鳥駅に至る村道あり、自動車類の運行可能なり。
運送店
 石岡町に石岡合同運送株式会社(乗合自動車5、貨物3、荷馬車30常備)
 あり。
電信及電話
 石岡郵便局(電信及電話取扱)南東方約6粁・場内事務所に電話あり。

気象
測候所
 中央気象台筑波山測候所(筑波山頂)西方約14粁、航空気象を観測す。
地方風
 流行風は夏季は概ね東又は南風、冬季は西又は北風なるも概して風向き一定
 せず・各年を通じ冬季は西又は北東風強吹するを常とす。
 石岡気象観測所に於ける大正11年至昭和7年11箇年間の統計次の如し。
 (以下月別データ省略)
天候
 6月至8月頃雷雨あり、12-翌年3月間降雪あり。

其の他
1. 本飛行場は昭和16年6月大日本飛行協会が滑空機乗員養成の目的を以て
 設置せるものにして目下完備せる施設を有し練習機に依る曳航滑走訓練実
施中なり。
2. 飛行場使用条件抜粋
(1) 本飛行場に於て使用し得べき飛行機は練習機及「ソアラー」曳航用飛
行機程度に限るものとす。
(2) 本協会所属飛行機以外の飛行機に対して本場を使用せしめんとする場
  合は予め海軍第11連合航空隊の同意を得るを要す。

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A:稍荒地
 

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B:離着陸不能

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C:飛行場

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D:格納庫、協会建物

現在は法政大学石岡総合合宿所になっています。

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D:格納庫、協会建物

法政大学石岡総合合宿所入ってすぐの所に碑があります。

偲学の碑(全文)
この地は、昭和十五年財団法人大日本中央滑空訓練所が設立され、大空を夢み憧れる若人育成の大地であった。昭和二十年八月終戦と共に筑波学園工業専門学校と同筑波中学校が開校され、後に昭和二十三年法政大学付属第三中学校、高等学校となった。名声高き付属校として数多くの若人を社会に送り出したが昭和三十年三月廃校に至る。平成八年八月吉日 法政大学第三中学校、高等学校卒業生一同建之 施工(有)宇田石材工業 

 

D20_0078.jpg

E:石岡市立府中中学校(上のマップの青マーカー)。

当時はここにグライダー製作所があり、主に文部省型を製作していました。

部品から完成機までの一貫生産を行い、月産十機程度だったのだそうです。


     茨城県・大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場)跡地     

大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場) データ

設置管理者:大日本飛行協会
空港種別:非公共用陸上飛行場
所在地:茨城県新治郡石岡町大字半ノ木(現・石岡市‎半ノ木‎)
座 標:N36°13′0″E140°14′0″
標 高:39m

沿革
1941年 6月 大日本飛行協会中央滑空訓練所開設
1944年 大日本滑空工業専門学校設立
1945年 春頃から艦載機による空襲をたびたび受ける
       08月終戦。跡地には筑波学園工業専門学校と同筑波中学校が開校

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の碑
防衛研究所収蔵資料「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」


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コメント 3

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鹿児島のこういち

昭和20年に開校して昭和30年に閉校って、ちょっと短すぎじゃないですか?これから子供の数が増えてく時代だったはずなのに。
by 鹿児島のこういち (2012-11-17 11:18) 

まめ助の母

見えやすい所に石碑があるのですね
なんだか珍しい感じ…
by まめ助の母 (2012-11-17 23:52) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
オイラも不思議でならなかったのですが、Wikiによりますと、
学校の立地自体が悪いことや、終戦直後の物資不足による施設の不備、
生徒の確保が十分に行えないことなどが原因で経営が悪化。
と書かれていました。

■まめ助の母さん
言われてみれば確かにそうですね。
珍しいケースと思います。
by とり (2012-11-19 07:14) 

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