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千葉県を回った話・2 [■旅行記]


Ⓐ道の駅「たけゆらの里おおたき」→Ⓑ太東飛行場跡地→Ⓒ茂原海軍航空基地跡地→Ⓓ誉田飛行場跡地→Ⓔ東金飛行場跡地→Ⓕ横芝飛行場跡地→Ⓖ香取航空基地跡地→Ⓗ銚子分教場跡地→Ⓘ銚子ボルタック→Ⓐ八街分教場跡地→Ⓑ印旛陸軍飛行場跡地→Ⓒ自宅

2日目。

4:30 起床。

5:00 出発。

まずはすぐ近くの太東飛行場跡地へ。

ここで「滑走路はここからあっちの方に伸びていたはず」と信じる場所を撮ったのですが、

戻ってからよく調べたらオイラ明後日の方向を撮ってました。。。 _| ̄|○ il||li

ここは後日やり直し。

 

そして茂原市へ北上。

「茂原飛行場跡地」には掩体壕が多数現存しており、今回の2日間で最も見所の多いポイントでした。

あちこちうろうろして見つけることのできない箇所も多かったのですが、それでも結構見つかりました。

次。緑区平川町の誉田飛行場跡地へ。

ここは場所がかなりあやふやなのですが、恐らくこのあたりだろうと思われる場所を撮りました。

ネットを見ると、畑の中に基礎が現存するとのことだったのですが、オイラは発見できませんでした。

 

次。九十九里近くの東金飛行場跡地へ。

ここは当時の航空写真を眺めていて偶然誘導路を発見したのですが、肝心の滑走路が見当たらず、

どこの何という飛行場かも不明で、長年ナゾの飛行場でした。

最近になってやっと「東金飛行場」だったのだと判明したのでした。

ここは公園に碑が整備されています。

 

次、更に北上して横芝飛行場跡地へ。

ここも公園内に碑が整備されていました。

次、旭市の香取飛行場跡地へ。

ここは海軍飛行場当時、十字の滑走路が作られたのですが、

現在そのうちの1本がテストコースとして残っています。

なんとかそのコース面が見れないかとうろうろしたのですが、

コースは高い緑の壁に囲まれており、見ることは叶いませんでした。

また周辺には掩体壕があり、撮影したのでした。

 

次。銚子市の銚子飛行場跡地へ。

住宅密集地の中に小さな公園があり、そこに碑が整備されていました。

すぐ近くに銚子ボルタックもあるので見学。

現在時刻は13:15。

初日には、まさかここまで来れるとは思っていなかったのですが、なんとか最東端まで来れました。

これで千葉県内で残っているのは、自宅に戻る方向に、成田空港の航空博物館、八街飛行場跡地、印旛飛行場跡地の三箇所。

航空博物館は見所満載で見学に時間がかかり、跡地見学は明るいうちでないとできません。

三箇所全て回るのは時間的に厳しいです。

お天気に恵まれているので、博物館は次のお楽しみにとって置き、跡地見学を優先することにしました。

この時は、(これで千葉県は制覇だぜ)と信じていたし。

まず八街飛行場跡地で滑走路跡を撮り、近くに整備されている碑の見学。

その後、印西市の印旛飛行場跡地へ。

「ここが飛行場跡地だ」と信じる場所を撮影し、何か碑はないものだろうかと探し回ったのですが見つからず、

ここには碑は整備されていないのだろうと考え、帰路に付きました。

…が、自宅に戻ってよく調べたら、公園内に碑があることが判明。(XДX)

しかも、最近の調査によって判明した滑走路位置というものまで出ています。

ということで、ここも後日やり直しすることに。

 

また、下志津飛行場の場所がずっと確定できなかったのですが、防護巡洋艦吉野さんから教えて頂いた通り、

現在の下志津駐屯地であることが判明。

そして館山航空基地について調べていたら、すぐ近くに洲崎海軍航空基地があったことが判明。

「洲崎」は江東区、父島に次いで3つ目です。カブり過ぎだよ!

