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松戸(松戸高等航空機乗員養成所)飛行場跡地 [├空港]

   2012年7月訪問 2020/1更新  


無題b.png
撮影年月日1944/09/24(892 C2B 153) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

 

千葉県‎松戸市‎松飛台‎にあった旧陸軍の「松戸飛行場」。

現在跡地西側は松飛台工業団地に、東側は松戸駐屯地になっており、滑走路跡地は住宅密集地になっています。

元々は「逓信省中央航空機乗員養成所」として発足し、

後に「松戸高等航空機乗員養成所」と改称し、民間の操縦士や整備員の養成を目的としていたのですが、

建設時から陸軍が関与し、所長も陸軍少将が務めていて、

「帝都防空用陸軍飛行場」としても位置づけられていたのだそうです。

戦局が進み敗色が濃くなってくると事実上軍の管轄となりました。

防衛研究所収蔵資料「関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18年8月刊行 水路部」の中に、

「松戸高等航空機乗員養成所」当時の付図があり、先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

付図で飛行場敷地を示す太い実線をグーグルマップ上に描いたつもりです。

上に貼った1944年の航空写真と見比べながら作図したのですが、

(どの線を拾えばいいんだろう?)と悩んだ箇所が幾つもあります。

また、この付図は、昭和18年1月調べの資料に添付されているものなのですが、

昭和19年9月撮影の航空写真と比較すると、飛行場敷地は南北方向、そして東側に拡張しているように見えます。

航空写真は、(ここも飛行場に拡張したっぽいなぁ)という部分も含めてあります。

作図に間違っている箇所がいろいろあると思いますが、

飽くまで「付図だとオイラにはこんな感じに見える」 というものですのでご了承くださいませ。

同資料の飛行場情報を以下引用させて頂きます。

第8 松戸高等航空機乗員養成所飛行場 (昭和18年1月調)

管理者 航空局。
位置 千葉県松戸市五香六実町。
   (松戸市の東方約6粁、北緯35°47′0、東経139°58′0)。
種別 非公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約26米。
広さ及形状
 本場は長さ東西最大1,400米、幅南北700米及長さ南北1,150米、幅東西
 600米の略L字型地域なり・着陸地域は概ね図示の長さ東西1,200米、幅
 南北500米及長さ南北950米、幅東西450米の地域にして各周辺より各約
 100米以内の地区を最適とす(付図参照)。

地表の土質
 赤土及泥炭地。
地面の状況
 概ね平坦なるも中央稍高く各周辺に向け極めて緩かなる下り傾斜を為す・
 処々に植芝及雑草発生するも大部分は禿地なり、之等の禿地は乾燥時には
 概して堅硬なるも降雨後は稍軟泥となる・排水極めて良好にして乾燥速な
 り・場内の概ね図示の位置に南北方向に施設せる排水暗渠5條あり、表面
 は「コンクリート」舗装なるも全面平坦なるを以て地上滑走の支障となら
 ず・冬季は風塵立ち易く又霜柱の発生を見ることあり。
場内の障碍物
 なし。
適当なる離着陸方向
 何れの方向よりするも可能なるも無風時は南北方向を最適とす。
離着陸上注意すべき点
 西端に高さ16米の器材庫1棟、東端に高さ25米の宿舎あり。
施設
 大格納庫(間口85米、奥行50米、高さ23米、収容機数小型機80)1・小
 格納庫(間口25米、奥行30米、高さ18米、収容機数小型機47)2・本部
 庁舎・校舎2・宿舎2・医務室・発動機工場1・機材工場1・電信計器工
 場1・食堂・器材庫・発動機試運転場・気象観測所等あり。

周囲の状況
樹林
 南方約300米付近に高さ10-15米程度の杉並木あるも其の他は概ね開闊
 なり・場の北西部一帯は丘陵を切開き整地せるを以て此の外方に場面より
 稍高き台地あるも支障となる程度ならず・北及北西端外周に排水開渠あ
 り。
建築物
 場内北東側に最高25米の宿舎、格納庫及其の他の付属建築物多数存在す
 又西端に高さ16米の器材庫1棟あり。
着目標
 松戸市、松戸-六実間道路、格納庫、吹流。

地方の状況
軍隊及憲兵
 陸軍工兵学校(松戸市)西方約10粁・市川憲兵分隊(市川市)南西方約15
 粁。
警察署及役場
 松戸警察署(松戸市)西方約9粁、高木村駐在所(高木村)北西方約4粁。
医療
 場内に医務室の設備アリ・松戸市に開業医5あり。
宿泊
 場内に完備せる乗員養成所の宿舎あり・松戸市に旅館6(収容員数計420)
 あり。
清水
 格納庫付近に水質良好なる井戸多数あり。
応急修理
 場内に発動機工場、機械工場及発動機試運転場等の完備せる修理施設あり。
航空需品
 本場に相当量の航空用燃料及潤滑油を貯蔵す。

