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天龍陸軍飛行場跡地 [├空港]

   2010年11月,2015年9月訪問 2020/11更新  


無題.png
撮影年月日1946/05/22(USA M142-A-5No3 10) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

 

静岡県磐田市にあった「天龍陸軍飛行場」。

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」の中に地図があり、

先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

「天龍陸軍飛行場 静岡県磐田郡袖浦村」

面積 北北西-南南東1,200米 北北東-南南西1,350米 総面積170萬平方米 
地面の状況 植芝密生する平坦地なり、地盤は概ね堅硬
目標 天龍川河口
障碍物 (記載なし)
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 格納庫(間口60米、奥行40米)1棟 (間口30米、奥行40米)1棟
照明設備 (記載なし)
通信設備 陸軍無線電信所あり
観測設備 (記載なし)
給油設備 あり
修理設備 (記載なし)
宿泊設備 (記載なし)
地方風 (記載なし)
地方特殊の気象 (記載なし)
交通関係 (記載なし)
其の他 (記載なし)
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  天龍
位 置   静岡県磐田郡神浦村
規 模   要図(東西1500 南北1200)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 一〇〇名分
 格納施設 (記載無し)
摘 要   施設軍有

当飛行場は滑走路の正確な位置が不明だったんですが、清水市の図書館で資料探しをしていた際、

「明野陸軍飛行場 天竜分教所 天竜町郷土研究会」29pに滑走路を明示した地図を見つけたのでした。

資料によりますと、滑走路といっても舗装もなく、土を転圧して多少高めの程度であったのだそうです。

夜間訓練のために目標灯等が敷設されていました。


D20_0036.jpg

赤マーカー地点

第一滑走路はここから伸びていたはずです。 

D20_0039.jpg

黄色マーカー地点

第二滑走路。

西を向いて撮ってます。

ここは工業団地で滑走路端はどちらも「一面の壁」という絵になってしまうため、途中から撮りました。

D20_0149.jpg

青マーカー地点

「袖浦公園」が整備されており、戦闘機と格納庫の一部を見ることができます。

説明板が立っていました。

明野陸軍飛行学校 天竜分教場跡(全文) 戦争が拡大するにつれて、陸軍は多数のパイロットが必要となり、天竜分教場はその養成のための飛行場として造られました。昭和十四年(十九三九)に工事が始められ、約二百ヘクタールの耕地や池などを埋め立て、四つの格納庫と東西約千六百メートルの滑走路二本、射撃場、兵舎が建設されました。練習機(二人乗り)や九七式戦闘機、一式戦(隼)などの飛行機を使い、実戦に参加できる訓練が行われました。戦争末期には、アメリカ軍の攻撃を受け、近隣の家も大きな被害を受けました。戦後、天竜分教場跡は開拓され、現在は公園内に格納庫の一部が残るのみです。 平成一九年三月 磐田市教育委員会文化財課

D20_0151.jpg

戦闘機にも説明板があり、「F-86F 昼間戦闘機」と紹介されていました。

昼間戦闘機…。時代を感じる表現ですね。昭和32年製造だそうです。


      静岡県・天竜陸軍飛行場跡地      

天竜陸軍飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:静岡県磐田郡神浦村(現・磐田市‎飛平松‎)
座 標:N34°39′50″E137°49′35″
標 高:5m
飛行地区: 北北西-南南東1,200米 北北東-南南西1,350米
面 積:約198ha
第一滑走路:960m(08/26)
第二滑走路:1,130m(08/26) 
(座標、標高はグーグルアースから。他は防衛研究所収蔵資料から)

沿革
1939年    着工
1942年01月 完成。明野陸軍飛行学校 天竜分教場として訓練が行われる
        末期には米軍の攻撃を受ける
1945年08月 分教場廃止。戦後開拓される

関連サイト:
磐田のお宝見聞帳  

この記事の資料:
現地の説明版
明野陸軍飛行場 天竜分教所 天竜町郷土研究会
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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コメント 12

sak

昼間戦闘機...
夜は飛べなかったのですね(^^;
by sak (2011-02-16 10:09) 

