ハイランド滑空場跡地 [├空港]
2012年9月訪問 2021/7更新
撮影年月日1990/08/03(TO904Y C3 9)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
秋田県能代空港の西約2.6kmにあった「ハイランド滑空場」。
「現状は…そのままになっています」というドッピーさんからの情報で再度お邪魔し、滑走路面を見ることができました。
ドッピーさんありがとうございました m(_ _)m
滑走路手前にあった結構大きな木。
何か書かれていますが、判読できず。滑走路と関係あるかどうかも不明です。
秋田県・ハイランド滑空場跡地
ハイランド滑空場 データ設置管理者:個人
種 別:場外離着陸場
所在地:秋田県北秋田市上杉金沢
座 標:N40°11′36″E140°19′43″
標 高:61m
滑走路:320m?
方 位:15/33
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1987年 開設(ドッピーさんから情報いただきました)
関連サイト:
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1987年・・・バブル・・・リゾート開発の波?
「つわものどもがゆめのあと」でしょうか。
by tooshiba (2012-11-05 12:19)
零戦なんかの海軍機であれば、この程度の痛みなら平気で使えますよねー。^^
by ジョルノ飛曹長 (2012-11-05 12:35)
1枚目を見た瞬間、子供の頃によく遊んでいたグラントハイツを思い出しちゃいました。
by Takashi (2012-11-05 12:38)
大きな木って看板じゃないかな?(^^ゞ
滑走路跡ってことは、後の使い道がなかったって考えてもよかったのでしょうか?(^_^;)
by 鹿児島のこういち (2012-11-05 20:54)
留守中のコメント、nice! ありがとうございました。m(_ _)m
■tooshibaさん
情報が無いためなんとも言えませんが、そうなのかもしれないですね~。
>「つわものどもがゆめのあと」
跡地に立つとよく浮かぶ言葉です。
■ジョルノ飛曹長さん
ジョルノ飛曹長さんが仰るのならそうなのでしょうね^^
■Takashiさん
こんなだったのですか。
オイラは光ヶ丘団地、公園になった姿しか見たことないので羨ましいです。
■鹿児島のこういちさん
位置からして確かに看板かもしれないです。
文字が読めないのが残念。。。
>使い道
周辺は起伏に富んでいて確かにそうなのかもしれないです。
鹿児島のこういちさんの目で見るとまた違って見えるのでしょうけど。
by とり (2012-11-05 21:30)
こんにちは、滑空場にしては短過ぎですよね、モグラかウルトラライトプレーンをとばしてたんでしょうか?
by 山勝 (2012-11-13 14:21)
■山勝さん
こんにちは。
320mという数字だけ見ると山勝さんの仰る通りなのかなぁと思いますが、
実際何に使用していたかは不明ですm(_ _)m
某サイトに320mと書かれていたのでそのまま書かせてもらったのですが、
グーグルアースで測ると、未舗装部分も含めると、約540mあります。
by とり (2012-11-14 06:27)
初めまして。
偶然に貴サイトを見かけて、半ば驚きながら書き込みしております。
私はハイランド飛行場の現在の所有者です。
ハイランド飛行場は、私の父が昭和62年に開設したものです。当時、国内では個人の自家用滑走路として開設された第1号と聞いております。
航空学園関連法人の役員をしていた父はセスナやモーターグライダーを所有していて、その頃は、学園のある山梨との通勤に利用してました。学園の方々も夏期休暇やゴールデンウィークを利用してたくさん飛来していました。また物珍しいためか平成7年に秋田朝日放送が取材に来ています。
大館能代空港の計画が進むうちに、滑走路の延長上に当飛行場が位置することが判明し、位置関係に父も頭を痛めておりましたが、結局、父が心筋梗塞を患った事もあり、フライトの回数はめっきり減り、平成10年に大館能代空港が開港すると、離発着は大館能代空港を利用するようになり、ハイランド飛行場はほとんど利用されなくなりました。
滑走路を見下ろす丘の上に、山小屋が建ててあり、その後も父は自分の夢を実現させた自家用滑走路越しに白神山地を眺めるのが、春や夏の日課でした。
その父も平成22年6月ハイランド飛行場の滑走路を見下ろす山小屋で息を引き取りました。享年80歳でした。
現在は息子の私が所有者ですが、残念ながら私には飛行機の趣味がありません。滑走路は荒れてしまっているのですが、周辺の施設は最低限の管理を業者にお願いしております。貴サイトのおかれまして、父の夢の痕跡を取り上げていただき感謝至極です。
by 東京在住の現所有者 (2012-11-24 10:58)
■東京在住の現所有者さん
無断で記事にしてしまい、大変申し訳ありませんでした。
非公共用でこれだけの規模の滑走路が残っていることが非常に不思議でとても気になっておりました。
個人での飛行場建設、運用は並大抵ではなかったと思います。
大変なお父様ですね。
滑走路にお邪魔させていただいた際、滑走路を見下ろす建物も遠くからですが拝見致しました。
飛行場がどのような経過を経て現在に至るのか教えて下さり感謝致します。
貴重なお話をありがとうございました。
by とり (2012-11-26 07:43)