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沖縄旅行・4 [■旅行記]

Ⓐホテルにしえ→Ⓑ伊平屋島灯台→Ⓒ伊平屋ヘリポート→Ⓓ前泊港→Ⓔ運天港→Ⓕ本部監視哨跡→Ⓖ宮里飛行場跡地→Ⓗ辺野古V字滑走路建設予定地→Ⓘ平和記念公園→Ⓐ福地飛行場跡地→Ⓑ糸満防空監視哨跡→Ⓒ海軍与根秘密飛行場跡地→Ⓓ瀬長島 →ホテル泊

4日目

5:00 起床。

昨日辺戸岬に行って、沖縄の最北端に行った気になっていたのですが、

よく考えたら伊平屋島は辺戸岬よりずっと北にありました。

ここが沖縄県最北端の島です。

ということで、伊平屋島の北端に行ってみることにしました。

6:27 出発。

真っ暗です。少し走ったところで、道路の左側に吹き流しが。(ドユコト??)

帰りに明るくなってからまた寄ってみよう。

海岸に沿って道があればよかったのですが、道はほどなく内陸に入っていきました。

標識もないからちゃんと覚えておかないと。

しばらく走ると暗闇の中、灯台の光が見えてきました。

灯台を目指して走ることに。

急な坂をどんどん上った先に灯台がありました。

無事到着したのですが、まだ真っ暗です。灯台の前は駐車場のようなちょっとした広場になっていました。

ここが島の最北端かどうかはよく分からないのですが、もうここから日の出を見ることに。

ところで昨日行った伊是名島にはハブがいないのですが、お隣のこの島にはいます。

「歓迎!ハブのいる島へようこそ!」という貼り紙がありました。^^;

ハブは夜行性なので、不用意に車外に出ると、その辺ににょろにょろしているかも。

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明るくなって参りました。

その辺にハブがいやしないかとビビりながら車外へ。

沖縄では毎年約百人がハブに咬まれているのだそうです。

ハブに咬まれると、中にボールでも入ってるのかという位その部分が腫れ上がるため、

皮膚が裂けてしまわないようにメスでいくつも切れ目を入れます。

すぐに適切な処置をすれば命は助かるのですが、

こんな如何にも人気のなさそうな所で咬まれたら、と考えると恐ろしいです。

咬まれるのは、大部分が「畑仕事中」と「屋敷内」だそうですけど。

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自宅に戻ってから調べたら、この灯台は島の最北端にありました。

ほんの数キロ差ですが、鹿児島県の与論島よりも北に位置しています。

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ということでホテルに戻ることに。

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途中の海岸でまた1枚。

そして行きで気になっていた吹き流しの所に車を停め、周囲をキョロキョロ。

なんとヘリパッドがありました。これは全く予想外でした。

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7時過ぎ、なんとかハブに咬まれることもなく無事ホテルに戻って参りました。

1階の食堂で朝食。

沖縄に来て、初日と二日目は連日20℃超えで汗をかいたのですが、

昨日からは小雨交じりで寒く、ジャンパーが手放せませんでした。

ホテルのオバーに「今日は特別寒いんですか?」と尋ねたら、「こんなもんよ。ここは本島より寒いですよ」

とのことで、流石最北端だなぁ、と納得したのでした。

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アースカラーのとってもお洒落なルームキー。

当ホテルには6,7人の宿泊客がいたのですが、多分全員建築関係の方で、8:30 頃トラックに分乗して出発しました。

オイラもその後を追いかけるようにしてチェックアウト。

ホテルのオバーから、「アナタは天候に恵まれててよかったね」と言われたのですが、

ずっと曇天だったのでピンときませんでした。

その後自宅に戻ってからいろいろ調べてみたら(前記事でも書きましたが)、

船は平均で1年間に約100往復欠航なのでした。

毎日2往復だとすると、365日のうち50日は船が止まってしまう計算になります。

ちょうど結構な確率で欠航になる冬季ですから、予定通り島に来て帰れるのは、

やっぱりオバーが言う通り恵まれているのだと思います。

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お世話になった島のホテル。

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ホテルの目の前にあるスーパー。

近くのエネオスで給油。沖縄県の離島は本当にエネオスが強い!

