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小幡ヶ原演習場跡地 [├空港]

   2010年7月、2016年6月訪問 2023/1更新  


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撮影年月日1949/03/08(USA M1245-A 99) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1/25000「名古屋北部」昭和7年修正・昭和8.5.30発行「今昔マップ on the web」より作成
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Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27),USSBS Index Section 6(国立国会図書館デジタルコレクションより) 
(B,D,E:名古屋飛行学校格納庫 G:飛行学校作業場 H,I:飛行学校建物。昭和9年4月調)

愛知県 名古屋市‎ 守山区‎ 小幡。

前記事の本地ヶ原演習場から西北西約4.5kmにあった「小幡ヶ原演習場」。

現在は名鉄瀬戸線沿線の住宅密集地です。

先頭のグーグルマップは、上に貼った国立国会図書館デジタルコレクションよりから作図しました。

小幡ヶ原演習場は非常に歴史の古い演習場で、ここに民間の「名古屋飛行学校」が作られました。

多くのパイロットを輩出した他、新聞社航空部、学生、社会人滑空クラブも利用したのだそうです。

守山区のサイトの中に、この名古屋飛行学校について扱われていました(下記リンク参照)。

1924年(大正13)、軍用機に比べ民間飛行機の事故率の高さを憂えた陸軍航空本部名古屋駐在主席検査官、御原福平中佐は小幡ヶ原陸軍演習場の一部に大島宇吉ら地元有志の援助を受け名古屋飛行学校を開設。教職員には軍出身者12名余、生徒数は操縦科、機関科あわせ30~40名位、私費入学の学費は二等飛行士の資格を取るまでに千円位と大変高額で、その訓練法は往復ビンタの軍隊式であったという。(中略)名古屋飛行学校の評判は良く、海外からの留学生、女性徒も含め多数の卒業生を送り出し、廃校時までには航空士218人、機関士1165人を数えたがその多くは軍に入隊、太平洋戦争で多くの犠牲者を出したが、戦後再開された日本の空を支えた人々も多く輩出したと言う。

民間の飛行学校でしたが、地元陸軍中佐の働きかけで設立したのですね。

2014/8/24追記:アギラさんから情報頂きました。「民間飛行學校練習所其他」(航空年鑑昭和六年)の中で、「名古屋飛行學校(事務所:名古屋市東區葵町二十三番地 學校:名古屋市外守山町小幡ヶ原)」として当学校が出ているそうです。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

2014/9/20追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、愛知一中滑空部・名古屋市東區新出來町愛知第一中學校・「同市外小幡ヶ原」 という記録があります。「同市外小幡ヶ原」とは、もしかしたら当地かもしれないと思いました。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

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報知新聞社 編『報知年鑑』大正16年,報知新聞社,大正13-15. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2023-01-23) 

これは、「報知年鑑.大正16年」本邦民間飛行場調〔大正15.8〕なんですが、

27の民間飛行場の一覧の一部です。

使用者 御原福平
種類 陸上
位置 愛知縣東春日井郡守山町大字小幡ヶ原
面積 22,000坪

ここで面積が22,000坪(≒7.3ha)とありますが、先頭のグーグルマップのシェイプ部分は19.3haあります。

7.3haというのは、飛行学校開設から2年後の数字、19.3haは、それから更に8年後の数字です。

後に拡張したということなんでしょうかね?

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青マーカー地点

DSC_0057.jpg

赤マーカー地点

住宅密集地のため、撮りたいポイントで撮れず。。。

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緑マーカー地点。

市立守山東中学校。名古屋飛行学校があった辺り。


      愛知県・小幡ヶ原演習場跡地      

小幡ヶ原演習場 データ

設置管理者:名古屋飛行学校→旧陸軍
使用者:御原福平(飛行学校当時?)
種 別:不時着場
所在地:愛知縣東春日井郡守山町大字小幡ヶ原(現・名古屋市‎守山区‎小幡‎)
座 標:N35°12′20″E136°58′43″
標 高:32.5m
面 積:1926年:7.3ha  1934年:19.3ha
滑走路:590mx140m(03/21)、545mx190m(10/28)、480mx190m(14/32)
(座標、滑走路長さ、方位はグルアースから、標高はアジ歴から)

沿 革
江戸時代 小幡ヶ原が尾張藩の狩り場として使用される
1874年 軍用地になる
1877年 陸軍第三師団、東春日井郡小幡村(現守山区小幡)296万余坪購入。大砲射的場開設
1924年 演習場内に名古屋飛行機学校開設
1939年 名古屋飛行学校を軍に譲渡
1940年 この頃愛知一中滑空部が滑空訓練に使用?
1945年 終戦。終戦時まで戦闘機の発着訓練等が行われていた。11月アメリカ軍駐屯

関連サイト:
守山区/小幡ヶ原の飛行場     

この記事の資料:
「民間飛行學校練習所其他」(航空年鑑昭和六年)
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)(2点ともアギラさんより)


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コメント 7

masa

名古屋にも飛行学校があったのですね。
全く知りませんでした。
by masa (2010-11-07 22:23) 

とり

■masaさん
オイラも初めて知りました。
この時代に「民間の」というのが非常に珍しいですよね。
さすが航空先進県という感じがします。
by とり (2010-11-08 07:19) 

sak

民間の飛行学校があったのですね
建物とか残しておいてほしかったなぁ...
by sak (2010-11-08 10:40) 

鹿児島のこういち

飛行学校かぁ、
子供のころ鹿大水産学部の上を飛ぶ飛行機を見ながら、パイロットになりたいって思ってましたねぇ(^O^)
by 鹿児島のこういち (2010-11-08 20:03) 

とり

■sakさん
建物が残っていたらすごく貴重だったでしょうね~。

■鹿児島のこういちさん
鹿児島のこういちさんもですか。オイラもそんなことを夢見ていた時期がありました^^
by とり (2010-11-10 06:25) 

tooshiba

残念ながら、ここも遺跡状態ですね。
それでもとりさんの調査力(現場百編ぶり)はすごいっす!
by tooshiba (2010-11-11 00:30) 

とり

■tooshibaさん
ここも跡形なしですね~。
その場に行って「ここがそうだったんだ~」と想像するのみですね。
by とり (2010-11-11 07:07) 

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