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大津駐屯地(旧大津水上機基地) [├空港]

   2010年11月訪問 2022/6更新  


無題a.png
撮影年月日1947/11/21(USA M661-1 27) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

滋賀県大津市。

前記事の滋賀飛行場跡地すぐ南側に陸上自衛隊大津駐屯地があります。

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行

の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」非公共用飛行場 として以下記されていました(9コマ) 

名 称  滋賀飛行場
経営者  海軍予備航空団
所在地  滋賀縣滋賀郡下坂木村字畔之内
水陸の別 水
滑走区域 長二,〇〇〇米 幅一,〇〇〇米
備 考  (記載無し)

この水上機用の諸施設が後に海軍に献納され、水上機の練習航空隊「大津水上機基地」になったと思います。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:大津(水上基地) 建設ノ年:1943 飛行場 長x幅 米:巾60x100 30x60 10x40コンクリート 主要機隊数:小型3.0 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:居住、倉庫、工業場(1.120平米) 掩体:分散

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「大津空開隊(S17.4.1)(昭18建)」とありました。 

滑走台は現存しており、先頭のグーグルマップと上に貼った航空写真で資料に相当するのは、

A:10x40 B:30x60 C:60x100 と思います。

D20_0102.jpg

赤マーカー地点から撮ったC滑走台跡。


      滋賀県・大津水上機基地跡地      

大津水上機基地 データ

設置管理者:旧海軍
種 別:水上機用飛行場
所在地:滋賀県‎大津市‎際川‎1丁目‎
座 標:N35°02′05″E135°52′03″
滑走台:60mx100m,30mx60m,10mx40m(コンクリート製) より
(座標はグーグルアースから)

沿革
1941年10月 佐賀県鹿島航空隊大津分遣隊として暫定的に発足  
1942年04月 1日、大津海軍航空隊として正式に開隊
1943年    建設

関連サイト:
大津飛行場    

この記事の資料:
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


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コメント 18

鹿児島のこういち

前の記事での航空写真で滑走路の周りだと勝手に思ってましたが、二本滑走路が並んでたんですね(ノ_<。)白い部分が滑走路でしたか?f^_^;
by 鹿児島のこういち (2011-05-11 08:27) 

an-kazu

赤いジャケット?の方は、何をしているのでしょう。。。
by an-kazu (2011-05-11 11:46) 

Takashi

釣りしてる人いますね。
入れるんですかね?
by Takashi (2011-05-11 20:58) 

ジョルノ飛曹長

ここなら流石に私も知っている飛行基地です。(⌒▽⌒)戦記にも時々登場しますね。
by ジョルノ飛曹長 (2011-05-12 16:11) 

miffy

琵琶湖周辺にもたくさんの飛行場があったんですね。
by miffy (2011-05-12 16:21) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
図で説明できないのがもどかしいですが、「滑走路二本」と仰るということは、
縦横に白い線が並んでいる部分のことを指しておられるのだと思います。
オイラはその南側にうっすら写っている一本のものが滑走ではないかと思います。
滑走路二本に見える部分はなんだか不明です。m(_ _)m

■an-kazuさん
↓Takashiさんで正解と思います^^

■Takashiさん
入れるんですかねぇ???
実は基地司令だったりとか。。。

■ジョルノ飛曹長さん
おお、ご存じでしたか!
有名な基地だったんですね~。

■miffyさん
本当にビックリするほどあったんですね~。
by とり (2011-05-16 20:24) 

NO NAME

若い頃、ここでパイパーチェロキーで飛んでました。
たぶん日本飛行連盟か日赤か。今から50年前です。
by NO NAME (2011-08-07 07:40) 

とり

■NO NAMEさん
貴重な経験をお持ちなのですね。
コメントありがとうございました。
by とり (2011-08-07 08:51) 

NO NAME

パイパースーパーカブという機種でした。訂正
航空自衛隊機も同型だったと思います。
色は飛行連盟が白に日赤マーク、自衛隊は軍用色。
by NO NAME (2011-08-07 18:10) 

とり

■NO NAMEさん
PA-18の方だったのですね。
わざわざありがとうございました。
実は内心(最新機種を導入したんだな~)と思っておりました。
by とり (2011-08-08 06:38) 

NO NAME

あれは1965年頃だったんでしょう。
滑走路の中ほどに一般道路が横切っていて
離陸前には係りの人が旗を振るか、私たちが振って
安全確認をしていた記憶があります。
あの紙でできていたような飛行機、
もう他界しましたが私のオバはここから八尾飛行場に
飛んでいました。まったく自由な時代でした。
帰りはマリーナでモーターボートに乗って遊ぶとか。
by NO NAME (2011-08-08 16:31) 

とり

■NO NAMEさん
>一般道路が横切
前記事の滋賀飛行場のことでしょうか?
by とり (2011-08-09 05:53) 

NO NAME

際川にあった野原の中の飛行場です。多くは南の端から離陸、ちょうど半分より北側に買い物途中の方や野良仕事?の方が横断されましたよ。真ん中の西側にあった仮設小屋からオートバイで旗振りに出ました。滋賀飛行場って言うんですね。当時は小屋から大津駐屯地が見えました。
by NO NAME (2011-08-09 07:30) 

とり

■NO NAMEさん
「際川にあった野原の中の飛行場」、「小屋から大津駐屯地が見えた」とのことですので、
NO NAMEさんが利用されていたのは前記事の海軍滋賀飛行場で間違いないと思います。
終戦と共に海軍航空隊が解隊したという記録が残っているので、
てっきりそのまま飛行場が廃止になり、現在の状況に徐々に変わっていったのだと思っていました。
戦後もしばらくは飛行場として存続していたのですね。
情報ありがとうございました。
by とり (2011-08-09 21:09) 

NO NAME

日本飛行連盟 赤十字飛行隊 このページを見ていると
1965年前後を思い出します。夏の間は琵琶湖上空を
海水浴場上空を飛ぶ、週一回は航空自衛隊?からの集団が
チッチャな飛行場に集結。何もかもが昔話。
by NO NAME (2011-08-11 14:00) 

泉家関西

大津航空隊のパイロットだった父が10月5日午前9時16分
他界しました。享年84歳でした
敗戦後は東北大学入学 その後 県庁職員 高校教員 警察予備隊
幹部候補生 建設会社 を勤めあげ 晩年は大津航空隊時代の写真を自慢げに 孫たちに見せておりました、楽しくも厳格な父でありました
その父が、ここ最近戦友が夢枕に登場するようになり、いよいよお迎えか・・
などと気弱になっていたような気がします。
もっともそのころをよく知る仲間たちは、この世よりもあの世のほうが大勢いるようで。あのころを懐かしむ父にとっては早く友と語りあいたかったのかも知れません
by 泉家関西 (2011-10-09 07:53) 

NO NAME

84歳のお父様、たぶん叔母と同じ歳だと思います。よき時代だったんでしょうね。私はよく格納庫から出てくる自衛隊カラーの飛行機をよくながめていました。こちら側はパイパーとかセスナ、自衛隊機は号令をかけ合って訓練されていました。お会いしてたかもしれませんね。
by NO NAME (2011-10-11 13:24) 

とり

■泉家関西さん、NO NAMEさん
コメントありがとうございました。
by とり (2014-02-21 19:07) 

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