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根室航空基地(牧ノ内飛行場)跡地 [├空港]

   2010年6月訪問 2023/1更新  


無題o.png
撮影年月日1947/10/31(USA M643-1 7) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。以下3枚とも)

 

北海道根室市、根室半島の根室湾側にあった「根室航空基地(牧ノ内飛行場)」。

前記事の根室不時着陸場の北東約8kmにありました。

先頭のグーグルマップは、上に貼った1947年の航空写真から作図しました。

航空写真では、南北方向の白い舗装滑走路がとても目立っていますが、

「日本海軍航空史」等、幾つかの資料、サイト様の中で、

当航空基地は、十字形に交叉する転圧滑走路が未完成である。とされており、

確かにそうした地割が見られます。

この未完成の滑走路、南北方向の舗装滑走路の西側と東側に分けられる訳ですが、

航空写真で見ると、西側と東側とで滑走路の地割が完全な直線で結ばれていません。

(といってもほんの1°程度のズレなんですが)

また、同じく航空写真で見ると、誘導路らしきものが縦横に走っている訳ですが、

誘導路なのか、戦後に建設された道路なのか、判別できないものがあるため、

グーグルマップの作図はオイラの主観です。でご了承くださいませ。

当根室航空基地は滑走路舗装面が現存しており、また掩体壕がたくさん残っているのが特徴です。

現地にお邪魔した際、それらを見てきたのでした。

以下写真はすべて徒歩か車で普通に見られる場所ばかりです。無茶はしてません。

無題p.png

↑飛行場南西部分のアップ。

以下掩体壕A,B,Cの写真です(現地にお邪魔した際、ABCの3つしか撮れませんでした)。

D20_0112.jpg

掩体壕A(記号は便宜上勝手につけました。オフィシャルなものではないです)

半壊してますね。

この先は轍と雑草がすごくて、オイラの車は車高が低いので、ここに停めてこの先は徒歩で進みました。

D20_0117.jpg

掩体壕B

埋まっていますね。

D20_0119.jpg

掩体壕B地点から。

遠くに掩体壕が見えました。

D20_0120.jpg

掩体壕C

木々に覆われてます

D20_0121.jpg

掩体壕Cから先の道は掩体壕I方向に続き、途中にも掩体壕があるはずなのですが、ここで行き止まりになってました。

Uターンして掩体壕A方向に引き返します。

無題a.png

↑飛行場南東部分のアップ。

以下、滑走路、F地点、防空壕の写真です(掩体壕は撮れませんでした)。

D20_0123.jpg

E:滑走路

舗装面の残る滑走路南端部分。

滑走路に沿って西側に道道があり、運転しながらでも滑走路面が続いているのが普通に見えます。

D20_0127.jpg

F地点

ここは何でしょう?

駐機場でしょうか?

ここにも舗装面が残っていました。

こんな漁具?がたくさんあって、地元のお母さんたちが何か作業をしてました。

D20_0129.jpg

草原の中にある構造物。

防空壕だそうです。

無題b.png

↑飛行場北西部分のアップ。

以下、掩体壕H、掩体壕Iの写真です(掩体壕Hは航空写真で見つけられませんでした。無蓋掩体壕は撮れませんでした)。 

D20_0141.jpg

H地点

緑の中に掩体壕。

ここからI地点までは車で通れました。

D20_0131.jpg

I地点

D20_0138.jpg

I地点

特に立ち入り禁止の表示はなかったので、ちょっとお邪魔させていただきました。

この先にも掩体壕があるはずなのですが、牧場になっていてちょっと入れませんでした。


      根室市・根室航空基地(牧ノ内飛行場)跡地     
当飛行場跡地は現存する施設がたくさんあるせいかそのスジでは非常に有名な場所です。関連サイトがたくさんあって、しかも非常に充実したものが多いです。興味のある方は検索してみてください

根室航空基地(牧ノ内飛行場) データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道根室市牧の内
座 標:N43°21′44″E145°38′54″
滑走路:1,200m×80m(16/34)コンクリート、1,200m×80m(09/27) 転圧未完成(日本海軍航空史より)
(座標、方位はグーグルアースから)

沿 革
1943年9月 1日着工
1945年6月 完成

関連サイト:  
ブログ内関連記事  

この記事の資料:
日本海軍航空史
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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コメント 20

sak

根室に空港が残っていたら
便利なのになぁ...って
でも利用者が少ないだろうから難しいのかなぁ...
中標津に根室の名前がついてますものね
by sak (2010-09-22 09:27) 

guchi

コンクリート滑走路の残り方が
いかにも雰囲気をかもし出していますネ
by guchi (2010-09-22 09:39) 

ムネタロウ

いつも、ありがとうございます☆
by ムネタロウ (2010-09-22 11:34) 

Takashi

倉庫とかに再利用されている掩体壕よりも、自然に溶け込んだ掩体壕のほうが重みを感じますね。
by Takashi (2010-09-22 12:33) 

鹿児島のこういち

緑の中の掩体壕、カッコイイなぁ(^O^)秘密基地にして遊びたい(^O^)/
天空の城ラピュタみたい(^O^)
by 鹿児島のこういち (2010-09-22 12:51) 

tooshiba

最後は自分の足で!
とりさんの情熱に頭が下がります。m(_ _)m
by tooshiba (2010-09-22 14:08) 

