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山田水上機基地跡地 [├空港]

   2011年9月、2023年6月訪問 2023/6更新  

無題7.png
撮影年月日1948/07/30(USA M1128 3) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

岩手県‎下閉伊郡、山田湾に面した大沢漁港。

ここはかつて「山田水上機基地」でした。

青森県八戸から宮城県金華山の沿岸で米潜水艦の索敵・哨戒を主任務としていたのだそうです。

■防衛研究所収蔵資料「横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」の中で、

当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:山田(水) 
建設年:1943 
飛行場長x幅 米:コンクリート木造各一基 
主要機隊数:水偵0.5 
主任務:作戦 
隧道竝ニ地下施設:施設アルモ数量不明 其ノ他記事:記載なし 


■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「昭18建」とありました。 


■アジ歴に「第903海軍航空隊山田湾基地派遣隊戦時日誌 自昭和20年7月1日至昭和20年7月31日」

があり(下記リンク参照)、この中で、

使用可能機数
(整備又は修理中)
零観四(0)
零水六(0)

とありました。


■防衛研究所収蔵資料:「5航空関係-航空基地-108 日本列島 海軍航空基地略図」

に当基地の略図がありました。

滑走台が二基、仲良く並んで描かれていまして、海岸線から沖に向かって、左側が木製、右側がコンクリとあります。

D20_0166.jpg

D20_0167.jpg

2011年9月にお邪魔する前に調べた際、タイル状のコンクリート製スリップが現存しており、

「旧日東捕鯨事務所」になっているとのことで、現地に行ったのですが確認できませんでした。

上の2枚は防波堤の上から撮りましたが、背後にあった宅地は3.11で土台のみになってしまいました。

その後地元民さんから「海軍基地及び捕鯨基地のあった場所はもっと国道45号線寄り」と情報頂き、

2018年6月にお邪魔したのですが…

DSC_0199.jpg

DSC_0200.jpg

この先なんですが工事中で、コメント頂いていたクジラ橋等、確認できませんでした。


(以下2023年6月撮影)

DSC_0664_00001.jpgDSC_0667_00001.jpgDSC_0668_00001.jpgDSC_0670_00001.jpgDSC_0672_00001.jpgDSC_0663_00001.jpgDSC_0660_00001.jpgDSC_0658_00001.jpgDSC_0675_00001.jpg


      岩手県・山田水上機基地跡地      

山田水上機基地 データ

設置管理者:海軍
種 別:水上飛行場
所在地:岩手県‎下閉伊郡‎山田町‎大沢‎
座 標:N39°28′57″E141°58′28″
面 積:2ha
滑走台:コンクリート、木造各一基
(座標はグーグルアースから)

沿革
1943年    館山海軍航空隊山田分遣隊開隊。後に第903海軍航空隊山田湾基地派遣隊と改称
       戦後漁港として使用
1945年08月 9日 町内に空襲。当基地も機銃掃射を受け、陸上で零式水上観測機1機損害
1946年03月 7日 商業捕鯨基地として農林大臣から一時許可を受ける。
1988年03月 商業捕鯨に幕。約40年間日東捕鯨事業所として使用された。その後は空自警戒監視、管制業務

関連サイト:
第903海軍航空隊美幌基地派遣隊戦時日誌 自昭和20年7月1日至昭和20年7月31日  
ブログ内関連記事      

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料:「5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調」
防衛研究所収蔵資料:「5航空関係-航空基地-108 日本列島 海軍航空基地略図」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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東北旅行・3 [■旅行記]


Ⓐ道の駅にしね→Ⓑ山田水上機基地跡地→Ⓒ観武ヶ原練兵場滑走路跡地→Ⓓ鶯宿滑空訓練所跡地→Ⓔ金ヶ崎飛行場跡地→Ⓕ小山飛行場跡地→Ⓖ道の駅とざわ(車中泊)

3日目

4:00 起床

4:30 出発

本日は岩手県を回ります。

岩手県には、太平洋側に大戦中の水上機基地の跡があるのですが、

津波被害の大きかった場所で、とても近づけないだろうと考え、今回は行くつもりなかったのですが、

ダメ元でとにかく行けるところまで行ってみることにしました。

見学場所を回る効率だけ考えると、まずスタート地点近くの2ヵ所に行って、然る後太平洋側に行くのがよいのですが、

6時までは暗くて撮影できません。

そしてスタート地点近くの見学場所の一つである「雫石滑空場跡地」についてはナゾだらけだったので、

地元の図書館で調べることにしており、開館時間まで待たねばなりません。

それで先に太平洋側に行って、それからまたここまで戻って来ることにしたのでした。

 