交通、運輸及通信
鐡道
 六実駅(総武線)東北東方約4粁、松戸駅(常磐線)西方約6.5粁。
乗合自動車
 松戸駅(常磐線)と本場間に飛行場専用定期乗合自動車便あり又松戸駅よ
 り本場の北方道路を経て六実方面に通ずる乗合自動車便(京成自動車会社)
 あり、最寄停留所は五香(北方約1粁)なり。
道路
 本場より北方約1粁の県道を経て西は松戸市、北は柏町、東は六実駅を経
 て木下町方面に至る良好なる舗装道路あり、乗合自動車運行す。
運送店
 高木村に合同貨物自動車会社(貨物自動車10)あり・松戸駅前に丸通運送
 店1(貨物及乗用自動車常備)あり。
電信及電話
 松戸郵便局(西方約8.7粁)電信及電話を取扱う・場内に電話あり。

気象
測候所
 場内に気象班あり、測風気球に依る上層気流を観測す・千葉高等園芸学校
 気象観測所(松戸市)西南西方約6.5粁。
地方風
 冬季は北北西風、夏季は南南西風多し・一箇年を通じ北北西風(筑波颪)最
 も多し。
天候
 本場は開設以来日尚浅く信頼し得べき統計なきを以て千葉高等園芸学校気
 象観測所に於ける昭和8-12年5箇年間の統計を参考に記載す。(以下月
ごとのデータ省略)。
地方特殊の気象
 12-翌年5月間は屡咫尺を弁ぜざる程度の黄沙襲来す・早朝富士山の眺
 望良好なる日は終日西風強吹す・暴風は9月に多し。

其の他
本場は昭和15年6月航空局の設置に係る民間航空機乗員養成所(陸軍関係)に
して目下95式1型練習機による飛行訓練実施中なり。

 

D20_0014.jpg

先頭のグーグルマップ青マーカー地点。

当飛行場について非常に詳細に記しておられる某サイト様によりますと、

このマーカーから南に向かって1,200m×140m程の矩形の滑走路が伸びていたのだそうです。

この写真だと、ここから奥に向かって滑走路が伸びていたはずです。


      千葉県・松戸飛行場跡地     
「松飛台」という地名は、「松戸飛行場のあった台地」という意味を込めて名付けられたものなのだそうです

松戸飛行場(松戸高等航空機乗員養成所飛行場) データ
管理者:航空局→旧陸軍
種 別:非公共用陸上飛行場
所在地:千葉県松戸市五香六実町(現・松戸市‎松飛台‎)
座 標:N35°47′00″E139°58′00″
面 積:開設当初約132ha、終戦時約156ha
標 高:26m
着陸地域:東西1,200mx南北500m、南北950mx東西450m
滑走路:1,200m×140m?
方 位:18/36

沿革
1939年01月 鍬入れ式
1940年06月 逓信省中央航空機乗員養成所設立。地表面はすべて張芝
1943年04月 松戸高等航空機乗員養成所に改称

関連サイト:
Wiki/松戸駐屯地   
ブログ内関連記事       

この記事の資料
防衛研究所収蔵資料「関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18年8月刊行 水路部」


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柏陸軍飛行場跡地 [├空港]

   2012年7月訪問 2019/2/19更新  


無題1.png
撮影年月日1947/10/23(USA R393 118) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

