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沖縄県・辺野古V字滑走路建設予定地 [├場所]

   2012年1月訪問 2021/1更新  



渦中の「辺野古V字滑走路建設予定地」。

沖縄県‎名護市‎にあります。

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青マーカー地点。

国道329号線、辺野古交差点。

左奥にあるのは、辺野古一里塚についての説明。

この交差点を左折して少し進むと、

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赤マーカー地点。

こんなものが。

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「アップルタウン」のいわれが説明されていました。

D20_0161.jpg

以下赤マーカー地点周辺。

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建設予定地に近づこうとB地点に向かったのですが、その途中にありました。

建物もあったので話をお聞きできるかと思ったのですが、お留守のようでした。

D20_0168.jpg

紫マーカー地点。

多分民間人が最も予定地に近づける場所だと思います。

お邪魔した時には生憎のお天気だったのですが、グーグルでは美しいエメラルドグリーンの海が広がっています。

丁度数組の友人家族らしきグループが砂浜でシートを広げていました。

非常に平和な光景なのですが、すぐ横には米軍基地のフェンスが続いています。

 

戦前から沖縄を見続けてきた80、90の親戚のオバーたちは、

兄弟姉妹の命を多数米軍に奪われているのですが、 「沖縄がここまで復興できたのはアメリカのおかげ」と言い切ります。

そして、オイラの知る限り数十年前から、 「アメリカがいなくなったら沖縄は中国に乗っ取られるサ」とも。

アップル中佐に謝意を伝える銘板と 建設反対の看板と。

相矛盾する思いが共存せざるを得ない地元が一番辛いのだと思います。


      沖縄県・辺野古V字滑走路建設予定地      

辺野古V字滑走路建設予定地 データ

設置管理者:米海兵隊
種 別:海上滑走路
所在地:沖縄県‎名護市‎辺野古‎
座 標:N26°31′18″E128°03′04″
滑走路:2,100m×60m? 2本
方 位:04/22,05/23
(座標、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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沖縄県・本部監視哨跡 [├場所]

   2012年1月訪問 2021/1更新  



沖縄県‎国頭郡‎本部町にある「本部監視哨跡」。

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老人ホーム敷地内から柵越しに見学させて頂きました。

説明版(全文) 本部監視哨跡 本部町指定文化財(戦争遺跡)平成21年11月20日 指定
監視哨とは、戦時中情報蒐集の目的で、敵の飛行機や潜水艦などの来襲を監視、発見し(その位置、方向、機数、高度、敵味方の識別等の情報を)警察を通じて守備軍(最初は沖縄連隊区司令部)へ報告して防衛に役立てるための施設である。本部に監視哨が設置されたのは昭和10年代で、当初は谷茶の大瀬(現谷茶公園のお宮)で立哨し、後(年代不明平良 専哲氏談)海岸段丘上の展望のよい現在地にコンクリート造り監視哨がつくられた。(当時渡久地警察署で監視指導係をした新垣庸正巡査部長は昭和18年に建造されたと証言)当時は二階建てで、一階は監視要員の待機所、二階が監視所となっていて、現在一階部分は土に埋まっている。監視哨員は、崎本部、健堅、辺名地(大浜・谷茶を含む)、渡久地(東・大嘉陽・野原を含む)、伊野波、並里、浜元、浦崎地域の優秀な若者を6班に編成し(1班は6名程度)、1週間に1日ずつ勤務した。双眼鏡を持ち、飛行機や潜水艦を発見するため、5~6人交代で24時間監視体制がとられ、電話は渡久地警察署に取り次ぎ報告した。昭和19年10月10日米軍による空襲(10・10空襲)の時には、渡久地警察署で電話取り次ぎに当たっていた監視員の1人が爆撃にあい犠牲になった。沖縄戦とともに監視哨もその任務を終えた。この本部監視哨は且つて沖縄に在った11の監視哨のうち、その原型が残っている数少ない戦争遺跡のひとつであり、戦争の歴史的遺産として今後の教訓に資するため、本部町の文化財に指定するものである。本部町教育委員会

