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船橋飛行場跡地(初代) [├空港]

   2012年7月訪問 2021/1更新  


無題a.png
撮影年月日1963/06/26(昭38)(MKT636 C8 43) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

千葉県‎船橋市‎のららぽーと。

かつてここに「船橋飛行場(初代)」がありました。

ここには「船橋ヘルスセンター」という一大レジャー施設があり、

この施設内に遊覧飛行用の転圧滑走路が設けられました。

10分間1人1,000円で遊覧飛行が行われていたのだそうです。

ここに滑走路があったのは、1958年~1965年。

上に貼った航空写真は1963年撮影ですから、絶賛運用中のもので、よーく見るとヒコーキ写ってます^^

D20_0072.jpg

赤マーカー地点。

この道路に沿って左側に滑走路が伸びていたはずです。


      千葉県・船橋飛行場跡地(初代)      

船橋飛行場(初代) データ

所在地:千葉県‎船橋市‎浜町‎2丁目‎
座 標:N35°41′08″E139°59′23″
標 高:7m
滑走路:540mx20m?
方 位:11/29
(座標、標高、滑走路長、方位はグーグルアースから)

沿革
1955年11月 船橋ヘルスセンター開業
1958年    滑走路完成
1965年07月 滑走路移転

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コメント(13)  トラックバック(0) 
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コメント 13

an-kazu

この辺の週末R357は渋滞が酷いですが、
こんどハマったらそんな過去に思いを馳せましょうかね(^^)
by an-kazu (2012-09-10 09:34) 

tooshiba

約50年前とは時代が変わりました。
開発が進んだ証拠ですね。
by tooshiba (2012-09-10 12:33) 

マリオ・デ・ニ−ロ

小学生のロック岩崎さんがこの遊覧飛行機に乗ろうと画策していたそうです。
(最強の戦闘機パイロット、P145)この辺はロックさん達の遊び場だったそうです。
by マリオ・デ・ニ−ロ (2012-09-10 19:10) 

鹿児島のこういち

昭和30年代の大卒の初任給が、だいたい1万円前後ですから、10分1000円ってことは、今なら2万円くらいですかね(^_^;)お金持ちでないと遊覧飛行もままなりませんね┓( ̄∇ ̄;)┏
ちなみに旅客運賃が羽田―札幌間が、1万100 円だったそうです。初任給まるまるだそうです。確か、ハワイ旅行が33万円で月給33ヵ月分って話しだったと思います。為替レートが1$360円の固定為替じゃなかったでしょうか?
飛行機乗るのって高かったのね(´A`)
by 鹿児島のこういち (2012-09-11 11:11) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■an-kazuさん
そうすれば酷い渋滞でも多少はマシかもしれないですね^^;

■tooshibaさん
ダイナミックな変貌を遂げた場所なのですね~。
オイラ、ザウスはまだあるのかとばかり。。。

■マリオ・デ・ニーロさん
ロックさん縁の場所でもあるのですね~。
そう思うとまた感慨深いものがあります。

■鹿児島のこういちさん
そうやって換算してもらえると非常にイメージし易いですね。
ここの遊覧飛行について調べてたら、「庶民には高根の花」と表現されていたのですが
このお値段なら納得です。
2人で乗ったら10分四万円ですからね(XДX)

ところで話は変わりますが、昨日鹿児島ナンバーの車が
川越インターに入っていきましたよ^^
こちらで鹿児島ナンバーの車をみることはそうそうないので
奇跡のような出来事でした。
by とり (2012-09-12 06:11) 

koume

2の方から読んじゃった。
ちょっと寂しい歴史ですね。
10分1000円だったら、乗ってみたいけど…落ちたら嫌だけど^^;
by koume (2012-09-12 18:17) 

鹿児島のこういち

鹿児島でも関東ナンバーの車は珍しいですよ(^○^)仕事か大学生かですから。あと、沖縄ナンバーも珍しいです。たいがい大学生ですね(^O^)僕も以前長野ナンバーに乗ってました!それは秘密ですヾ(・_・;)
by 鹿児島のこういち (2012-09-12 20:42) 

とり

■koumeさん
>2の方から読んじゃった。
オイラもよくやります^^;
1,000円だったらオイラも是非乗ってみたいです。
落ちるのは嫌ですが。

■鹿児島のこういちさん
鹿児島でも沖縄ナンバーは珍しいんですね。
そのうち鹿児島を所沢ナンバーの車で走る予定です^^
by とり (2012-09-14 06:05) 

アギラ

連日すみません。(忘れないうちに)
鶴見の第一航空学校の移転先を探していたら「目で見る船橋の100年」
という写真集(郷土出版)に第一航空学校(昭和11年頃)の複葉機
(J-TOXC)と屋根に吹き流しの付いた平屋の写真が1枚ありました。
そのキャプションには「船橋―千葉間の遠浅海岸には、大正時代から
昭和10年代、干潮時の海岸を滑走路とする民間の飛行学校がいくつ
も存在した。
そのうち最も西にあったのが船橋町五日市の第一航空学校で大正12年
に鶴見に開校 同15年に船橋に移転した。
昭和12年当時、飛行機15機を所有していたが翌13年廃校になった。」
とありました。
という事は学校の数だけ滑走路があったという事でしょうか?
船橋の五日市が現在は宮本という場所でした。
地図で見てみると奇しくも旧船橋ヘルスセンター隣接地でした。
ここでは遊覧飛行だけでなく戦後も飛行訓練をしていたそうです
(1時間6千円位:別資料)ので当時との関連を強く感じて
しまいました。私もここで遊覧飛行をしてみたかったです。


by アギラ (2014-07-30 13:10) 

とり

■アギラさん
こちらにも情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-07-31 05:49) 

とり

■アギラさん
こちらも貴重な情報ありがとうございました。
本当に船橋ヘルスセンター隣接地ですね(@Д@)
オイラも遊覧飛行体験してみたいです。

1944年撮影の宮本付近↓
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=745242&isDetail=true
廃校から6年後の写真ですが、如何にも飛行場っぽい四角の更地が目を引きます。
「干潮時の海岸」というよりは、埋め立て地っぽいですけど^^;
それでも当時、この周辺は既にこれだけ開発が進んでいたのですね。
>学校の数だけ滑走路
船橋―千葉間の海岸沿いには、オイラが分かっているだけでも、
件の伊藤飛行機の鷺沼海岸飛行場、稲毛海岸飛行場、白戸飛行機教習所の3飛行場があります。
洲崎のように一つの滑走路を共同で使用するケースもあったかもしれませんが、
沢山あったとしても不思議はないですね。
「教えて下さい」記事にリストアップさせて頂きます。
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-08-03 16:06) 

アギラ

写真を資料でのご教示をありがとうございました。

ニュースで口永良部島の火山が噴火というのがありましたので
見返してみましたら以前行かれたのは薩摩硫黄島でしたね。
失礼しました。
by アギラ (2014-08-03 18:04) 

とり

■アギラさん
>口永良部島の火山
知りませんでしたΣ(゚Д゚;)
いおうじまの方は(遠いですけど)普通に行けるんですけどね~。
by とり (2014-08-04 05:37) 

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