国道106号でひたすら宮古方面へ。

昨日まで、「○○道、災害復旧で通行止め」みたいな情報をそこここで耳にしていたので、

一体どこまで行けるのかしらん。行き止まりになったら大人しく引き返すか迂回路を探そう。

そう考えながらの運転だったのですが、意外なほどあっさりと海側に出ることができました。

内陸から海側に出た訳なのですが、海まであと数キロまで近づいても、

車は普通に行き交ってるし、店や建物も普通に建ってるし、海に近づいても拍子抜けするほど普通の光景で、

失礼ながら、「ここは大したことなかったのかな~」などと考えていたのでした。

ところが、海側に出た途端、様相が一変していました。

45号線で海岸沿いに目的地まで南下したのですが、

そのわずかな距離の中にニュースで見ていた凄惨な光景が広がっていました。

一階部分が柱を残してすべて持って行かれている建物、アメ細工のように曲がった鉄骨、ガードレール、

土台ばかりが広がる区画、鉄の塊と化した車の集積所…

震災から半年後にお邪魔したのですが、国道の信号でさえ未だ点いておらず、

朝の時間帯だからなのか警察による手信号でした。

ガードレールのポールの根元部分は、海側と陸側、両側から深々とくさびを打ち込まれたように裂けていました。

「外国人が感動!「震災から“半年”で復興する日本!」海外の反応」 というサイトがあり、

オイラが目にしたのは、震災直後とは比べ物にならないほど整ったものだったのでしょうが、

それでもショックな光景でした。

水上基地のあった場所に到着。

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海岸に沿ってずっと高い防波堤が続いており、その上から撮りました。

多分4m位の高さだったと思うのですが、この程度の高さではとても食い止められなかったのですね。

D20_0169.jpg

しばし立ち尽くしていると、スクールバスがやって来て、学生を乗せて走り去りました。

非日常の場所で日常の光景が広がっています。混乱しました。

D20_0170.jpg

すぐ近くにあったプレハブのローソン。

扉は引き戸。トイレは裏にある仮設トイレ。

それでも店内にはいつも見慣れた商品が並び、Pontaも使えました。

朝の時間帯で、たくさんの車が入って来て買い物を済ませ、慌ただしく出て行きます。

朝食用の幕の内弁当購入。温めてもらえました。

D20_0171.jpg

周辺がすっかり洗い流されてしまったので、地元のために急遽設置したコンビニなのだろうか。

と思っていたのですが、根元から折れた鉄骨が。

車内で温かい弁当を口にしたら涙がポロポロと。

D20_0188aa.jpg

よそ者のオイラがほんの短い時間現場の極一部を見ただけでもショックだったのですが、

地元の方にとっては、愛着ある見慣れた生活が突然失われてしまい、そこに家族や友人との死別が加わるわけで、

この状況を何と言ったらよいのか言葉が見つかりません。

東北に出発する数日前、ラジオでどなたかが、「被災地の状況はとてもカメラでは収まらない」と語っていましたが、

本当にそうだと思いました。

オイラが目にしたのは極々僅かな部分に過ぎませんが、

ニュースで見聞きしてしたのと現地はやっぱりイメージが異なっていました。

 

複雑な思いを抱えつつ、岩手県内の5ヵ所をすべて見学。

明日に備えて山形県新庄市近くの道の駅とざわに移動。

21:00 到着。

22:00 寝る。

おやすみなさい。

(続きます)

 

本日の走行距離:551km


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八戸駐屯地飛行場 [├空港]

   2011年9月訪問 2020/11更新  


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撮影年月日1948/08/12(昭23)(USA M1136 41) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

青森県八戸市にある「陸上自衛隊八戸駐屯地」。

前記事の「海上自衛隊・八戸航空基地」の北側にが隣接しており、

逆L字型の2本の滑走路を有しています。

グーグルマップの下に貼った航空写真をご覧の通りで、

この滑走路は、陸軍八戸飛行場当時には誘導路(白矢印部分)でした。

(この滑走路は基地のかなり内側に位置しており、撮影できませんでした)


      青森県・八戸駐屯地飛行場      

八戸駐屯地飛行場 データ

設置管理者:防衛省
種 別:軍用飛行場
所在地:青森県八戸市市川町字桔梗野官地
座 標:N40°33′24″E141°27′53″
標 高:46m
滑走路:604m×17m(06/24),360m×15m(11/29)
(座標はグーグルアースから)

沿革
1939年    八戸飛行場建設開始
1941年    陸軍航空隊(八戸少年飛行隊)創隊
1945年08月 終戦
     09月 米軍進駐(キャンプホーゲン)
1956年03月 米軍引き揚げ開始
     05月 陸上自衛隊移駐

関連サイト: 
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八戸海上自衛隊高舘飛行場(旧陸軍八戸飛行場) [├空港]

   2011年9月訪問 2022/2更新  


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撮影年月日1948/05/16(USA M1019 1) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

青森県八戸市にある「海上自衛隊八戸航空基地」。

戦時中は陸軍の「八戸飛行場」でした。

また戦後の一時期、三沢飛行場の代わりに民間機運航を行っていた飛行場でもあります。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に1/10,000 八戸飛行場要図(昭和十八年九月末調) があり、先頭のグーグルマップはここから作図しました。