千葉県‎柏市‎柏の葉にあった「柏飛行場」。

旧陸軍の飛行場です。 

先頭のグーグルマップは、後述しますが現地の説明版にある図から作図しました。

この説明版にある飛行場の図は、終戦の頃のものと思われます。

一方、 防衛研究所収蔵資料:「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場 水路部」

にも、 昭和13年11月調べの資料に地図が添付されていました。

で、説明版にある地図と、昭和13年資料の地図の相違の部分を赤線で示しました。

後年拡張した様子が分かりますが、南側よりも、北側の地割が大きく変わってますね。

昭和13年資料の地図では、飛行場北側はドーム状になっていて、ここは「射爆場」とあります。

上に貼った1947年の航空写真では、北西~南東方向の舗装滑走路が目立っていますが、

滑走路の途中にターニングパッド的なものがあります。

通常ターニングパッドは、滑走路端にあるものなんですが、

昭和13年資料の地図で見ると、このターニングパッドのすぐ北側までが飛行場敷地で、

その先が「射爆場」です。

ということで、当初はこのターニングパッドのあったところまでが滑走路だったものを、

後に射爆場も飛行場とし、滑走路を北側に大きく延長したのではないかと思います。

地割を見ると、横風用の滑走路もあったっぽいですね。

同資料の情報を一部引用させて頂きます。


柏陸軍飛行場(昭和13年11月調)
千葉県東葛飾郡田中村大字十余二、同郡八木村大字駒木新田
(柏町の北西方約4.2粁)。

着陸場の状況
高さ 平均水面上約20米。
広さ及形状 本飛行場は東西約1,500米、南北約1,300米の多角形地区(総
面積約145萬平方米)なり・整地区域は周辺より約100乃至約150米の区域に
して着陸可能区域は図示の如く長さ東西約800米、南北約1,000米の不等五辺
形地区なり・場の北側は半円形をなせる射撃場に及南側は飛行第5戦隊近藤部
隊に隣接す(付図参照)。
地表の土質 粘土。
地面の状況 本場は雑木林地帯を飛行場として整地均土せしものなり・地
表は起伏なき平坦地にして概ね堅硬なるも設置後日尚浅く地表稍々軟弱なる部
分あり・場の中央に於て南北に分水嶺を設け東西に向い約1/3000の下り勾配あ
り・傾斜地なるを以て排水良好なり・殆んど全面に牧草を生し着陸地域及付近
は芝密生す・草地なるを以て日射に因る地面の状況には影響なきも冬季霜解の
際には滲透少きため一部泥濘となることありと言う・場の東西両側周辺に幅3
米、深さ約1米の排水溝を繞らし場内の雨水を停滞せしめざる様施設し更に之
を3箇所の排水流溜枡(東側のものは幅約80米、長さ約100米、深さ約2米、
西側のものは100米平方深さ2米、南西方建築物敷地付近のものは幅約40米、
長さ約50米、深さ約2米)に導く施設あり現在迄の調査に依れば最大溜量は
0.7米位なりと言う・格納庫前面に「コンクリート」造整備場あり・場の北側
に射撃場あり。
場内の障碍物 着陸区域にはなし。
適当なる離着陸方向 北北西又は南南東。
着陸上注意すべき点 設置後日尚浅きを以て処々に軟弱なる箇所あり又
工事用諸材料、工作機具存置しあることあり離着陸の際注意を要す・目下本場
は滑走路未完成に付練習機の単機着陸に辛じて使用し得る程度なりと言う。
施設 格納庫3(高さ約6米、間口約84米、奥行約50米のもの2棟、高
さ約6米、間口約42米、奥行約50米のもの1棟)(内2棟工事中なり)あり
・鉄塔及格納庫に障碍物標示燈(5箇)東西に並列し設置す・吹流柱1基・場
の南方敷地内に兵舎3棟、医務室、炊事場、浴室、倉庫油庫、弾丸庫、高架水
槽等の諸建築物あり。
其の他
本飛行場は飛行第5戦隊(近藤部隊)所属飛行場にして11月下旬立川より移
転せり目下整理中の飛行場地域及建築中の格納庫あり・航空諸施設未だ完備す
るに至らざるも飛行場完成の上は漸次充実の予定なり・北側にある射撃場の樹
木は伐採せられあり着陸には支障とならず。

D20_0001.jpg

赤マーカー地点。

この先から奥に向かって滑走路が伸びていたはず。

 

D20_0003.jpg

青マーカー地点。右奥の鉄塔は柏通信所。

営門跡。説明版がありました。

旧陸軍東部第105部隊の営門(全文)
 この門柱は、昭和13年(1938)11月に開設された柏飛行場の兵営施設の営門(旧陸軍東部第105部隊営門)で、建設当時の位置のまま残されています。右の写真は、施設正面を撮影したもので、営門や衛兵の姿、本部建物など戦争当時の状況を伺うことができる貴重なものです。柏飛行場は、現在の県立柏の葉公園を含む柏の葉、中十余二の地区にありました。昭和初期、中国との関係悪化から、「国土防空」特に「帝都防空」のため飛行場建設を急ぐ必要がありました。そこで昭和12年(1937)6月、陸軍の近衛師団経理部が新設飛行場予定地を旧東葛飾郡田中村十余二に計画し、地元の誘致運動もあり、同年9月に旧田中村、八木村(現流山市)にまたがる約145万㎡の用地を買収し、同13年1月に起工式が行われ、同11年に1,500mの滑走路1本を有する飛行場が完成しました。併せて同13年に東京立川から陸軍飛行第五戦隊が移転し、同17~18年(1942~1943)に兵員は700人を超えるまでになり、松戸、成増、調布などとともに同19年(1944)末から激しくなったB-29爆撃機による空襲に対し防空戦闘にあたりました。戦争末期の同20年1月には我が国初のロケット戦闘機「秋水」の基地となりましたが、テスト飛行で終わり、終戦を迎えます。戦後、米軍に接収され、同30年(1955)に「米空軍柏通信所」、トムリンソン通信基地が建設されましたが、返還交渉を経て、同54年(1979)に日本に全面返還となり現在に至ります。戦時中の様子を今に伝える市内に残された数少ない文化財です。平成24年3月31日 柏市教育委員会
 

 

D20_0008.jpg

説明版にあった飛行場図。

「陸軍飛行場便覧」によれば、終戦時の当飛行場は滑走路が2本クロスして描かれていて、

1,500mx100mが2本 舗装。とされています。

丁度上の説明版の、←1800m→のあたり。

ただし、1947年の航空写真(下記リンク参照)で見ても、1946年3月の写真でも、整地してあるようにしか見えません。

2014/9/20追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、千葉縣立東葛飾中學校滑空部が当飛行場を使用していたという記録が残されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


