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埼玉県・吉見百穴地下軍需工場跡 [├場所]

   2011年12月訪問 2020/12更新  
 


埼玉県‎比企郡‎吉見町‎にある「吉見百穴」。

約1300年前の古墳時代終末期の横穴墓群で、岩山に横穴が沢山開いています。

戦争末期、ここに地下軍需工場の建設が行われ、 「吉見百穴地下軍需工場」とされました。

工場建設に伴い数十基の横穴が破壊され、中島飛行機のエンジンが作られました。

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「地下軍需工場」というと、地中深く潜った先にあるようなイメージだったのですが、

入り口から水平にトンネルが続いており、トンネルが格子状に続いている感じです。

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入り口から奥には進めないようになっていました。

現在公開されているのは10分の1の広さにも及ばないのだそうです。

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現地に掲示されている説明版と、受付で頂いたパンフをまとめるとこんな感じでした。

「昭和19年末~20年の初め、吉見百穴とその周辺の丘陵地帯に大規模な地下軍需工場が造られました。

今でも通行可能な直径3メートル程の開口部を持つ洞窟が地下軍需工場の跡です。

地下軍需工場は空襲を避けながら航空機の部品を製造する目的で造られたもので、

縦と横の洞窟がそれぞれ交差し碁盤の目のようになっているのが特徴です。

第2次世界大戦の末期、東京都武蔵野市にあった中島飛行機工場は、地下に移転する計画がありましたが間に合わず、

空襲によって生産能力が10分の1に落ち込んだと言われています。

そのため移転の必要性が急速に高まり、生活物資の調達に便利で、掘削に適した場所である吉見百穴地域に

現在のさいたま市にあった中島飛行機大宮工場エンジン製造部門の全施設を移転することになりました。

軍需工場の区域となったのは松山城跡から岩粉坂までの直線距離にして約1300メートル部分でした。

軍需工場は大きく分けて「松山城跡下」「百穴下」「百穴の北側」「岩粉山付近」の4工区あり、それぞれの工区は独立していました。

ダイナマイトを使用して工事は進められましたが、工事に適した凝灰質砂岩は百穴と岩粉山付近にしか分布していません。

松山城下には固い岩盤があり落盤が起こりやすく、百穴と岩粉坂の中間は山が低いので掘削に適さず工事は難航し、

またその方法は工事を進めながら同時に設計も行うという作業のため、

掘削しては測量し、高低や方向を修正したと言われています。

トンネルは幅4メートル、高さ2.2メートルの馬蹄形で現在公開されているのは、

左右500メートルに亘り山腹に掘られた一部で10分の1の広さにも及びません。

7月頃には完成した場所に工作機械が搬入され、大宮工場から移転した従業員や勤労労働員学徒により

エンジンの部品が製造され始めましたが本格的な生産活動に移る前に終戦となりました。

この工事に携わったのは全国から集められた3,000~3,500人の朝鮮人労働者で昼夜を通した突貫工事でした。

掘削工事に従事した最後の1人の帰国に際し、関係者により催された懇談会の席上、

日本と朝鮮との平和を希望して植えられたムクゲの苗は現在でもこの地で生長を続けています。」


      埼玉県・吉見百穴地下軍需工場跡地      

吉見百穴地下軍需工場 データ

所在地:埼玉県‎比企郡‎吉見町‎北吉見‎324
座 標:N36°02′23″E139°25′16″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1944年    この年の末着工
1945年07月 この頃エンジン部品製造開始
     08月 終戦

関連サイト:
吉見町/吉見百穴    
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赤穂防空監視哨跡地の碑 [├場所]

   2011年10月訪問 2020/12更新  



長野県‎駒ヶ根市にあるすずらん公園。

「赤穂防空監視哨跡地の碑」があります。

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碑の裏に銘板がありました。

昭和十六年四月十一日から太平洋戦争終結の日まで、東部軍司令部と県警察部により、この地に、赤穂防空監視哨が設立された。伊藤喜一郎氏を哨長に、県知事任命の青少年五十余名が、ここで、厳寒酷暑の風雪をしのぎ、昼夜の別なく気力を集中して、爆音の聴取と機影発見に努め、国土防空の重責を担った。戦後五十年にあたり、当時の勤務者有志相計り、平和の森と変わった跡地に、記念碑を建立し、恒久の平和を深く祈念する。(以下34名の氏名省略) 平成七年十二月吉日建立之