…と思ったら、ここは滑走路も飛行機もない教育のための施設だそうです。

 

そんなわけで、一応2日間で判明している飛行場/跡地は全部回ったつもりでいたのですが、

下志津飛行場跡地、太東飛行場跡地、それから当時に因んだ場所ということで船橋送信所、

それと成田空港の航空博物館の4つが残ったのでした。

そして後日、調べていたら、千葉県内に飛行場跡地が更に2つ見つかりました。

また後日千葉県にお邪魔しなくては。

 

これで千葉編はひとまず終わりです。

長々とお付き合い、ありがとうございました。

 

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印旛飛行場跡地で見かけました。

これが日常なのですね。


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千葉県を回った話・1 [■旅行記]


Ⓐ自宅→Ⓑ柏飛行場跡地→Ⓒ松戸飛行場跡地→Ⓓ下総航空基地→Ⓔ大慶園ヘリポート→Ⓕ習志野離着陸場→Ⓖ船橋飛行場跡地(初代)→Ⓗ船橋飛行場跡地(二代目)→Ⓘ伊藤飛行機研究所滑走路跡地→Ⓐ稲毛飛行場跡地→Ⓑ稲毛民間航空記念館→Ⓒ第二木更津(根形)飛行場跡地→Ⓓ木更津飛行場→Ⓔ館山航空基地→Ⓕ道の駅「たけゆらの里おおたき」(車中泊)

 

1日目

7月末、急に2日間時間が取れたので飛行場回りをしてきたのでした。

本当は茨城を回る予定だったのですが、2日間とも千葉の方が気温が低く、天気が良かったため、

急遽千葉を回ることに。

千葉県にはまだ行ったことのない飛行場/跡地が20、ヒコーキ関連の場所が4あります。

特に船橋市、千葉市、八千代市、八街市といったいかにも混雑しそうな場所に

行きたい箇所が固まっています。

2日間でどれだけ回れるか分かりませんが、ともかく柏市から南下し、房総半島を一周して、

時間があれば銚子市の方まで行くことにしたのでした。

 

4:35 自宅出発。

千葉県で自宅から最も近い柏飛行場跡地へ。

北側の滑走路端が一般道に近かったので、ここから撮ろうと決めました。

何の変哲もない道路をパチパチ。

6時台で犬の散歩中の人たちから訝しげな目を向けられながら撮影。

この跡地には営門と説明版が設置してあるとのことだったので探すことに。

「東武野田線豊四季駅から北に進むとある」との情報を頼りに探すと、

柏送信所の所に無事見つけることができました。

 

次。少し南下して松戸飛行場跡地へ。

ここは滑走路のあった場所がギッシリと住宅地になっています。

滑走路北端から撮影。

そして東武野田線を挟んで東隣に位置する海自の下総基地へ。

今回の2日間で唯一、きちんと現役の滑走路を撮ることができました。

8時台になり、本格的にサンビームが皮膚を直撃し始めました。暑い~。(XДX)

若い頃は、「オイラは沖縄の人間ですからね。こっちの暑さなんてへっちゃらですよ」 d( ̄∇ ̄*)

なんて得意げに言っていたのですが、今はもーダメです。

冬の方がいいです。

 

次。大慶園へ。

ここは一般的には「遊園地」という認識なのでしょうが、

敷地内のアチコチにヒコーキ関係の部品が展示してあり、ヘリポート、エアポートもあります。

入場料100円を払って園内へ。

入場券は園内のどこかに潜んでいる自販機で飲み物と交換できるということで、

園内を撮影しつつ探したのですが発見できませんでした。残念。

園内の駐車場で朝食のおにぎり弁当。

 

少し南下して船橋送信所跡地へ。

ここは元々「海軍無線電信所船橋送信所」で、

現在も巨大な円形の地割が見事に残っています。

一部公園になっており、園内のどこかに海軍境界杭があるとマリオさんから情報頂いていたのですが、

オイラは発見できませんでした。

また、自宅に戻ってからよく調べたら、ここにモニュメントと碑もあることが判明。

今回はお蔵入りにします。とほほ。

次、習志野飛行場へ。濃い緑の壁に阻まれ、滑走路視認できず。

次、船橋飛行場跡地へ。

ここには以前滑走路が2本ありました。

1本は現在ららぽーとの敷地内になっており、駐車場に向かう通路から撮れました。

おそうじおばさんから訝しげな眼で見られましたけど。

もう1本はどうやって撮ろうかと思案していたのですが、

ららぽーと屋上駐車場から跡地の道路が正面に伸びていたので撮影。

 

