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城東練兵場跡地 [├空港]

   2010年8月訪問 2023/1更新   


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(昭和9年10月撮影)高度250米 方位WNW 距離1,000米
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1934年(昭和9年)10月調査資料添付地図 Translation No. 31, 12 March 1945, Airways data: Kinki Chiho (A). Report No. 3-d(29), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)

大阪城のすぐ東に隣接する大阪市交通局、中浜下水処理場。

かつてこの周辺は陸軍の「城東練兵場」で、日本の航空黎明期には飛行場としても使用されていました。

先頭のグーグルマップは、上に貼った国立国会図書館デジタルコレクションから作図しました。

青マーカーのところに大阪朝日、毎日新聞の格納庫、吹き流しがありました。

明治44年3月、アメリカ人マース氏が当練兵場にて、

関西で初めてとなるカーチス式複葉機の飛行を披露したのだそうです。

実はこの飛行の翌月、当練兵場にて大変なことがありました。

「南国イカロス記 かごしま民間航空史」28pにはこうあります。

森田式単葉機 一九〇九年(明治四二年)、大阪の骨とう商・森田新造は、パリでグレゴアジ
ップ45馬力発動機を買い求めた。帰国すると、弓師の大西光藏を雇い入れて、プレリオ単葉機を
模した単葉機を製作、発動機を搭載した。明治四四年四月二十四日、大阪・城東練兵場で滑走
試験をしたところ、いつの間にやら一㍍ほど飛び上がった。ジャンプ程度だったのか、飛行した
のか必ずしも明確ではない。何度目かに、前を横切ったパン屋の小僧を翼でひっかけて気絶させ、
号外が出るというさわぎで、母堂が泣いて止めたので、以後の飛行機研究をやめざるを得なかった」

「国内初飛行」は1910年(明治43年)12月19日、

代々木練兵場でのアンリ・ファルマン機と、グラーデ機によるもので、

国産機による国内初飛行」は、今日一般に「1911年(明治44年)5月5日 奈良原三次の奈良原式2号機」

ということになっているのですが、

森田新造氏の森田式の飛行は同1911年(明治44年)4月24日でしたから、奈良原氏より11日早く、

これがちゃんとした飛行と認められていれば、「国産機による国内初飛行」は、奈良原氏ではなく、

森田氏ということになります。

惜しむらくは、森田氏の飛行が「飛行」なのか、「ジャンプ」なのか、微妙であり、

今となっては確かめようもないこと、

そしてこの1回きりで、飛行の一切を止めてしまったことでした。

対して奈良原式2号機の方は、この後も練習機として飛行実績を重ねており、

奈良原氏も、初の民間飛行場開設、パイロット養成、種々の飛行機製作に携わり、

「日本航空界のパイオニア」として知られることになるのでした。


奈良原式の方も、1号機用のエンジンがちゃんと注文通り届いていれば、

初飛行はもっと早かったはずだとかいろいろあるのですが、

森田氏もエンジン入手から2年後には自作機で飛行までこぎ着けてますから凄いことです。

環境って重要ですね。

残念…。

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報知新聞社 編『報知年鑑』大正15年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2023-01-25) 

これは、国立国会図書館デジタルコレクション「報知年鑑 大正15年」「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」

の一部です。

当飛行場について載ってます。

管理人 東西定期航空会 大阪毎日新聞社
種類 陸上
位置 大阪府東成郡中本町城東練兵場
面積 127,000坪 

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下水処理場と、

D20_0007.jpg 

その前の通り


      大阪府・城東練兵場跡地      

城東練兵場 データ

設置管理者:旧陸軍
所在地:大阪府‎大阪市‎城東区‎森之宮‎
座 標:N34°41′12″E135°32′16″
標 高: 15m
面 積:42ha
(座標はグーグルアースから)

沿革
1911年03月 アメリカの飛行団が飛行を行う
    04月 24日 森田新造氏、森田式による飛行
1919年   帝国飛行協会主催の東京-大阪間懸賞郵便飛行のゴール地点となる
1923年   東西定期航空会が東京-大阪を結ぶ定期航空(郵便)を開設
1928年   東西定期航空会が旅客・貨物輸送開始
1929年   東西定期航空会解散。定期便や訪日機は木津川を使用。残った報道機も伊丹飛行場開港により移転
        その後大阪砲兵工廠の拡張に伴い、跡地に工場が建設される

関連サイト:
城東練兵場(当練兵場が飛行場としてどのように運用されたか、非常に詳しく書かれています)  

この記事の資料:
南国イカロス記 かごしま民間航空史


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コメント 6

鹿児島のこういち

関西で初めての飛行が、アメリカの飛行団ですか、なかなかオシャレですね(^O^)
当時、複葉機が「ふわっ」って浮き上がるところを目の当たりにした人々は、何を感じたのでしょう?明治44年でしたっけ?43年でしたっけ?f^_^;富国強兵から大正モダンへと変遷して行く中、飛行機に「夢」を見たのだろうなぁ(^O^)
by 鹿児島のこういち (2010-12-27 17:55) 

sak

ここに飛行場があったのですね
全然知らなかった
地元の人でも知らない人多いかも...
やっぱりとりさんってすごい♪
by sak (2010-12-27 20:20) 

an-kazu

へぇ、こんなところがφ(..)メモメモ
by an-kazu (2010-12-28 01:32) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
>飛行機に「夢」
当時の記録を見ると、「ヒコーキ見物に数万の群衆が」とか出てきますからね。
きっと物心ついた時にはとっくにヒコーキが当たり前に飛び回っている我々には想像もつかない程の感慨なんでしょうね。

■sakさん
オイラも調べて初めて知ったクチですから^^;
ここは終戦時にはとっくに消滅してますからね。超マイナーな部類ですね。

■an-kazuさん
大阪城の隣でこんなことしてたんですね~。
by とり (2010-12-29 05:30) 

ハイマン

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
マニアック私も大好きです^^v
by ハイマン (2011-01-07 22:43) 

とり

■ハイマンさん
返事遅くなって申し訳ありませんm(_ _)m
今年もマニアックでいきますので、こちらこそどうぞよろしくお願い致します。
by とり (2011-01-19 07:03) 

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