@160円でした。

 

出港前の時間帯を活用して、空港建設についてどう思っておられるのか、地元の方にインタビューを敢行してみました。

さるお方が快く単独インタビューに応じて下さったのですが、一応お名前等伏せさせて頂きます。

以下、地元の方の貴重なインタビュー内容を独占掲載致します(ちょっと立ち話しただけとも言う)。

 

現在この島から出るには船しかなく、本島の運天港と1日2往復していますが、

台風の時期には4日間程欠航になることもあるのだそうです。

冬期も荒れるので欠航になってしまうこともあるのだとか。

そんなわけで空港建設の話が出ているわけですが、

空港建設の話は知っているけど、どうなるのかねぇ。

完成すれば那覇から直行便が飛んで便利だけど、ヒコーキ代が高いよね?

それなら船で来て、レンタカーであちこち見れた方がいいんじゃない?

とのことでした(インタビューおわり)。

 

9:00 出港

船内のリクライニングシートがほぼ埋まっていたので、甲板のシートへ。

10:20 運天港着。

本島に戻って来ました。

駐車料金500円を支払い、まずは本部の監視哨跡見学。

その後、宮里飛行場跡、辺野古建設予定地へ。

これで離島を含め、沖縄県北部、中部の予定していた見学箇所を全て見ることが出来ました。

沖縄自動車道を利用して一気に糸満市まで南下。

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油みそとポークは沖縄県民にとって定番中の定番のご飯の友。

そして午後2時頃糸満市の「平和記念公園」到着。

まずは「平和の礎」を見学することに。

ご存じの方多いかもしれませんが、「平和の礎」とは、

国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての方の氏名を刻んだ記念碑のことです。

平成7年に除幕式を行ったのですが、その後も毎年のように100~500人前後の追加刻銘があり、

2011年6月23日の時点で241,132名の名前が刻まれています。

少し前の記事にも書きましたが、オイラは父方も母方も先祖代々沖縄の人間です。

親戚は先の大戦でほぼ半分が戦死しており、オイラと同姓同名の伯父が通信兵として戦死したと聞いていたので、

オイラの名前がちゃんと刻まれているのか見てみたかったのです。

膨大な石碑の中から探せるのかしらん。と思っていたのですが、検索端末が置かれていました。

 

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これが非常に優れモノで、あっという間に検索することができました。

上の写真は興味本位で開いてみたものなのですが、いろんな方法で検索することができました。

無事に個人を特定することができると、

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こういうものをプリントアウトすることができます。

オイラと同姓同名の伯父のものを作らせてもらいました。

死亡場所、誕生日はこの用紙で初めて知りました。

偶然にもオイラの誕生日とかなり近いです。

亡くなった祖母から、「アンタは○○の生まれ変わりだ」とよく聞かされていたのですが、このことだったのかも。

たくさんある銘板の中から、どこに名前があるのかも分かりやすく記されています。

よくできてますね~。

用紙を片手に銘板を探すことに。

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沖縄戦の組織的戦闘が終結したのは1945年6月23日のことでした。

これにちなみ、6月23日は「慰霊の日」になっています。

このメインの道は、「慰霊の日」の日の出の方位に合わせているのだそうです。

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目当ての石版発見。

オイラの親戚の名前がずらりと並んでいました。

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展望台に上がってみました。

丸い広場の中央には「平和の火」が灯されており、この火は沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島で採火したものと、

広島の「平和の灯」、長崎の「誓いの火」を合火したものだそうです。

自宅に戻ってから知ったので、残念ながらオイラはちゃんと見てません。

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展望台には主な戦地の方向が記されていました。

その後県内の飛行場についての資料探しのため、記念公園内の資料館の図書室へ。

司書さんにお伺いしたところ、

「日本軍が建設した飛行場」、「日本軍の飛行場を米軍が整備、拡張した飛行場」、「米軍が新規建設した飛行場」

についての系統立てた資料を見せて頂きました。来てよかった。

沖縄本島とその周辺の飛行場の変遷については、沖縄強化月間の最後の記事としてアップを予定しております。

 

