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根室航空機不時着陸場(根室ワッタラウス飛行場)跡地 [├空港]

   2010年6月訪問 2023/1更新  


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撮影年月日1951/11/04(USA M4-S-3 92) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)

 

北海道根室市にあった「根室航空機不時着陸場」。

「花咲不時着陸場」とも呼ばれていた他、ネット上では「根室第一飛行場」として、

新千歳市史通史編では「根室ワッタラウス飛行場」として登場します。

以前からコメント欄にて情報下さっていたjohokotu様、そして今回桜と錨様(下記リンク参照)からも情報を頂き、

全面的に改定しました。

johokotu様、桜と錨様、どうもありがとうございましたm(_ _)m 

2010年現地にお邪魔した際、地元にある「根室市歴史と自然の資料館」にて、

昭和11年の根室市要覧を見せて頂いたのですが、

先頭のグーグルマップのグレー部分のような感じで囲ってあり、「飛行場」と書かれていました。

昭和11年は、時期的にはこの飛行場が完成した翌年ということになります。

johokotu様からもご指摘頂いたのですが、ここは広い範囲が崖、窪地になっており、

飛行場として使用するにしても、適地はかなり限定されるのではないかと思います。

更に、資料館で古い鳥瞰図も見せて頂いたのですが、ここにも花咲港の近くに「飛行場」の文字が。

ただし、「これはデフォルメされているので正確な場所特定の資料にするには厳しい」とのことでした。

 

グーグルマップ紫色の部分は、桜と錨様から1945年の米軍資料をご提供頂き、この資料を元に作図したものです。

上に貼った1951年の航空写真はどちらも同じもので、1枚目は飛行場周辺の全体図です。

johokotu様から教えて頂いた情報ですが、

前出の「根室市歴史と自然の資料館」は、「旧大湊海軍通信隊根室分遣所」(黄色マーカー)であり、

飛行場北側には、「海軍用」と彫られた石柱が現存しています(赤マーカー)。

この周辺はこうして見ると、根室本線の東側(海側)は戦時中広い範囲で海軍の施設があったのですね。

2枚目は滑走路北側部分のアップなんですが、滑走路の地割が残ってますね(白矢印部分)。

赤字で描き加えたのは、1945年の米軍資料からの情報です。

 

自動車試験場踏切

コメント欄にて「地元民」様から、当地は戦後自動車の運転試験場だったこと、

牧ノ内とは異なり霧が激しい場所なので、現実的に運用されていたとは考えづらいこと等教えて頂きました。

現在の道道310号線(花咲港線)から根室本線を渡って飛行場跡地に向かう踏切には、

「自動車試験場踏切」という名称がついており、ここに試験場があったことを示す名残になっています(紫マーカー)。

道道310号線から飛行場に真っ直ぐ伸びるこの道路は、上に貼った1951年の航空写真にも、

そして先の1945年の米軍資料にも描かれています。

但し1945年の米軍資料では、現在のように「自動車試験場踏切」の位置で線路を突っ切れるようになっていません。

1945年の米軍資料では、線路を突っ切る踏切は、「自動車試験場踏切」の南北にそれぞれ一ヵ所ずつ描かれています。

このうち、「自動車試験場踏切」の北約400m地点の踏切は、遮断棒の無い踏切として現存しているのですが、

南側の踏切は消滅してしまったようです。

そして米軍資料では、南北それぞれの場所で線路を越えた道路は、現在の「自動車試験場踏切」の辺りで合流し、

ここから現在も残っている飛行場に向かう真っ直ぐの道が伸びる丁字路になっています。

そしてこの道が、飛行場への唯一のアクセス道路として描かれています。

当時はとても重要な道だったんでしょうね。

地元民様、どうもありがとうございましたm(_ _)m 

 