次。伊藤飛行機の滑走路跡地へ。

ここはマリオさんから頂いた情報で場所特定することができました。

ありがとうございました。m(_ _)m

公園入り口に説明版が設置されていました。

マリオさんから情報をいただいた時には、この公園は先の大震災の影響でブルーシートが痛々しかったのですが、

現在はブルーシートも取れていました。

ここまで見たところで12時。お握りを食べつつ次へ移動。

東京湾沿いに南下し、稲毛飛行場へ。

ここは伊藤飛行機繋がりの場所です。

大きな公園内に記念館があり、見学したのでした。

館内で見学していたら、公園から少し離れた場所にも碑があることが分かったので移動。

なんとここが飛行場跡地だったのでした。

 

その後一気に袖ヶ浦市まで南下。

第二木更津飛行場跡地撮影。

その後木更津市の陸自木更津駐屯地に移動。

撮影を終えたところで15:15。思った以上に進むことができました。

房総半島南端の館山に移動。

17:10 海自館山航空基地見学終了。

周辺に掩体壕が残っているとのことだったのですが、見つけられませんでした。

夕暮れが迫っているので今日はここまで。

次の見学ポイントは房総半島東側のいすみ市。

今日のうちにすぐ近くの道の駅に移動しておくことに。

20:00 道の駅「たけゆらの里おおたき」到着。

20:30 寝る。

おやすみなさい。

(続きます)

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某所にて。


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東京・埼玉に行った話 [■旅行記]


Ⓐ自宅→Ⓑ旧日立航空機株式会社立川工場変電所→Ⓒ白糸台掩体壕→Ⓓ月島飛行場跡地→Ⓔ東京シティエアターミナル→Ⓕ洲崎(1号・塩浜)飛行場跡地→Ⓖ東京大空襲・戦災資料センター→Ⓗ大宮の中島飛行機飛行場跡地→Ⓐ自宅

ゴールデンウイーク初日、東京都と埼玉県のヒコーキ関係の場所を見に行ってきたのでした。

7時過ぎに自宅出発。

8時前、東大和市の「東大和南公園」到着。

この公園内には戦時中のヒコーキ用エンジン工場の変電所跡が残っているのです。

公園を一周してみたのですが、駐車場はまだ開いてないようだったので、目当ての変電所跡すぐ近くにある

24時間の食料品店に車を停めさせていただくことに。

まずはここで昼食用のお弁当を購入して後、ササッと公園で目当てのブツを撮らせて頂きました。

変電所正面では、「第1回 東大和市グルメコンテスト“うまかんべぇ~祭”」の準備の真っ最中でした。

開店準備で関係者がわらわらしている中、写真を撮らせて頂きました。

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変電所裏側。

芝に不思議な物体が埋まっていたり、転がっていたりしてました。

その1つに「80年代だったか90年代だったか製造」と書かれていたため、この変電所とは関係ないだろうと思ったのですが、

自宅に戻ってから調べたら、なんとこの変電所1993年まで現役だったのでした。

 

