八代陸軍(文政)飛行場跡地 [├空港]
2011年6月、2016年5月訪問 2020/11更新
1947/03/29(昭22)撮影年月日(USA M194-2 22)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
熊本県八代市にあった「八代(文政)陸軍飛行場」。
■「熊本県の戦争遺跡」に詳しい資料があり、先頭のグーグルマップの長方形はこの資料から作図しました。
この地図は当時飛行場造りに動員された方々、地元の方々の協力でできたものだそうです。
また資料によりますと、当時文政村だったので「文政飛行場」の別称があるのだそうです。
■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」にも要図があり、
丸っこい形はこの要図から作図しました。
要図がかなり大まかなことと、上に貼った1947年の航空写真でもほとんど線が拾えなかったため、
相当アバウトな作図です。
当干拓地で飛行場適地になりそうな広さは(部外者のオイラの見立てですが)、2,200mx2,200m程度と思うのですが、
要図には、飛行場敷地が1,500mx1,700mとあり、有効面積のかなりの割合を占めます。
オイラの作図は、正確なもとはとても思えないのですが、おおよそこんな感じではないかと。
同資料に飛行場の情報がありました。
飛行場名 八代
位 置 熊本県八代郡文政村
規 模 要図(北東-南西1500 北西-南東1700)
舗 装 ナシ
付属施設
収容施設 (記載無し)
格納施設 (記載無し)
摘 要 施設軍有
大正時代に大規模な干拓事業で完成した場所でしたが、近隣住民及び学徒労働員の造成により、
戦時中陸軍の飛行場になりました。
完成後部隊配置はなされず、着陸場として使用しました。
敗戦後、海軍艦爆彗星、九五式中等練習機が復員のために着陸し、
その部材は、鍋・釜に転用され現存しているのだそうです。
現在は本来の用途に戻っています。
熊本県・八代陸軍(文政)飛行場跡地
八代陸軍(文政)飛行場 データ設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:熊本県八代郡文政村(現・八代市鏡町北新地)
座 標:N32°34′37″E130°36′36″
標 高:0m
飛行地区:北東-南西1,500m 北西-南東1,700m
着陸帯:1,350mx360m
方 位:18/36
(座標、滑走路長さ、方位、標高はグーグルアースから)
沿革
1921年 干拓事業着工
1926年 潮止めが完工
1932年 第一次178戸入植
1942年 飛行場建設のため284町強制買収。5月から造成開始
1944年 滑走路のみ完成(1,000mx250m)。完成後は着陸専用飛行場とされ、部隊配備はなされず
1945年 08月 終戦時まで利用皆無。20日海軍艦爆彗星、23日95式中等練習機が復員のため着陸
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この記事の資料:
「熊本県の戦争遺跡」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」