      千葉県・柏飛行場跡地     
「滑走路は柏の葉公園東側の道路に接していた」という説があります。先頭の地図は当時の写真等から注意深く作図したつもりなのですが、オイラの計算では接していません。ただし説明版の見取り図にもある通り、滑走路の中央付近にはターニングパッド?が設けられており、この一部が公園の道路に接していた可能性はあると思います

柏飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎柏市‎柏の葉
座 標:N35°53′58″E139°56′28″
面 積:145ha
滑走路:1,500m
方 位:15/33
(座標、方位はグーグルアースより)

沿革
1937年06月 帝都防空を任とする陸軍飛行場建設計画
    09月 用地買収
1938年01月 起工式
    11月 飛行場完成。 陸軍飛行第五戦隊が移転
1940年   この頃、 千葉縣立東葛飾中學校滑空部が当飛行場を使用
1945年01月  ロケット戦闘機「秋水」の基地となる。戦後接収
1955年   「米空軍柏通信所」建設
1979年   全面返還

関連サイト:
Wiki/柏飛行場   
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
現地の説明版
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」
防衛研究所収蔵資料:「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場 水路部」


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千葉県を回った話・1 [■旅行記]

無題1.png

 

7月末、急に2日間時間が取れたので飛行場回りをしてきたのでした。

上の地図、オレンジが初日にお邪魔した場所。グレーは行けなかった場所。

本当は茨城を回る予定だったのですが、2日間とも千葉の方が気温が低く、天気が良かったため、

急遽千葉を回ることに。

千葉県にはまだ行ったことのない飛行場/跡地が20、ヒコーキ関連の場所が4あります。

特に船橋市、千葉市、八千代市、八街市といったいかにも混雑しそうな場所に

行きたい箇所が固まっています。

2日間でどれだけ回れるか分かりませんが、ともかく柏市から南下し、房総半島を一周して、

時間があれば銚子市の方まで行くことにしたのでした。

 

4:35 自宅出発。

千葉県で自宅から最も近い柏飛行場跡地へ。

北側の滑走路端が一般道に近かったので、ここから撮ろうと決めました。

何の変哲もない道路をパチパチ。

6時台で犬の散歩中の人たちから訝しげな目を向けられながら撮影。

この跡地には営門と説明版が設置してあるとのことだったので探すことに。

「東武野田線豊四季駅から北に進むとある」との情報を頼りに探すと、

柏送信所の所に無事見つけることができました。

 

次。少し南下して松戸飛行場跡地へ。

ここは滑走路のあった場所がギッシリと住宅地になっています。

滑走路北端から撮影。

そして東武野田線を挟んで東隣に位置する海自の下総基地へ。

今回の2日間で唯一、きちんと現役の滑走路を撮ることができました。

8時台になり、本格的にサンビームが皮膚を直撃し始めました。暑い~。(XДX)

若い頃は、「オイラは沖縄の人間ですからね。こっちの暑さなんてへっちゃらですよ」 d( ̄∇ ̄*)

なんて得意げに言っていたのですが、今はもーダメです。

冬の方がいいです。

 

次。大慶園へ。

ここは一般的には「遊園地」という認識なのでしょうが、

敷地内のアチコチにヒコーキ関係の部品が展示してあり、ヘリポート、エアポートもあります。

入場料100円を払って園内へ。

入場券は園内のどこかに潜んでいる自販機で飲み物と交換できるということで、

園内を撮影しつつ探したのですが発見できませんでした。残念。

園内の駐車場で朝食のおにぎり弁当。

 

少し南下して船橋送信所跡地へ。

ここは元々「海軍無線電信所船橋送信所」で、

現在も巨大な円形の地割が見事に残っています。

一部公園になっており、園内のどこかに海軍境界杭があるとマリオさんから情報頂いていたのですが、

オイラは発見できませんでした。

また、自宅に戻ってからよく調べたら、ここにモニュメントと碑もあることが判明。

今回はお蔵入りにします。とほほ。

次、習志野飛行場へ。濃い緑の壁に阻まれ、滑走路視認できず。

次、船橋飛行場跡地へ。

ここには以前滑走路が2本ありました。

1本は現在ららぽーとの敷地内になっており、駐車場に向かう通路から撮れました。

おそうじおばさんから訝しげな眼で見られましたけど。

もう1本はどうやって撮ろうかと思案していたのですが、

ららぽーと屋上駐車場から跡地の道路が正面に伸びていたので撮影。

 