次。9時、調布飛行場近くの「白糸台掩体壕」到着。

少し前に調べた際、「白糸台掩体壕は野菜畑と駐車場に挟まれている」。とのことだったのですが、

とてもキレイに整備されていました。

説明版によりますと、市による整備が進められ、ちょうど先月一般公開を開始したのだそうです。

まったく知りませんでしたが、オイラにしてはタイミング良かったです。

調布飛行場には4つの有蓋掩体壕が現存しており、2つは飛行場に隣接する公園内にあって、以前見学済 で、

今回見学した掩体壕はオイラ的には3つ目になります。

そしてまだ見ていない4つ目は私有地内にあり、ネット情報によりますと敷地内からの見学は断られてしまい不可なのだそうです。

今回お邪魔した「白糸台掩体壕」の説明版にも、「4つの掩体壕が現存する」と明記されています。

そして飛行場周辺の地図が載っていて、3つの掩体壕は場所が図示されているのですが、私有地にある4つ目の掩体壕は

示されていません。

きっと所有者の方の意向なのでしょうね。

オイラの勝手なイメージでは、この白糸台の掩体壕が今後も存続できるかどうか一番怪しいと思っていたのですが、

こうしてしっかり整備されてよかったです。

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白糸台掩体壕

次は一気に東京湾まで移動。

「中央区晴海に進駐軍の飛行場があった」とコメント欄で教えて下さった方がおられ、早速行ってみることにしたのでした。

ゴールデンウイーク中ということで都内の道路はどこもスイスイでした。~~~(⊃゜Д゜)⊃

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晴海客船ターミナルから。

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「晴海三丁目」交差点から春海橋方向。

実は晴海にあった飛行場については位置がハッキリせず、

「現在の晴海五丁目にあった」という説と、

「ホテル浦島のあった交差点(晴海三丁目交差点)から東の方(春海橋方向)に滑走路があった」という説があります。

1947年の写真で見ると、この交差点から春海橋方向にやけに太くて真っ直ぐな道路が伸びています。

一応5丁目方向にも真っ直ぐ道路が伸びているものの、これほどではありません。

それで、「春海橋方向に滑走路があった」説の方が正しいのかな。と思っていました。

この説を信じて撮ったのが上の写真。この場所から奥に向かってが滑走路だったことになります。

その後情報収集のため地元の図書館へ。

「中央区三十年史 上」という書籍の中に占領軍に接収された中央区の土地と建物の状況図がありました。

オイラは「晴海三丁目交差点~春海橋が滑走路だったに違いない」と考えていたのですが、

むしろ接収されていたのは逆の側で、春海三丁目交差点からやけに細長い接収地が伸びています。

この資料を見てから滑走路位置についての考えが変わりました。

春海三丁目交差点から春海橋方向の写真は撮りましたが、逆側の写真は撮ってません。

もう一度戻らねば。そう考えて図書館を後にしたらもうお昼過ぎ。

晴海ふ頭公園の辺りに車を停めて先にお弁当を食べることに。

昼食後、ちょっと仮眠をとろうとしたら、オイラの車の後ろにスイ~とパトカーが停まり、

お巡りさんが2人降りてきました。

通り沿いにはコッチ側にもアッチ側にもずらりと駐車車両あるのに、何故にピンポイントでオイラなの??

オイラアヤシイ? ねえ、そんなにアヤシイ?(つД⊂;)

「お休みのところすみませんね~。最近刃物を持っている人が多くてね~。 刃物 持ってませんか?」

「持ってません」

「悪いけど、ちょっと車内を見せてもらっていいですか?」

ということで、ダッシュボードの中、荷物室など調べられました。

オイラ持ってそう? ねえ、そんなに持ってそう?? (つД⊂;)

「あー、写真が趣味なんですね」カメラバッグに気が付きました。

車内にあんなフィギアやこんなフィギアを飾っていたら、撮影した中身も調べられたのかもしれません。

いえ別にそんなフィギアは持ってませんけど。そんな趣味はないですけど。本当に。

お巡りさんはようやくオイラが刃物もってないと納得してくれたらしく、パトカーに戻りました。

てっきり他の車両も取り調べするのかと思ったら、そのままどこかに走り去ってしまいました。ズルイ!

お巡りさんが立ち去ると、すっかり目が覚めてしまったので、もう出発することに。

春海三丁目交差点の写真を撮って次に向かいました。

 

次に向かったのは同じ中央区にある「東京シティエアターミナル(T-CAT)」でした。

運転中ラジオで時々羽田、成田の発着状況が流れてて、「箱崎の東京シティエアターミナル、T-CATからお伝えしました」。

というお決まりの文句がいつの間にか刷り込まれています。

(T-CATって一体何者? 箱崎にヒコーキのコントロールルームでもあるのかしらん)などと、長年ナゾの場所でした。

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またたびくん

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閉店したテナントが多くて閑散としてました。

その後、江東区の洲崎飛行場跡地、東京大空襲・戦災資料センター、大宮の中島飛行機飛行場跡地を見学して、

夕方自宅に戻ったのでした。

なんだか疲れた1日でした。

おしまい。


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沖縄旅行・6 [■旅行記]


Ⓐ城岳公園→Ⓑ与儀公園→Ⓒ沖縄県立図書館→Ⓓ海軍壕公園→Ⓔ那覇空港→羽田空港

6日目

6:00 起床。相変わらず頭痛はするし、腰痛は日増しにだんだん悪化してきました。 着替えもヒヤヒヤな感じです。

6:30 ホテルのバイキングで朝食。

7:45 チェックアウト。

本日14:15 のヒコーキで帰るので、自由な時間は昼まで。

オイラは小学生時代那覇市在住だったのですが、まずは思い出の場所に行ってみることに。

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城岳公園。

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その辺に落ちてた雨戸に乗ってよく滑り降りて遊んでた階段。