黄色の滑走路/誘導路と、赤色の滑走路が一部重なっていますが、同要図でもこのように描かれています。

黄色で示した滑走路には、「1200x100工事中(土木工事1/2完成)」とあり、工事中の文字が赤鉛筆で消されていました。

滑走路の各辺には、一部長さが示されています。

要図に描かれた形とは少しズレてしまうのですが、数字を優先して作図しました。

また、恒風:北東 とありました。

同資料の情報を以下記させて頂きます。

位置
 青森縣八戸市下長苗代
滑走地区
 1 舗装滑走路及南方誘導路工事中なり
 2 予備滑走路及北西地区転圧しありて各機種の使
  用に支障なし但し解氷期及降雨直後は離着
  陸に注意を要す(面積二九六八六三〇平方米)
施設
 格納庫二一〇〇平方米のもの八棟、兵舎一〇四〇名収
 容のもの二棟あり 其の他給水設備あり
飛行場
 西南北の三方は付近に民家なく大部は畑地にして飛
 行に支障なし
気象
 雨は七月最も多く降雪は一月多きも積雪三〇糎程
 度なり 霧の発生比較的多し
交通
 八戸駅より北方八粁にして自動車道路を有す
居住施設
 営外者の大部は八戸市に居住し乗合自動車を
 利用しあり

■防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1本州、九州 昭19.10 水路部 

にも八戸陸軍飛行場の頁がありました。

同資料の拡大図では、敷地北側部分は「未整地」として大きく空白になっていました。

以下、当飛行場の頁にあった情報を引用します。

八戸陸軍飛行場
青森県三戸郡下長苗代村
40°33′N 141°27′E

面積 北東-南西 1,500乃至2,000米 北西-南東 1,580米
地面の状況 平坦且堅硬にして植芝密生す
目標 馬渕川河口、八戸港、北沼、八太郎沼
障碍物 (記載無し)
離着陸特殊操縦法 (記載無し)
格納設備 鉄骨格納庫(間口45米、奥行50米)12棟あり
照明設備 (記載無し)
通信設備 (記載無し)
観測設備 (記載無し)
給油設備 場内にて補給し得
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり
地方風 春季は偏東風、夏季は南東風、秋季は偏西風、冬季は北東風なり
地方特殊の気象 4,5月頃濃霧あり、7,8月頃雷雨多し 冬季積雪少なく飛行に支障なし
交通関係 長苗代駅(八戸線)南方約4粁
其の他 本場は飛行第102教育戦隊及第6航空教育隊飛行場なり
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  八戸
位 置   青森県三戸郡下長苗代
規 模   要図
舗 装   一〇〇×二〇〇米 基礎栗石地形表層コンクリート(一三六)十二糎
付属施設
 収容施設 二,五〇〇名分
 格納施設 飛行機庫十五棟(二四〇〇〇平方米)無蓋掩体五〇ヶ所
摘 要   大半屋根壁破損 軍施設

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R/W07エンドから。

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      青森県・八戸航空基地飛行場      

八戸航空基地飛行場 データ
・陸軍飛行場当時
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:青森県三戸郡下長苗代
座 標:40°33′N 141°27′E
面 積: 北東-南西 1,500m~2,000m 北西-南東1,580m
滑走路:1,200mx100m
方 位:04/22
・現在
設置管理者:防衛省
3レター:HHE
4レター:RJSH
空港種別:軍用飛行場
所在地:青森県八戸市大字河原木字八太郎山官地
座 標:N40°33′08″E141°28′06″
標 高:46m
滑走路:2,250m×45m
方 位:07/25
(座標、方位はグーグルアースから) 

沿革
1941年    陸軍八戸飛行場
1945年08月 15日 終戦
     09月 26日 米第81師団弘前、八戸に進駐(キャンプハウゲン)
1956年    基地返還。陸上自衛隊八戸駐屯地
1957年    大湊地方隊八戸航空隊開隊
1962年09月 22日 航空自衛隊北部方面隊司令官が八戸基地のジェット戦闘機配備について八戸市長に協力要請
1963年07月 北日本航空、札幌-八戸、八戸-東京線運行開始
1965年    三沢飛行場での民間機の運用が中断し、当飛行場で民間機運航を行うことに
1970年12月 23日 八戸の自衛隊第81航空隊の三沢移駐が決定
1971年12月 1日 八戸の航空自衛隊第81航空隊が三沢に移駐(F-86F)(昭和47年2月1日完了)
1975年05月 東亜国内航空、八戸線運行中止。民間機の運用、三沢に戻る
1989年04月 12日 海自八戸基地を日米地位協定により米海軍に追加提供

関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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カワヨグリーン牧場滑走路 [├空港]

   2011年9月訪問 2020/11更新  


 

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青森県‎上北郡‎にある「カワヨグリーン牧場」。

その敷地に「滑走路牧草地」があります。

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滑走路南側。なんとも羨ましい環境です^^


      青森県・カワヨグリーン牧場滑走路      

カワヨグリーン牧場滑走路 データ

設置管理者:カワヨグリーン牧場
種 別:ULP用飛行場
所在地:青森県‎上北郡‎おいらせ町‎向山‎
座 標:N40°37′44″E141°22′37″

標 高:53m
滑走路:390m×110m
方 位:16/34
(座標、標高、方位、滑走路長はグーグルアースから)

関連サイト:
公式サイト    
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