平和記念公園を後にし、「福地飛行場跡地」、「糸満監視哨跡」、「与根飛行場跡地」を見学。

これで本島の飛行場、跡地は全て見ることが出来ました。

今回の旅行で計画していた飛行場の残りは明日予定している慶良間空港だけ。

少し時間があるので那覇空港南の瀬長島へ。

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瀬長島でおきなわそば。

客はオイラ1人でした。

テレビ見ながら食べてたのですが、店のお兄さんがボリュームを上げました。

オイラのために上げてくれたのかと思っていたら、番組の途中で突然大相撲にチャンネルが変わりました。

あー、自分が見たかっただけなのね。。。(o ̄∇ ̄o)

その後、元自宅だった場所の近くでお買い物をして那覇市内のホテルへ。

このホテルは無料駐車場が徒歩数分の所にありました。

車を停めてホテルに向かう途中、道路で寝てるおぢさんが! Σ(゚Д゚;)

ギョッとしたのですが、後で調べてみたら、「路上寝」という言葉がちゃんとあり、

沖縄はこの「路上寝天国」なのだそうです (o ̄∇ ̄o)

部屋に入ってまずはお洗濯。

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衣が大きいスナックみたいな天ぷらを肴にオリオンビール。

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げんまい。

玄米、黒糖、生姜でできた沖縄のソウルドリンク。

はー懐かしい。。。

 

実は今日の午後から頭痛が始まりました。

頭痛はオイラにとっては非常に珍しい現象です。

そして夜になってから持病の腰痛まで出てきました(;´Д⊂)

早めに寝よう。

おやすみなさい。

 

本日の走行距離:154km

(続きます)


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沖縄旅行・3 [■旅行記]


Ⓐホテルゆがふいんおきなわ→Ⓑ辺戸岬→Ⓒ奥間飛行場跡地→Ⓓ運天港→仲田港→伊是名飛行場→仲田港→Ⓓ運天港→前泊港→伊平屋連絡用飛行場跡地→伊平屋空港予定地→ホテルにしえ

3日目 

4:55 起床

6:05 出発。

本日は10:30 出港の船でまず伊是名島に行きます。

村営のフェリーで10分前までに乗船すればよく、時間に余裕があります。

それでまずは沖縄本島最北端の地、辺戸岬に向かうことにしたのでした。

ここはヒコーキとは何の関係もなく、個人的に以前から行ってみたかった場所です。 

7:05 辺戸岬到着。日の出13分前。やうやう白くなりゆく山ぎはでした。   

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ということで7:45 辺戸岬を後にして、奥間飛行場跡地に向かいました。

…が、途中で道路標識がたくさんあったので撮影。

沖縄はYナンバーの車が多いので、標識に英語表記もあり、走ってて気になっていたのです。

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ということで、途中奥間飛行場跡地を見学後、9:15 運天港着。

運天港は、昨日与論島に行くために利用した本部港と、本部半島をまたいで反対側にあります。

本日は、まず伊是名島に行って、またここに戻って来ます。

その後すかさず伊是名島の北にある伊平屋島に行きます。

そうすると時間的にもうここに戻る船がないため、本日は伊平屋島に泊まります。

そのため明日の10:20 にここに戻って来るまで車を置いておく必要があります。

…独自調査の結果、この港には無料駐車場がないことが判明。

港の前に1泊500円の駐車場があるのでそこに入れました。

出港まであと1時間以上あるので、駐車場に車を停め、のんびり泊りの準備。

実は昨晩洗濯をしたんですが、イマイチ乾きませんでした。

今朝チェックアウトしたので、そのまま部屋に置いておくわけにもいかず、生乾きのまま持って来たのでした。

乾かなかった分を後部座席、荷物室に干しておくことに。

9:50 通り雨が止んだところで駐車場の受付に行くと、既にナンバー記入済みの引換証が出来ていましたΣ

カギを預け、ターミナルで手続きを済ませて乗船。

この船は事前予約不可なのですが、この時期はそんな混まないとのことで、ほどほどの入りでした。

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伊是名村営フェリー、ニューいぜな。

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予定通り10:30 出港でした。

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前方に見えているのは、(晴れていれば)超美しい古宇利大橋。