これまでいくつか監視哨跡を見学させて頂いたのですが、潜水艦の監視も兼ねている所は初めてです。

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別角度から。


      沖縄県・本部監視哨跡      

本部監視哨跡 データ

運用期間:1943年~1945年
運用時間:24時間
所在地:沖縄県‎国頭郡‎本部町‎谷茶‎
座 標:N26°39′23″E127°53′25″
(座標はグーグルアースから)

沿革
昭和10年代 本部に監視哨が設置される。谷茶の大瀬で立哨
1943年    当地にコンクリート造り監視哨が設置される
1945年    終戦。任務終了

関連サイト:
本部町/本部監視哨跡    
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伊平屋ヘリポート [├場所]

   2012年1月訪問 2021/1更新  

 

沖縄県‎島尻郡‎伊平屋村にある「伊平屋ヘリポート」。

様々な用途に使用されているようで、

自衛隊ヘリが住民の緊急搬送、不発弾処理等で2007年に6回、2010年に9回使用しています。

また急患搬送にも使用されており、2010年度は、ドクターヘリ15回、自衛隊ヘリ2回の使用があります。

さらにはエクセル航空が自社ヘリによるエアタクシー便を運航しています。

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車道沿いにあります。

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車道の反対側にある吹き流し。

最初ヘリポートの存在に気付かず、この道を入っていってしまいました^^; 


      沖縄県・伊平屋ヘリポート      

伊平屋ヘリポート データ

種 別:場外離着陸場
所在地:沖縄県‎島尻郡‎伊平屋村‎田名‎
座 標:27°02'29.4"N 127°58'51.4"E
標 高:5.0m
着陸帯:50m×50m
磁方位:10/28

沿革
1975年2月1日 施工

関連サイト:
エクセル航空 
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沖縄県・伊平屋空港予定地 [├場所]

   2012年1月訪問 2021/1更新  

 

沖縄県‎島尻郡‎伊平屋村‎野甫(のほ)‎島の「伊平屋空港計画」。

おおよそですが、こんな感じで空港を建設する計画があります。

 

 

島の位置関係。

空港予定地の野甫‎島は「伊平屋島」と橋でつながっています。

野甫‎島の南側には「伊是名島」があり、野甫‎島と約15分の渡し船(上図の細青線)があります。

それぞれの青マーカーは、それぞれの島の役場の場所(つまり島の中心地)。

おおよそですが、両島の役場の中間付近に野甫‎島が位置しています。

元々伊平屋村と伊是名村は、本土復帰当時から沖縄県、国に対して空港の整備について

要請活動を行なってきた経緯があります。

また、沖縄県でも同地域の空港整備について、様々な検討を行ってきました。

そして2005年、伊平屋村、伊是名村に沖縄県を加えた「伊平屋空港協議会」が、

PI手法により建設に向けての計画を立てており、那覇空港との路線開設を目指しています。

両島は那覇市の北約100kmにあり、那覇までの移動には現状では約4時間かかるのだそうです。

 

現在伊是名島、伊平屋島から沖縄本島の本部港に毎日2往復の船が出ていて、

所要時間はそれぞれ55分、80分、運賃は1,760円、2,380円(往復割引あり)なのですが、

夏の台風、冬の偏西風の時期は欠航することが多く、

続けて1週間以上欠航することもあります(伊平屋島・H15~H17の3年間の平均で年間105.3往復が欠航)。

年間105.3往復欠航ということは、1日2往復ですから、年間50日強島から出られない/島に渡れない。という計算になります。

これが夏と冬に集中するのですから大変です。

 

2006年、2008年の2回、PIで住民その他に広くアンケートを実施し、

空港建設賛成、反対様々な意見が集められ、公表されています。

代表的なものを挙げると、

定期通院、乳幼児の定期検診に行けず困った。

本島から戻る際、フェリーが欠航し、交通費、宿泊費、食費が必要以上にかさんだ。

親戚の結婚式に出席できなかった。

先生が島に戻って来れないと、授業が受けられず自習になる。

宅配業の参入が期待できる。

等があります。

空港ができることにより、「島から一歩も出られない」という状況が改善され、

人、物の流通が盛んになり、活性化を期待する声が多かったです。

「1日も早く開港して欲しい」という意見がある一方で、建設に慎重な方、空港反対という意見も多く、

代表的な意見としては、

自然環境の破壊、空港の効果に対する疑問、建設費、その後の運営についての心配等がありました。

具体的には、

豊かな自然を代償にして整備しても、ほとんど利用されなくなった空港をいくつも見てきた。

十分な検討をして慎重な判断をして欲しい。

観光客の増加による治安の悪化、村営フェリーの利用者が減り、船舶財源の悪化。

等の声がありました。

 