なんちゅうアブナイことを。。。(XДX)

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与儀公園。

ここにD51が展示されることになったいきさつについて説明版等によりますと、

沖縄の本土復帰(1972年)を記念して、国鉄門司鉄道管理局の有志により沖縄の子供を招くことになり、

那覇市内の小学5,6年生72名が招待され、国鉄職員の里親の元で8日間の楽しい生活を送りました。

子供たちは身近に見た蒸気機関車の巨大さ、たくましさにすっかり心奪われ、口々に「蒸気機関車が欲しい」と言い出しました。

里親である国鉄職員は鉄道のない沖縄の子供たちのために、九州で走っている実物の蒸気機関車を送ろうということになりました。

鹿児島から海上600キロメートル隔てた那覇へ900トンのD51を運ぶ必要があり、

実際の移動に際しては、費用面はもとより技術面でも非常に困難だったそうです。

それでも沖縄の子供たちのために全国の国鉄職員はじめ大勢の方々の募金により鹿児島からD51が運ばれてきました。

このD51 222は、1938年小倉工場で製造され、現在の門司機関区、直方機関区、熊本機関区、南延岡機関区で運転

総走行距離は 2,876,479km。

1973年3月1日 那覇港到着。同月8日に与儀公園で譲渡式が行われました。
    
レールの下には、沖縄を含めた日本全国47都道府県の土と石が埋められているのだそうです。

なんだか国鉄の印象が変わりました。ええ話や~(;´Д⊂)

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この与儀公園のすぐ近くに「沖縄県立図書館」があり、開館時間に合わせて入りました。

ここで県内の飛行場/跡地についての資料を探したのですが、特に印象に残ったのが、「義烈空挺隊」についての戦記 でした。

「占領された沖縄に強行着陸して破壊活動を行う」という、

オイラとしてはやけっぱちのバンザイ突撃のようなものだと思っていた作戦のイメージが大きく変わったのでした。 

 

次に海軍壕公園へ。

ここは大戦末期に日本海軍の司令部壕が置かれ、激しい戦場となりました。

司令官であった大田實少将はじめ幹部6名が自決した場所でもあります。

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「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」

大田司令官の愛唱歌だそうです。

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ということで海軍壕の見学を終えるとお昼前。

13時までに空港最寄りの店にレンタカー返却しなければなりませんでした。少し早いのですが返却することに。

スタッフさんの誘導で車を停めたら、ガソリン満タンにするのを忘れてた。。。(@Д@)

最寄りのスタンドを教えてもらい、やり直し。うぅ、カッコ悪い。

カサはプレゼントしました。

本日の走行距離:17km

総走行距離:466km

燃費:16.1km/L

でした。

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以前コメント欄で教えて頂いていたのですが、那覇空港のデッキにもフェンスがついてしまいました。

セントレアのようなワイヤー方式なのですが、

手前の手すりと距離があるため、ワイヤーの隙間からレンズを出して、という芸当ができません。

それでもご覧の通りで手すりが途切れている部分があり、「撮影スポット」というステッカーが貼ってありました。

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少し早いのですが搭乗口へ。

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大東すし食べてー、ブルーシールなめてー、最後の沖縄を食い収め。

定刻14:15 出発の便でした。

13:50 搭乗開始。と、ここまでは非常に順調だったのですが、時間を過ぎてもなかなか動きません。

14:25 「出発機、到着機が錯綜し、誘導路が込み合っております。もうしばらくお待ちください」

14:28 プッシュバック開始

14:32 タキシング開始。その後ノロノロ動いては停止。を繰り返しました。

14:38 「当機は離陸4番目です。着陸機もあるため、離陸は10分後の見込みです」

14:56 R/W36から離陸。滑走路に入る時、2日前に撮影した瀬長島が見えた。さらば沖縄

結局座席に着いてから離陸までに1時間かかってました。

普段搭乗の機会が少ないこともあり、ヒコーキに余分に乗っていられるのはオイラにとってご褒美なのですが、

到着1時間後に出発の自宅最寄駅行きのバスに乗れるのかどうか心配です。

自宅に戻って仕事の電話もたくさんあるし。

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777-300

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16:37 それ程揺れることもなく、R/W34L に着陸。