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すずらん公園内


      長野県・赤穂防空監視哨跡地の碑      

赤穂防空監視哨 データ

設置管理者:東部軍司令部と県警察部?
運用時間:24時間
所在地:長野県‎駒ヶ根市‎上穂栄町‎
座 標:N35°44′07″E137°55′43″
標 高:695m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1941年04月 防空監視哨設立
1995年07月 碑建立

関連サイト:
赤穂防空監視哨跡地の碑    
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この記事の資料:
現地の碑文 


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鯖江不時着場跡地 [├場所]

   2011年10月、2018年5月訪問 2022/1更新  


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1934年(昭和9年)5月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)

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撮影年月日 1948/10/13(昭23)(USA M1184-A 116)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福井県‎鯖江市にある‎丸山公園。

かつてこの周辺は旧陸軍歩兵第36連隊の鯖江練兵場でした。

そしてちょうど丸山公園の付近に「鯖江不時着場」がありました。

■「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」(1934年5月調)に図があり(下記リンク参照)、

先頭のグーグルマップは、この図から作図しました。

とっかかりが無くて精度に自信ないんですが、大体こんな感じと思います。

2本の滑走路がX字に交差する形状となっていて、

資料には、北西~南東方向の滑走路が(1)、 北東~南西方向の方が(2)と番号が付いています。

■防衛研究所収蔵資料:「航空路資料第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19.6 水路部」

の中にも当不時着陸場の付図があるのですが、そこには(2)北東~南西方向の1本の滑走路しか描かれていません。

1934年には2本だったものが、1944年には1本に減っている訳です。

付図を見ると、元滑走路があった部分には、特に何かか建設されたという形跡はなく、

単に滑走路としての設定が外されたようです。

こういうパターンもあるんですね。

まあ元々飛行場ではなく演習場ですからね。

同資料に当着陸場に関する情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第7 鯖江陸軍練兵場(昭和17年11月調)
管理者 中部第64部隊。
位置 福井県今立郡神明村
   (鯖江町の北方約4.2粁、35°58′8N、136°11′0E)。
種別 不時着陸場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約15米。
広さ及形状
 着陸地域は本練兵場の北西部に於て長さ北東-南西450米、幅100米の長
方形地域なり(付図参照)。
地表の土質
 粘土混りの尋常土。
地面の状況
 着陸地域及周囲一帯は陸軍大演習の際基地トシテ使用する目的にて整地工
 事を施せるものなり・地表は概して平坦なるも北方に向け緩除なる下り傾
 斜を成す・地盤は概ね堅硬にして殆ど一面に芝密生す・降雨後の排水良好
 なるも冬季積雪1.5-2.0米に達するを以て融雪期には諸処泥濘となる。
場内の障碍物
 着陸地域の北西端付近に長さ8米、幅5米、深さ2米の穿孔、其の南側に
 高さ4米の独立樹あり。
適当なる着陸方向
 北東及南西の2方向に限る、北東より着陸する場合は北東方約650米に在
 る射撃場の中央部より直進降下し高さ20米の煙突を右に見、前方丸山の
 右外側に向け着陸するを適当とす。
離着陸上注意すべき点
 北東方約500米に高さ20米の煙突、北及北東方270米の練兵場境界付近に
 高さ各17米の煙突、南西方約150米に高さ6米の普通電線1條あり、何れ
 も離着陸方向の見通線上に在るを以て警戒を要す。
施設
 なし。

周囲の状況
山岳及丘陵
 南端付近に場面よりの高さ10米の丸山、其れより南東方約350米に琵琶山
 と称する丘陵連互する高さ30米の高地あり、又北方約1.2粁に高さ182米
 の經ヶ岳の山脈あり北方に向け連互す・其の他の周囲は水田又は畠地にし
 て地貌平坦なり。
樹林
 南方丘陵性高地上に高さ8米内外の松樹林あり、東方200米付近に高さ10
 米内外の雑木林あり、又西方約350米、北方約250米付近に8-10米の松
 樹林あるも離着陸方向には障碍となる樹林なし。
堤防
 場の北端より北方約80米に在る浅水川の両岸に堤防あり、離着陸の際目障
 りとなる。
河川及湖沼
 北方約80米に北西流する浅水川あり、本場付近に於ける河端約40米なり、
 又西方約2粁の平野の中央を北流する吉野瀬川あり・南方約370米に長さ
 90米、幅40米の溜池あり。
煙突
 着陸地域の北東端より東方約80米及北方約160米に高さ各17米、又北東
 方約270米に高さ20米の煙突各1基あり。
建築物
 着陸地域の南西端付近に厠1棟及北方浅水川の南側に建物2あるも何れも
 障碍とならず。
電線
 南西方約150米に略南北方向に架設せる普通電線1條あり。
着目標
 鯖江町、北陸道、中部第64部隊兵営、浅水川。

地方の状況
市街
 南方約4.5粁に鯖江町、其れより更に南方5粁に武生町あり、鯖江町は人
 口約5,000にして鯖江憲兵分隊、警察署及郵便局等の諸官衙及学校の所在
 地なり。
軍隊
 中部第64部隊(丹生郡立待村)南方約1粁・鯖江憲兵分隊(今立郡鯖江町)
 南方約4粁。
警察署及役場
 鯖江警察署(今立郡鯖江町)南方約4粁、神明駐在所(同郡神明村字岡野)
 南東方約1粁・神明村役場(同上)。
医療
 神明村字水落(南方約2粁)に鯖江陸軍病院あり・神明村内に地方医3あ
 り。
宿泊
 神明村内に旅館1、鯖江町に旅館11(収容員数計150)あり。
清水
 付近の民家に水質良好なる井戸あり。
応急修理
 神明村に鉄工場2、中部第64部隊内に鍛冶工場あるも何れも期待し得ず。
航空需品
 航空用燃料は付近より需むるを得ず。

交通、運輸及通信
鐡道及電車
 鯖江駅(北陸本線)南方約4粁・南方約10粁の武生町より北方福井市間に
 福武電気鉄道線あり、最寄停留所は鳥羽中(東方約700)なり。
道路
 場の東方約800米に北は福井市、南は鯖江及武生町を経て米原方面に通ず
 る国道(北陸道)あり、着陸場より村道に依り之に連絡す。
車馬及運送店
 神明村に合同運送会社1、貨物自動車3及荷馬車10あり。
電信及電話
 神明郵便局(電信及電話取扱)南方約1粁の中部第64部隊の南隣に在り。

気象
測候所
福井測候所(福井市日の出下町)北北東方約10粁、航空気象観測せず・今
 立農学校気象観測所(今立郡舟津村上鯖江)南方約4.5粁。
地方風
 福井測候所に於ける2557年至2600年44箇年間の月別統計を参考に記載
 す(以下月ごとのデータ省略)
天候
 今立農学校気象観測所に於ける昭和2年至同13年(11年缺)11箇年間の
 月別雨雪日数次の如し(以下月ごとのデータ省略)
 尚参考に福井測候所に於ける2557年至2600年44箇年間の月別統計次の
 如し(以下月ごとのデータ省略)
地方特殊の気象
 夏季雷雨の襲来すること多し・濃霧の発生は1月及2月に多く、7月之に
 次ぐ・冬季(12月-翌年3月)は降雪多く積雪量は1月最も多く昭和3年
 至同13年11箇年の統計に拠れば同月に於ける1日の最大積雪量1.3米に
 して平均0.7米なり。

DSC_0120.jpg

青マーカー地点。

(1)北西~南東方向の滑走路は、画面右側から奥に向かって伸びていたはずです。

DSC_0119.jpg (2)

赤マーカー地点。

北東~南西方向の滑走路は、ここから奥に向かって伸びていたはず。


      福井県・鯖江不時着場跡地      

鯖江不時着場 データ(主に水路部資料昭和17年11月調から)

管理者:中部第64部隊
種 別:不時着陸場
所在地:福井県今立郡神明村(現・鯖江市‎丸山町‎4丁目‎)
座 標:N35°58′8″E136°11′0″
標 高:15m
滑走路:
(1)550mx100m(13/31)
(2)450mx100m(04/22)
(方位はグーグルアースから、標高、滑走路長さは「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」から)

沿革
1896年 連隊本部設置
1933年 陸軍演習の際、参加した陸軍機、新聞各社の機体の離着陸に使用される
1934年 5月頃は滑走路2本
1944年 6月頃は滑走路1本

関連サイト: 
「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」  
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「航空路資料第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19.6 水路部」


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長野県・飯沼飛行士記念館 [├場所]

   2011年10月訪問 2020/12更新  



長野県‎安曇野市‎にある「飯沼飛行士記念館」。

東京~ロンドン間 世界記録を達成した飯沼飛行士の生家にあります。

国道147号線沿いにあって分かりやすいです。

国道沿いと奥に駐車場あり。

この時は入館できなかったんですが、後日開館時に再訪問しました(下記リンク参照)。

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銘板がはめ込まれてます。

栄光の「神風」号(全文) 昭和12年(1937年)4月6日、午前2時12分4秒、飯沼正明操縦士(当時26歳)、塚越賢爾機関士(群馬県・倉渕村出身、当時38歳)搭乗の純国産機「神風」号は、東京郊外・立川飛行場を出発、4月9日午後3時30分(英国時間)歓声の渦巻くロンドン・クロイドン飛行場に着陸、15,357キロを、94時間17分56秒で飛行し、東京-ロンドン間を100時間を切るという当時の世界記録を樹立、それも日本人が純国産機で成功したことは 世界の航空史の流れの中に不滅の光を放っている。この飛行は5月12日、ロンドンにおける英国皇帝戴冠式のお祝いとブリュッセル、ベルリン、パリ、ローマの各国首都親善訪問を目的に企画された。「神風」号は、三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所の河野文彦氏設計による三菱式雁型複座高速通信機で全金属低翼単葉、翼幅12メートル、機長8.21メートル、最高時速500キロ、航続距離2,500キロ、発動機は中島飛行機株式会社(現・富士重工業)、中島式空冷550馬力で全備重量2,300キログラムの優秀機である。
経歴 飯沼正明 大正元年(1912年)8月2日生まれ、南安曇郡南穂高村(現・豊科町)細萱出身、旧制松本中学校卒業、逓信省委託操縦生として埼玉県所沢陸軍飛行学校を卒業、昭和7年朝日新聞社航空部入社。昭和9年日中処女航空路を開拓するなど、数々の業績をあげ、太平洋戦争に徴用、昭和16年12月11日仏印のプノンペンに散華した。享年29歳、一等飛行機操縦士、二等航空士。 平成元年4月29日 飯沼正明飛行士を讃える会 朝日新聞社


      長野県・飯沼飛行士記念館      

飯沼飛行士記念館 データ

休館日:冬季12月15日〜2月末日、月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日
運用時間:午前9時~午後5時
所在地:長野県‎安曇野市‎豊科南穂高‎3888
座 標:N36°18′59″E137°53′46″
標 高:540m
入館料:大人410円
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1989年04月 記念館開館

関連サイト:
飯沼飛行士記念館    
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航空資料館 [├場所]

   2011年10月訪問 2020/12更新  



長野県の姥捨(うばすて)駅、姥捨SAの南西にある「航空資料館」。

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展示物がいろいろとスゴイというので楽しみにしていたのですが、工事中で休館だったので外から撮ってみました。

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資料館前に案内板がありました。

航空資料館案内(全文)
一、目的 時代の激しい進歩の度合を代表する最たるものは航空機の進歩とその技術である。特に高度の調和を絶対に必要とし調和なくしては成立しない特徴がある。一方激動下の社会情勢の推移を直視するとき調和を尊重せずしては成立しない時代であること
を痛感する。このときに当り調和の権化である航空機を通じ時代認識を深めると共に広く航空知識の高揚に寄与すべく航空資料館を建設した
二、建物 明治十年以来麻績小学校々舎として存在した建物をここに縮小して復元した
三、内容 F104J戦斗機・F86D・F86F戦斗機 ジェットエンジン・プロペラ付エンジン エレクトリカルシステム フライトコントロールシステム リンクトレーナー 救命具・落下傘 零戦航法計 航空機に関する資料部品数百点
四、その他(館庭展示品) 軍艦陸奥の主砲 同砲弾 同軍艦旗(館内) D51蒸気機関車 腕木信号機 (聖博物館の各種資料)


      長野県・航空資料館      

航空資料館 データ

運用期間:冬期間閉鎖
運用時間:午前9時~午後5時 休館日:毎週火曜日
所在地:長野県東筑摩郡麻績村麻聖5889-1
座 標:N36°29′16″E138°04′12″
(座標はグーグルアースから)
大人     300円

関連サイト:
麻績村立聖博物館    
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