次。伊藤飛行機の滑走路跡地へ。

ここはマリオさんから頂いた情報で場所特定することができました。

ありがとうございました。m(_ _)m

公園入り口に説明版が設置されていました。

マリオさんから情報をいただいた時には、この公園は先の大震災の影響でブルーシートが痛々しかったのですが、

現在はブルーシートも取れていました。

ここまで見たところで12時。お握りを食べつつ次へ移動。

東京湾沿いに南下し、稲毛飛行場へ。

ここは伊藤飛行機繋がりの場所です。

大きな公園内に記念館があり、見学したのでした。

館内で見学していたら、公園から少し離れた場所にも碑があることが分かったので移動。

なんとここが飛行場跡地だったのでした。

 

その後一気に袖ヶ浦市まで南下。

第二木更津飛行場跡地撮影。

その後木更津市の陸自木更津駐屯地に移動。

撮影を終えたところで15:15。思った以上に進むことができました。

房総半島南端の館山に移動。

17:10 海自館山航空基地見学終了。

周辺に掩体壕が残っているとのことだったのですが、見つけられませんでした。

夕暮れが迫っているので今日はここまで。

次の見学ポイントは房総半島東側のいすみ市。

今日のうちにすぐ近くの道の駅に移動しておくことに。

20:00 道の駅「たけゆらの里おおたき」到着。

20:30 寝る。

おやすみなさい。

(続きます)

 

D20_0104.jpg

 

D20_0113.jpg

某所にて。


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残暑見舞い申し上げます [■ブログ]

なかなか涼しくなりませんね。(XДX)

仕事の日は朝から晩までひたすら運転してるかお客さんとしゃべってるかのどちらかのことが多いのですが、

週明けと比較して、週末には2.5kgほど体重が減ります。

(週明けには元にもどるんですけど)

お得意先でも熱中症で倒れる方が出てしまいました。

皆様もどうぞ体調お気を付け下さいませ。

 

とり。


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HondaJet・6 機体の特徴など [├雑談]

HondaJet・1 年表    
HondaJet・2 MH02    
HondaJet・3 エンジン開発    
HondaJet・4 OTWEM     
HondaJet・5 翼型  


機体の材質と構造

HondaJet の胴体は787でも採用された炭素繊維強化樹脂(CFRP)製です。

各部を成形した後、全体を組み合わせてオートクレープ(内部を高温高圧にできる大型炉)で硬化させると、

軽くて強い胴体が完成します。

で、胴体の材質は炭素繊維強化樹脂(CFRP)製なのですが、

その胴体を形作る構造は二つの種類が採用されています。

ハニカム材を間に挟んだハニカム・サンドイッチ・パネル構造と、

フレームにスキンを取り付けたスティフンド・パネル構造です。

HondaJet・5 で書きましたが、HondaJet は機首部分の形状が自然層流設計になっており、

これにより胴体全体の有害抵抗が10%ほど少なくなっているのだそうです。

自然層流は摩擦抵抗を低減できるのはいいのですが、

機首に沿って流れる気流が開発者の意図通りきちんと層流を維持するようになるには、

緻密な計算に基づいた非常に精度の高い工作が要求されます。

ハニカム・サンドイッチ・パネル構造は三次元形状に適しているため、まさにうってつけです。

反面、重くなりやすく、音の反響が強いのが短所。

そのためHondaJetでは、三次元表面形状が特に重要な機体の前部と後部にこの構造を採用しています。

 

一方、スティフンド・パネル構造は、機体の前後方向に伸びるストリンガと円環状のフレーム、外版から成る構造のことで、

ヒコーキの胴体に広く採用されている構造です。

この構造は単調な形状に向いており、軽く作ることができるのが長所です。

HondaJet では胴体中央部にこの構造を採用しています。

胴体を全複合材製にしたことにより、

同じものをアルミ合金で製造するよりも10~15%の重量軽減になったと推定されるのだそうです。

 

"元祖HondaJet"であるMH02は、787と同じく胴体も主翼もCFRP製なのが大きな特徴だったのですが、

HondaJet ではCFRPの使用は胴体部分だけに留め、主翼はアルミニウム合金を使用しています。

これはコストと軽量化効果のバランスを考えての選択なのだそうです。

 

機内の特徴

ここまで一連の記事で何度か触れましたが、ビジネスジェットは胴体後部にエンジンを取り付けています。

この場合、エンジン支持構造が胴体後部を貫き、

胴体の後部1/3はエンジンを保持、作動させるメカ等で埋め尽くされてしまうのですが、

HondaJet はエンジンを胴体後部から主翼上に移動したため、胴体の使い勝手が飛躍的に向上しました。

しばしば"ハチドリ"と例えられるそのイメージとは逆にキャビンは同クラス機と比べて非常に広くなっており、

胴体後部の空いた分をキャビン、トイレ、荷物室など様々な用途に活用できます。

例えば、このクラスの対座シートでは足元が向かい側の人と重なるのが普通なのですが、

HondaJet は充分な広さを確保できたため互いの足が重なりません。

実際に乗った方の感想も、まず「広い!」というものなのだそうです。

機内に入った瞬間「わあ広い!」と言えば、普段プライベート機に乗り慣れてる風を装えますね(o ̄∇ ̄o)