飛行場の名称について

当不時着場の名称についてなんですが、 当ブログではこれまでずっと「根室第一飛行場」としていました。

この名称、ネット上ではしばしば見受けられるものなんですが、

桜と錨様のサイトによりますと、「旧海軍史料にはこの様な呼び名はありません」とあります。

話は変わりますが、オイラは2016年から年1回ペースで防衛研究所に通い始め、2019年末で4回目となり、

特に2019年末は北海道方面の資料を大量に撮影してきたのですが、

この中にも現在のところ、「根室第一飛行場」という名称はありません。

ではこの「第一」という名称はドコから出てきたのでしょうか。

現在のところハッキリした出所、経緯は不明なのですが、桜と錨様からご提供頂いた1945年の米軍資料の中で、

当不時着場のことが、NEMURO AIRFIELD No.1(FLG)、

北東方向にある根室航空基地(牧ノ内飛行場)が、 NEMURO AIRFIELD No.2(FAD)

とありました。

もしかしたらこの米軍資料のNo.1、No.2を「根室第一」、「根室第二」と訳出し、

これが孫引きされて広まったのかも。

ということで、今回当飛行場の名称を修正させていただきました。

新千歳市史通史編上巻 821pの中で、ほんの少しなんですが当飛行場についての記述がありましたので、

以下引用させて頂きます。

海軍と北方海域
 太平洋に面し、千島列島に最も至近である北海道東端の地・根室ワッタ
ラウスに海軍は面積二〇〇町歩の飛行場建設に着手したのは昭和七年のこ
とだった。八年には第二期工事が行われている。

具体的に面積が出てきますね。

更に、昭和14年8月に世界一周機「ニッポン」が羽田から千歳に飛来、翌日アラスカ・ノームへ飛び立ったのですが、

同じく新千歳市史通史編上巻 827pにこんなことが書かれていました。

 ニッポンが設営中の千歳海軍基地から飛びたったことを偽装するため、
計画段階では海軍の根室ワッタラウス飛行場(滑走路一〇〇〇㍍弱)が、
その後、新聞紙上では札幌北二十四条の札幌飛行場(滑走路九〇〇㍍)が
本土最終出発地点とされた。両飛行場ともに滑走路は短く、舗装もされて
おらずニッポンが離陸速度に達することは不可能だった。

ここで飛行場名が「根室ワッタラウス飛行場」とあり、滑走路が900mで見舗装であることが記されています。

D20_0142.jpg

飛行場があったと思われる部分。

草原が続いていますが、この先は海岸に向かって崖になっていました。


      根室市・根室航空機不時着陸場跡地     
地元資料館の学芸員の方によりますと、未確認ながら現地で標柱や飛行場当時のものと思われる古い建物を見つけた方がいるらしい。とのことでした。ただし周辺は現在民地なので、勝手に入ると無断立ち入りになってしまうとのことでした。見学の方はご注意くださいませ

根室航空機不時着陸場 データ
設置管理者:海軍
種 別:不時着陸場
所在地:北海道根室市桂木
座 標:N43°18′00″E145°36′00″
標 高:45m
面 積:198ha
滑走路:970m×290m(13/31)、860m×290m(06/24)
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから。面積は新千歳市史通史編上巻から)

沿 革
1932年10月 24日 花咲港オワッタラウスで海軍飛行場第一期建設工事始まる
1933年    第二期工事
1935年08月 完成
1939年08月 ニッポン号飛来の偽装飛行場となる

関連サイト:
桜と錨様サイト内/根室航空基地(付:根室航空機不時着陸場)  
ブログ内関連記事       

この記事の資料
1945年の米軍資料
根室市史 年表編
昭和11年根室市要覧
新千歳市史通史編上巻


コメント(18)  トラックバック(1) 
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コメント 18

まめ助の母

全体的に真っ平ら〜で
どこが滑走路でもおかしくないかんじですね
どこからが崖だったんですか?
撮ってるとりさんの背中?
by まめ助の母 (2010-09-20 07:58) 

鹿児島のこういち

オワッタラウスに存在した大日本帝国海軍の不時着用陸上飛行場!・・・・不時着用の飛行場って、急な長い下り坂の、車の避難帯みたいなものですかね?
そう言えば、最近、下り坂での避難帯見なくなったですよ。車(大型車)の性能が良くなったからでしょうか(^O^)

