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王子江別飛行場跡地 [├空港]

   2010年6月、2023年6月訪問 2023/7更新  


無題j.png
撮影年月日1948/06/29(USA M1113 1) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


北海道江別市にあった「王子江別飛行場」。

2本の滑走路がクロスしており、航空写真で白く目立っているのが「第1滑走路」、

うっすらと見えるのが「第2滑走路」です。

王子航空機工場付属の飛行場で、滑走路から東に伸びる誘導路の先に工場がありました。

先頭のグーグルマップは、主に上に貼った1948年の航空写真から作図しました。

わざわざ「主に」と付け加えるのは、当飛行場は1947年にたくさんの航空写真が撮られ、

戦後復興や光の加減だと思うんですが、写真によって滑走路や誘導路の地割が様々に見えるからです。

滑走路や誘導路の形として、一体どの地割を拾えば良いのか、非常に悩んだのですが、

「北海道の旧飛行場リスト」というサイト様に、当飛行場の滑走路の長さが出ていました(下記リンク参照)。

それによりますと、

1400m×50m コンクリート
2000m×200m 転圧:未完成

とあり、この数字を参考にしながら、複数の航空写真を比較して作図しました。

結果、2本の滑走路の長さはそれぞれこんな数字になりました↓

1400m×45m
1900m×200m

無理やり帳尻合わせすることも、やろうと思えばできるんですが、特に補正はせずそのままにしてあります。

おおよそこんな感じなのではないかと。

 

冒頭でも少し触れましたが、

軍需物資の不足から陸軍は王子製紙に対し、木製航空機の製造を命令。

これに応じて王子製紙は木製戦闘機の製造と滑走路を建設しました。

終戦までに3機の戦闘機が完成。

王子製紙の航空機制作と飛行場についてはたくさんのサイトがありますので興味のある方はそちらをご覧ください。

D20_0008.jpg
 
赤マーカー地点にある碑。

「旧飛行場跡 木製戦闘機と戦争」

裏側には、「江別市教育委員会 昭和六十三年十月建立」と書かれてました。

 


(以下2023年6月撮影)

 

DSC_0830_00001.jpg

赤マーカー地点。

この方向に舗装滑走路が伸びてました。

DSC_0834_00001.jpg


      江別市・王子江別飛行場跡地     
当地で製造された戦闘機の部品等は後に同市の郷土資料館に寄贈されました。資料館内で、木製の翼や車輪など見学できるのだそうです

王子江別飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道江別市見晴台
座 標:N43°06′48″E141°31′11″
面 積:231ha
滑走路:
・第1滑走路:1,400m×50m(16/34)舗装
・第2滑走路:2,000mx200m(03/21)転圧、未完成
(座標、方位はグーグルアースから)

沿 革
1944年02月 10日着工
1945年04月 完成

関連サイト:
北海道の旧飛行場リスト 
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コメント 13

sak

王子製紙さんが飛行機を作っていたのですね\(゜ロ゜)/
当然かもだけど、戦争中って全てがお国のためだったんだなぁ...
by sak (2010-08-13 08:36) 

鹿児島のこういち

鹿児島には陸軍知覧航空隊基地跡、知覧特攻記念館に隼、飛燕、疾風があります。
この中の四式戦闘機、疾風の木製ですね。
あと、富山の呉羽飛行機でも木製戦闘機を造ったんですよ!桧製(^O^)
江別はブナ製です主翼は蝦夷松です(^O^)
ただ、疾風は時速600kmを超える傑作機ですけど、陸軍ではドンガメf^_^;の一式戦闘機隼、(最高速度500km前後)がパイロットには人気が高く、大戦後も中国人民軍やタイ軍など帝國陸軍が戦った地域のアジアの各地で採用され、フランスでも練習機として使われたんですよ。おそらく海外で活躍した唯一の日本の戦闘機じゃないでしょうか?
隼は瞬発力が高く、短距離で勝てる戦闘機は当時、世界になかったと思います。
by 鹿児島のこういち (2010-08-13 15:57) 

an-kazu

大変お待たせいたしました(^^);
 宿題記事をUpしましたので、
 拙blogにもお立ち寄りくださいm(_ _)m
by an-kazu (2010-08-13 17:18) 

masa

当時の写真を見ましたが、よくわかりました。
現在は史跡となっているんですね。
by masa (2010-08-13 21:02) 

tooshiba

木で出来た戦闘機・・・強かったのかしら?
先人の苦労は計り知れません。
せめて鉄(他金属)と石油を百年分とは言わないから、十年分くらい貯めてから戦争始めればよかったね。

