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誉田飛行場(平川滑空場)跡地 [├空港]

   2012年7月、2021年6月訪問 2021/6更新  


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撮影年月日1947/02/22(昭22)(USA M50 111) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1/50000「千葉」昭和19年部修「今昔マップ on the web」より作成

千葉県‎千葉市‎緑区‎平川町‎にあった「誉田(ほんだ)飛行場」。

元々は逓信省航空機乗員養成所の「平川滑空場」でしたが、陸軍に接収されて「誉田飛行場」になりました。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

に当飛行場の情報がありました。

飛行場名  誉田
位 置   千葉県千葉郡誉田村
規 模   要図(1200)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 一〇〇名分
 格納施設 掩体 無蓋十二ヶ所
摘 要   施設官有

2020年現在、オイラが集めた防衛研究所収蔵資料の中では、これが唯一の情報です。

要図は本当に大まかなもので、"1200"と書き込みがあるのみでした。

たくさんのサイト様で、青マーカーの位置に格納庫跡があると情報があり、

この周辺に飛行場があったことは確定なのですが、

当時の航空写真を見てもなかなか1200m滑走路の線を拾うことができませんでした。

少々強引なのですが、きちんと1,200mの直線が引ける地割で探すと、オイラには上の地割しか見つけられませんでした。

実は探し出した唯一の線を拾って作図したところ、1,120mだったため、北側に80m伸ばして帳尻合わせをしています。

この作図だと、現在のいかにもな整然と区画整理された地割とは角度が大きくズレてしまうのですが、

上に貼った昭和19年の今昔マップをご覧の通り、飛行場があった当時この碁盤の目のような道路はありませんでした。

当時の地割の中では、この角度が自然なのではないかと。

まあオイラの壮大な勘違いの可能性もあるんですが、今のところ適当な資料が見つからないため、

多分こんな感じ。ということで載せておきます。

 

飛行場を分散秘匿するための誘導路は、畑をつぶして転圧しただけのものであり、

付近の家の欅(けやき)の大木などは離着陸の障害になるからと枝落としされたのだそうです。

戦後跡地は帰農者に払下げられ、現在は格納庫跡のコンクリート製土台が畑の中に残るだけとなっています。

「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」には、

「ここは第10飛行師団の秘匿飛行場として計画されたが、結局赤トンボの名称で親しまれた九五式練習機数機が飛来して来たという。」

とありました。

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黄色マーカー地点

この辺りから画面奥に向かって、左側が滑走路だったはずです。

DSC_0025_00001.jpg

赤マーカー地点

同じくここから画面奥に向かって右側が滑走路だったはずです。

DSC_0033_00001.jpg

青マーカー地点

無人だったため、道路から撮らせて頂きました。

コンクリが並んでいます。


      千葉県・誉田飛行場(平川滑空場)跡地      

誉田飛行場(平川滑空場) データ

設置管理者:逓信省→陸軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:千葉県千葉郡誉田村(現・千葉市‎緑区‎平川町‎)
座 標:N35°32′44″E140°14′26″
標 高:69m
面 積:150ha
滑走路:1,200mx100m?
方 位:02/20?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1943年    起工
1944年06月 完成。 滑空場として予備学生及び少年航空兵のグライダー飛行訓練に使用されていた
        後に実戦機の飛行場となる
        戦後は帰農者に払下られる

関連サイト: 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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コメント 6

ジョルノ飛曹長

昔の小規模な飛行場は舗装していないから、奇麗に畑に戻ってしまうんですね^^
by ジョルノ飛曹長 (2012-10-10 12:49) 

鹿児島のこういち

誉田と書いて「ほんだ」と読むのですね。「ほまれだ」かと思ってました(^^ゞ
払い下げしたときはスムーズに終わったのでしょうか?スムーズに終わったのなら、万々歳ですよね(^o^)
by 鹿児島のこういち (2012-10-10 15:08) 

まめ助の母

ほんとにお国のためって感じですよね
昔の方は我慢強かったんでしょうね
払い下げしてもらえてよかったのかな?
by まめ助の母 (2012-10-10 21:47) 

me-co

この辺りは、随分と都市化が進んでいるのかな?と思いきやそうでもないんですね。地形的に牧草地には適していると思いますが、滑走路には・・・転圧しただけでしょ?しかも昔は、今みたいな土木機械じゃないし=かなり無理無理だったのでは。
by me-co (2012-10-11 01:33) 

tooshiba

昨今の減反政策とは直接関係ないかもしれませんが、手前の荒れ地は「名ばかり生産緑地=の仮面を被った耕作放棄地」臭さがぷんぷんします。(^_^;
by tooshiba (2012-10-11 10:30) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■ジョルノ飛曹長さん
そうですね~。
終戦から2年後の写真で見ても転圧式はもう跡形もないことが多いですし。
地元の方としては喜ばしいことでしょうね。

■鹿児島のこういちさん
>「ほまれだ」
オイラもです^^;
払い下げが実際のところどんな様子だったかは不明なのですが、
スムーズにいっていて欲しいです。

■まめ助の母さん
>お国のため
地元の方の苦労はまさにその言葉に尽きますね。
そのまま軍事施設として使用が続くケースも多いですから
これで良かったのではないかと思います。

■me-coさん
この周辺だけ自然が豊かな感じでした。
起伏に富んでいて、とても飛行場があったとは思えない場所でした。

■tooshibaさん
>名ばかり
オイラ不勉強でその辺のところはまったく知りません。
表面上生産緑地にしておいたり。とかあるのですか。
by とり (2012-10-12 05:30) 

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