現在、陸路でつながっていない伊是名島と空港予定地の野甫‎島は渡し船があるわけですが、これは随時運行です。

「伊平屋空港協議会」では、これを定期航路にして伊是名島と空港のアクセスを改善させ、

伊平屋島だけでなく、伊是名島からも空港が利用できるように考えています。

伊是名島からの渡し船:1人200円、39人乗りの機材(ダッシュ8を想定)で1日2往復、片道1万円で運航した場合、

搭乗率約50%で利用者数は約3万人(伊平屋側:2万人:伊是名側1万人)、

緩やかに右肩上がりで推移し、建設費、維持費に対して経済効果は2倍になるとしています。
(利用者便益:約65億円 総費用:約33億円 建設条件 :事業費:約40億円(工事期間6年間)/評価期間:建設期間+50 年)
費用便益比:2.0)

 

この試算に対する反対意見として、

悪天候の時は渡し船も出せず、伊是名島から空港利用はできないのではないか。

というものがあります。

フェリーと比べると、渡し船は本当に小さな漁船のような感じなのですが、

いろいろ検索したところ、本島~両島を結ぶフェリーが欠航するような時でも、

両島間は比較的波が穏やかなので、渡し船が欠航してしまうことはほとんどないのだそうです。

(一部、いつも三角波が立つ海域があって大きく揺れるそうですが)

もっとも、空港建設は「悪天に強い」ということがウリなのですから、

「渡し船の欠航は"ほとんど"ない」では困るわけで、「野甫島と伊是名島に橋を架けるべきだ」という意見もあります。

 

空港賛成派の意見がイケイケドンドンで楽観的なのに対し、

反対派、慎重派の意見は非常に冷静で具体的なものが多いです。

フェリー欠航時以外は空港利用客がいないのではないか

空港があるからと言って観光客が来るとは思えない。空港ができれば活性化するという考えは甘い

現在でも村営フェリーは赤字である。空港ができたら、収支は更に悪化する

観光資源のない島にそんなに人が来るとは思えない。

経済効果が本当に2倍もあるとは思えない。

例え経済効果が2倍あっても、サンゴ礁の埋め立て、ウミガメ等、自然破壊による損失は計り知れない

観光客を当てにして開発を進めたものの、結局地元の負の遺産になってしまった公共事業は県内に多い

などがありました。

 

また反対意見として特に目についたのが、

伊是名島の場外離着陸場(上図のヒコーキマーカー)の現状を引き合いに出したものでした。

両村では長年国と県に対して繰り返し空港建設の要望を出して来たもののさっぱり実現しないため、

伊是名村独自で村営の飛行場(610m)を建設したいきさつがあります。

無事建設し、めでたく路線開設したものの、

航空会社が倒産してしまい、その後引き継ぐ会社もないまま路線閉鎖状態になっているという状況があります。

610mの滑走路ですら十分に活用できていないのに、1,200mの空港を新規建設して、果たして活用できるのか。

そんな税金の無駄遣いをするよりもむしろ、教育、福祉等のサービスを充実させて欲しい。という意見が多いです。

空港の廃止、路線廃止が相次いでいる中で、果たして空港と路線を成り立たせることが出来るのか

伊是名の二の舞になるだけだ。等の意見がありました。

また、これは島外の方だと思うのですが、

「移転補償及び空港建設費等すべてを伊平屋村が負担し、維持・管理も村で自立してできるのであれば、
伊平屋村の住民の意見を尊重する。そうでなければ、「離島」という不便な地域に居住している者が
都会並みの便利さを追求する権利はない。それが嫌なら転居すべき。」

という手厳しい御意見もありました。

 