花咲港のすぐそばかぁ、花咲蟹で一杯っていきたいすね(^O^)/
by 鹿児島のこういち (2010-09-20 12:30) 

tooshiba

>現在民地なので、勝手に入ると無断立ち入りになってしまう
大いなる障壁ですね。
別にほじくり返したりゴミを捨てたり火を焚いたりするわけではなくても、ダメですよね。

地図を見たら、はるかなる北方領土・・・Orz
by tooshiba (2010-09-20 12:45) 

masa

謎の多い飛行場なんですね。
現在はきれいな花が咲く広場なんですね。
by masa (2010-09-20 14:06) 

an-kazu

事前調査&現地調査徹底のとりさんでも、
そのようなトコロがあるのですね( ; ; )
by an-kazu (2010-09-20 15:32) 

miffy

見渡す限りのお花畑綺麗ですね~
70年以上も前の事だと覚えてる人も少ないでしょうし、調査も大変ですね。
by miffy (2010-09-20 21:38) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■まめ助の母さん
真っ平ら~ですね^^
>崖
視線の先の方向です。

■鹿児島のこういちさん
>不時着用
オイラも分からないです。
言われてみれば避難帯と性格が似ている気がしますね。
どちらも性能向上で減っていったんでしょうか。

■tooshibaさん
交渉如何なんでしょうね~。
>北方領土
目視できるんだそうですね。オイラは見ませんでしたが…。

■masaさん
ここが飛行場だったとは想像もつかないような場所でした。

■an-kazuさん
現地調査は徹底してないような気もしますが、情報が少ない飛行場でした(〃´o`)=3

■miffyさん
そうですね~。
大規模な飛行場ならならかしら形跡があるのでしょうが、
小規模だと見つけるのに苦労しますね。
by とり (2010-09-21 06:14) 

sak

この花畑の草原
思い切り走りまわりたいかも(^^
ここに飛行場があったかも...って思うと
不思議な感覚になりますね
by sak (2010-09-21 14:45) 

雅

第二次世界大戦前のこと、日本軍の情報統制で機密にされてたんでしょうね。
今からだと情報を集めると言っても難しいんでしょうね。
by (2010-09-21 22:29) 

とり

■sakさん
走るの好きなんですね^^
>不思議な感覚
過去を知っているとまったく違って見えますね。

■雅さん
公式な地図でも当時は戦時改描と言って、軍事機密保護のために意図的に改ざんしたりしてましたからね。
今回のケースだって、あったことは間違いないのですが、まったくアサッテの地点を撮っている可能性はありますね。
by とり (2010-09-22 06:42) 

johokotu

はじめて書き込みます。

今年5月にこの飛行場跡地を訪問し、色々調べていたらこちらにたどり着きました。本当はメール等で詳細内容を連絡したかったのですが、長文の書き込みで申し訳ありません。トラックバックもさせていただきました。

この場所に滑走路があったかどうかは定かでないのですが、軍施設があったのは間違いがないようです。
まず、訪れたとかかれている資料館は、おそらく根室市歴史と自然の資料館だと思うのですが、こちらは元大湊海軍通信隊根室分遣所の建物(昭和17年建設=飛行場とは無関係?)です。
続いて、こちらに載っている地図で言うと、山本商店と書かれている右上方向、ちょうど地図が切れるあたりにレーダー通信用と思われる施設があるのですが、そちらは防衛省施設ですので、旧軍の土地をそのまま利用している可能性が高いです。グーグルマップの写真を見ると、土地が真ん丸になっているのが分かります。トラックバック先で公開していますが、この施設へ行くための道路わきで「海軍用」と書かれた石柱も残存していました(土地の境界を示す石柱でしょうか、、、)。
橙線で区切られた区域の大部分(Y時の川がある部分)は崖(窪地)になっており、平らな部分があまりありません。通信施設や資料館、平らな部分の分布の位置関係から考えるに、JR線南側はほぼ全面が軍施設だったのではないかと勝手に考えています。