晴れたら是非行こうと思っていたのですが、残念ながら今回の旅行ではお天気に恵まれませんでした。

11:30 伊是名仲田港着。

結構揺れました。ちょっと酔っちゃいました。うぅ、きもちわるい~ _| ̄|○ il||li

この島での滞在時間は2時間。目指す飛行場は約5km先なので、港の目の前にあるレンタサイクルを利用することに。

日帰り700円でした。

「奥に並んでいる中から好きなの選んでください」とのことだったので勝手に選ばせてもらいました。

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港を出てすぐのところにそば屋さんがあったのでちょっと食べようかと思ったのですが、

寄ってみたら、すんごい濃いィ海の漢たちで溢れ返っていたのでスルー。

プリントアウトした島の地図を持参していて、県道を利用して飛行場に行くつもりだったのですが、

「飛行場→」という標識があったので、県道をそれてそちらの道へ。

…程なく迷いますた。。。 _| ̄|○ il||li

出発時に太陽の方向を確認していたのですが、

その後空は分厚い雲に覆われ、太陽がどこにあるかもよくわからない(;´Д⊂)

自分がどこにいるのか、どこに向かっているのかさっぱり分かりません。

標識はなく、サトウキビ畑が広がり、道路は起伏があって、自転車を押して信じる方へ歩きました。

もー疲れた。長い下り坂はしゅーっと気持ちいいのですが、帰りのことを考えるとコワイです。

港を出発してから30分後、なんかどっかの海岸に出ました。

標識も目印もなく、地図を見ても分からないのですが、山と海岸線で「多分この辺??」という場所を出しました。

オイラの推測が合っていれば、予定していた針路より東にズレてます。

ということで海岸線に沿って西に進むことにしたのでした。

12:20 港を出てから40分後、どうにか飛行場に辿り着きました。

出港まであと1時間10分です。帰りも道に迷ってしまうかもしれず、

もー足が棒のようで、確実に行きより遅くしか漕げません。

ということで一刻の猶予もありません。

やっぱり港の近くでそば食べてる場合じゃなかった。

カロリーメイト(のようなもの)を食べ、水を飲み、急いで写真を撮り、

12:27 飛行場を後にしました。出港まであと1時間3分です。(゚Д゚;≡;゚Д゚)

気が焦るばかりで自転車は遅々として進まず。。。

飛行場から港に向かう途中に役場があるのですが、

出発して程なく「役場→」という標識があったのでそちらに進むことに。

「飛行場→」という標識はすぐ無くなってしまったのですが、役場の標識はそこここで目にしたので大丈夫です。多分。

そして飛行場を出発してから18分後、なんともあっけなく港の近くに着きました。

出港まであと45分もあります。

行きで見つけたそば屋に寄ってみると、さっきの濃いィ漢たちが長椅子を全て占領してぐーぐー寝てました。

そばは諦めて大人しく港に向かうことに。

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↑画面左端の白い建物がレンタカー、レンタサイクル屋さん。

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元気ですカー!

 

13:30 出港。伊是名島を後にしました。一時はどうなることかと思いましたが、無事飛行場を撮れてよかった~。

この戻りの船の中で、今晩宿泊予約を入れていたホテルのオバーから連絡が入りました。

「観光ですか? だったらすぐ暗くなるから、まず観光をして、夜になってからホテルに来たらいいですよ」

今回の旅行中、離島に行くために何度か船に乗りましたが、航行中でもずっとアンテナ3本立ってました。

ずっとアンテナを見詰めていたわけではないですけども。auですけども。

14:30 運天港着。本島に戻って来ました。

今度は30分後に出港の船で伊平屋島に行きます。 

伊是名行と同じターミナル内で手続き。

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こちらも事前予約不可ですが、無事ゲットしました。

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15:00 運天港出港。

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16:20 伊平屋島 前泊港着。

港のすぐ前にあるレンタカーで車を借りることに。

…と思ったのですが、閉まっています。

連絡をしてみると、「すぐ行きます」とのことで、ほどなくやって来ました。

手続きを済ませ、出発。

この島には飛行場建設予定地と、米軍が建設した飛行場の跡地があります。

カーナビ無しなので、地図を頼りに場所を探し、無事撮影終了。

途中、スーパーでパン購入。もぐもぐ。

すっかり薄暗くなってきたのでホテルに向かいました。

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ホテル。

自室にバストイレ付だったので早速お風呂に入ったのですが、お湯が出なかったので、共同風呂場へ。

風呂から上がってオリオンビール。

時間忘れたけど寝る。

おやすみなさい。

 

