秘匿飛行場 [├雑談]
戦争末期になると本土爆撃が日ごとに激しさを増してゆき、飛行場が爆撃の対象となりました。
そのため来るべき本土決戦に備えて、飛行場、航空機の温存に迫られました。
具体的には航空機温存のために掩体壕を造ったり、周辺の山の中に隠したりしました。
また1つの滑走路が破壊されても機能を失わないために複数の滑走路を造ったり、
北海道の計根別のように■ 飛行場群を形成したりした他、飛行場そのものを秘匿化するようになります。
上空から写真を撮られても、一見して飛行場だとバレないように偽装したり、
名称からバレないように、「牧場」と呼んだりしました。
前フリが長くなりましたが、「都内の某国道は秘匿滑走路であった」という情報をゲットし、行ってみたのでした。
「秘匿滑走路」とされる都内の某国道。
1947年の写真で確認すると、確かに約4.5kmに渡って直線が続いています。
早速最寄りの図書館へ行ってみたのですが、区史、史談集に空襲についての詳しい記述はあるのですが、
滑走路については一切出てきませんでした。
実はこの秘匿滑走路のこと、現在のところ1つのサイトでチラッと触れられているだけです。
飛行場系の記事については少なくとも2つ別々のソースがなければ出さないことにしているので、
今回は見送ることに。
(2015/4/20追記:この国道は秘匿滑走路でした■)
実は埼玉県にも、「S市(坂戸市ではない)に飛行場があった」 という情報があるのですが、
この場所はちょうど隣の市との境になっていて、数年前に両方の市史を調べたのですが、
飛行場のひの字も出てこないため、お蔵入りにしていました。
ところが最近になって、この場所は単なる飛行場建設の候補地だったことが分かりました。
以前も少し書きましたが、現在「戦争遺跡を後世に残そう」という気運が全国的に高まっていて、
例えば半年前にはまったく情報のないナゾの飛行場だったのに、
その後地元の郷土史研究会等の調査によって詳細が明らかになるケースがいくつもあります。
今後も新たな情報が出るのを待ちたいと思います。