牧ノ原航空基地跡地 [├空港]
2011年6月訪問 2022/1更新
撮影年月日1947/10/11(昭22)(USA M548 171)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
鹿児島県霧島市にある「鹿児島県 畜産試験場」。
ここに「牧ノ原航空基地」がありました。
本土決戦時の特攻機発進、不時着用飛行場として建設されました。
明確な場所が不明で、某サイト様(現在リンク切れ)にて位置を知り、その場所を航空写真で見たら、
斜めに滑走路っぽい地割がうっすらとですが残っており、その通りに線を引いたら、
資料にある通りの向き、サイズ(NW900x60)の滑走路が無理なく作れたので、ここで間違いないのではないかと。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:牧ノ原 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:900x60方向NW 主要機隊数:小型機 主任務:発進 隧道竝ニ地下施設:工事中 掩体:工事中
■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m
方面 佐世保
牧場 牧ノ原
滑走路 六〇×九〇〇NW
縣郡村 鹿児島、姶良 敷根村
記事 既成
赤マーカー地点。
東南東に向かって撮ってます。
ここから画面奥に向かって真っすぐ滑走路だったはず。
鹿児島県・牧ノ原航空基地跡地
数回離着陸を行っただけでほとんど使用されなかったようです
牧ノ原航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:鹿児島県姶良郡敷根村(現・霧島市国分上之段)
座 標:N31°40′41″E130°51′14″
標 高:391m
滑走路:900m×60m(芝)
方 位:11/29
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年 建設
関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(22コマ)■
海軍航空隊 牧ノ原基地■(リンク切れ)
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
特攻機が離陸できればいい、っていうレベルだったんですかね?
by 雅 (2011-10-19 20:45)
今はサトウキビ畑なんですか?
戦争に絡む物とサトウキビは
哀しいを連想させる組み合わせな気がします
不時着用…
必要ですよね、でもやっぱりちょっとしか使われなかったんですね
by まめ助の母 (2011-10-19 23:50)
現在の鹿児島空港にほど近いところにボコボコと飛行場。
先に見せていただいた、福岡県の博多周辺とかもそうですが、先の大戦が、軍部の“プライド=見栄”で進められた分も大きい気がします。
飛行場を作るにあたって、軍人がやってきて「神国日本を守る為に、ここに飛行場が必要なのだ」とか威張って言ったのだと思います。が、実際に空襲で使い物にならなくさせられたところも多いとは言え、分散させすぎだろと。
限られた資源の無駄遣いをやっているようじゃあ。物量で勝るアメ公以下連合国には勝てないのは、当たり前だろと。
↑
当時それを口にしたら、間違いなく叩き斬られますね。(;´Д`)
戦争に負けたことは悔しいけれど、仮に勝っていたらどんな国になっていたでしょう。
少なくとも、軍部とか公安関係の組織は間違いなく肥大化しているでしょう。国民に思想信条の自由はもちろんなく、通信(インターネットやメールも)は国家に全て傍受され、気にくわない奴は国家反逆罪で片っ端からしょっぴいて、拷問→獄中死。とかかな。
・・・あんまり、良い国じゃなさそうですね。
核兵器も、持っていたかな・・・?
by tooshiba (2011-10-20 01:02)
畜産試験場は学生の頃、牛舎の設計の勉学でクラス全員でお世話になりました。肥育牛と乳牛、風がよく通る造りにしないといけない事を覚えています。
写真は、まめ助の母さんが言われるサトウキビではなく、飼料用のトウモロコシではないでしょうか(^^ゞ
鹿児島のサトウキビ畑は、本土にはごく限れた場所だけで、ほとんど奄美より南の離島で栽培されてます。僕が子供の頃は、鹿屋、高山といったあたりにありましたが、値段の下落と、南米産の輸入拡大で本土のサトウキビ農家はサトウキビから撤退しました。
by 鹿児島のこういち (2011-10-20 22:32)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■雅さん
多分そういうことなのではないかと思います。
ここは資料が限られていて詳しくは不明です。
■まめ助の母さん
>サトウキビ畑
多分そうではないかと思うのですが、きちんと見ていませんでした。
写真も眠たくなっててよく分からないですね^^;
申し訳ないです。
戦争とサトウキビ、仰る通り哀しい組合せですね。
■tooshibaさん
>軍部の“プライド=見栄”
それはきっとあったのだと思います。
あちこちお邪魔して、本土決戦用に末期に急遽作られた滑走路を見るにつけ、
一億玉砕を本気でやろうとしていたって、一体どういうつもりだったのか疑問に感じます。
tooshibaさんが書いておられる「もしも勝っていたら」という世界ですが、
そうなっていた可能性はありますよね。
「だから負けて良かった」とあっさり言ってしまうこともあまり気が進まないのですが、
漫画「ジパング」ではその辺をはっきり打ち出してましたね。
■鹿児島のこういちさん
おお、そんな思い出の場所でしたか!
牛舎一つとってもちゃんとセオリーがあるんですね~。
写真の件もありがとうございます。
鹿児島にはそんなサトウキビ事情があったのですね。
by とり (2011-10-21 05:32)