内装は2つのバリエーションがあり、操縦室2席+キャビン5席の7人乗りの標準仕様と、

操縦室2席+キャビン6席のエアタクシー向けの8人乗り仕様があります。

 

ビジネスジェットでは、様々な装置を装着した後に荷物室を設計するのが一般的で、

結果として小さなカーゴスペースが数か所あるという恰好になり、大きな荷物は搭載できないことも多いのですが、

HondaJet は1か所に大きな荷物室を設ける事が出来ます。

米国ではプライベートジェットをビジネス以外では遠くのゴルフ場に行く際に利用することが多く、

「ゴルフジェット」と呼ばれることもあることから、「6個の大型ゴルフバッグを積めること」を設計要件にしたのだそうです。

後部荷室は57キュービックフィート(約1,614L)の容積があり、

ノーズ部にも9キュービックフィート(約255L)の荷物スペースがあります。

 

また通常のビジネスジェットでは、トイレはカーテンで仕切っただけの緊急用のものが多く、

「ビジネス機を利用する時は事前にトイレを済ませておくこと」が常識なのだそうです。

HondaJetでは、きちんと個室の化粧室を設置することができました。

 

仕様

前述の通り、ビジネスジェットでは胴体後部に付いているのが当然のエンジンがHondaJet にはありません。

これにより胴体の1/3を占めていたメカメカしいものとエンジンの分、胴体が軽くなりました。

これは胴体を持ち上げる主翼付け根の負担軽減につながります。

HondaJet は重いエンジンを主翼の上に載せたわけですが、これは飛行中主翼がめくれ上がるのを防ぐ重石となります。

通常のビジネスジェットと異なり、胴体が非常に軽くなったこと、主翼にエンジンを載せたこと、

これらが相まって主翼付け根の負担が大幅に軽減され、その分構造の軽量化を実現しました。

 

更に、エンジンを主翼の下ではなく上に配置することで地上高を抑えることができ、脚を短く、軽くすることができました。

地上高が低いため、乗り降りも容易です。

また、「主翼の上にエンジン」というのは通常空力上のデメリットが出るのですが、

最適位置に配置する"OTWEM"方式により却ってメリットを生み出すことができました。

「低翼、エンジンは主翼の上」というのは、まさに美味しいトコ取りのレイアウトです。

 

他にも、抵抗と重量の低減を実現した複合材製胴体、摩擦抵抗の少ない層流設計(SHM-1)、

燃費に優れたGE Honda製ターボファンエンジンの搭載等、

こうした数々のHonda独自開発のアイディアが詰まった機体は、同クラスの中で秀でた性能を有するものとなりました。

性能やキャビンのサイズは上のカテゴリーを実現したのが大きな特徴で、

最高速度420ノット(約778km/h、このクラスでは700km/h以下が普通)

最大運用高度4万3千フィート(13,106m)

同クラスの機体よりもスポーティーで俊敏な操縦性能を実現

燃料タンクは主翼の中と胴体下にあって、搭載量は1,040kg。

航続距離は1,180ノーティカルマイル(約2,185km)で、燃費は他の小型ジェット機より30~35%優れています。

操縦系は最新のガーミン社製で、複数の情報を集中表示する高解像度平面デジタルディスプレイを採用しています。

こうした数々の特徴をもつHondaJetは、2006年10月にフロリダ州で開催された航空ショーで受注開始。

3日間で100件を越す受注を獲得し、「まるでパンケーキのように売れていく」と評されました。

 

今後もHondaJet 関連の記事を書くことはあると思いますが、シリーズ記事はこの記事で終わりです。

HondaJetは2012年5月4日には量産型4号機が初飛行に成功し、

現在のところ2013年中のデリバリーを目指しています。

 

最後にHondaJet のエンジン開発に当初から携わってきた藁谷氏の言葉をご紹介致します。

「今までを振り返ると、多くの失敗もありましたが、やはり自分たちが自らの手で作ってきたという誇りがあります。

Hondaには「松明は自分の手で」という言葉がありますが、正に自らの手で率先してやることが大事だと思います。

何かの基準を決めるときでも、最初にやった人には、何故そのような基準を決めたかが分かっており、

問題が発生しても柔軟に対応することが出来る訳ですが、その基準のみを頑なに守ろうとする次の人には、

必要に応じて基準を変更することがままならなくなってしまうこともあるのです。」


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家族に逢いたい! 避難わんこです! [■ブログ]

今回は最近お客様になったお宅の犬の話です。

オイラがそのお宅に行くと、その犬は必ず吠えます。

かなりけたたましく吠えます。

正直、(うるさいなぁ)と思っていました。

 

先日もそのお宅に(すんごい吠えられながら)お邪魔して仕事を終え、帰ろうとしたところで奥様から、

「もしよかったら」と1枚のパンフレットを頂きました。

一番上に「家族に逢いたい! 避難わんこです!」と書かれています。

どういうことか説明して下さいました。

 