まめ助の母

掩体壕…
朽ちている感がなんとも…
当時はどうだったんでしょうね?
by まめ助の母 (2010-09-22 19:49) 

masa

掩体壕、はっきりとした形で残っているんですね。
ちょっとだけ入ってみたいです。
by masa (2010-09-22 20:02) 

miffy

自然の中にとけこんだ掩体壕、秘密基地にして遊んだら面白いでしょうね~
周りに家がないからここまで遊びに来るだけで冒険になりそう。
by miffy (2010-09-22 20:51) 

セバスちゃん

掩体壕、あたり前かも知れませんけど
まったく空から見ると掩体壕の存在がわかりませんね<笑>
by セバスちゃん (2010-09-23 10:36) 

an-kazu

I地点の掩体壕、薄い構造ですね!
by an-kazu (2010-09-23 11:53) 

takechan

いろいろあるし、当時の雰囲気が出てますね。
by takechan (2010-09-23 21:28) 

雅

ここは珍しく当時のが残ってるんですね。
by (2010-09-23 21:47) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■sakさん
確かに地理的にはあったら便利でしょうね。
維持できるのかという現実問題はありますが…。
中標津空港に「根室」ってついてますね^^;

■guchiさん
そうですね~。
うー、たまらん。

■ムネタロウさん
こちらこそいつもご訪問ありがとうございますm(_ _)m

■Takashiさん
確かにそんな感じありますね~。

■鹿児島のこういちさん
朽ちた園庭ロボットみたいな雰囲気ですね。

■tooshibaさん
やっぱりここまで来たからには実物をおがまないと^^

■まめ助の母さん
当時はカモフラージュしたらしいですが、やっぱり土を盛ったりしたんでしょうか。

■masaさん
意外としっかり残っているもんですね~。
機会がありましたら是非入ってみてください。

■miffyさん
やんちゃの血が騒ぎますか^^

■セバスちゃんさん
当時の関係者が聞いたら喜ばれるんじゃないでしょうか^^

■an-kazuさん
言われて気がつきました。確かにそうですね。
よく持ちこたえてるな~。

■takechanさん
そうですね~。これだけ当時の跡が残っていて、一般人が普通に立ち入れるのは非常に珍しいと思います。

■雅さん
これだけ残っていても、自衛隊の基地内で立ち入り禁止というパターンが多いですからね。
やっぱり地理的要因が大きいんでしょうか。
by とり (2010-09-24 06:53) 

yamabudou10

18歳まで根室の住民だったのですが、第一飛行場に付いては知りませんでしたねぇ。牧の内飛行場って地元では呼んでいましたから、第一も第二も無かったんですね。小さい頃は滑走路のコンクリートの割れ目や窪みにおたまじゃくしが毎年いっぱい発生するので、親と行ったり、子供たちだけで行ったりしていましたね。その当時(昭和40年代後半から50年代にかけて)掩体壕などは保存状態も良く酪農家の方々が納屋や倉庫代わりに使っていましたね。あれから離農した方も多いのでしょうかね。子供だったので農家の敷地を自由自在に歩き回っていても別段咎められたりしませんでしたし、のんびりとしていましたね。もっとたくさん掩体壕が在ったのが思い出されますわ。
 それと友知海岸のトーチカにもよく遊びに行きましたよ。にわかこしらえの荒い砂利の混じったコンクリート製で海に向かって銃眼が一箇所開いていたはずです。なかは屈折した狭い空間でした。
 その他市内の各所には地下式や盛り土式の立派なコンクリート製の防空壕もたくさん残っていましたが、時代とともに壊されてしまいましたが残念ですわ。昭和60年頃までは結構残っていたんですよ。
 根室を出てもう29年ですからねぇ、変わりも変わったりでしょうねぇ。
 小学5年生までは根室本線(現花咲線)に蒸気機関車が走っていて、線路が遊びに行く近道だったのでよく通ったものですが、機関車が近付くと大きな汽笛を鳴らすのですが、その前に線路からガタンゴトンと聞こえてくるので、横に逃げるのですが、築堤の下から至近距離で見上げた機関車の迫力は今でも忘れませんね。ドレーンの蒸気も浴びましたし、蒸気に包まれると何にも見えないんですよねぇ。
 話は逸れてしまいましたが、軍艦島は感動的でしたねぇ。
by yamabudou10 (2011-06-15 10:34) 

とり

■yamabudou10さん
今となっては得難い体験の数々ですね。
貴重なお話をありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2011-06-16 05:46) 

yamabudou10

いま突然思い出しました。根室飛行場のおたまじゃくしの発生していた穴ぼこは、敗戦時に飛行場を使えなくするためにアメリカ進駐軍が破壊目的に爆撃した跡だったのかも知れませんね。子供だったので大きく見えましたが多数在ったのですが不規則にあちこちにあって丸くて深かったですよ。うん、そうに違いない。どなたかどうでしょうか?
by yamabudou10 (2011-06-23 14:40) 

とり

■yamabudou10さん
またまた貴重なお話をありがとうございますm(_ _)m
戦後滑走路を破壊した所としましては、道内では美幌第二(旧女満別)、計根別などがそうですね。
「不規則にあちこちにあって丸くて深かい」ということですから、
その可能性は高いと思います。
by とり (2011-06-24 06:51) 

NO NAME

根室は釧路空港からシャトルバスが走らせればいいんですよ。
時間的にも羽田から成田の移動時間より30分ほどプラスの時間で着くはずです。
by NO NAME (2014-01-11 09:50) 

とり

■NO NAMEさん
お返事が遅れてしまい申し訳ありません。
コメントありがとうございました。
by とり (2014-02-20 14:59) 

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