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松本(長谷川、笹部)飛行場跡地 [├空港]

    2010年05月、2018年5月訪問 2022/1更新  

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測量年1931(25000 89-3-2-4 松本)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1938年(昭和13年)4月調査資料添付地図 Translation No. 30, 11 January 1945, Airways data: Chubu Chiho (B). Report No. 3-d(28), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)

松本空港の北北東約5.3kmにあった「松本(長谷川、笹部)飛行場」。

アジ歴「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」の中に当飛行場の資料がありました。

一部ですが以下引用させて頂きます(オイラ訳なので間違えてたらゴメンナサイ)。

松本飛行場(1938年4月調)
長野県松本市笹部
(松本市の南4km)

高さ 600m
広さ及形状 飛行場は楕円で、長さ(南北)350m、幅(東西)180m(総面積66,400㎡)。
飛行地区は160m(東西)310m(南北)
1924年6月出資者が集められ、民間飛行士長谷川清登に敬意を表して当飛行場が設立された
施設が使用されたが、後に運営上の問題があり、飛行場は松本市に譲渡された
現在は市の管轄下にある
1934年、暴風により3棟の格納庫と飛行機が破壊された

先頭のグーグルマップは、同資料内の図から作図しました(下記リンク参照)。

「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に当飛行場について扱われていました。

「旧松本練兵場(中略)畜産組合の経営する競馬場と並置、年2回の競馬に使用することが条件である」

先頭のグーグルマップの奇怪な形状はそういうことだったんですね。


国立国会図書館デジタルコレクションに「報知年鑑.大正16年」があり、

この中に、本邦民間飛行場調〔大正15.8〕として27の民間飛行場の一覧がありました。

当飛行場関係箇所を引用させていただきます(下記リンク参照)。

使用者 長谷川清登
種類 陸上
位置 長野縣東筑摩郡松本村笹部
面積 記載無し

ということでアジ歴資料内にも登場しますが、

「長谷川 清登(はせがわ けさと)氏」という人物抜きにこの飛行場は語れません。

氏は国内初の一等飛行機操縦士の資格を取得し、

航空学校卒業後は埼玉県所沢陸軍飛行学校(旧航空学校)の教官として2年間勤めました。

除隊後は民間飛行家として航空思想の普及に尽力しました。

1924年4月12日、陸軍払い下げの偵察機サルムソン二A二型を操縦し、

各務原飛行場から出生地である豊科上空経由で松本まで飛行しました。

同年、「長谷川飛行士後援会」が発足。

松本市は同市の笹部に飛行場用地を買い上げ、氏に使用させました。

これが国内初の「個人飛行場」なのだそうです。

氏は長野県近県を飛行し、航空機時代の到来を講演して歩くとともに、飛行機の平和利用の普及に尽力しました。

ところが1934年の室戸台風で格納庫と飛行機を失い、長谷川飛行場は閉鎖してしまいます。

その後氏は家業の経営に専念しました。

上の地図、1931年測量のものです。

件の室戸台風で壊滅する3年前の地図ですから、「飛行場」が現役当時のはずなんですが、

矢印部分にあったはずの飛行場部分がほぼ白抜きで何の記載もありません。

発行が1947年で、発行された年にはもうなかったから、敢えて記載しなかったんでしょうか??

ところで長野県で月1回発行の「千曲時報」、1938年発行の第98号の中で、

「航空思想の普及のため県下中等学校生の希望者を対象に

今夏三週間の日程で笹部飛行場にてグライダーの実地指導を行う」

という記事が載せられていました。

「長野県学務部が帝国飛行協会の協力で行う」と記されており、

帝国飛行協会による格納庫の寄付、講師派遣も内定していると書かれています。

これは上述の「飛行場閉鎖」から4年後の記事です。

この飛行場用地は元々松本市が買い上げたものでしたから、

長谷川氏が家業経営で飛行場から手を引いた後、同じ場所を復旧させたのかもしれません。

この飛行場についてはこれ以上の情報がなく、この夏だけのことだったのか、それともしばらく続いたのか不明です。

 

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現在飛行場跡地の北半分は松本駐屯地になっています。


       長野県・松本(長谷川、笹部)飛行場跡地     
松本市丸の内7-39にある「松本館旧館」に長谷川氏所有機のプロペラが飾られているのだそうです。「民間飛行學校練習所其他」(航空年鑑昭和六年)の中で、「長谷川飛行機研究所(飛行場:松本市外笹部 事務所:松本市大柳町)」として当飛行場が登場しています。アギラさんから情報頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m 

松本(長谷川、笹部)飛行場 データ
設置管理者:長谷川清登→松本市
空港種別:個人飛行場→市営飛行場
所在地:長野縣東筑摩郡松本村笹部(現・松本市石芝)
座 標:N36°12′21″E137°57′05″
標 高: 600m
面 積:6.64ha
着陸帯: 310mx160m
方 位:02/20
(座標、方位はグーグルマップから)

沿革
1925年 7月 開設、後に松本市に譲渡
1934年 室戸台風により壊滅的被害
1938年 中学生対象に滑空訓練

関連サイト:
アジ歴「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」  
安曇野市ゆかりの先人たち/長谷川 清登    
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正16年(225コマ) 
千曲時報第九十八號■(リンク切れ)   

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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