16:43 7番スポットに到着。

到着が遅れてしまったのですが、無事自宅最寄駅行きのバスチケットが取れて一安心。

腰痛があるので電車の乗り継ぎをしなくて助かりました。

ブックスフジでヒコーキ関係の本を1冊購入。

17:25 羽田発

19:20 自宅近くの駅到着。

自宅に戻って早速仕事の電話をたくさんして、一気に現実に戻ったのでした。

旅行中もほぼ毎日仕事の電話を何本かしていたのですが、旅行を取りやめて緊急帰還という事態に陥ることなく済みました。

 

旅行後半苦しめられた腰痛と頭痛なのですが、埼玉に戻って普通に忙しくしていたら、数日ですっかり治ってしまいました。

…すっかり埼玉県人としてカスタマイズされてしまったということなのでしょうか。

これで沖縄旅行記はおしまいです。

 

長々とお付き合い、ありがとうございました m(_ _)m

(おしまい)


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沖縄旅行・5 [■旅行記]


Ⓐとまりん→Ⓑ阿嘉港→Ⓒ慶良間空港→Ⓑ阿嘉港→Ⓐとまりん→ホテル泊

5:00 起床…したのですが、相変わらず頭が痛くて、腰も昨日より痛い気がする_| ̄|○ il||li

本日は10:00 の船で阿嘉島に行き、慶良間空港を見学する予定です。

10時の出港まで那覇市内をあちこち観に行こうかと思っていたのですが、

体調が悪いのでギリギリまで寝ていることにしました。

テレビつけっぱにしていたのですが、天気予報では本日の県南部は風注意報が出ていて、4mのシケだそうです。

海なし県在住のオイラは、普段天気予報で波の高さとか波浪警報なんて出てきても「ふーん」てなもんなんですが、

これからそのシケの中、小さな船に乗るとなると話は別です。

4mって…こわいよ。というか、船は出るのでしょうか??

