SSブログ

彦根航空基地(八徳、久徳、木曽、多賀飛行場)跡地 [├空港]

   2010年11月、2018年5月訪問 2022/1更新  


無題7.png
撮影年月日1947/11/03(USA M624 253)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

上のグーグルマップは、滋賀県平和祈念館に展示されている当飛行場位置図から作図しました。

当時の航空写真を参考に作図することが多いのですが、

祈念館の展示資料から作図して、航空写真で確認したら、「おお、確かにそれっぽい地割が写ってる!」

という、普段とは逆パターンです。

滋賀県彦根市にあった近江繭糸(現・オーミケンシ)は、1943年に「近江航空工業株式会社」を設立。

1945年には零戦を完成させることができるようになりました。

完成した機体は艀に載せて琵琶湖対岸の滋賀航空隊に輸送していました。

しかしこれでは効率が悪いということで、工場近隣に飛行場を建設することになりました。

そして白羽の矢が立ったのが彦根市の東隣にある多賀町‎。

芹川畔の田園地帯に「彦根海軍航空基地」が建設されることになりました。

1945年6月末に設営隊が着任。

計画では7月末迄に30mx600m、8月末迄に60mx1,200mの滑走路を完成させることになっていたのだそうです。

結局、滑走路がほぼ完成したところで終戦を迎え、飛行場は元の圃場に戻ったのでした。

■滋賀県平和祈念館の展示より:
 昭和20(1945)年6月より、多賀町木曽から久徳にかけて木曽飛行場の造成工事が着工されました。計画では、滑走路の規模は700mx50mだったようです。未完成のままに終戦となり、テスト着陸の数回を除くと実際に使用されることは、ほとんどありませんでした。のちの調査では、飛行機を隠す掩体壕などの関連施設も建設が始まっていたことがわかりました。

■防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」

の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:彦根 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:700x50方向NE 主要機隊数:小型 主任務:退避 其ノ他記事:工事中

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  舞鶴
牧場  彦根
滑走路 五〇×六〇〇(六〇×一,二〇〇)
縣郡村 滋賀、大山? 久徳村 
記事  五〇×六〇〇七月末 六〇×一,二〇〇八月末(三菱社)

DSC_0127.jpg

青マーカー地点

ここから奥に向かって滑走路が伸びていたはずです。

 

DSC_0124.jpg

赤マーカー地点

飛行場の北西約4km、彦根市外町にあるJRと近江鉄道本線の踏切。

DSC_0122.jpg

 その名も「近江航空踏切」。

「近江航空工業株式会社」の名残です。

 

■多賀土田池の零戦

終戦時零戦で帰郷したパイロットがいて、零戦を米軍から隠すため、

分解して多賀土田池(紫マーカー)に沈めたという証言があります。

これを引き上げようとする会があるのですが、現在は活動休止状態のようです。

個人的には是非とも引き上げて欲しい。

地元の事情も知らずにこんなこと書くと無責任かもしれませんが、

テレ東の「池の水全部抜く」に企画持ち込みなんてどうでしょう?


      滋賀県・彦根海軍航空基地跡地     
彦根航空基地 データ
設置管理者:海軍
所在地:滋賀県‎犬上郡‎多賀町‎木曽‎
座 標:N35°14′10″E136°17′18″
滑走路:1,200m×60m?(作図だと 745mx50m) 
方 位:12/30
標 高:123m
(座標、方位、標高はグーグルアースから)

沿革
1945年06月 着工
     08月 終戦のため工事中止。戦後は元の水田に

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ) 
多賀池旧海軍機保存会■(リンク切れ)   

この記事の資料:
滋賀県平和祈念館展示資料
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」


コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 10

コスト

>終戦時零戦で帰郷、分解して沈めた
戦闘機で基地に帰るじゃなくて帰郷したのもすごいですが、
分解して沈めたのはもっとすごいですね^^

前記事のクイズの回答Aで。
そんなに圧縮室に多くは行かないような気がしますんで^^;
by コスト (2011-05-06 10:02) 

sak

零戦の引き上げ、ワクワクしますね
実現するといいなぁ
by sak (2011-05-06 14:15) 