オイラにとってこれらの反対意見は非常にもっともなものと思え、まずはこの既存飛行場に再度航空会社を誘致し、

伊平屋島との渡し船のアクセスを充実させ、空路を県、村ぐるみで盛り上げてみてはどうだろうと思ったのですが、

「伊平屋空港協議会」によりますと、

「伊是名場外離着陸場の上空は米軍の訓練空域に設定されており、民間航空機の飛行が制限されています。

そのため、伊是名場外離着陸場では他の空港で通常行われている定期運航は困難なため、

現状では県管理空港として整備することは困難であると考えております。」

なのだそうです。

それでも2008年まで約10年間那覇~伊是名航空路を開設していた実績があるわけで、

結局は意思次第なんじゃないだろうか。

と思うのですが…。

 

また、もっと小規模な飛行場やヘリコプターで十分ではないか。という意見もあるのですが、

需要予測からすると、小型機、ヘリコプターではなく、数十人規模の機材、空港が必要だと考えているのだそうで、

やっぱり野甫‎島に1,200m級の空港が必要なのだそうです。

建設予定地はサンゴ礁があったり、拝所があるため、それに配慮して、当初1,200mの予定だったのですが、

極力環境に影響を与えないように配慮し、航空会社に確認しつつ20m短縮して1,180mに計画変更した。

といういきさつもあります(公式サイト内では(案)としながら1,200mになってるけど)。

 

悪天でフェリーが欠航してしまう時こそヒコーキの出番なわけですが、

アンケートの意見にもある通り、島間の渡し船も出せず、伊是名島民だけヒコーキが利用できないという事態も考えられます。

渡し船が出ない時は、伊是名経由にするとかできると便利なんでしょうけども、

「定期便」だとこういうフレキシブルな運航は難しいんでしょうね。

エアードルフィンが那覇~伊是名の不定期チャーター便を運航していた時には、

利用客が1,2人の時は採算が取れないので飛ばなかったり、

途中の伊江島に利用客がいる時には伊江島に寄ったりとか、

定期便では考えられないフリーダムな運航でした。

島の規模を考えると、高規格な定期便より、こういう臨機応変な運用が可能な方が現実的な気がします。

「チャーター便」扱いだと、「平日は1便、週末のみ2便」なんてこともできそうですし。

 

フェリー利用者の7割は本島中南部を目的地・出発地にしているのだそうで、

全員が那覇空港周辺に行きたいわけではありません。

特に、買い出しのために名護市に行く。 という方の場合だと、ヒコーキを使う気にはならないでしょう。

 

PIによる情報公開、アンケート集計と公開、分析は2008年に終了しています。

様々な意見収集から、今後も両村と情報を共有することの重要性が明らかになったとしています。

沖縄県ではこの結果を踏まえ、今後とも空港整備に向けた検討を継続するとしており、

これから航空路線の開設や飛行方式の設定等の検討を行うとともに、

環境影響評価の手続き等に取り組んでいく予定なのだそうです。

 

小さな両島ですが、

「30年来の村民の悲願。1日も早く開港を!」、「絶対反対!」、「飛行機に乗ったとき、おやつとかをたくさんほしい」等、

様々な意見が寄せられている伊平屋空港。

空港大好きなオイラとしましては、「是非実現して欲しい」というのが正直な気持ちなのですが、

開港したものの利用が無く、路線廃止、空港廃止となってしまうという淋しい事態は見たくありません。

賛成派、反対派、それぞれの主張はもっともで切実な部分が大きいです。

双方の疑問点が1つでも多く解消され、より現実的な着地点を見出して欲しいと思います。

 