実は上記内容の一部を旅行後に上記資料館にメールしておりまして、、、。地元資料館の学芸員の方の話は自分のことを指しているのでは?と勝手に想像してしまいました。

※オワッタラウスですが、ちょうど橙部分の湾付近の海岸線の地名です。「北海道海岸線地名めぐりの旅」という本によれば「ヲワッタラウス」と記載があり、現在もゼンリンの住宅地図では「ワッタラウス」として紹介されています。ダイエー自動車の「動」の文字あたりに根室交通花咲線の「オワッタラウス」バス停があります。
by johokotu (2010-09-23 11:55) 

とり

■johokotuさん いらっしゃいませ^^
詳しい情報をありがとうございますm(_ _)m
学芸員さんの口ぶりでは、「跡地でいろいろ見つけた方」というのは最近の話のようでした。
オイラがお邪魔したのは六月で一か月差ですから、johokotuさんの可能性が高いですね。
後ほどお邪魔させていただきますね。
by とり (2010-09-24 06:58) 

北海道特集ごくろうさまです。

調査というべきか探査なのか。あたまが下がります。(当時の息吹が伝わります)
四国に来たらぜひ「二宮忠八」に会ってきてください。
(現まんのう町、八幡浜市)


こんなのも。皆さん研究熱心で驚きます。

インターネット航空雑誌 ヒコーキ雲
http://ksa.axisz.jp/index.htm

香川にもたくさんの飛行場がありました。観音寺、三豊、多度津、郷東、ほかにも調査要しますが、郷土史がきっかけになりますね。
by 北海道特集ごくろうさまです。 (2010-09-25 00:21) 

とり

■北海道特集ごくろうさまです。さん
旧高松空港跡地にコメントくださったのと同じ方ですよね?
こちらにもありがとうございます^^
>二宮忠八
飛行館があるんですね。これは知りませんでした。
四国はいつかまた行こうと思っていますので必ず寄ってみます。
ヒコーキ雲様は本当にすごいサイトだと思います。
サイト紹介も含めて情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2010-09-26 09:25) 

コスト

グーグルマップのほうを確認しましたが、ほんと日本の先っちょですね
線路があるからそんなに外れのイメージではなかったんですが、
こんな先まで来てるとは驚きました。
草原の写真はいいですねー☆
都会にいると日本にもこういう広くて人が見えない場所あるというのを忘れがちです。
完成という記述がある以上、隠蔽のために隠したのでしょうか?
このへんは錯覚しても仕方ないかもしれないですが、
ここまで行ったことについてnice!です^^
by コスト (2010-09-27 22:35) 

とり

■コストさん
>都会にいると
それは言えてますね~。
オイラは都心で暮らしてないですけど。田舎ですけど。
でも普段はせせこましく生活してるので、そういう錯覚に陥ります。
by とり (2010-09-28 21:21) 

地元民

はじめまして、たまたま貴サイトを拝見させていただきました。
地元民情報として知っているのは、戦後この場所は自動車の運転試験場があった場所です。
もしかしたら滑走路がコンクリートで舗装されていたから試験場になっていたのかもしれませんね。牧の内飛行場(第二飛行場)は良く知っていますが、第一飛行場の存在は今まで知りませんでした。
第二飛行場は滑走路も現存されており史跡としては結構面白いところですね。近所には防空壕やトーチカ、機体の格納庫が多く点在しています。また第二飛行場建設の際に物資輸送に鉄道も敷かれていたそうです。
第一飛行場も鉄路がすぐ脇にあるのも物資の輸送にメリットがあった場所だとうかがえます。しかし写真のとおり霧が激しい場所なので現実的に運用されてたとは考えづらいですね。逆に牧の内は霧の発生が少ない場所なので本格的に建設したと思います。
by 地元民 (2011-10-29 19:05) 

とり

■地元民さん いらっしゃいませ^^
貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
自動車の運転試験場だったのですか。まったく知りませんでした。
まとまった範囲が平坦ですから確かにうってつけですね。
by とり (2011-10-31 21:40) 

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