ホテルの方に確認したところ、阿嘉島行の港(とまりん)までは徒歩15分程だそうで、

車はホテルの駐車場に止めっぱで構わない。とのことだったので、歩いて行くことにしました。

朝食はホテルのバイキング。

ここのホテルは沖縄の家庭料理をウリにしているとのことだったのですが、

確かに各ちゃんぷるー、ポークなどあって非常に懐かしかったです。

9時過ぎ、ホテルを出ました。

小雨交じりで寒いです。傘をさすほどでもなかったので、そのまま歩いて港へ。

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途中でこんなもの発見。

「鉄の暴風」と形容された沖縄戦では、20万トンの爆弾が使用され、

そのうちの5%に当たる1万トンが不発弾になったと推計されているのだそうです。

戦後しばらくは不発弾が地表にゴロゴロしている状態で、

昭和47年の本土復帰までに住民、米軍等により5,500トンが処理されました。

その後自衛隊による処理が続けられており、現在でも毎年20~30トン程度が処理されています。

500トンは永久不明弾になるとしても、現在でも25%に当たる2,500トン程度が残存していると考えられており、

このペースでいくとあと80年位かかるのだとか。

不発弾を発見した場合、地上ならすぐに最寄りの警察に、海中ならすぐに最寄りの海上保安部に連絡。

年月を経てもその殺傷力は変わらず、処理には非常に危険が伴うため、

爆弾の規模によって半径数百メートル~1キロが避難対象となります。

でもそこはてーげーな沖縄。

海底で発見した不発弾をご丁寧に県庁10階に運び、「見つけました~d( ̄∇ ̄*)」とやってしまったため、

急遽その部屋に土嚢を積んで封鎖。なんてこともあったのだそうです。

これ、まかり間違ってれば今頃県庁は。。。

戦時中は全国に爆弾が投下されましたから、不発弾の処理は沖縄に限ったことではないのですが、

全体の約4割が沖縄なのだそうです。

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泊港旅客ターミナル「とまりん」。

離島航路が集中しています。

目当ての窓口に行くと、「2便欠航」の張り紙が。きたー。

事前に予約してあったのですが、戻って来れないと困るのでキャンセルにしようかとも思ったのですが、

「1便はちゃんと出ますよ」とのことだったので、ともかく行ってみることに。

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10:00 出港。

昨日まで乗った船は建設関係の人が多かったのですが、この船は普段着の人が多くて、

皆さん顔見知りらしく、そこここで挨拶とおしゃべりが飛び交ってました。

ぼっちなオイラ。

11:30 阿嘉港着。出港してすぐ揺れたのですが、その後は心配したほど揺れませんでした。

雨が降ってます。船着き場から近くの公園の屋根の下に入り、とりあえずカメラをレジ袋の中に。

港から空港までは約3キロ位のはずなので、レンタサイクルでも借りるつもりだったのですが、

結構な降りだったので、これはもうレンタカーを使おうと思いました。

ちょうど地元の方が来られたので聞いてみたのですが、「この島にはレンタカーはない」とのことでしたΣ(゚Д゚;)ガーン 

レンタバイクはあるのでターミナル内で聞いてみるといいかも。あ、でも今は接岸作業中だからだれもいないかも。

とのことで、ターミナル内に入ってみました。

おばさんの予言通りターミナルは無人でした。壁にレンタバイクの貼り紙があったので電話してみたのですが出ません。

事前に自宅で調べておいたレンタサイクル屋さんに行ってみることに。

程なく到着したのですが、こちらも無人です。雨は降ってるし寒いし、頭痛はするし、腰痛だし。。。(;´Д⊂)

もう帰ろうかと思ったのですが、船が戻ってくるまであと3時間この島からは出られません。

並んでいるバイクに貼ってある番号に電話してみると、これから行く。とのことで待つことに。

手続きを済ませ、雨の中空港に向かいました。

原チャリに乗るのは久しぶりです。

雨降ってるし、コーナーがコワイ~><

法定速度付近でヨタヨタと空港へ。

この空港は現在定期便はないので、てっきり建物内には入れないのだと思っていたのですが、

試しにドアを押してみると、すいっと開きました。

一応声を掛けてみたのですが、人の気配がしません。

ひととおり空港の写真を撮り終えた頃、雨は止み、弱く日差しも出てきたので、後ろの展望台に上ってみました。

展望台で昨日買った大福もちの昼食。

海に突き出した滑走路が見え、とても気持ちのいい場所でした。

出港前までここでぼーっとしていようかとも思ったのですが、どす黒い雲が広がって来たので戻ることに。

バイクを返し、港に戻り、周辺をうろつきました。

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昨日お邪魔した糸満の平和の礎の灯の採火記念碑がありました。

(碑文全文) 平成三年六月二十日 沖縄県戦没者慰霊追悼式を挙行するにあたり この地において平和の火を採火した この地は 第二次世界大戦における米軍上陸第一歩の地で 昭和二十年三月二十六日午前八時四分 すさまじい砲撃とともに米軍が上陸し二十万余の尊い人命を奪った悲惨な沖縄戦が開始された場所である ここに戦没者のご冥福と世界の恒久平和を祈念し この碑を建立する 平成十年三月二十六日 座間味村長

米軍上陸の第一歩はここから始まったのですね~。

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港周辺の様子。ここにもエネオスが。

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ターミナルと港はこんな感じ。

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このフェリーは座間味島が始発で、我々が乗り込んだ時点で客室内はほぼ満席でした。

それで後部甲板に並んでいるベンチに陣取ることに。

ここはビニールシートが張られて、風雨をある程度しのげる感じです。

オイラ以外にも10人程度がバラバラと座っていたのですが、そのうち左舷側から雨が入ってくるようになり、

みんな右舷側に移動しました。

出港してしばらくはそれほど揺れなかったのですが、那覇に近づくにつれて揺れが大きくなってきました。

一度だけですが、波がバサーと後部甲板に入ってきました。ひー(XДX)

16:15 予定より15分位遅れてとまりん入港。やれやれです。

雨がますます強くなってきたのでターミナル内で傘を購入し、ホテルへ。

まだ早い時間なのでどこかに寄ることもできたのですが、体調が悪いのでコンビニで夕食を買ってホテルに戻りました。

すぐお風呂沸かしてダラダラと過ごし、寝たのでした。

おやすみなさい。

 

(続きます)


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