鹿児島のこういち

わ-い、F86戦闘機だぁ(^O^)ゴジラやガメラの映画には、かかせない戦闘機ですよぉ!食いつきましたぁ(^0^)/
自分が戦闘機の形はこうだ!と思ってた時代にF4ファントムが自衛隊に配属されたら、あまりの形の違いに、デカすぎて戦えるのかよって思ってましたf^_^;
でも、プラモはファントムを一所懸命作ってましたねぇf^_^;
by 鹿児島のこういち (2011-02-16 10:29) 

Takashi

F-86は入間基地にも展示されています。
そんな入間基地の記念館リニューアルですが、開館が一年延びて平成24年3月になってしまいました。
by Takashi (2011-02-16 12:15) 

miffy

F-86は父が乗ってたみたいで、家に写真があります。
by miffy (2011-02-16 20:55) 

an-kazu

ココも、言われてみれば周囲と比べて違和感のある地図が
当時の名残のような気がしてきますね(^^)
by an-kazu (2011-02-16 22:30) 

tooshiba

今となっては、当時の様子を偲べるものはなさそうですね。(景色的に)

F-86F 昼間戦闘機は、現役のときにはずいぶんと活躍した機体のようですね。
それにしても、柵などでガードもしないで展示するとは、大胆ですね。(^_^;
SLとか鉄道車両なら、プレートとかヘッドライトとか運転台の機器とか。悪い人が持ち去ってしまうことが少なくないのですが。
まあ、戦闘機なら外観はつるんとしているだろうから、盗める部品はないか。せいぜい、落書きとか破壊とかさえなかったら良いのかな。
磐田は治安が良いのでしょうか。だとしたら、羨ましいですね。
by tooshiba (2011-02-16 23:49) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■sakさん
そんな時代もあったんですね~。

■鹿児島のこういちさん
鹿児島のこういちさんにとってはこれが「戦闘機」なのですね。
確かにこれとF4だと全然違いますよね。
オイラはF4でこの世界に入りました。同じくプラモ結構作りましたね~。

■Takashiさん
>記念館
そうだったのですか。知りませんでした。
あと一年後ですね。

■miffyさん
おお、F-86乗りだったのですか!
戦後の最初期を支えていたパイロットだったのですね。

■an-kazuさん
ご覧になりましたか。
そうですね。ここだけ白っぽいですね。

■tooshibaさん
言われてみればものすごく無防備な展示ですね。
仰る通り治安がいいのかもしれないですね。
どこもこうだといいのですが。。。
by とり (2011-02-17 07:54) 

OILMAN

こんにちは。
戦闘機が普通に置いてあるんですか!
昼間戦闘機という言葉は初めて知りました。
夜は真っ暗で飛べなかったんでしょうか・・・
by OILMAN (2011-02-17 21:39) 

pica

表現もですが、見た目もかな~り時代を感じます。
その名の通り、昼間用ですか??
by pica (2011-02-17 23:23) 

とり

■OILMANさん こんにちは。
無線航法があるので、夜間でも飛ぶだけなら飛べます。
「昼間戦闘機」は昼間しか戦闘できないヒコーキのことで、
レーダーとレーダー誘導ミサイルを搭載していて、夜間でも戦闘が可能なものと区別するために
「昼間戦闘機」と呼ぶそうです。
 
■picaさん
レトロな感じですよね~。
仰る通りでその名の通り昼間用です^^
by とり (2011-02-18 06:56) 

7743

磐田に住んでる自分。ここを知らず。
たまたまこのサイトを知ってこの公園を認知したので直ちに見学に行く。
飛行機も鉄道も車も船も大好きな自分としては、ここを知らなかったのは恥ずかしい・・・・・・。
ちなみに愛車の「86」に乗って「86」とともに写真に収めるという寒い事をしたところ天候は寒が戻って大変な事に・・・・・・
すいませんでした(なにが?)。
by 7743 (2017-04-01 14:58) 

とり

■7743さん 
オイラも地元のことで知らないことたくさんあります~。
>寒い事
そうですか。この寒の戻りは7743さんが原因でしたか(o ̄∇ ̄o)フフ
by とり (2017-04-02 06:59) 

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