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黒石原(幾久富、熊本地方航空機乗員養成場)飛行場跡地 [├空港]

   2011年6月訪問 2020/11更新   


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撮影年月日 1947/04/11(昭22)(USA M247 45)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

熊本県‎合志市‎にあった「黒石原(幾久富、熊本地方航空機乗員養成場)飛行場」。

逓信省の「熊本地方航空機乗員養成場」として開設しましたが、後に陸軍に接収され、

「黒石原陸軍飛行場」となりました。

現在は畑地、自衛隊敷地等になっています。


■「九州の戦争遺跡」によりますと、黒石原は明治時代から陸軍演習場として利用されていたのだそうです。

また演習場以外には射撃場、県種畜場、農林省種鶏場などの農業施設、ゴルフ場、

ハンセン氏病患者が強制隔離された九州らい病療養所(後の国立療養所菊池恵楓園)がありました。

逓信省の飛行場として完成した当飛行場でしたが、徐々に軍事色を強め、南西部の須屋地区まで施設は拡張し(後述)、

その目的も特攻隊員の養成が中心となりました。

また、らい療養所の南側には昭和17年「傷痍軍人療養所再春荘」も建設され、黒石原は一大軍事地域となりました。

熊本電気鉄道が人員や物資の輸送を行ったのだそうです。

昭和20年5月13日米軍の爆撃を受け壊滅状態となり、

らい療養所の患者2名、再春荘の医療関係者6名、民家でも2名が犠牲となりました。

ここは戦後米軍に接収されましたが、昭和33年に返還され、

農地、農業施設、公園、住宅地、公園、陸自演習場などになりました。

D20_0306.jpg


D20_0305.jpg

「黒石原コミュニティーセンター」にあるコンクリート製の遺構。

乗員養成所時代に設けられた「奉安殿」。

天皇陛下の御真影や教育勅語などを保管する専用建物で、第二次大戦まで学校等教育機関には多くあり、

当飛行場唯一の遺構だそうです。

「九州の戦争遺跡」によりますと、この奉安殿は飛行場敷地の中にあったとあります。


■防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)で当飛行場が扱われていました。

以下引用させて頂きます。

黒石原
判決 自重6屯以下の飛行機の使用に適す
滑走地区 1,400x300
舗装路 なし
土質 酸性火山灰
地表面の状況 表面張芝にして地耐力可なるも一部軟弱地帯あり
周辺の障碍物有無 なし
誘導路 なし
宿営 三角兵舎15棟(500名)
夜間着陸設備 なし
動力線 なし
電灯線 なし
給水 なし
風向 北西風

同資料内で当飛行場敷地の間略図と共に敷地の長さが記されていました(作成日不明)。

それによれば、敷地は南北1,100m、東西1,000m、北東の角~南西の角まで1,300mです。

この数字は、1947年の航空写真と比較しても明らかに小さく、

この数字の通りなら、奉安殿のあった場所は敷地範囲に含まれません。

つまり、当初は防衛研究所収蔵資料に出てくる通りの数字の「小さな飛行場」だったのが、

後に「九州の戦争遺跡」にある通り、奉安殿のある須屋地区まで拡張したということなのではないかと思います。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  黒石原
位 置   熊本県菊地郡合志村
規 模   要図(長さ、かすれて判別できず)
舗 装   ナシ
付属施設  
 収容施設 一二〇名分
 格納施設 (記載無し)
摘 要   施設官有

 

ところで話はガラリと変わりますが、官報 昭和十五年五月二十四日 第四千十二号 金曜日 九六二 

の中にこんな記事がありました。

逓信省告示第千三百九十三号
左記飛行場の設置を許可せり
昭和十五年五月二十四日
逓信大臣 勝 正憲
一、設置の目的 公共用
二、経営者の指名又は名称及び住所 熊本県
三、用地所有者の氏名又は名簿及住所 熊本県
四、飛行場名及所在地 愛国熊本飛行場 熊本県菊池郡合志村
五、陸上、水上又は水陸両用飛行場の別 陸上飛行場
六、面積及地形 総面積三十一萬一千六百十平方米
        滑走路区域 長北北西-南南東約六百八十米幅約百六十米
        及長東北東-西南西約六百米幅約百六十米略十字形
七、恒風位 北北西
八、設置期間 自昭和十五年五月二十一日至同二十三年三月十四日

昭和15年、熊本県菊池郡合志村に設置された熊本県の公共用飛行場「愛国熊本飛行場」。

設置場所からして黒石原飛行場の近隣にあったと思われるのですが、現在のところ位置が不明です。

情報お待ちしておりますm(_ _)m


      熊本県・黒石原飛行場(幾久富、熊本地方航空機乗員養成場)跡地      

黒石原飛行場(幾久富、熊本地方航空機乗員養成場) データ

設置管理者:逓信省→陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:熊本県菊地郡合志村(現・熊本県‎合志市‎豊岡‎)
座 標:N32°52′48″E130°45′52″
標 高:89m
滑走地区:1,400mx300m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1937年    逓信省、九州循環線の寄航地として熊本飛行場(後の黒石原飛行場)設置決定
1938年    逓信省の養成所として開設
1941年04月 逓信省熊本地方航空機乗員養成所開所。本科第一期生入所
1942年    本科第1~5期生が訓練実施
    10月 第12期操縦科生入所、翌10月卒業
1943年    操縦科・機関科の教育・訓練を継続実施
1944年04月 大刀洗陸軍飛行学校石黒原教育隊開校。少飛15期入所。本科6期入所。
    08月 陸軍接収で養成所閉所
1945年07月 第30戦闘飛行集団の配当飛行場。周辺部に無蓋掩体壕設営

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「熊本の戦争遺跡 戦後65年」
「九州の戦争遺跡」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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