この犬はずっとこの家で飼われているのではなく、

先の震災時、福島県南相馬市20km避難区域圏境でさ迷っていたたくさんの犬のうち一匹なのだそうです。

動物団体の方がそうしたさ迷っている動物を保護し、里親に名乗り出たこの家にやって来たのでした。

頂いたパンフによりますと、

保護時に青い首輪をしていました

年齢は3~4歳くらいのオスで保護時去勢なし

人なつっこく、甘えん坊 音に敏感でよく吠えます

と書かれていました。

 

犬は飼い主のことを絶対に忘れないといいます。

音に敏感でよく吠えるのは、もしかしたら生来のものではなく、

恐ろしい思いをして、遠く離れた見知らぬ土地で飼われているせいなのかも。

と仰っていました。

こんな仕方で元の飼い主から突然引き離され、境遇が激変してしまったのですから無理からぬことです。

散歩中、突然の音に敏感に反応し、物陰に隠れてしまったりするのだそうです。

 

なんとか元の飼い主に逢わせてやりたい。

そう考えてパンフレットを作り、方々で声を掛けているのですが、

このままここが終の地になってしまうのかもしれません。

そんな事情を聞くと、うるさく吠えられても、もう腹も立たない。

奥さんがいくら叱っても吠え続ける犬。

こういう時、動物とは言葉を交わすことができなくて切ないです。

 

実はお隣のお宅でも同様に避難犬を保護しているのですが、

重い心臓疾患があり、もって今年中ではないかとのことです。

こちらはその後元の飼い主が判明したのですが、事情でもう飼うことができないため、

この家で最後まで飼うことにしたのだそうです。

 

オイラに何かできないかと思い、奥様からブログ掲載の快諾を頂き、記事にさせて頂きました。

畑違いの弱小ブログですが、それでもヒコーキと無関係の検索ワードで引っかかって当ブログにお越しになる方もいますから、

可能性はゼロではないと思います。

この犬についてお心当たりのある方、いらっしゃいましたら先ずは当記事にコメントお待ちしております。

 

ラッシーみたいになるといいんですけど。


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秘匿飛行場 [├雑談]

戦争末期になると本土爆撃が日ごとに激しさを増してゆき、飛行場が爆撃の対象となりました。

そのため来るべき本土決戦に備えて、飛行場、航空機の温存に迫られました。

具体的には航空機温存のために掩体壕を造ったり、周辺の山の中に隠したりしました。

また1つの滑走路が破壊されても機能を失わないために複数の滑走路を造ったり、

北海道の計根別のように 飛行場群を形成したりした他、飛行場そのものを秘匿化するようになります。

上空から写真を撮られても、一見して飛行場だとバレないように偽装したり、

名称からバレないように、「牧場」と呼んだりしました。

前フリが長くなりましたが、「都内の某国道は秘匿滑走路であった」という情報をゲットし、行ってみたのでした。

 

D20_0023.jpg

「秘匿滑走路」とされる都内の某国道。

1947年の写真で確認すると、確かに約4.5kmに渡って直線が続いています。

早速最寄りの図書館へ行ってみたのですが、区史、史談集に空襲についての詳しい記述はあるのですが、

滑走路については一切出てきませんでした。

実はこの秘匿滑走路のこと、現在のところ1つのサイトでチラッと触れられているだけです。

飛行場系の記事については少なくとも2つ別々のソースがなければ出さないことにしているので、

今回は見送ることに。

(2015/4/20追記:この国道は秘匿滑走路でした)

 

実は埼玉県にも、「S市(坂戸市ではない)に飛行場があった」 という情報があるのですが、

この場所はちょうど隣の市との境になっていて、数年前に両方の市史を調べたのですが、

飛行場のひの字も出てこないため、お蔵入りにしていました。

ところが最近になって、この場所は単なる飛行場建設の候補地だったことが分かりました。

 

以前も少し書きましたが、現在「戦争遺跡を後世に残そう」という気運が全国的に高まっていて、

例えば半年前にはまったく情報のないナゾの飛行場だったのに、

その後地元の郷土史研究会等の調査によって詳細が明らかになるケースがいくつもあります。

今後も新たな情報が出るのを待ちたいと思います。


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大宮の中島飛行機飛行場跡地 [├空港]

  2012年4月 訪問 

D20_0100.jpg

埼玉県さいたま市北区にある大型ショッピングセンター「ステラタウン」。

 

D20_0102.jpg

富士重工の工場跡地に出来たショッピングセンターです。

富士重工と言えば、「昴」。

「天空に輝く星のように地域のお客様に夢と感動を与える空間でありたい」という願いを込めて、

「ステラ(星)タウン」と名付けられました。

 

