SSブログ

筑後陸軍(岡山)飛行場跡地 [├空港]

   2011年5月訪問 2020/11更新  


無題b.png
1947年11月(USA M665 125)   
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福岡県‎八女市にあった「筑後飛行場」。

当時は八女郡岡山村だったため、「岡山飛行場」とも呼ばれました。


■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日

の中に「筑後飛行場記録」と「要図」がありました。

地割は現在までハッキリ残っています。

敷地は特徴的な八角形の北側と東側が変則的に膨らんだような形になっていますが、

「要図」によれば、この東側に膨れた部分も含めた東西の幅は、1,250mと記されていました。

ただし、東側の膨れた部分は「不適」の文字と共に斜線が引かれていて、後述しますが、

「飛行場記録」によればこの部分は滑走地区に含まれていません。

敷地北側部分も膨れた方形部分より大きく赤の斜線で囲われたエリアがあり、「軟弱部」と書かれています。

また上のグーグルマップで黒マーカー部分、「要図」には「校舎(兵舎)」と記されており、

別の大判の要図では、この部分に「乗員養成所」と記されていました。

航空写真ではこの部分に建物っぽいものが並んでいる様子が映っており、

このエリアに兵舎、乗員養成所等の施設があったのだと思います。

以下資料を引用させて頂きます。

判決
自重五屯以下の飛行機の使用に適す

飛行地区
滑走地区 主滑走路一一七〇x三〇〇(南北) 副滑走路一〇〇〇x三〇〇(東西) 軟弱部砂利敷転圧
舗装路 なし
土質 砂壊土(赤土)
地表面の状況 表面張芝にして地耐力可なり、球面排水にして概良好
周辺障碍物の有無 なし
  
付属地区
誘導路 六〇〇〇x八
宿営 兵舎(乗員養成所校舎)二棟(五〇〇名収容可) 
夜間着陸設備 なし(機材あるも設備未着手)
動力線 なし
電灯の線 設備あるも現在破損断線しあり
給水 吸上喞筒(動力及手動)各一あり水質概ね良好にして水量多し

其の他
風向 主恒風 東西(冬季及春季) 副恒風 南北(夏季及秋季)

細かいことなんですが。

上記資料には、当「筑後飛行場記録」が四枚綴られていて、微妙に差があります。

判決部分、「自重十屯以下の~」の漢数字部分、

一枚目は十が消されて五になっており、

二枚目はそのまま十とあり、

三枚目は十を消して八になっていました。

また三枚目では、

誘導路 「六〇〇〇x八 なし」
宿営 「兵舎(乗員養成所校舎)二棟(五〇〇名収容可)
夜間着陸設備 「なし(機材あるも設備未着手)

とそれぞれ修正されており、

其の他の項目では、風向の隣に新たに「所属 航空局」と追加されていました。

そして最後の四枚目は、斜線も追記もない無修正のものです。

(2枚目と4枚目は、2枚目の方はかすれてるけど同じもの)

それぞれの作成日が記されていればよかったんですが。。。

また、資料の中で、主滑走路1,170mx300m、副滑走路1,000mx300m とあります。


■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  筑後
位 置   福岡県八女郡岡山村
規 模   要図(北東-南西1500)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 三〇〇名分
 格納施設 (記載無し)
摘 要   施設官有

 

八角形の独特な形状ですが、十字型に滑走路が定まっており、

季節ごとの恒風に合わせた運用がなされていたようです。

D20_0199.jpg

赤マーカー地点。


      福岡県・筑後陸軍飛行場跡地      

筑後陸軍飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県八女郡岡山村(現・八女市‎龍ケ原‎)
座 標:N33°13′28″E130°31′55″
標 高:33m
主滑走路:1,170mx300m(18/36)
副滑走路:1,000mx300m(09/27)
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1944年04月 筑後地方航空機乗員養成所開所式

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー