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熊谷南(小原、静簡院原)飛行場跡地 [├空港]

   2010年4月訪問 2023/1更新  


無題5.png
撮影年月日1947/11/03(USA R465-No1 17) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

埼玉県熊谷市にあった旧陸軍の「熊谷南(小原、静簡院原)飛行場」。

前記事でご紹介したあの「熊谷飛行場」の南東約7.5kmに位置していました。

以前のぶさんに情報頂いたんですが、

■「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧

の中で、当飛行場のことが、「熊谷南」(秘匿)と記載があるとのことで、これが軍の正式名称と思います。

また後述しますが、地元町史等には当飛行場が「小原飛行場」、「静簡院原飛行場」という名称で登場します。

上に貼った航空写真を見ての通りで、滑走路跡がハッキリ映っているんですが、

両端の位置が長いこと不明でした。

最近になって、埼玉県立小川高等学校社会研究部さんが地元の古老に聞き取り調査を繰り返し、

当飛行場の復元模型を作成しました(@Д@)

先頭のグーグルマップは、この復元模型を参考にさせて頂いて作図しました(特に両端部分)。


■「江南町史 資料編4 近代・現代」に当飛行場について幾つか記述がありました。

以下引用させて頂きます。

(当時飛行場は「小原村」にあったのですが、1955年に小原村と御正村が合併して江南村となり、更に現在では熊谷市の一部となっています)

673p
昭和二十年 小原村事務報告 軍緊急工事協力
小原村地内飛行機滑走路、誘導路構築工事、藤沢村地内
軍工事同砂利運搬及小原村小江川地内軍工事等ニ夫々協力シタリ、尚関東配電工事ニ協力ス

667p
昭和二十年八月(一九四五)終戦直前の手記
一三日 静簡院原飛行場空襲あり八機で銃激(撃)ス

681p
昭和二十一年一月(一九四六) 小原飛行場跡に看視員(「埼玉新聞」昭和二十一年一月八日)
小原飛行場に看視員常置 物資盗難に警告
大里郡小原村在飛行場跡には同所進駐軍が接収した飛行場物資、電気コード、タイヤ等が山積されてゐるが最近無看視状態にあるので、数日来村民五十数名が前記物資を盗み出して勝手に処分してゐたところ、このほど進駐軍より熊谷署に厳重な申し入れがあり、六日上原警部以下数名が現地に急行、犯人探索に当るとともに以後若干の看視員を常置して事故防止に努めることになった。

当飛行場のすぐ北側に静簡院(じょうかんいん)があります(グーグルマップ青マーカー)。

以前、通りすがりさんからもご指摘頂いていたんですが、町史の中で 「静簡院原飛行場」という名称がでてきます。

戦後は飛行場跡地で盗難事件があったんですね。

現在滑走路の中央部分は「埼玉県農林総合研究センター畜産研究所」になっており、

この研究所内にかろうじて滑走路の地割が一部残っています。

周辺は山林、畑、そして宅地になっており、当時の痕跡を見つけることはできませんでした。

熊谷飛行場のことはいくらでもネットに出てくるのですが、

当飛行場のことはほとんど情報がありません。

D20_0060.jpg

赤マーカー地点


    埼玉県・熊谷南(小原、静簡院原)飛行場跡地     
この飛行場は近くの有名な寺の土地(雑木林や畑)も多く使われました。寺が将校宿舎にもなっていたそうです。そして兵隊の宿舎には小原国民学校(現在・江南南小学校)が使用れたのだそうです(通りすがりさん情報ありがとうございました)

熊谷南(小原、静簡院原)飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:埼玉県熊谷市須賀広
座 標:N36°06′31″E139°21′05″
滑走路:1,800mx90m?(再生おじさんさんより)
方 位:13/31
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1944年11月 この頃建設始まる
1945年02月 28日 小原村事務報告に、「小原村地内飛行機滑走路、誘導路工事が進行中」と記載あり
     05月 18日 燃料弾薬第一線集積実施
     08月 14,15日 熊谷空襲。江南町域でも成沢、下押切で28戸消失。御正国民学校に4発、校庭に70初の焼夷弾
1946年01月 8日 小原飛行場跡地の物資を盗み出す者が多いので熊谷警察署員が看視に立つ
1947年02月 1日 飛行場跡地に日本清明牧農社(引揚者及び復員軍人の協力団体)が入植者50世帯計画と報道

この記事の資料:
「江南歴史年表」(江南町史通史編別冊付録)
江南町史 資料編4 近代・現代
「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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コメント 23

まめ助の母

こんなところも滑走路!
さすがに近辺を走ったことはあるかもしれませんが
想像だにできませんでした…
資料ないんですかね…
わからないとなると調べたくなりますね〜
by まめ助の母 (2010-07-10 23:34) 

tooshiba

こうなると、地元の新聞社とか、付近の長老への突撃インタビューとか。
とりさんならできる!できるよ!(^o^)
by tooshiba (2010-07-11 02:29) 

masa

写真で見ても滑走路とはわかりづらいですね。
by masa (2010-07-11 13:53) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■まめ助の母さん
ここは非常に資料が少なくて、そのスジでも超マイナーな部類だと思います^^

■tooshibaさん
ヘタレなオイラに長老とか新聞社はちょっとハードル高いッスよ~。^^;

■masaさん
施設内以外地割が残ってなくて、完全に宅地、畑になってますからね。
もう想像するだけですね。
by とり (2010-07-12 06:32) 

鹿児島のこういち

写真拝見しました。はっきり滑走路写ってますねぇ(^O^)
直撃インタビューではなくても、地元の図書館とか歴史史料館などに、資料とかないものでしょうかね(^O^)(無理に探せとは言ってませんよ!私は言ってませんからねぇ~(^O^))
by 鹿児島のこういち (2010-07-12 18:15) 

とり

■鹿児島のこういちさん
一応地元に図書館があってそこで探したのですが、記事に載せた程度の少しの情報しかありませんでした^^;
by とり (2010-07-13 05:58) 

再生おじさん

こんばんは

アーカイブの転圧痕から、滑走路のサイズは幅90×長さ1800mかと思われます。

ちなみに、先日現地を訪問しましたところ、研究所が造成工事中?で、研究所内の滑走路幅の地割を柵の外から撮影できました。
また、東の方の林に入って状況を確認してみましたところ、研究所東端から緩やかな下り傾斜っぽくなっていました。

by 再生おじさん (2014-01-05 00:01) 

通りすがり

この飛行場の土地の多くは近くの有名な寺の土地でした。
そして寺が将校宿舎ともなっていたそうです。
2代前の住職が寺を乗っ取った(?)
らしいので当時の事を知る人は今、
この寺にはいないそうです。

by 通りすがり (2014-02-05 17:33) 

とり

■再生おじさんさん
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
情報ありがとうございます。
記事に反映させて頂きましたm(_ _)m

■通りすがりさん
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
情報ありがとうございます。
記事に反映させて頂きましたm(_ _)m
by とり (2014-02-20 12:37) 

通りすがり

その後の調査で若干の訂正加筆がありました。
誤「この飛行場の土地の多くは近くの有名な寺の土地でした」
正「この飛行場は近くの有名な寺の土地(雑木林や畑)も
   多く使われました。」
そして兵隊の宿舎には小原国民学校(現在 江南南小学校)が使用
されました。
将校たちは終戦前日に宿舎の寺から一斉に撤収しその晩の空襲では寺の山門前の家が燃えたそうです。
この飛行場のあった2つの村、旧小原村野原にいた方は将校を見たことがあっても飛行機は見たことが無かったと言い、旧御正村の方は赤トンボを見たと言っていました。
そして野原古墳群内には掩体壕の跡もあるそうですが私はまだ確認をしていません。
再生おじさんご指摘のこの飛行場の米軍コード「MAGECHI」ですが、この飛行場のあった小原村や御正村の名称ではなく隣接する万吉(マゲチ)村(1889年より吉岡村万吉・1955年より熊谷市万吉)の名称がなぜ付いているのか不思議でした。
調べてみると万吉には飛び地があることがわかりました。
地図を見ると農林総合研究センター畜産研究所(熊谷市須賀広)の中にも万吉の飛び地がありました。
以上宜しくお願いします。

by 通りすがり (2014-03-19 20:31) 

とり

■通りすがりさん
貴重な情報感謝致します。
後日記事修正させていただきます。
by とり (2014-03-20 07:06) 

あるく

はじめまして
埼玉県の旧飛行場跡地に興味を持ち
今年から時々訪れているものです。
1つお伺いをしたいのですが
文献等を探してもも「熊谷南飛行場」というのが
なかなか見つかりませんでした。
何を見ると「小原=熊谷南」
という事がわかるのでしょうか。
お教えください。
稜威ケ原飛行場の草原が北飛行場と南飛行場
に分かれているという私家版の印刷物は見つけたのですが
これでは小原が熊谷南ということにはなりません。
以上、突然ではありますが宜しくお願いいたします。

by あるく (2014-04-06 17:11) 

とり

■あるくさん いらっしゃいませ
「熊谷南飛行場」という名称についてですが、地元図書館にお邪魔した際、
「江南歴史年表」(江南町史通史編別冊付録)から該当部分をコピーではなく書き写したのですが、
書き写したものを確認してみたところ、
「1944 11月頃 小原陸軍飛行場建設始まる(熊谷南飛行場)現農林総合研究センター」
と記されていました。
(熊谷南飛行場)というのは、オイラが勝手に書き加えてしまった可能性があり、あやふやで申し訳ないのですが、
機会がありましたら確認してみようと思います。
こんなことならコピー取っとけばよかった^^;

また、「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)という資料があり、
この資料記載の「陸軍飛行場一覧」には、本州内の陸軍飛行場が網羅してあるのですが、
東部軍管区の中に、埼玉県内諸々の飛行場と共に「熊谷南(秘匿)」が出てきます。
そして小原は出てきません。
陸軍の一次資料内の記載ですから、「熊谷南」が正式名称、「小原」は地元の通名ということなのだと思います。
こちらの資料は防衛研究所史料室で確認できると思います。

ご確認済みかもしれませんが、ネットだとこちらに出てきます↓
(以前は「熊谷南」でもう少しヒットしたはずなのですが…)
http://www.warbirds.jp/airport/saitama/
by とり (2014-04-07 06:23) 

あるく

大変お手数をおかけいたしました。

昨日「さくら弾機」に関する本を読んだところ
偶然、 松山(熊谷南)飛行場という記述を
見つけました。
ですが内容を読むとどうも立川、多摩(福生)飛行場
のことを言っているようで誤記と私は判断をしました。(残念です)

今回はありがとうございました。また宜しくお願いします。
by あるく (2014-04-08 10:14) 

通りすがり

度々失礼します。
江南町史の中で小原飛行場という呼び名とは別に「静簡院原飛行場」という呼び名を見つけました。
旧小原村側の名称ではなく旧御正村成沢に今もある静簡院という寺
の名称が付いた飛行場名を初めて目にしましたのでお知らせ
いたします。
ちなみに以前私が書かせていただいた寺(旧小原村野原)とは別の寺です。

by 通りすがり (2014-04-08 19:04) 

とり

■あるくさん 
当時から随分時間が経ってしまいましたからね。
一次資料にも間違いが指摘される例もあるそうですから、
そういうスタンスで見た方がよいのだと思います。
こちらこそどうぞよろしくお願い致します。

■通りすがりさん
またまた貴重な情報ありがとうございます。
静簡院は当飛行場に極めて近い場所にありますね。
通常なら別名なのだろうと思うのですが、そうすると、
「旧小原村野原の有名な寺の土地(雑木林や畑)も多く使われた」にもかかわらず、
敢えて別の寺の名称が付いたことになります。
不思議ですね。
どうもありがとうございました。
by とり (2014-04-09 05:52) 

通りすがり

静簡院原飛行場の名称ですが
熊谷飛行学校も旧三尻村に多く属していたのにもかかわらず三尻の
名前が付けられず熊谷とされた事に対して三尻村は陸軍省などへの
陳情運動と熊谷での不買運動を行ったと熊谷陸軍飛行学校小史に書
かれていました。
私のあくまでも推測ですがこれと同様に御正村側も独自の名称を
付けたのではないでしょうか。
旧小原村出身者(83歳)に聞いてみましたが静簡院原飛行場と
いう名称は聞いたことが無いと言っていました。
この2つの村が合併して江南町になった時も両役場は使わずに役場
を真ん中近くに新しく造ったそうです。

もう1つ面白い? こともわかりました。
江南町史に「小原陸軍飛行場の造成作業(目で見る熊谷・深谷・
大里の100年より 昭和19年)」という写真が載っていました
のであえて引用した本を見てみるとその写真は「熊谷農学校の勤労
奉仕隊」熊谷市昭和15年頃 というキャプションがついている
食糧増産の写真でした。
どちらが正しいキャプションなのかはわかりませんが、、、。

何度もお邪魔しましてすみません。

by 通りすがり (2014-04-11 12:42) 

とり

■通りすがりさん
>旧三尻村
熊谷飛行場にそんないきさつがあったのですか。
大戦当時、軍の正式名称以外に、地元の方が地名で呼ぶケースは多々あり、
一つの飛行場に二つも三つも付いている例もあります。
ご存知でしたら申し訳ないのですが、三重県の「三重海軍航空隊」は、元々地名から「香良洲(からす)飛行場」として
建設が始まったのですが、「軍用飛行場にカラスでは勇ましくない」ということで、「三重海軍航空隊」になったのだそうです。
静簡院原飛行場の件、通りすがりさんのご推察通りかもしれませんね。
興味深いお話ありがとうございました。
また何かありましたら是非教えてください。m(_ _)m
by とり (2014-04-12 05:54) 

あるく

こんばんは、資料室がウイークデー以外は閉館ということで
知り合いにその複写を頼んだら
「帥作命丙第119号別紙」は地図か表のタイトルなので
その表が含まれている本や綴りの名前がわからないので
検索もできなかったと言われてしまいました。

しかも複写は業者に依頼するため2~3週間もかかるのだそうです。
(値段は聞かなかったですが紙以外への複写でしたらかなり
高くなりそうな気がします)ご報告まで。

by あるく (2014-05-18 19:14) 

とり

■あるくさん 
>「帥作命丙第119号別紙」
これは、「飛行場の場所を教えてくださいm(_ _)m」記事で教えてもらったことなので、
何に含まれているのか分からないんですよ。
お役にたてず申し訳ありません。
一応尋ねてみますね。
by とり (2014-05-19 06:34) 

あるく

いえいえ
こちらこそ
すみません
by あるく (2014-05-19 10:31) 

とり

■あるくさん 
お問い合わせの件、回答を頂きました。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/2012-03-11
↑こちらの記事のコメント欄 by のぶさん (2014-05-19 09:13)
をご確認くださいませ。
by とり (2014-05-19 20:19) 

あるく

お手数をおかけいたしました。
感謝です。m(_ _)m
by あるく (2014-05-20 07:02) 

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