ジョルノ飛曹長

零戦を隠したという言い伝えは比較的各地で残っているので、ぜひ本格的に国が発掘して欲しいですよね。
民間ではなかなか発掘できない場所もあるようです。
by ジョルノ飛曹長 (2011-05-06 17:27) 

Takashi

零戦の引き上げ、興味あります。
終戦時には、いろいろな物を廃棄したり埋めたりしたそうですね。
もし、それが残っていたならば、貴重な資料となったことでしょう。
by Takashi (2011-05-06 22:28) 

miffy

零戦、分解して沈めたのなら探すの大変そうですね。
池の水を全部抜いちゃう方が簡単に探せそうですが、無理かな~
by miffy (2011-05-06 22:45) 

鹿児島のこういち

>挺身実らず…幻の彦根海軍飛行場
>多賀池旧海軍機保存会
どちらも拝見しました。
夢のある話しですね(^0^)/
しかし、気になる事もあります。挺身実らず・・では鹿屋から帰郷と書かれ、多賀池・・では鹿島から帰郷と書かれています。
鹿児島と茨城ですが、滋賀まではどちらも、かなりの距離があります。飛行禁止をかい潜りとありますので、戦闘機飛行禁止が発令された8月18日から日本国籍機飛行禁止が発令された22日以降と思われます。
米軍機が日本全土にわたり、抵抗しないようにと大量のビラをまいていた時分に、発見されずに長距離を零戦で飛べたかってことです。
個人的には、飛んで帰って欲しいのですがf^_^;
この池には、ダイビングで潜ってはいないんですかね(^O^)潜ってみたいなぁf^_^;
by 鹿児島のこういち (2011-05-07 12:21) 

an-kazu

地図に見える川(水路?)が迂回しているように見えるのも、
名残の一つなのでしょうかね・・・
by an-kazu (2011-05-07 16:00) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■コストさん
終戦時、ヒコーキで帰郷の許可を出した。という話はチラホラあるんですよ^^
クイズの答えはAですか。ふふ。

■sakさん
なんとか実現して欲しいですね~。
本当に今も沈んでいるのなら、引き上げてあげたいです。

■ジョルノ飛曹長さん
>各地で残
そうなんですかΣ(゚Д゚;)
それは是非とも発掘して欲しいですね。

■Takashiさん
我々の地元周辺は航空基地がたくさんありましたから、思わぬ場所にビックリするようなものが埋まっている可能性もあるわけですね。

■miffyさん
確かに水を抜いちゃうのが確実ですね。
栓のありかさえ分かればオイラが抜いちゃうんですが…(o ̄∇ ̄o)

■鹿児島のこういちさん
本当に戻っていたとすると、よくぞ無事に帰り着いたものだと思いますよね。
鹿児島のこういちさんに是非潜ってみていただきたいです(o ̄∇ ̄o)

■an-kazuさん
(おおよそこの範囲に滑走路があったはず。あって欲しい)という程度のものなので、
オイラには何とも言えません^^;
by とり (2011-05-08 06:56) 

AHIRU

零戦は考えにくいですね。
着陸後の機体を目撃した人にうかがったのですが、「ボロボロの機体だった。」とのこと。勿論、機種不明です。 
現地にて焼却したとの話もあります。
また、未完の滑走路で零戦が無事に着陸するのは難しい状況であったと思われます。 なんせ作業に女学生も加わり、全て人力造成の滑走路なんですから。
推測するに、機体は「白菊」。現地焼却され、残骸を多賀池に投棄したのでは・・・・。
by AHIRU (2018-06-04 12:50) 

とり

■AHIRUさん
貴重なご意見ありがとうございました。
by とり (2018-06-04 20:12) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0