なんか、悔しい。負けたのもだけど、負けた後外国に言われっぱなしなのが、特に。
もっと言い争えばいいのに。>政府
by tooshiba (2010-08-14 00:20) 

me-co

王子製紙がそんな無茶振りされていたとは知りませんでした@@;
なのに、3機作ったというのはエライ!
昔の人は真面目で一生懸命だったんですねぇ
業態が違いすぎて何の技術も流用・移植できないのに・・・
by me-co (2010-08-14 01:25) 

雅

当時の日本軍は本気で木製飛行機で米軍相手に戦おうと思ってたんですかね?
もっと冷静に戦力分析とか出来なかったんですかね?
by (2010-08-14 10:07) 

miffy

木製の飛行機って・・・
飛行機を作るだけの鉄が日本にはもう残ってなかったってことでしょうか・・・
by miffy (2010-08-14 16:58) 

yatoho

とりさん こんばんは

王子製紙製飛行機だと、羽が紙だったりしませんよね?
グライダーだとありそうですけど(ありませんよね^^;)
by yatoho (2010-08-15 00:03) 

コスト

いくら物資不足とはいえ、「製紙会社」に「木製航空機の製造を命令」って・・。
それにたいして、木製戦闘機3機と滑走路を建設って戦前は本当に国家は企業にたいしても絶対的だったんですね。

by コスト (2010-08-15 11:22) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■sakさん
本当にこんな会社にまで依頼をするところがスゴイですよね。
>全てがお国のため
本当にそんな感じですね~。

■鹿児島のこういちさん
詳しい情報ありがとうございますm(_ _)m
富山でも木製ヒコーキ作ってたんですね(@Д@)

■an-kazuさん
おお、ありがとうございます。
後ほどお邪魔致します=(⊃゜Д゜)⊃

■masaさん
現在は史跡ですね~。
こういうものが残っているだけでもありがたいことです。

■tooshibaさん
>木で出来た戦闘機
純粋な戦闘機ではなのですが、WWⅡのイギリスのデ・ハビランド モスキートも木製です。
金属製と比べて長短あるのですが、耐久性がネックで主流とはならなかったようです。
>もっと言
個人的には「ごめんなさいごめんなさい」ばっかしな気がします。

■me-coさん
確かにコレは無茶振り以外の何物でもないですね~。
たとえわずかであっても、よく作れたものだと思います。

■雅さん
上にも書きましたが、第二次大戦中でも外国に木製機の例があります。
キノコが生えたり、カビが生えたり、接着剤がはがれたり、という耐久性に難がありましたが、
末期には特攻が多くなりましたから、これは短所とは見なされなかったのでしょうね。
冷静な戦力分析に疑問が残るという点はちっとも変わりませんけどね。

■miffyさん
資料には「物資の窮乏から木製戦闘機を~」と書かれてますのでそういうことなんでしょうね。
全国の鍋釜まで集めるという状態でしたから、「木で作れる」というのは軍にとっては魅力的だったんじゃないでしょうか。

■yatohoさん こんばんは^^
流石に紙はナイと思います^^;
布張りってのはあったんですが、高速になると風圧で変形してしまうため、高速化と共に木製や金属製になりました。

■コストさん
すごい無茶振りですよね~。
これでも最も脈のありそうな企業を選んではいるのでしょうが…。
航空機制作の命令を受けてから中島飛行機に研修に行かせるという状況だったようです。
by とり (2010-08-15 19:31) 

OILMAN

こんにちは。
王子製紙が紙飛行機ではなくて木製飛行機とは!
そんな時代だったんですね。
ちなみに王子呉工場はすぐ近所っす。
by OILMAN (2010-08-16 20:22) 

とり

■OILMANさん こんにちは。
おお、お近くにもあるんですね。
まさかここで戦闘機なんて想像もできないですよね。
ホント、時代ですね~。
by とり (2010-08-18 06:58) 

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