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清水海軍航空隊跡地 [├空港]

    2010年5月訪問 2020/7更新  


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OP-16-FE 40-44, September 1944, information on port of Shimizu.Report No. 13-a(3), USSBS Index Section 6(国立国会図書館デジタルコレクションより) 

「三保の松原」で有名な静岡県清水市の三保半島。

かつてここに「清水海軍航空隊」がありました。

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で、当飛行場について次のように記されていました。

旧民間飛行場だったが、ほぼ強制的に海軍に買い上げられた。
戦後払い下げが確定し、23年2月三保開拓組合へ462,000、東海大学へ66,000が返還された 

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:清水 建設年:1944 飛行場長x幅 米:海浜 旧民間飛行場 主要機隊数:予科練習生 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:施設アルモ数量不明

■また、防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、当航空基地の位置に(水上基地)と書き足してあり、「清水開隊(S19.9.1)(昭19建)」とありました。

資料にも出ていますが、元々根岸氏が開拓した民間飛行場でした(下記リンク参照)。

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「甲飛豫科練の像」(紫マーカー地点)


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碑文(全文) 太平洋戰争の末期ここ三保の地に清水海軍航空隊ありき 大空に雄飛せんと集いし若人海軍甲種飛行予科練習生が日夜嚴しき教育と訓練に明け暮れし所なり 往時の面影すでになしわれら再び戰争の惨を起さず 今ここに久遠の平和を念じつつ記念の碑を建立す 昭和六十年年八月吉日 清水海軍航空隊所属第十四、十五、十六期海軍甲種飛行予科練習生一同 清水海軍航空隊清空会 関係者一同

「甲飛予科練之像」記念碑案内(全文) 「甲飛予科練」とは太平洋戦争時、海軍航空隊に入隊した甲種飛行予科練習生のことであり、旧制中学三年生から、志願により選抜された者たちである。昭和十九年九月一日 清水海軍航空隊がここ三保の地に開隊され、予科練習生十四、十五、十六期生千数百余名が航空兵を目指して、日夜厳しい教育と訓練に明け暮れた所であります。当時、学業半ばにして国難に殉ぜんと、全国より馳せ参じた若人、未だ思慮分別も熟さず、心身も長じていない少年期の練習生が、「潔く散ってこそ若桜の生きがい」と生還を期し得ない精神と技量を養成されました。思えば、純朴にも祖国のため何の疑念も抱く事なく、身命を捧げんとしたのであります。愛国心に徹した人生観、青春のひととき、苦楽を共に過ごした霊峰富士を眺める時、清水海軍航空隊がここにあり、わたくしたち甲飛練習生の跡であると、そして更に後世に戦争の悲惨さを伝え平和の尊さを願いながら、この碑を建立しました。平成十八年二月十一日


        静岡県・清水海軍航空隊跡地        
当時の木造施設(炊事場と言われている)が一棟だけ残っているそうです

清水海軍航空隊 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:軍用飛行場
所在地:静岡県静岡市清水区三保
座 標:N35°00′48″E138°31′51″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1944年09月 1日 落成、開隊
1945年03月 1日 第20連合航空隊へ編入
     06月 1日 予科練教育凍結。30日 解隊
1948年02月 払い下げ確定。返還

関連サイト:
三保根岸飛行場跡地(清水海軍航空隊の前身) 

この記事の資料:
現地の碑文
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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コメント 6

鹿児島のこういち

旧制中学なら今の高校と一緒と考えて、何を思い、何を考えて志願したのか。
親兄弟を守る事、それが延ては、お国を守る事になると信じて、又は教育を受けて志願したことでしょう。特別攻撃の訓練を重ねる日々には、自分というものを捨てていたのかもしれないですね。

「恒久平和」世界、全てに恩恵がある日が来るといいですよね。
by 鹿児島のこういち (2011-02-06 11:59) 

sak

ここでは飛行機に乗ることができなかったのですね...
今なら大問題になりそう(^^;
by sak (2011-02-06 19:11) 

tooshiba

飛行場以外の旧跡もしっかり抑えられているところは、さすがです兄さん。ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
by tooshiba (2011-02-06 19:47) 

コスト

静岡には現在の自衛隊基地以外にも別に基地がいくつかあったんですね。
それにしても「三保」は、ずっと「みつほ」と読んでいたんですが、
出張で清水にいったら「みほだよ」と思いきり指摘されたのを思い出しました^^;
by コスト (2011-02-06 21:08) 

miffy

三保にも空港があったんですね。
三保の松原には幼児の頃よく遊びに行ってたみたいです。
本人には記憶がないのですが写真が残っています。
by miffy (2011-02-06 21:52) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
>何を思い、何を考え
現代に残っているものを通して自分なりに想像するより他ないわけですが、
知覧で彼らの残した実物を見た時の衝撃は忘れられません。
それでも現実のごく一部でしかないのでしょうが。
彼らの思いを無駄にしてはならないとか、彼らが現代を見たらどう感じるだろう、ということは
時々考えます。
だからこそ鹿児島のこういちさん仰る「恩恵がある日が」という言葉に同感です。

■sakさん
今なら詐欺みたいなものですよね^^;
結果的に特攻機で出撃せずに済んだわけですが、ご本人がそのことに対してずっと割り切れない思いをもつ話をよく聞きますし、
ご本人に対して「よかったですね」と単純に言えないところが戦争なんでしょうね。

■tooshibaさん
あんまり範囲を広げすぎるととめどなくなってしまうので手当たり次第ということはないんですけど、
ここは是非見てみたいと思いました^^

■コストさん
静岡も飛行場跡が多いんですよね。
温暖で平和ないまからでは想像つかないですが。
地名は難しいですよね~。^^;

■miffyさん
ここも来られてましたか。
三保の松原は有名スポットですからね。
海沿いに軽飛行機用の小さな滑走路がありますね^^
のんびりしていていい所でした。
by とり (2011-02-07 07:26) 

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