本日の走行距離:105km

(続きます)


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沖縄旅行・2 [■旅行記]


Ⓐホテルゆがふいんおきなわ→Ⓑビースリー飛行場跡地→Ⓒ本部港→与論港→与論空港→与論港→Ⓒ本部港→Ⓐホテルゆがふいんおきなわ


2日目。

5:00 起床

6:00 出発 

昨晩チェックインの際、「朝食バイキングもありますよ」と言われたのですが、

1,300円というオイラにとってはあり得ない金額だったのでパスしました。

今回の旅行は一応、「沖縄県の飛行場/跡地見学」ということになっているのですが、

本日は今回の旅行中唯一沖縄県以外の島に行きます。

9:10の船で与論島に行くのですが、その前に「ビースリー飛行場跡地」へ。

この時期の日の出は7:18。

大分早く着いてしまったのですが、明るくなるのを待って撮影終了。

時間的には港近くの「本部監視哨」にも寄れたのですが、

ここは老人ホームの敷地からでないと見れないので職員さんに許可を得る必要があります。

時間的に早すぎるため、そのまま大人しく本部港へ。

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自宅で予約してあったのですんなりチケットゲット。

「船まではターミナルからバスに乗ってもいいし、すぐそこに接岸だから歩いてもいいですよー」と言われました。

フリーダムなんですね~(o ̄∇ ̄o)

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来ました。

7:00に那覇港を出港して来た船です。

8:50 に当本部港に着き、9:10 出港。

その後、沖永良部、徳之島、奄美大島と島伝いに北上し、翌朝8:30 鹿児島に入港します。

ちなみに那覇港からここ本部港までは二等2,140円。

ここの港から美ら海水族館までは約10kmなんですが、こうやって船で移動するテもあるんですね。

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8:53 ほぼ予定通りの入港でした。

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牛さんの入っているコンテナ。ものすごくゆっくり運んでました。持ち上げるのも最小限。

リフトのおぢさん心優しい海の漢だぜ!

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9:30 出港。予定より20分遅れでした。

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本島と瀬底島を結ぶ瀬底大橋。確か以前雅さんの記事に出ていたような。

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船室は行先で分かれてました。

しばし爆睡。

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与論港。

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11:55 入港。

予定より10分遅れです。

ちょっと戻しました。

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下船したのは地元の方が多かったようで、

待ち構えていた家族らしい車に乗ってあっという間に居なくなってしまいました。

走り去る車はどれも鹿児島ナンバー。本部港からたった2時間半なのですが、やっぱりここは鹿児島県なんですね~。

1人残されたオイラは、港のすぐ北にある与論空港目指しててくてく歩きました。

いいお天気。太陽は頭上にあり、1月なのですが汗ばむ陽気です。

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ちょいしゃがんで撮ればヨカッタ

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14:10 の船で再び本部港に戻る予定です。あと2時間ほど。

「ここで乗船手続きか~」と小さな待合所を横目で見ながら空港に向かったのでした。

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静かです。鳥のさえずりしか聞こえません。

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エプロンにヒコーキがいるところを撮りたかったのですが、まだ少し間があるので先に昼食を済ませることに。

自由に席が選べるようになっていて、迷わずエプロンが見える窓席へ。

後で会計の時にウエイトレスさんから「あの席だと暑かったですね~^^; 」と言われたのですが、

オイラにとっては特等席です。この席以外あり得ません。

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鶏飯ランチ。初めて食べましたが美味しかったです。

昼食後、ターミナル屋上の展望デッキから到着機を撮り、その後風上側のランウェイエンドに移動。

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白い砂浜、エメラルドグリーンの海。広がるサトウキビ畑。

ドコか知らされずに連れて来られたら、沖縄としか思えません。

歩いていたら、「ちゅら島与論」というコピーを見かけました。

鹿児島県なのに、普通にうちなーぐちなんですね~(o ̄∇ ̄o)フフ

ランウェイエンドを見下ろせる場所から着陸機を撮影。

 

ちょっとマニアックな話になってしまいますが、全国の空港には4レターコードがつけられており、

最初の2文字は"RJ"で始まっているのですが、沖縄県の空港は"RO"で始まっています。

ここ与論空港は鹿児島県なので、当然 "RJ"のはず。

ところが不思議なことにここだけは唯一の例外で沖縄県と同じ"RO"で始まっています。なぜでしょう??

以前の記事 で長々とオイラの仮説を書きましたが、長年のナゾです。

 

13:20 の離陸も撮りたかったのですが、30分前までに乗船手続きを済ませるために港への移動時間を考えると、

もう余裕はありません。後ろ髪を引かれるような思いでエンドを後にしました。

ところが港に着いて窓口に行くと、「本日の入港14:40」という貼り紙が(@Д@)ガーン

1時間遅れです。

もしかしたら、港について、空港に行く前にここに立ち寄っていれば、入港が遅れることが分かってたのかも。

それが分かってたら、ゆっくりと離着陸の撮影もできたのに。。。_| ̄|○ il||li

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行きはマリックスラインを利用したのですが、同社の戻り便は明日まで待たねばなりません。

都合よく別会社のマルエーフェリーと1日おきで交互に運航しているので、帰りはこちらを利用します。

いろんな会社のいろんな船に乗れますが、往復割引(復路1割引き)が利用できません(;´Д⊂)

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実は「マルエーフェリー」、オイラにとっては非常に思い出深い会社でして、

小学生~高校生の頃までは東京-沖縄の船をよく利用していたのですが、

この船会社(当時は大島運輸だった)か、有村産業の船に乗っていたのでした。

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頭の部分が箱の中に入り、隣とのプライバシーが保たれます。

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再び本部港に戻って来ました。

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16:40 に本部港に戻って来て、それから本部監視哨跡、宮里飛行場跡を見学する予定だったのですが、

入港したのは定刻より1時間遅れの17:40 でした。

この時期の沖縄の日没は18:03 。撮影は諦め、コンビニで夕食とオリオンビールを買ってホテルに帰りました。

自室に戻ってお洗濯もしたのでした。

 

おやすみなさい。

本日の走行距離:57km


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沖縄旅行・1 [■旅行記]


(自宅→羽田空港→)Ⓐ那覇空港→Ⓑ石嶺飛行場跡地→Ⓒ西原飛行場跡地→Ⓓ沖縄南飛行場跡地→Ⓔ普天間飛行場→Ⓕハンビー飛行場跡地→Ⓖ瑞慶覧飛行場跡地→Ⓗ泡瀬飛行場跡地→Ⓘ嘉手納飛行場→Ⓐ沖縄北飛行場跡地→Ⓑ金武飛行場跡地→Ⓒホテルゆがふいんおきなわ

お客様への新年のご挨拶が一巡した1月下旬、沖縄に行ってきたのでした。

実はこの時期が最も安心して遠い所に行けるのです。

今回沖縄で行きたい場所は全部で28ヵ所もあり、4つの離島に船で渡ります。

この時期は海が荒れることが多いので、無事船に乗れるかどうかはまったく分かりません。

それから行きたい場所が多いので、全部回れるかどうかもやってみないと分からないです。

果たしてオイラは、最終日に那覇空港を離着陸するヒコーキを眺めながら、

ソファーでゆったりとブランデーを愉しむことができるのでしょうか。

今回はるるぶのツアーを利用しました。

往復のヒコーキ代、ホテル4泊、レンタカー6日間込み、レンタカーの保険、ヒコーキの便指定等、全部含めて61,550円。

…デフレですね~。

 

4:35 自宅近くの駅からバスで羽田へ。

5:45 羽田1タミ到着。今回は荷物を切り詰めたので、直接保安検査場へ。

ツアー利用だと、これまでは「航空チケット引換証」が郵送され、それを窓口に持って行ったのですが、

今はネット上で所定の手続きが完了すると、画面に二次元バーコードが示されます。

それをプリントアウトして保安検査所と、搭乗口でかざすだけ。

オイラの知らないうちに随分と便利になったものです。

プリントアウトした用紙から二次元バーコードの部分だけ切り取って使用したのですが、

帰りの便でも同じものを使うのでなくさないようにしないと。

5:50 9番搭乗口着。

6:20 定刻通り出発。

早速イヤホンで音楽でも聞こうとチャンネルを変えていたら、なんだか聞きなれた声が。

出勤時は車内で文化放送を聞くことが多いのですが、その番組のタイアップ?でした。

まだまだ薄暗い中、滑走路に向かう機内なのですが、なんだかいつもの出勤の気分に^^; 

D滑走路 R/W05 からの離陸でした。

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767-300でした。

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9:15 那覇空港到着。ほぼ4年ぶりの沖縄です。懐かしい~。(;´Д⊂)

自宅を出た時には5℃位だったのですが、こちらは17℃。暑い!

