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旧日立航空機株式会社立川工場変電所 [├場所]

   2012年4月訪問 2021/1更新  


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撮影年月日1941/06/25(昭16)(C23 C8 183) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1/25000「立川」昭和41年改測「今昔マップ on the web」より作成

東京都‎東大和市の東大和南公園内にある「旧日立航空機株式会社立川工場変電所」。

昭和13年この場所に陸軍航空機用の大規模なエンジン工場が建設され、

その工場で使用していた変電所(航空写真赤矢印部分)が現存しています。

戦後、米軍の「極東空軍大和基地」となりました(上の今昔マップ)。

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園内に現存する立川発動機製作所変電所跡。

外壁には機銃掃射、爆弾による無数の穴が残っています。

銘板が設置されていました。

東大和市文化財 史跡・戦災建造物 旧日立航空機株式会社立川工場変電所(全文)
 この建物は、昭和13(1938)年に建設された航空機のエンジンを製造していた軍需工場、東京瓦斯電気工業株式会社(翌年、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>に改名)の変電所です。北隣にあった設備で受電した66,000ボルトの電気を、3,300ボルトに変電して工場内に供給する重要な役目を果たしていました。外壁に残る無数の穴は、太平洋戦争の時、アメリカの小型戦闘機による機銃掃射やB-29爆撃機の爆弾が炸裂してできたものです。工場地域への攻撃は3回ありました。最初は昭和20(1945)年2月17日、グラマンF6F戦闘機など50機編隊による銃・爆撃。2回目は4月19日、P-51ムスタング戦闘機数機によるもの。3回目は4月24日、B-29の101機編隊による爆弾の投下で、あわせて110余名に及ぶ死者を出し、さらに多くの負傷者を出しました。この変電所は、経営会社がかわった戦後もほとんど修理の手を加えぬまま、平成5(1993)年12月まで工場に電気を送り続けていました。都立公園として整備されるにあたり、一旦は取り壊される運命にありましたが、貴重な戦災建造物を保存し次代に伝えたいという市民の活動や、元従業員の方々の熱意がひとつの運動となり、保存へと実を結んだのです。保存にあたっては、最後の所有者であった小松ゼノア株式会社や東京都建設局の多大なご理解とご協力をいただきました。そして、東大和市は平成7(1995)年10月1日にこの建物を東大和市文化財(史跡)として指定し、末永く保存、公開するために修復工事を施しました。戦後、戦争の傷跡を残す建物は次々に取り壊され、戦争に対する私たちの記憶もうすらいできています。この建物から、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて受けとめていただきたいと願うものです。 平成8(1996)年3月 東大和市教育委員会

弾痕でボロボロの建物。

その建物が1993年まで現役だったのですね~。すごいことです。


      東京都・旧日立航空機株式会社立川工場変電所      

旧日立航空機株式会社立川工場変電所 データ

設置管理者:日立航空機株式会社
所在地:東京都‎東大和市‎桜が丘‎2丁目‎ 東大和南公園内
座 標:N35°44′07″E139°25′16″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1938年 日立航空機株式会社立川工場建設
1945年 三度の襲撃を受ける
1993年 12月まで変電所として使用
1995年 10月。 東大和市文化財(史跡)として指定。修復工事

関連サイト:
東大和市/わわがまちの文化財(PDF)  
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