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赤マーカー地点(3枚とも)。

滑走路方向。

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エプロン、ターミナル方向。

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海方向。

島の東、南側には中学校、民家、墓地、風力発電所などがありますが、

空港予定地の周辺は畑がある他は、荒漠とした箇所が多いです。


      沖縄県・伊平屋空港予定地      

伊平屋空港予定地 データ「伊平屋空港協議会」・案

設置管理者:沖縄県
空港種別:地方管理空港
所在地:沖縄県‎島尻郡‎伊平屋村‎野甫‎
座 標:N26°59′50″E127°55′12″
標 高:13m
滑走路:1,180m×30m
着陸帯:1,300m×120m
方 位:07/25
エプロン:2バース
就航機材:DHC-8 39人乗り
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1977年     伊平屋村で空港適地調査及び基本設計を実施。野甫地区、前泊地先、島尻地区先の3候補地について比較検討
1978年     伊是名空港立地可能性調査及び基本設計を実施。3箇所の候補地について比較検討
1981年     空港建設位置として野甫地区を選定し、国へ伊平屋空港基本計画概要書を提出
1987年     地元野甫区の反対により、整備を見送る
1998年     野甫地区で地権者同意取りつけ作業を実施。伊是名村は、伊是名場外離着陸場の使用開始
1999年     伊平屋空港基本計画策定調査を実施、検討委員会等により基本計画(沖縄県案)を策定。(野甫案)
2000年03月 伊平屋村の野甫島を候補地として検討が進められることになりました。 
          野甫地区における空港整備計画(案)の地元説明会を実施
2002年     野甫地区で再度、地権者同意取りつけ作業を実施し、全員に近いと権者の同意が得られる
2005年11月 沖縄県、伊是名村、伊平屋村で構成する「伊平屋空港協議会」を設置。
2006年06月 第1回 伊平屋空港PI評価委員会
      08月 P1(ステップ1)開始。情報提供実施(地元説明会、パネル展示会の開催、アンケート、意見募集)
      11月 第2回伊平屋空港PI評価委員会(平成18 年11 月27 日)
      12月 アンケート分析の結果、空港必要性についての情報を共有し、住民の考えを把握出来たと判断
         P1(ステップ1)終了。
2008年01月 第3回 伊平屋空港PI評価委員会(平成20 年1 月15 日)
      02月 P1(ステップ2)実施。計画の妥当性について情報を公開し、意見収集
      03月 第4回伊平屋空港PI評価委員会(平成20 年3 月27 日)
      04月 結果公表
      05月 PI(ステップ2)の終了/結果公表。

関連サイト:
伊平屋空港に関するPIホームページ    
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群馬県・新田荘歴史資料館 [├場所]

   2011年12月訪問 2020/12更新  



群馬県‎太田市‎にある「新田荘歴史資料館」。

中世新田氏の荘園「新田荘」等に関する歴史資料の数々が展示されている格調高い施設です。

ところで館内には「中島邸」という特別コーナーがあり、

中島飛行機の創始者である中島氏が両親の為に建てた大邸宅について紹介しています。

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残念ながら館内は撮影禁止だったので、説明だけ抜粋してみます。

「主屋の上棟は昭和5年(1930)4月17日でした。設計監督は宮内省内匠寮出身の伊藤藤一。

全体として全て吟味した良質の材料を使用しており、

大工技術も約80年を経た現在でもいささかの狂いも見せず、実に質の高い建物です。

規模が大きいこと、建築年代が明確なこと、

設計者、施主が明らかなことなど全てこの建物の価値を高めるものとなっています。

菊丸瓦、巴瓦、軒瓦、鬼瓦等、瓦は京三(京都)製であり、

大屋根を支える構造は、社寺などに見られる伝統技術である桔木構造と、

西洋から導入したトラス構造を組み合わせたものとなっています。

瓦、建具の金具、照明器具、カーテンレールの留め金具をはじめ、

至る所に中島家の家紋である「下がり藤」が刻まれています。

また、時代を先取りした「オール電化住宅」となっており、

各部屋には多数のコンセントが壁や柱に埋め込まれており、三菱、東北産業(株)製電気ストーブが置かれ、

大理石の大きな暖炉にはハンフリー社製電気ストーブがしつらえてあります。

さらにトイレも水洗化され、昭和初期の建築でありながら極めて現代的な建築と言えます。」

ますます邸内を見学してみたくなりました。

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以前中島邸にお邪魔した時に撮った写真を一部拡大してみました。

撮った当時はまったく気が付きませんでしたが、この模様は中島家の家紋だったのですね。


      群馬県・新田荘歴史資料館      

新田荘歴史資料館 データ

設置管理者:太田市
運用時間:9:30~17:00
休館日:月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
所在地:群馬県‎太田市‎世良田町‎
座 標:N36°15′39″E139°16′30″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1985年    東毛域市町村圏振興整備組合の「東毛歴史資料館」として開館
2009年04月 太田市に移管。新たに「太田市立新田荘歴史資料館」として開館

関連サイト:
太田市立新田荘歴史資料館」    
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