レンタカー会社のバスに乗り、最寄りのレンタカー店で手続き。

ETC、カーナビ付の3代目ヴィッツでした。

係のおねーさんは「新型ですよ!」と、新型であることをアピールしていましたが、

ヴィッツは2代目だよな~。

ツアーの予定では、レンタカーが借りられるのは15:30 からだったのですが、

事前に連絡して、割増料金を少し払ってすぐ乗れるように頼んでおいたのでした。

まずは腹ごしらえして、近くのユニオンで水購入。久米島の水2リットル57円だったので3本と菓子パン購入。

レジに行くと、レジのおばさんが何事かごにょごにょとしゃべっています。

てっきりひとり言かと思っていたのですが、「レジ袋持って来てますか?」というオイラへの問いかけでした。

この後も何度かあったのですが、まるでひとり言か、家族に喋るように、

まったく気負わずのんびりと話し掛けてくるのでした。

10:30 本格的に飛行場回り開始。

いい天気です。昼ごろから気温も上がり、1月下旬だというのに本日の最高気温は24℃!(☆Д☆)

ずっとエアコンつけっぱでした。

明日は与論島行の船に乗るため、本日は名護市のホテルに泊まります。

それで名護に向かいつつ、その途中にある飛行場、跡地を回ることにしていたのですが、

たくさんあるので全部回れるとは思っていなかったのですが、結局全部回れました。

現在は滑走路どころか飛行場の形跡が何も残っていなかったり、

米軍の基地になっていて、近寄ることができない箇所が多かったからですけども。

相変わらず市街地の道路は狭く、住宅がひしめき合っていて、車で入っていくのは一苦労です。

そしてゴチャゴチャの先にぽっかりと不思議な空間があるのもまた沖縄の特徴。

ぎっしりと並ぶ民家の先が突然フェンスでぶった切られ、その先が広々した基地になっていたりします。

D20_0103.jpg

嘉数高台公園にある「弾痕の塀」。

普天間飛行場を撮るためにお邪魔して偶然知ったのですが、

ここ「嘉数高台」は日本軍と米軍の最激戦地の1つなのだそうです。

嘉手納飛行場見学は、そのスジでは有名な「道の駅かでな」にお邪魔しました。

ここの4階には展望場があって、お邪魔するのは今回で多分4回目だったと思うのですが、

いつ行ってもそのスジの濃いィ方々がおられ、滑走路に向けて大砲がずらりと並んでいて圧倒されます。

小さくなって飛行場を撮り、3階の学習展示室へ。

次の「読谷飛行場跡地」に着いたのは、そろそろ太陽の高さが気になり始めた頃でした。

ここは恐らく、県内で最も当時の様子が残っている跡地です。

滑走路と平行誘導路の跡がほぼそのまま残っており、誘導路では駐機場跡も見ることが出来ます。

誘導路脇に車を停め写真を撮っていたら、

ランニング中の中学生位のユニフォームに身を包んだ野球部員とすれ違いました。

わざわざ脱帽して「こんにちわ~!」とすんごい大声で挨拶されました Σ(゚Д゚;)