そしてこのショッピングセンターのあった場所にかつて中島飛行機の飛行場がありました。

残念ながらここに飛行場があった。ということ以外は飛行場の正式名称、いつからいつまであったか等不明です。

情報お待ちしております。m(_ _)m 

中島知久平が飛行機会社を興したのは1917年。

先ずは地元尾島に飛行場を建設しました。

その後当地に飛行場が建設された訳なのですが、1931年にはここに大宮競馬場ができます。

そして競馬場廃止後、当地に中島飛行機の工場が建設されました。 

ということで、恐らく1920年代に存在していた飛行場なのだと思います。

 

大宮の中島飛行機飛行場跡地:map  


      埼玉県・大宮の中島飛行機飛行場跡地     
煉瓦造りの大煙突(高さ50m、頂部8畳分の広さ)は、昭和20年代後半、戦後初の国産航空機用ジェットエンジン「JO-1」の開発にも使用され、その後は汎用エンジンなどの試運転場の排気煙突としての役目を果しました。また、大宮市内でも最大級の煙突として、半世紀以上にわたり市民に親しまれてきたのだそうです

大宮の中島飛行機飛行場 データ
設置管理者:中島飛行機
空港種別:陸上飛行場
所在地:埼玉県さいたま市北区宮原町
座 標:N35°55′59″E139°37′29″

沿革
1917年12月 中島知久平、群馬県尾島町に飛行機研究所設立
          (現ステラタウンの場所に中島飛行機飛行場建設)
1931年     大宮競馬場開場
1939年     競馬場閉場
1942年06月 中島飛行機大宮製作所着工
1943年03月 製作所完成。海軍機のエンジン生産
1945年08月 敗戦。 富士産業大宮工場となる
1950年08月 大宮富士工業(株)となる
1955年04月 富士重工業大宮製作所となる。「ロビン」ブランドに代表される汎用エンジンや発電機などの生産
1995年09月 大宮製作所、埼玉製作所(北本市朝日)への移転完了
1999年03月 旧中島飛行機大宮製作所の大煙突解体工事開始
2004年04月 ステラタウン開業

関連サイト:
ステラモール公式サイト    
Wiki/ステラタウン   
国土地理院 1947年2月当時の写真(USA M46-A-7-3 96) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
ブログ内関連記事       


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引っ越しました [■ブログ]

予約投稿はしたのですが、ブログを一週間ほったらかしにしてしまいしまた。

コメント頂いたのにお返事もせず申し訳ありません。

7年間住んだアパートを昨日引っ越しまして(鶴ヶ島市民→坂戸市民になった)、

今日から3日間ホテル住まいでガッツリ研修です。

ソネットさんへの引越し連絡が遅れてしまったため、

自宅でネットができるようになるのは一週間ほど後になりそうです。

しばらく不安定なブログになると思いますが、今後とも宜しくお願い致します~。

とり。


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東京都・東京大空襲・戦災資料センター [├場所]

  2012年4月 訪問 

D20_0087.jpg

東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」。

 

D20_0086.jpg

館内の撮影は写真の接写のみNGでした。

 

東京は終戦までに百回以上の空襲を受けており、当館でいただいた資料によりますと、

空襲による死者数の総計は96,040人にも上ります。

各東京空襲による死者数は、そのほとんどが一桁から三桁なのですが、

1945年3月10日に325機のB29により行われた空襲の被害はその中で飛びぬけており、

死者数は83,793人と記されていました。

まさに「東京大空襲」です。

こうした基本的なことからして知らないことが多く、反省させられたのですが、

他にも展示資料が充実しており、いろいろ考えさせられました。

 

ーあまりの炎の勢いで酸素が無くなり、ポンプ車のエンジンが止まってしまい、消火作業ができなかった ー

大空襲当日消火を担当された消防の方のインタビューが強く印象に残りました。

奇しくも東日本大震災とは時を超えて前日にあたり、関係者の方々は両日を命と平和を考える日として

後世に伝えていきたいと書き綴っておられる資料が目につきました。

当館は戦禍の最も大きかった場所に建設されたのだそうです。

流石に当時とは比べ物にならない程立派な建物が並んでいるのですが、

住宅密集地という下町の様相は当時と同じです。

文字通り一面焼け野原となった当時の写真など思い出しつつ館を後にしたのでした。

 

D20_0089.jpg

 

東京大空襲・戦災資料センター:map  


      東京都・東京大空襲・戦災資料センター      

東京大空襲・戦災資料センター データ

開館日:水曜日~日曜日。3/9,10は曜日にかかわらず開館
運用時間:12時~16時
所在地:東京都江東区北砂1-5-4
協力費:一般300円
駐車場なし

沿革
1942年 04月18日 B25による初空襲
1945年 03月10日 東京大空襲
       08月15日 午前1時 最後の空襲
1970年 「東京空襲を記録する会」、文献、物品収集開始
1999年 都の「平和祈念館」建設計画凍結。これを受けて「記録する会」と政治経済研究所、民間募金
2002年 03月09日 センター完成
2007年 03月増築

関連サイト:
公式サイト    
国土地理院 1946年4月当時の写真(USA M99-A-5 5) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック) 
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