ビックリしながらも、「が、がんばってね~」と声を掛けると、

真っ黒な顔に白い歯をニカッと光らせ、爽やかに走り去って行きました。

しまった。「チバリヨー」とか言えば良かった。と後悔しても後の祭り。

周囲は見渡す限りのサトウキビ畑、そこに誘導路が真っ直ぐ伸びています。

こんなところが普段のランニングコースなんだな~。

ここの飛行場跡地は、沖縄占領後(まだ終戦ではない)に、

熊本の基地から飛び立ったヒコーキが強行着陸を行った場所でもあります。

その碑があるはずなのですが、(この辺にあるはず)と思っていた場所をうろうろしてもなかなか見つかりません。

真っ直ぐ続く誘導路と滑走路以外はサトウキビの葉が風に揺れ、

ときたま遠くで輸送機が眠たげな音を響かせながらゆっくり旋回していくとても長閑な所でした。

もしかして碑はサトウキビ畑の中にあるのかしらん。と思ったのですが、ずかずか入っていくわけにもいかず、

ふと見ると、畑でしゃがみ込んで世話をしているオジーの姿が。

誘導路から畑のオジーに大声で尋ねてみたのですが、ちょっと笑って小首をかしげるばかり。

少なくともこの辺にはないようです。お礼を言ってとりあえず近くにあるはずの掩体壕を探すことに。

掩体壕はほどなく見つかりました。そして掩体壕の側に碑も。

オイラが思っていたのとはまったく違う場所にあったのでした。

もしかして移設したのかしらん。

ということで無事撮影を済ませたのですが、掩体壕は全部で3つあるはずなので、あと2つ残っています。

その2つを探したのですが見つかりません。

畑で作業をしていたおぢさんに尋ねてみました。

真っ黒に日焼けし、深いしわの刻まれた顔をくしゃくしゃにして笑顔で教えてくれました。

確かにあと2つあったのですが、最近までに壊されてしまい、現在はあの1つだけなのだそうです。

また1つ、見たかった場所が消失してしまいました。

最後にもう1カ所、「キャンプハンセン」は日没ギリギリで間に合いました。

本日の見学はこれにて終了。

名護のホテルに向かうことに。

しかし予想外にたくさん見て回ることが出来ました。

今日回れなかった分は、本島北部と離島の見学後行くことにしていたのですが、その必要がなくなりました。

おかげで半日分の余裕が生まれました。

それで、当初は予定していなかった本島最北端の辺戸岬にも行ってみようと考えたのでした。

 

18:30 ホテル到着。

22:00 寝。

おやすみなさい。

本日の走行距離:133km

(続きます)


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吉見百穴と新田荘歴史資料館に行った話 [■旅行記]


Ⓐ自宅→Ⓑ吉見百穴→Ⓒ県立熊谷図書館→Ⓓ新田荘歴史資料館→Ⓔおおぎやラーメン→Ⓐ自宅

 

12月のよく晴れた週末、日帰りドライブに出掛けたのでした。

D20_0033.jpg

埼玉県吉見町の「吉見百穴」。オイラの自宅から直線距離で10km。地元です。

ずっと「吉見ひゃっけつ」だと思っていたのですが、「吉見ひゃくあな」で、

この穴は溶岩で燃えた木の跡だと思っていたのですが、人が掘ったものでした。

地元なのにいろいろ間違えてました。他府県フラフラしてる場合じゃないです(///∇///)

約1300年前の横穴墓群だそうです。

D20_0004.jpg

穴のすぐ側まで行って見ることが出来ます。

大昔からここにも人の営みがあったのですね~。

 

その後県立熊谷図書館で本返却。

県立熊谷図書館は「歴史と哲学の」と冠がついており、その名の通り全国の史料が充実しています。

オイラはあちこちの飛行場跡地を回っているわけですが、自宅でネットでいろいろ検索してもよく分からない場合、

現地にお邪魔して地元図書館で市史、町史を調べます。

市史、町史は貸出禁止なのは当然として、コピーどころか閲覧するにも申請用紙が必要だったり、

このテの本は簡単に手を出すことができない極めて高貴な書物であらせられます。

ところが県立熊谷図書館では、全国の市史町史が貸出オッケーなのです。

全国のあらゆる市史があるわけではなく、抜けているものも結構あるのですが、

それでも随分資料集めの助けになり、何冊も借りていたのでした。

 

さらにその後、群馬県太田市の新田荘歴史資料館へ。

ここは徳川家康の祖、新田氏の本拠地というこれまた大層高貴な場所で、貴重な資料が充実しています。

D20_0034.jpg

D20_0046.jpg

こうして文化的な施設をハシゴし、藤岡でおおぎやラーメンを食べて帰りました。

「吉見百穴」と「新田荘歴史資料館」。

オイラの日頃の素行をご存じの方からすると、なんでヒコーキと関係なさそうな所に行くのか不審に思われたことでしょう。

ふふふ(謎)。

 

おわり。


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